花を散らし、慈しむ者






 はぁ〜なんで俺がこんな事……



   服部の学校に変装して上手いこと忍び込んだ快斗は、美術室に入る扉の外で、大きく溜息を吐いた。ここで中に居る女生徒と服部の会話を盗み聞きしているのも、変装している姿が女子高生だというのも、快斗にはふかぁーいワケがあった。





 次の獲物を手に入れる為の下準備として、業者になりすました快斗が、とある美術館でさりげなく細工を仕掛けている時。
「オイ、KID」
 真後ろからの突然の声に、快斗は文字通り飛び上がった。
「んな…っ」
 振り返れば、相変わらずのふてぶてしい東の名探偵が腕を組んで快斗を見下ろしている。事情も知って、元の姿に戻れた時はさすがに「良かったな」と会いに行ったりもしたが、今は小学生の姿の時の方がまだ可愛げがあって良かったのに…と身に染みて思う。
「その名前で呼ぶな!それより何でこんな所にいるんだよ!」
 近くの柱の陰に素早く引っぱって隠れると、小声ながらも快斗は噛み付いた。涼しい顔をした工藤は快斗の手を振りほどくと、ここで大声でテメーの名前呼んでやったっていーんだぜ?と囁いた。
 状況は明らかに快斗の不利。もぉ〜なんなんだよぉ〜と快斗が心の中で半泣きだったのは仕方がない。
「取引しねーか?」
 その唐突で簡潔な言葉に、目をぱちくりとさせた快斗は、工藤の真意を図りかねて不信気に無表情な白い顔を探るが、クールフェイスは真意どころか感情すら読み取らせて貰えない。
「俺の言うとおりにしたら、今は見逃してやる。どーだ、悪くねーだろ?」
「新一…それって脅迫って言うんだぜ?」
「名前、呼んでやろうか?」
 綺麗に微笑んだ新一に、快斗は溜息をついた。よく似てる、と人からは言われるが、こんな性根の悪いヤローと快斗君は絶対に似てないぞっ!と声を大にして叫びたい。ほんとに本気で叫びたい。
「…おっけ。んでナニよ?」
 こっちは忙しいんだよ!というオーラを全身から滲ませて、さっさと言えと促すと、工藤は軽く手を口元に当てて目線をそらした。?と快斗は首を捻る。こいつが口ごもるなんて、めずらしー。
「………服部の、事なんだけどよ…」



 あいつ、すげー女遊び激しいって聞いてよ…いや、噂なんだけど。はっきりしてねーんだけどよ。そーいうのって、やっぱ良くねーだろ?友達として注意してやんなきゃっつーか…。けど噂だからさ…。


 つまりはそれを真実かどうか確かめろ、という事らしい。


 歯切れの悪い口調。顔、少し赤かった気がする。てゆーか全然新一の言葉らしくなかった!と今でも快斗は思う。
 あれはやっぱあれだね、恋してる者の目だったね。別にそーゆーの偏見ないし、平次なら男にでも惚れられても不思議じゃない気がする。優しいし、面白いし、男らしいけど可愛いっつーか、何か変な言葉だけど。
 でも!
 新一に惚れられるってのは、どう考えたってご愁傷様だと思う。新一のいいとこって顔だけじゃん。







