パティは見た





 私は見てしまった。それは偶然と言うにはあまりにも運命的であった。




 その日、私はいつものようにアキバで買い物をする予定だった。
 予定だったというのは、残念ながら私の目当てとする物が見つけられなかったため。何を買う予定だったのかはこの際問題ではない。ただ、そのときの私は、収穫が無くて少々テンションが下がっていたとだけ言っておく。


 消沈の面持ちで帰路につく。私達の家でありアジトであるカタストロフィー号へは、とある場所からいつでも帰ることが出来る。でも、まだ夕方にもなっていない時刻。こんな時間に戻っても、戦利品の無い今日は時間を持て余してしまう。
 キャラ弁考案をしようにも連休初日で明日は学校が無いし、今まで買った本も全て何度も読破している。原稿も終わっている……というか、そもそも今日は、先日漸く脱稿したので思い切り趣味を満喫しようと(買い漁ろうと)やって来たのだ。それなのに、完全なる空振りに終わってしまって溜め息を吐く。
 休日で人がごった返している街を虚ろな瞳で眺める。
 どうしようか。乙女ロードにでも繰り出そうか…。
 私は再度重い溜め息を吐き出すと、一路池袋へと向かった。





「やっと……やっと、巡り合えたわね…!」
 私は感激のあまり、会計を済ませて渡された紙袋を思い切り胸に抱き締めた。
 この店に来て良かった。コレよ、コレを求めていたのよ…!
 嬉しくて足取りも軽くなる。ありがとうございましたーという店員の声を背後に聞きながら、何とも晴れやかな気分で私はその店を後にした。
 これでまた一週間生きていけるわ…。あぁ、神様、萌えをありがとうございます。
 外に出ると、いつの間にか辺りは薄闇に塗れていた。空がオレンジとコバルトブルーの美しいグラデーションを織り成す僅かな時刻。
「そろそろ帰らなきゃいけないわね」
 目当ての物は手に入ったし、もう思い残すことは無い。それどころか今は、一刻も早く帰ってこの本を読み耽りたい気持ちで一杯だ。数時間前までは項垂れて地面しか見れなかったのに、今は真っすぐ前を向いて歩ける。
 やはり萌えは素晴らしい。心の糧となり、生きる希望だ。
 そんなことを考えていた矢先だった。私の目に、見覚えのある姿が飛び込んで来たのは――…。
「折角の休みだってのに、何で俺ここにいるんだろう…」
「二股がバレてフラれたからだろ」
「だってさー…可愛い子と遊びたいじゃんよ。でも、可愛い子は沢山いるじゃん?その中から誰か一人なんて決められないし、俺としては皆と分け隔てなく仲良くしたいわけで…」
「さっきのおまえの台詞そのまま返してやる。急遽呼び出されてそんな話を聞かされている僕の身にもなってみろ」
「……すみません」
 あれは、バベルの皆本光一と賢木修二?確か、あの二人は親友だったはず。よく聞こえないけれど、長身の身体を小さく縮めて肩を竦める賢木医師と呆れた顔をする皆本の様子で大体の察しがついた。大方、女癖が悪いと評判のサイコドクターが女性に振られて、親友の皆本が慰めている…といったところかしら?
「…………」
 何やら楽しげな予感に、知らず頬が上気する。興奮と期待に胸が高鳴る。
 私はオープンカフェで話をしている二人に気づかれないよう、 会話が聞こえる距離までそっと忍び寄ると、物陰に隠れて二人を窺った。
 彼らは私に気づいていないようで、話を続ける。
「毎回毎回、何度繰り返せば気が済むんだ?」
「だってぇ…」
「だってじゃない!」
「あーもう、わかった、わかりました!暫く控えるよ」
「本当だな?」
「ああ」
 頷きながら、両手を肩の位置まで挙げてホールドアップのポーズを取った賢木に満足したのか、険しかった皆本の眦がふと柔らかくなる。そして、悪戯をして叱られた子どもを宥めるように、ポンポンと賢木の頭を軽く叩いた。そうされた賢木は、てっきり子ども扱いするなと怒るかと思ったのに、どこかホッと安堵の表情を浮かべると小さく息を吐いた。
 ……あの二人って、皆本の方が年下…よね…?もしかして、年下×年うぇ……って何でも無い、何でも無いの!ちょっとした妄想よ、気にしないでちょうだい。
 私の葛藤など露知らず(知られて堪りますか)賢木は不意に相好を崩すとテーブルに頬を懐かせた。そのまま皆本を見上げる。
「どうした?」
 私と同じ疑問を皆本が口にする。
「ん?いや、何でも」
 何でもと言う割には何だか嬉しそうに見える。私達パンドラの前では決して見せたことの無いへにゃりとした笑顔を惜しげもなく親友に向けている。相手もそれが当然とでも言うかの如く、特に気にも留めずにそれ以上追及しない。
 何なの…何なのあの二人…!?
