未来へと続く道の途中





「賢木…!すまないがすぐ来てくれないか!?薫が苦しがってるんだ…っ」

 久々の休日を満喫しているかと思っていた皆本のいつになく焦った声に、俺は取る物も取り敢えず皆本のマンションへと駆けつけた。
 インターホンを鳴らすと、待ち構えていたかのように扉が開いて困り果てた顔の皆本に出迎えられる。
「忙しいときにごめんな」
「いや、大丈夫だけど……あれ?あとの2人は?」
「実家に戻ったよ。久しぶりの休日だからね」
「へぇ…?」
 いつもなら血相を変えて真っ先に飛んでくるはずの彼女の友人達が不在と聞いて、ほんの少し違和感を感じながらも上がり込む。
「それで、薫ちゃんの様子はどうだ?」
「今朝、急に体がダルいって言い出して…。一応、紫穂に透視てもらったら特に異常は無いみたいだったんだけど、ちょっと前からお腹が痛いって苦しみ出してさ…」
「うん」
「薬飲んでも全然治らないみたいだし、どうしたら良いのかと…」
「………」
「出掛ける間際、紫穂に『皆本さんは心配しなくて良いから』とか『賢木センセイを呼ぶとか余計なことしないでね』とか言われたんだけど、あんなに具合い悪そうなのに心配にならないわけないよね!?」
「……ふーん、なるほどね…」
 そんなわけで、忙しいだろうなと思ったけどキミを呼んだんだ…と、不安の中に申し訳無さが滲む声を背後に聞きながら、薫ちゃんが寝ている寝室へと向かう。
 今の話で大体の予想がついた。
 それならば、薫ちゃんのこととなると目の色が変わる彼女達がどうして体調不良の薫ちゃんを残して行けたのか、俺を呼ぶなと言った理由もしっくりくる。
 俺は小さく溜め息を零すと、オロオロしながらついて来る皆本を一瞥した。もし俺の考えてる通りなら、デリケートな彼女達の心中を汲んで、皆本には寝室には入らずに待っていてもらった方が良いだろう。
「そうか、わかった。それじゃあ、ちょっと透視てみるからおまえはリビングで待ってて」
 にっこり振り返って後方を指し示せば、皆本が戸惑ったように足を止めて立ち尽くす。
「え?いや、しかし…」
「心配なのはわかるけど、大丈夫だから。俺に任せとけって。おまえは、そうだな…何か温かい飲み物でも用意しててくれるか?」
「あ…、うん、わかった。じゃあ、頼むよ賢木」
 俺の口調から何かを察したのか、皆本は「ココア淹れておく」とだけ告げると、それ以上何も言わずに大人しくキッチンへと入って行った。
 その後ろ姿を見送り、寝室の扉に向き直る。コンコンッと軽くノックして、中から弱々しい返答があったのを確認してから扉を開けた。
「薫ちゃん、入るよ。腹が痛いんだって?」
「さ、賢木センセイ〜…」
 俺を見るや否や泣きそうな顔をする。布団を握り締める指に力が籠もる。
「どんな風に痛い?」
 傍に寄って布団に埋もれる薫ちゃんを覗き込むと、薫ちゃんは可哀相なくらい眉を寄せてボソボソと呟いた。
「どんな風っても…言葉には出来ないよ…。何か、今まで感じたことの無い痛さだから…」
「うん、そうか…。ちょっと透視せてみな?」
 優しく言いながら掛け布団を捲り、薫ちゃんの腹部に手を当てる。
 ……あぁ、やっぱり。予想通りだ。
「なぁ、センセイ……あたし、死んじゃうのかな…」
「ははっ、大袈裟だなぁ。こんなんで死んだりしないって」
「だって、凄く痛くて苦しいんだよ…っ!胃腸薬飲んでも効かないし、センセイにはこの辛さはわかんないもん…」
 確かに、男にはわからない痛みであることは間違い無い。よく見ると、薫ちゃんは顔面蒼白で額には脂汗が浮かんでいた。
 自分の身に何が起こっているのかまだ理解していない彼女に少々軽率だったかな…と、苦く笑いながら鞄を引き寄せる。
「ま、胃腸薬じゃ治らないわな…」
 何気なく出た言葉に薫ちゃんの顔色がさっと変わる。やっぱり何か悪い病気なのかと表情を曇らせる彼女の頭を軽く撫でて、探っていた鞄の中から鎮痛剤を取り出した。
「朝は何か食べた?」
「うん、パンを少しだけだけど…」
「そっか。じゃあ、はい、これ飲んで。すぐ良くなるからな」
「うん…」
 差し出したのは、市販もされている痛み止め。
 薫ちゃんはおずおずと受け取り、ナイトテーブルに置かれたままのミネラルウォーターを口に含んで素直に飲み込む。ゴクンと喉が動くのを見て、俺は少し首を傾けて微笑んだ。
「しかし、これで薫ちゃんも遂に立派な女の子だな。おめでと」
「へ?」
「まあでも、この家にいるのは皆本だし、赤飯は無理かな?」
 明るく笑いながら肩を竦めてウィンクすると、薫ちゃんはボッと音がしそうな勢いで瞬時に顔を赤らめた。
「えっ?え、それじゃあ、これって…」
「はい、おめでたです」
「そうかっ、これが俗に言う陣痛―――……って、ちげぇだろ!生理痛でしょー!?」
 と、赤い顔のまま叫んであわあわするものだから、俺は思わず吹き出してしまった。
 先刻まで死ぬかもしれないと気弱になっていた人間がノリツッコミなんて…と、そのギャップに堪え切れず肩を震わせる。
 や、やべぇ…ツボに嵌った…。
 笑うのを止められない俺を勘違いでもしたのか、薫ちゃんはますます真っ赤になった顔を隠すように両手で頬を覆った。
「うわっ、恥ずかしい!」
「何で?」
 笑いすぎて眦に浮かんだ涙を指で拭いながら尋ねれば、言いづらそうに目を逸らす。
「……だって、そんなことで大騒ぎして、皆本にも心配かけちゃったし…挙げ句の果てにセンセイに…。センセイって一応オトコじゃん?」
「一応ってなに?」
 どこか不満そうな薫ちゃんに若干眉を顰めつつ、安心させるようにポンポンッと頭を叩いてやる。
「バッカだなー。俺は医者だもん。医者にとって患者は患者、オトコもオンナもねぇよ。診て、的確な処置をするだけ。あと、皆本にも言わないから安心しな。それと、痛み止め少し置いて行くから、また辛くなったら飲むんだぜ?」
 服用する際に最低限空ける時間を指示し、空腹時をなるべく避けること!と、子どもに言い含めるみたいに薫ちゃんの眼前に人差し指を立てて薬を手渡す。
「うん…ありがとう、センセイ。でも、何だか意外だなー」
「何が?」
 きちんと布団を掛け直してやって視線を移すと、薫ちゃんが心底意外そうな顔で見上げていた。
「思ったより淡々としてるっていうか…。センセイのことだから、またエロいこと考えてんのかと思った」
「あのなぁ…」
 げんなりして項垂れる。気の所為ではなく頭痛までしてきた。
「俺のこと一体何だと思ってんの!?患者を診るときは真面目にやってるし、大体俺の守備範囲は大学生以上だぜ?」と口を尖らせれば、薫ちゃんが楽しそうに「女子大生は良いよなー!」と大凡女の子とは思えない発言を飛ばす。
 口元がだらしなくニヤけるのを見下ろし、相変わらずオヤジみたいな嗜好してんなぁ…とガックリしながらも、余裕が出てきた薫ちゃんに安堵する。
 ―――……良かった。鎮痛剤が効いてきたみたいだ。先程よりも幾分か顔色も良くなった。
 彼女の脳内でどんな妄想が繰り広げられているのかは知らないが、尚も楽しげにうひゃひゃっと笑う薫ちゃんを、仕方が無いなと苦笑しながら息を吐く。目を細め、徐々にいつもの調子を取り戻しつつある少女を眺める。
 こうやって、彼女はだんだん大人になっていく。そして、予知されている未来で成長した彼女は、皆本の大切なただ一人の愛しい女(ひと)に―――…。
 所詮、敵うわけがないのだ。そんなこと、初めからわかりきっていたことなのに。
 ちょっとした嫉妬が頭を擡げる。気を抜けば拳を握り締めてしまいそうになる感情に気付かない振りをして、俺は胸に感じる蟠りをいつものように笑顔で隠した。
「ゆっくり休みな。そんで、気分が良くなったらリビングにおいで。皆本が美味いココアを淹れてくれてる」
「ホント!?」
 聞いた途端、パァっと顔を輝かせる。
 皆本が淹れるココアは絶品だ。あいつが作るものは何だって美味いけどな。
 ココアと聞いて嬉しそうに笑う姿にまだまだ子どもだなと思いながらも。
 確実に大人の女性へと変化を遂げ始めている彼女にもう一度微笑んでから、背を向けて冷たいドアノブに手を掛けた。








