花 霞





 よく晴れた春の午後だった。

 先日、攘夷派を大量に検挙した際に不本意にも負傷した片足を引き摺りながら、俺はところどころ草の生える小道を歩いていた。幸い大した怪我では無かったが、やはり歩く際の振動が多少響く。歩を進める度に、土の上の細かい砂利が微かな音を立てる。その一歩一歩を踏みしめながら、俺はただ只管に目的地へと歩いていた。
 暫くして、目的地の一つである場所の前で歩みを止める。よく磨かれた灰色の石が太陽の光を反射している。高い建物等で隔てられることも無く、真っ直ぐに注がれる日差しが少し暑いくらいだった。
 誰かが――…と言っても、恐らくは自分のよく知る人物であろうが――定期的に訪れ、精魂込めて磨いているのだろう。墓石には少しの曇りが無い。近付けば、まるで鏡のように俺の姿を映し出すそれに、ここで眠る人への溢れんばかりの愛情が窺える。供えられてからまだ日が浅いのか、色とりどりの花々が未だ鮮やかに咲いていた。
 そして、短く折れた線香の燃えかす。
 俺は暫時立ったままそれらを見つめていたが、一度息を吐くと折角持って来た花をそこへ供えることをやめ、新しい線香だけを立ててその場を去った。つんと鼻の奥を掠めるものに気づかない振りをして歩き出す。
 また、砂利の音がする。
 幾つかの小道を入って奥へと進んで行くと、やがて大きな桜の木が見えて来る。それを目印にして最終的に辿り着いた場所には、無数の名前が刻まれた石碑と、申し訳程度の花壇があった。先程訪れたところとは打って変わってくすんだ色をした石碑が鈍い色を放ち、いつ供えられたのかわからない花がすっかり枯れて項垂れている。花壇には雑草が生い茂り、手入れがされている様子はなかった。
 それらを一通り眺めて瞳を眇める。自分も言えた立場ではないと思いながら腰を屈め、取り敢えず目立つ草だけ適当に引き抜く。そして、伸び放題だった雑草が粗方取り除かれた花壇に満足した俺は、柄にも無く手にしていた二ヶ所分の花を供えると、先程と同じく線香を焚いた。
 線香を振って火を落ち着かせると、白い煙が揺らめきながら空へと昇っていく。それをぼんやりと追い掛けて上を仰げば、不意に近くの桜の木の葉を揺らして風が通り過ぎて行った。そよそよと吹き抜ける風と奏でられる葉のハーモニーが思いの外心地良い。傍に木があるだけでこんなにも違うのか。先刻の場所では、春と言えどもまともに受ける日差しに暑さすら感じたのに、枝葉の間から零れる木漏れ日も気持ちが良い。
 俺は石碑に目をやると、この場所もそう悪くは無いじゃないかと小さく笑いながら煙草に火をつけようとした。
 そのとき。
「よぉ。珍しいところに珍しい奴がいるじゃないの」
 突然、背後から掛けられた声に一瞬動きを止める。
 何の縁なのか事あるごとに出食わす、今ではもう嫌気が差す程に聞き飽きた声は振り向かなくともわかる。
 俺は持って来た花を包んでいた紙をクシャリと握り締めると、中途半端な位置で止まっていた手を上げて煙草を吹かした。
「……何だテメー。何でいやがる、ストーカーか?」
 背を向けたまま紫煙と共に低く呟けば、後ろで奴が嫌そうに身動いだのを感じた。ジャリ…と小石が擦れる音がする。
「オタクのゴリラと一緒にしないでくれる?」
「近藤さんはストーカーじゃねぇ。ただ、恋愛に不器用なだけだ」
 煙草を咥えながら言い返せば、あいつは「近藤=ゴリラってのは否定しねぇのな…」とか言いながら続ける。
「あのさー、その台詞、いい加減聞き飽きたんだけど」
 そう言われて少しだけ考え、俺は思う通りのことを口にした。
「近藤さんはストーカーだけど良い人なんだよ」
「いやいや、それ何のフォローにもなってないからね!」
 常日頃から思っていることを言うと、何故か即座に突っ込まれた。
 あぁ、ストーカーっていうのが余計だったか。凄く良い人なんだけどストーカー……いや、これも全然フォローになってねぇな。アイツからすると、俺が言ってやるなという感じなのか。
 けれど、それは俺の方が言いたい。
 万事屋連中に、毎度毎度近藤さんをゴリラだ何だと好き勝手言われるのは正直言って気分が悪い。あれでも(あれでもって扱いも酷いか…)真選組の局長で俺達の大将なんだ。近藤さんを蔑むということは、俺達に喧嘩売ってるようなもんなんだぞ、コラ。
 そう、いつもなら反論したりフォローしたりするところだが、どうしてか今はそんな気も起きず、俺はただ一度だけ疲れた溜め息を吐くに留めた。
「……何の用だ」
 屈み込んだまま、依然として振り向きもせずに問う。
 街中ならまだしも、こんなところで偶然会うなんて有り得ない。つまり、俺の後をつけて来たということだ。その上、今の今まで声も掛けずに黙ってついて来たということは、それなりに用事があってのことだろう―――…そう思ったのだが。
 万事屋は俺の問いには答えず、逆に問い返してきた。
「そっちこそ、お墓参りですか?死んだ奴のことは振り返らないんじゃなかったっけ」
 相変わらず掴みどころの無い奴だ。何を考えているのかわからない。いつだって、こんな風にのらりくらりとかわしやがる。
 俺はそんなアイツが気に食わなくて、毎回何かにつけて張り合ったりはするけれど、それでも、嫌いというわけではなかった。
「墓参りじゃねぇよ。報告だ」
「報告?」
「あぁ…」
 俺の返答に何か感じたのか、万事屋はそれっきり口を閉ざした。
 目の前の石碑には、それぞれに大義に殉じた真選組隊士達の名前が刻まれている。恐らく、奴はじっとその一つ一つを見つめていたのだろう。長い沈黙の後、ポツリと呟いた。
「報告、ねぇ…」
「…んだよテメー、言いてぇことがあんならハッキリ言いやがれ」
 感情の読めない声音とどこか含みのある言い方にムッとして、俺は堪らず勢いよく立ち上がると奴を振り返った。
 そうして、瞳を見開く。
 てっきり揶揄するような色が浮かんでいると思っていたところに意外にもいつもより若干穏やかな瞳を発見して、俺は思わず握り締めていた拳を緩めた。
 勢いを削がれて何を言えば良いのかと戸惑い瞠目する俺の前で、万事屋は相変わらず飄々と空を見上げ。
「別に……良いんじゃねぇの?」
「あ?」
「死んだ人間は戻って来ねぇけどよ。たまにこうして現状報告してやるのも、真選組副長の役目なんじゃねぇか」
 俺に顔を戻し、緩やかに口角を吊り上げる。これまで見たことのない慈しむような表情と言葉を目の当たりにして、迂闊にも呆然としてしまった俺は少し反応が遅れた。
「……テメーにだけは言われたくねぇんだけど」
 悔し紛れに小さく言い返して地面を俯く。知らず顰められた眉が眉間に皺を寄せた。
 振り返らないのは、どんなに理屈を捏ねようとも、結局は偏に失った悲しみを引き摺らないためだ。
 いつ命を落とすともわからない生活の中で、仲間を失うのは、最早日常茶飯事。いちいち感傷に浸っていてはキリが無い。…と言うよりも身が持たないのだ。
 あのとき、こういう配置にしていたらどうだったのか、もっと早く気付けなかったのか等という考えが、一人になると脳裏を過ぎる。副長という責任ある立場だからこそ、如何なる場合でも隙を作ってはならない。自分の所為で隊士を死なせるわけにはいかない。けれど、どんなに万全を期したと思われる計画ですら、全員が無事に帰れるというのは奇跡みたいなものだ。そんなとき、ふと掠める思いにどうしようもなく遣る瀬無くなってしまう。
 他の隊士達には見せない。決して見せるわけにはいかないが。手を伸ばしても二度と掴めないとわかっていながら、散っていく命のひとひらを追いかけて掴み上げたいと思うのは人間の性か。
 そんな自分がわかっているから、俺は敢えて振り返らないのだ。
 俺達には護るべきものがある。命を懸けて護りたいものがある。
 そのために散っていった仲間は多くいる。志を同じくした同士達。悲しくないと言ったら嘘だ。だが、だからこそ、彼らが護り抜いたものをこれからも護っていくために、後ろを振り返るわけにはいかないのだ。いつか自分が向こう側に行ったとき、一寸の迷いも無かったと胸を張れるように生きたいから。
「……忘れたわけじゃねぇんだ」
「あん?」
 空を仰いでいたらしい万事屋が、また俺に目線を戻す。アイツの視線を受けながら、俺は傍らの石碑を振り向いた。
「振り返らないとは言ったが、決して忘れるって意味じゃねぇんだよ……あいつらのことは…」
「ああ」
 いいんじゃねぇの、それで…と、万事屋が笑った気配がする。
 そんな何気ない仕草に、何故だかわからないが何となくホッとして俺はそっと瞳を閉じた。目を閉じれば、そよぐ風の中に嘗ての仲間達の温もりが感じられるようだった。
「そうやってさ。たまに思い出してやれば十分なんじゃねぇか」
 静かな声に、目を瞑ったまま頷く。
「……そうかもな。でも、俺はテメーが死んでも思い出さねぇぞ」
「はん。そりゃこっちの台詞だっつーの」