 心の底から何かが湧き上がってくる。怒涛の勢いで全身を駆け巡るそれは身悶える程の快感にも似ていて。紛れも無く――……私は今萌えている。親友万歳。
 ああ、これはマズイわ。忘れないようにメモ……いいえ、それより携帯をスタンバイしないと…!
 震える手であたふたと鞄を探っていると、耳障りの良い声が再び耳に入って来た。
「そうだ、皆本。暇だし、しりとりしようぜ」
「ここで帰るという選択肢は無いのか」
「いいじゃん、もう少しくらいゆっくりして行こうぜ。ほら、まだコーヒーだって残ってんじゃん」
 賢木が皆本のカップを指さす。つられて視線を落とした皆本が、困惑気味に眉を寄せた。
「それはそうだが……何故しりとりなんだ?」
「暇だから」
「暇って……他にも色々あるだろう?」
「しりとりを侮るなよ。結構頭使うんだぜ?」
「そうか…?」
「何か不満そうだな。じゃあ、負けた方が、今度昼飯奢るってのはどうよ?」
 まあ良いけど…と、溜め息混じりながらも突然の賢木の提案を皆本は了承したようだ。押し切られたと言った方が正しいかもしれないが。
 それ程乗り気で無いのなら、どうしてそこで了承するのかしら。黙って見つめ合ってるだけでも良いじゃないの。寧ろそれで十分、その方が断然見てて楽しいわ。しりとりなんて、聞いていても面白くも何ともないもの…。
 そう思い、私は折角取り出した携帯を鞄に仕舞った。
「んじゃ、俺からな。んー……リンゴ」
「ゴリラ」
「ラッパ」
 ありきたりな語句の羅列に思わず肩を落とす。小さな子ども同然のやり取りに気が抜ける。これのどこが頭を使っていると言うの。
 もう帰ろうかしら…。
「パリ」
「リス」
「スリ」
「リって、またかよ。何でそこでスリッパとかに行かねぇんだ?」
「だって、君が結構頭使うって言うから、使わせてやろうと思って」
「って、何だその上から目線は…。リ…リ……あ、リクエスト!」
「……隣に行っても良い?」
「……いいよ?」
「良かった。正直、向かいだとちょっと遠くてな」
 ――…ん?
 それまで向かい側に座っていた皆本が、スッと席を立って賢木の隣に移動する。その表情は心なしか楽しげだ。賢木も気づいたのか、不思議そうに小首を傾げる。
「何か楽しそうだな。どうした?」
「たまの休みに君と会えたことが、本当は嬉しくて堪らないんだ。君はどう思ってるかわからないけど、僕は仕事以外で会えてとても嬉しく思う」
 ……っ!!?何ですって!!?あの人、今何て言ったの!?会えて嬉しい!!?
 ニッコリと微笑みながら言われた賢木は、ほんのりと染まった頬を隠すように視線を逸らす。
 アナタのその反応も何なの!!?アナタも嬉しいのね、そうなのね!?
「…嘘つけ。さっきすげぇ迷惑そうだったし」
「仕方無いだろ。女性にフラれたってグチられて何が面白いんだ」
「だってさ…」
 ごにょごにょと言葉を詰まらせる。
 知らぬ内に握り締めていた拳が興奮で震えた。ああ、神様…全てはこの場所に私を導くためだったのですね。戦利品も手に入れられずに途方に暮れていた少し前までの私は、今日は最低の日だと思っていたけれど、違ったわ。これ以上無いほど最高の日だわ!
