healing





 任務を無事に終え、チルドレンを家まで送り届けてからバベルへ戻った僕は、賢木に頼んでいた資料を受け取りに訪れた先で、如何にも「疲れてます」と書かれた顔に絶句した。
「よう、皆本」
 いつも通りの挨拶だが、心なしか声に覇気が無い。目の下には疲労を色濃く映す隈がくっきりと浮かんでいる。何も言わずとも僕が来た理由を承知している賢木は、動けずにいる僕に構わず、机の上のファイルを手に取ると徐に差し出した。ほれ、と促すように揺らされるファイルに我に返り右手を伸ばす。そして、ファイルを受け取った勢いのまま、僕は空いてる左手で賢木の腕を掴むと引き寄せた。
「おっ?」
 軽い力で引いたにも関わらず、不意を突かれた身体はバランスを崩して一、二歩よろける。突然のことで若干目を白黒させる彼を意に介さず、僕は彼の腰に素早く腕を回すと緩やかに抱き締めた。
「随分疲れが溜まってるみたいだな…」
「え、そう?」
 とぼけた声で白を切ろうとするが、そんなことで僕が誤魔化されるとでも思っているのか。心配させたくないという彼の気遣いかもしれないが、こんなに疲れ切った身体で平気な振りをされるのは、非常に痛々しくて辛くなる。せめて僕の前でだけは弱った姿を見せてくれても良いのに…と、つい思ってしまうのは傲慢なのだろうか。
「……そんなにバレバレか?」
 透視しなくても僕の思考が伝わったのか、腕の中で、賢木が心許なげな声音で呟く。
「ああ。酷い顔だ」
「……そっか…」
 僕の言葉に小さく苦笑して肩口に顔を埋める。そろそろと褐色の掌が背中に回され、深くなる抱擁にそっと息を吐いた。
 ただでさえ医師として多忙な毎日を送っているというのに、それに加え、最近では特務もこなすことが多くなった賢木は、いくら若いとは言え、時々無理をしているのではないかと心配になる。どんなに疲れていても、周囲に悟られぬよういつだって平然と笑っている彼だから尚のこと。だが、そんな彼がひた隠せない程、顕著に現れた疲労の色。相当参っているのは明らかだ。どうしてこんなになるまで…と、平気で無理をする賢木も、気付いてやれなかった自分自身も、歯痒くて腹立たしくて堪らなくなる。賢木が強いことは知っている。同時に、その実脆いことも知っているから。
 僕は抱く腕に力を篭めると、そっと癖っ毛の髪を撫でた。
「僕も君を癒せたら良いのにな…」
 賢木はいつだって僕を癒してくれる。医師としてだけでなく、精神的にも彼に救われている部分は多い。なのに、彼が疲労困憊でくたくたなときに僕は何もしてやることが出来ないのだ。それが酷くもどかしく、自分の無力さを突き付けられて目を伏せる。すると、すぐさま傍にある頭が揺れて「バカ」と、やたら甘さを含んだ罵倒の言葉が返って来た。
「何言ってんだ。おまえは十分俺を癒してくれてるよ」
 言いながら、甘えるように僕の肩に頬を擦り付ける。ホッと漏れる息が首筋に当たって思わず肩を竦めた。
「こうやっておまえに触れてると、凄く落ち着く…」
 温かい身体も匂いも何もかもが気持ち良くて、俺を気遣ってくれるおまえの優しさが全身から伝わって来るのが堪らなく嬉しくて、ふわふわした気分になる…と、どこかうっとりした声で囁く。安心しきった顔で微笑みながら瞳を閉じる姿を至近距離に窺い見て、胸の奥がじんわりと熱くなった。子どものように無防備な表情を晒す賢木が愛しくて、白衣を羽織った広い背中を何度も撫で摩る。
 暫くあやすように繰り返し撫でていると、不意にあることが脳裏を過り、ふと口を開いた。
「――そういえば、真偽の程は定かでは無いが、一日三十秒の抱擁でストレスの三分の一が無くなるって話を聞いたことがあるよ」
「へぇ〜…そいつは興味深い話だな」
「ああ。それとは別に、以前、家庭療法の権威と言われている人の言葉を聞いたことがあったな」

『私達は生きていくために、一日四回の抱擁が必要だ。私達は人間関係の維持のために、一日八回の抱擁が必要だ。私達が人間として成長するために、一日十二回の抱擁が必要だ』

 記憶の中の文言を耳元で囁く。鼻先を掠める柔らかな黒髪に頬を寄せると、賢木が擽ったそうに身じろいだ。仄かに香る香りと心地よい温もりに目を閉じる。確かにこうしていると、疲れが吹き飛んで心が穏やかになるようだ…と、ぼんやり思った。
 何の力も持たない僕でも、君の心を少しでも癒すことが出来るのだとしたら。僕とこうすることで、君が心から安堵することが出来るのならば。これ程嬉しいことは無い。君が望むなら、いつでも僕はこの身を捧げよう。君の全てを受け止めて、どんなときも、君が安心して羽を休められる止まり木のような存在でありたいと願う。だが、お互い自立した大人の男だ。決して傷を舐め合うやわな関係に甘んじたいわけではなく、ただ、僕にとって君は掛け替えの無い大切な人だから、少しでも力になりたいだけ。まあ、過保護だと言われてしまえばそれまでなのだけど。


 だから、なあ、賢木――…。


「……辛いときはちゃんと言ってくれよ…僕にだけは…」

 つと口をついて出た想いは思いのほか哀切を伴っていて。僅かに身体を離した賢木は、どこかはにかむように瞳を細めた。

「バカ…」
 まるで、幼子でもあやすようにポンポンと軽く頭を叩き、ありがとうと眦を下げる。この笑顔をずっと守っていきたいと強く思った。



END




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以前やったツイッターの診断にて、「想い人に」「引っ張られて」「はにかみながら」「バカ」と言う皆本×賢木 というお題より。





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