部屋に戻った服部は、難しい顔をしている哀を見て首を傾げた。
「どないしたん?」
 哀の向かいの椅子に腰掛けると、テーブルにセットされていた茶器に手を伸ばして自分でお茶を淹れた。ティーカップに注がれていくお茶を見つめながら、哀はやっと口を開いた。
「…その紅茶、毒が入ってるかもしれないわよ」
 今まさに口を付けようとしていた服部は危うくカップを落としそうになる。
「冗談よ」
 さらりと悪気もなく言われて、服部は非難の目を向ける。冗談にしても質が悪い。
「…あんなぁ姐ちゃん…」
「これからはそのぐらいの覚悟をしてちょうだい」
「…見つけたんか」

 哀は先ほど新一の執務室であった事を手短に話した。

「立ち聞き、か」
「ええ。あの女、彼の傍に置いておくのは危険ね。メイドの筈なのにあの立ち振る舞いは不自然過ぎるわ。工藤君の恋人ならまだしも、今の彼に恋人がいるなんて考えられないし」
 確かに今の新一に恋人がいるなんて考えられない。氷のよう凍結した心は、全てを拒否しているのだ。眉を寄せて暖かい紅茶を味わいながら、服部はこれから先の事を考える。本心では哀を危険に晒したくはない。さっさとこの土地を発ちたいところだが、工藤優作には大きな恩がある。既に自分達は関わってしまったのだ。もう傍観者の立場ではいられない。


 敵も見えない、何が目的なのかも分からない。


 どうやらのんびりとしているワケにはいかないようだ。カップを受け皿に置くと、服部は小さく息を吐いた。



 先手どころか、相手よりも数歩先を見通さなければ危険だ。



  「姐ちゃん。悪いんやけど、俺が戻るまで工藤の傍におったってくれへんか」
 微苦笑を浮かべながら、両手の指輪を全て外す。この短期間で、哀が調合して指輪に仕込んでいた薬は全て使い切ってしまった。
 テーブルに転がる指輪を見て、哀が伺うように服部を見つめた。
「魔術師の系統が分からへんねん。もともと詳しいワケでもないし。近くに本家本元がおるんや、ちょお顔出してくるわ」
「紅子、とかいう人ね」
 嫌な顔をしながら転がっている指輪を一つ一つ確認する。出会いは最悪だった。機嫌の悪さを隠そうともしない哀を見て微笑むと、椅子から立ち上がり、後ろから哀を包み込むように優しく抱きしめた。
「姐ちゃんの事、信じとるから」
 小さな耳に口づけるように、優しく囁いた。
 ただ守られる事を嫌う少女の姿をした一人の女性。お互いに背負っている過去は重く、それでも二人はお互いの傷を舐め合う事を良しとはしなかった。服部も哀も姿を変え、それぞれに戦う事を選んだ。甘い関係ではなく、共闘者としてお互いを認め合い、絆を深めた。



 ほぅ、と息を吐いた哀は、指輪を強く握りしめる。
 服部は一人で立つ事を認めてくれる。
 無闇に手を出さずに、見守ってくれる。
 そして自分がしゃがみ込みたくなった時だけ、何も言わずに身も心も暖かく包み込んでくれるのだ。



 気付かないうちに、冷ややかに固まりかけていた心が柔らかく蕩けた。


「…工藤君の事を優先させるわ。指輪の方は、暫く取りかかれないかもしれない」
「かまへん。紅子サンの方はすぐ終わらせる。少しの間、こらえてな?」
 ゆっくりと哀から体を離した。出会った当初は、近づく事さえ許さなかった彼女の信頼が服部の心も温かくさせる。
「…全く、さすが工藤優作さんの息子よね」
「ほんまやわ」
 良い意味で力が抜けた哀の笑みを乗せた皮肉に、服部はニッと笑っておどけて見せる。


「工藤君にしてみれば、私が傍にいるよりも貴方が傍にいる方が良いでしょうから、あまり長くは嫌よ」
 服部は片眉を上げる。ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて、私じゃ夜の相手は務まらないわ、と哀が囁いた内容に、服部は見事に固まった。
「大丈夫よ、今の貴方は完璧に女性だけど、解毒剤を飲めば元に戻るんだから、万が一でも子供ができる心配はないわ」
 ある意味便利よね、ととんでもない事を遠い目をしながら言う哀に、膝から崩れ落ちた服部は、がっくりと項垂れながらボソッと呟いた。
「…ねーちゃん、俺の人権とか意志は……?」
「いいじゃない、減るモンでもあるまいし」
「減るっ!なんや色んなモンがめっちゃ減るっっっ!!!」
「一度押し倒されてるんだから、大丈夫よ。女の私から見ても、腹が立つくらい貴方は魅力的な女性よ?」
 にっこりと愛らしい微笑みを浮かべて、ぐさり、ぐさり、と突き刺さってくる言葉に、服部はそのまま床に突っ伏した。




 …俺、今やったら泣いても許されるんとちゃうやろか。




 それでも哀に見られないように床に顔をつけて、くっと男泣きをしている、見た目は美しい女が華奢な肩を震わせているのを、二人分の紅茶を淹れ直しながら目の端に捕らえて、哀は少し意地悪し過ぎたかしらね、と胸の内でくすりと笑った。







7へ





トップへ


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送