 ドキドキと脈打つ胸に大切に抱き締めている紙袋。抱く腕にぎゅっと力を籠め、二人を見守る。
 と、テーブルの上に置かれていた賢木の右手に皆本の左手が伸びて、やんわりと上から覆い被さった。そのまま握り込む。急に手を握られて驚いたのか、弾かれたように賢木が皆本を見た。
 私は、ともすれば叫び出しそうになるのを堪えるのに必死だった。
「賢木、僕の目をまっすぐ見て」
「手…を、握るな……こんなところで何考えてんだよ…」
「夜はどうしようかと考えてる。おまえもそうだろ?」
「露骨な言い方すんな…家で待ってるお姫さん達はいいのか?」
 夜はとか露骨とか……えっ、何、やっぱりそういう意味なの…!?この二人、前々からあやしいとは思っていたけれど、 やっぱりそういう関係だったの…!?
 どうしても緩んでしまう口元を手で覆い、漏れそうになる吐息を飲み込む。
「帰りは遅くなるって言っておいた」
「ただでさえ最近仕事で帰り遅いってのに、大丈夫かよ…。酷い目に遭っても知らねぇぞ」
「ゾッとするようなこと言うなよ…。シャレにならないんだからな」
「なら、帰れば良い…」
「いいのか?おまえはそれでも」
 至極真面目な皆本の声音。一瞬ビクッと揺れた肩。次いで癖っ毛の頭は力無く俯いた。
「……もっと、一緒にいたいよ…俺だってさ…」
 消え入りそうな声で呟く。耳を澄ませなければ聞き取ることも儘ならない声量が、彼の心情を如実に語っているように思えた。そして、隣にいる皆本にその声が届かないはずもなく、彼は少し寂しげに、穏やかな瞳を返す。
「賢木…、だったら初めからそう言えば良いだろ?どうして強がったりするんだ」
「だって…言えるわけないだろ……俺はおまえの親友で、あの子達とは違うんだからな…」
 あの子達と言うのは、明石さん達のことね?確かにそうね、彼女達とアナタは立場が違う。だから、そうやっていつも自分の気持ちを押し殺して我慢しているってわけなのね…。私達と対峙するときの彼からはあまりそんな印象は持ってなかったけれど、思いがけず健気じゃない…!
「なぁ、賢木。無理に自分の気持ちを押し込める必要なんて無いんだよ。君は僕の大切な人なんだから、時には我がまま言ったって良いんだってば」
「バカ…そんなこと言われたら、俺……調子に乗っちまう…」
「嬉しいよ、僕は大歓迎」
 な…ななな何何何、何なの、これは一体どういう展開なの!?い、いけない…っ、妄想が暴走しちゃう…!!
「イケメンすぎるぜ、皆本…!!」
 賢木も感極まったのか、薄らと滲んだ涙を拭う素振りをしてからグッと親指を立てる。
 ベビーフェイスな彼ったら思いの外男らしいのね。やっぱり良いわ、親友という関係からの――…ゴホンッ!
「ところで、賢木。コーヒーも飲み終わったし、そろそろ帰らないかい?」
 ふと、皆本が自分の腕時計を見下ろす。よく見れば、空はすっかり紺碧一色だ。こんなにも暗くなっているのに、街灯やネオンで気にもしていなかった。いえ、それよりも目の前の二人に夢中になりすぎて気付かなかったのだ。私もはたと時刻を確認する。
 やだ、もうこんな時間じゃない!あまり遅くなると真木さんに怒られてしまう。でも、あの二人がここを去るまでを見届けたくて、心の中で感情が鬩ぎ合う。
 しかし、すぐに止め処無く湧き起こる欲望へと軍配が挙がった。
 もう少しくらい、大丈夫…よね?
「嫌だって言ったら?我がまま言って良いって言った」
「確かに。でも、君は明日早番じゃなかったか?早く帰って休んだ方が良いと思うんだ」
「誰か時間を止めてくれないか」
「帰って良いですか、先生」
 え…?何か、話がおかしな方向に行ってない…?どうして帰宅許可を取ろうとするの?一緒に帰るんじゃないの??