  *  *  *








「今日さ、ゴミを出そうと思って集めていたら、薫が、自分達のゴミは自分達で出すから触るなって言うんだよ。それどころか、 僕からゴミ袋を引っ手繰って、率先してゴミを集め出してさー……今まで全部僕任せだったくせに、どういう風の吹き回しやら…」
 翌日、人が疎らな昼休みに診察室へとやって来た皆本は、開口一番そんなことをのたまった。
 一体どうしたのかと訝しがる皆本にコーヒーカップに口を付けながら苦笑する。
「そりゃあ、あいつらだってお年頃だし?おまえに見られたくないものだってあるだろ」
 そう返せば、皆本はハッとしたように目を見張った。探るように俺を見つめる。
「え?僕に見られたくない…?薫が僕に見られたくないもの――…?……あ、さてはあいつ、またエロ本とか買い溜めしてるのか!?」
 見当違いも甚だしい発言を聞いて、机に頬杖を突いていた腕がバランスを崩した。目の前でズッコける俺に構うことなく、皆本は顎に手を当てて尚も考え込む。
「いや、でも、今まではセクハラ紛いに堂々と出してたんだがな…」
 えぇー…?おまえ、それマジか…?
 不可解な問題にでも直面したかのように神妙な顔つきで首を捻る皆本に呆れて大きな溜め息を一つ。
 おまえ、本当わかってないよ。
「いつまでも子どもじゃないってことだよ」
「?」
 顔を上げて俺に視線を戻した皆本が不思議そうに瞳を瞬くのを見て、しょうがないなと相貌を崩した。



 おまえはいつ、あの子を一人の女性として意識するようになるのだろう?
 いつ、一人の女性として愛するようになるのだろう…。



 近い将来、傍でそれを思い知る俺は、悲しみに身を引き裂かれながらも、それでも皆本の傍に居続けるだろう。
 俺はあいつの親友だから。俺にとって、掛け替えの無い大切な人だから。
 共に闘い、彼を救うためならば、俺は身を捧げる覚悟だってある。あいつとあの子が幸せになれるように、あの悲しい未来を変えられるように、例え能力の限界を超えても立ち向かうと誓うから。


 おまえのためなら、どこへだって飛んで行くから。





 だから―――……俺を選んでくれなくて良いから、どうか幸せになってほしいよ。



 俺が一番欲しいものは、まるで澄んだ水のように指の間をすり抜けて、永遠に掴めはしないけれど…。








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