――おまえが死んだって、俺は思い出してやんねぇから。だから、勝手に死ぬな。


 風に乗って微かにそんな言葉が聞こえたような気がして、俺は驚いて目を見開いた。後方を見やれば、既に万事屋はこちらに背を向けて歩き出していた。
 遠ざかって行く後ろ姿を無言で見送る。

 そして。

 いつの間にか灰が落ち、すっかり短くなっていた煙草を摘んで紫煙を吐き出した瞬間、我知らず口元が微笑を象っていることに気がついた。
 瞳を細める。
 未だ鈍い痛みを放つ足の先で、そっと地面をなぞった。途端、ズキッと疼く鈍痛に僅かに眉を顰める。この痛みこそが生きている証。
(勝手に死ぬな……か…)
 アイツがそんなことを言えた義理か。それこそこっちの台詞だと笑ってやりたい。
 こんなことを言ったって、俺もおまえも護りたいもののために無茶だろうが何だろうがするんだろうが。
 何かを護るために剣を交える。例え、それで命を落とすこともあっても、それが俺達の生き方なのだということを互いに知っている。知っていて、そんなことを嘯くアイツに笑いが込み上げる。
 後悔の無いように生きればそれで良い。
 役人という立場上、上の命令には従わざるを得ない。幕府を取り仕切る傲慢な天人の要求と大義との狭間で葛藤することも確かにある。天人のために大義を成せぬまま死ぬのは真っ平御免こうむりたい。万事屋の放った言葉もそういう意味なのかもしれない。


「……クッ…。なかなか言うじゃねぇか、あの野郎も…」


 思いの外穏やかな気持ちで仰ぎ見た空には雲一つなく。
 線香と煙草の薄い白だけが、まるで霞のように、鮮やかな蒼に溶けていった。










 (2009.03.07.up/2009.07.改)














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