「いや、待て。まさか、俺を一人置いて帰る気なのか?おまえ」
「え?」
「え?って何よ、こっちがえ?だわ」
「わかってるんだろ。僕はもう帰らなくちゃいけない」
「言ってることがさっきと違う!」
「……うるさいな」
「何だ、その言い草!おまえ、本当は俺のことなんかどうでも良いんだろ!?そうなんだろ!?」
「……ロールケーキ作ってやるから機嫌直せ」
「せめて違うこと言えないのか!?俺、まるっきり子ども扱い!!」
「いらないなら作らない」
「いや、いります…」
「素直だね」
 ――……おかしい…何かおかしいわ、この流れ。先刻までの、あの目のやり場に困る程の甘いやり取りは一体どこへ行ってしまったの…!?
「ネットでこの間見つけたのがすげぇ美味そうだったから、あれ作ってほしいな。フルーツがこれでもかってくらい沢山盛ってあって、クリームもふんだんに塗られててな」
「なるほど、わかった。そういうの作るよ」
「よろしく。楽しみにしてるよ」
「よし、じゃあそういうことで、もう帰ろうか」
「……帰りたくてしょうがない感じがひしひしと伝わって来るのが何とも言えない」
「今まで付き合ったんだ、もういいだろ。まだ何か不満でも?」
 立ち上がろうとした皆本の袖口を掴み、賢木が拗ねたように唇を尖らせる。
「もっと優しくしてよ」
「よしよし、いい子いい子」
 棒読みな上におざなりに頭を撫でられて、流石に賢木も憤慨した。それでも、頭に置かれた手を払おうとしないのは何故なのか。それは、彼への特別な感情ゆえだと…信じたい…。
「子ども慰めるみたいに言うな!!」
「何か面倒くさい…」
「今、面倒くさいって言った!?」
 軌道修正は為されたのかしら…?痴話喧嘩としか私には思えないんだけど、今一つ何か足りない気がするのよね…。
「頼むから、もう帰らせてくれ…。そしておまえも早く寝ろ、自分の家で」
「でも、今が凄く楽しくて帰りたくないんだな」
「なかなか帰してもらえない僕は可哀相だと思いませんか」
「可哀相なのは俺の方だと思いませんか?フラれて傷心なんだぜ?」
「全部自業自得じゃないか」
「……帰してやんねぇかんな、絶対」
 むぅっと口をへの字にして眉を顰める賢木に、皆本が溜め息を一つ。疲れたとでも言いたげにポツリと零す。
「いつまでこんなこと続けるつもり?」
「理由が無くちゃいけないのか…?何て言うか、おまえの傍は心地よすぎて離れがたくてさ…」
「賢木…」
「気持ち悪い?」
「いや、そんなことは無い。そう言ってもらえて嬉しいよ」
「良かった」
 ヘヘッと微笑う姿に皆本の表情も若干和らぐ。
「ただ、僕が言いたかったのはそういうことじゃなくて、女性関係をもっとちゃんと考え直すべきだと」
「とどのつまり、いい加減な気持ちで遊ぶなってんだろ?わかったって言ってんじゃん…………っ、あっ、やべっ!」
 ……?
 皆本の言葉に神妙な面持ちで返した賢木が、次の瞬間ハッと瞳を見開いて顔を上げた。対する皆本は、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「ちょっと待て、今のなし!!」
「認められないな。おまえの負けだよ、賢木。昼食よろしくな」
 結構楽しかったよ。と言う皆本の科白で、遅ればせながら、今までのは全て言葉遊びだったのだと知る。
 え…?もしかして……今までずっとしりとりしてたの…?アナタ達…。
 ご機嫌な様子で手を振りながら颯爽と人混みに消えて行く皆本を、賢木が立ち尽くしたまま茫然と見送る。
 私は、萌えて良いのか怒って良いのか脱力するべきかわからずに、自分の身体を掻き抱きながらただその場に蹲っていた――…。







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