 なんてつらつらと快斗が己の思考に浸っている時、中から女の子の声が聞こえた。
「…別れましょ」
 さっと快斗が耳を押し当てる。
「やっぱり、これが一番ええと思うんよ。服部君、全然私の事好きやなかったやろ?せやから、今までホンマありがと。さようなら」
 一気に言った女の子は、ドアに向かってきてるようだ。服部の声は聞こえない。快斗が慌てて壁に寄ると、ガラッとドアが開かれて、長い髪の綺麗な女の子が、快斗に目もくれず足早に廊下を歩いて行った。彼女の瞳から涙が溢れ出ていたのを見て、もともと工藤が言っていた噂を信じていなかった快斗だったが、一瞬眉をひそめる。
 開け放されたままのドアから美術室へと足を踏み入れた。
 服部は窓にもたれかかって外を見ていた。逆光で表情は分からない。快斗が部屋に入って来ても見向きもしなかった。
「…服部君、あの子、泣いてたよ」
 怒りを滲ませた女の子の声に、ようやく部屋に入って来た女子生徒へと服部は目を向けた。
「…せやな」
「可哀想とか思わないワケ?」
 ふっと服部の口元に笑みが浮かんだ。長めの前髪が邪魔して表情がよく分からない。その笑みに、カッとなった快斗が非難の言葉を言うよりも、服部の静かな声が先に響いた。
「片思いって辛いやんな?」
 その声にどこか切なさを感じ取り、快斗は言葉を飲み込んだ。
 服部は顔を上げると、快斗にゆっくりと微笑んだ。
「まだ好きでいてくれんでも、付き合うてるウチに、そばにいるウチに好きんなってくれるかもって思うねん。儚い期待やけど、ほんでも頑張ってみよって。自分が納得して諦めがつくまで。そーゆー気持ちて、よーわかんねん」
 快斗を見つめる真っ直ぐで澄んだ目は、とても綺麗で。別れを告げる女の子達も辛いだろうが、言わせてしまう平次が本当は一番辛いのだと快斗は瞬間的に理解した。先程の別れを告げた女の子の言葉にも、思い返せば非難ではなく感謝の色が含まれていたような気がする。
 どこのどいつだ、平次が女に汚いなんて噂を流した奴は。
 快斗はギリッと歯噛みした。
 ゆっくりと服部に近づくと、おそるおそる髪に手を伸ばして、快斗は優しく囁いた。
「泣いてもいいんだよ?」
 少し驚いた顔をしたが、快斗の手は振り払われる事はなかった。そっと快斗の手に自分の手を合わせると、服部はいつもの暖かな笑顔で快斗を受け入れてくれた。
「…ほんまおおきにな。……快斗」
 遠慮がちに呼ばれた自分の名前に、快斗は目を丸くした。
「え!?何でわかったの!?」
「一応これでも探偵やで。甘くみたらあかんよ。この学校の教師や生徒の顔ぐらいみんな覚えとるわ。標準語の転校生が来たっちゅー話も聞いてへんしな」
「あ!」
「どーせ和葉あたりにでも頼まれたんやろ?すまんな、変な事させてしもて。和葉には俺からちゃんと言うとくから…」
 困ったように快斗の手を外すと、逆に快斗の髪を柔らかく撫でて溜息をついた。
「いや、違うんだよ!和葉ちゃんはカンケーないんだ。へーじ、ごめんね、俺、こんな事しちゃって」
「なんで快斗がそんな顔すんねん、俺はなんも怒ってへんから謝るなや?」
 せやけど和葉やないって、ほんなら誰が…
 首を傾げる服部に快斗はがばっと抱きついた。
「新一だよ!ったくムカつくーっ!新一のせいでちょっとだけど、俺もへーじのコト変なふうに見ちゃったじゃんかよー!新一もムカつくけど、そんな俺もムカつくーっ!」
 自分の胸に頭を強く押しつけて、半泣きになりながら自分を責める快斗を宥めながら、服部は微かに眉を寄せた。
「工藤が?変な事言うてた?もしかして、女たぶらかしてるとか?」
 頷く快斗に服部は無理やり笑顔を作った。
「…工藤……か。俺、工藤にそんな風に見られとったんや」
 ハハ、気付きもせえへんかったわ、と呟く服部の痛々しい笑顔を見て、快斗は服部を強く抱きしめた。
「へーじのそんな笑顔、俺は好きじゃない!へーじが工藤の事好きってゆーのも分かってるけど、でもやっぱり今回のは許せない!あの俺様ヤローには俺がキツク言っとくから!だからへーじはそんな顔しないで!」
「か、快斗!?」
「大丈夫、あいつなんかにへーじの気持ちなんて教えてやんないから!」
 慌てる服部に、ウィンクすると、快斗は服部の制止も聞かずに、スカートを翻して走って教室から出て行ってしまった。呆然とその姿を見送った服部は、くす、と小さく苦笑した。


「…ほんま、おせっかいでやさしー怪盗さんや」

 夕日が射し込む美術室に、服部の声が柔らかく響いた。







「…不法侵入かよ」
 書斎の椅子の背もたれに寄りかかりながら、目を通していた本から顔も上げずに、工藤は部屋の隅にいつの間にか立っていた怪盗KIDに言い放った。白いマントを翻しながらコツコツと靴音を立てて近づいて来たKIDは、適度な距離で歩みを止めた。
「取引の件ですが」
 その言葉に初めて工藤はモノクルをかけた男の顔へと視線を移した。
「どうだった?」
 結論だけを求める工藤の言葉に、KIDは不快そうに眉をひそめた。
「私は美しい物が好きです。そして美しい物を汚されるのは我慢ならない。まして、美しい心に傷をつけ、美しい涙を流させるなど」
 そこで初めて工藤は目を見開いて、本を閉じた。
「涙って…てめー服部に何かしやがったのか!?」
「俺じゃなくてお前だろーがっ!」
 鋭く言い放ったKIDに、どういう意味だ、と工藤は促す。
「西の名探偵はてめーなんかには勿体ない。今度あいつに変な疑いを持ってみろ。その時は」
 覚悟しておきな。
 怒りを込めた低い声で囁くと、瞬間にKIDの姿は消えた。はらはらと床に落ちる薔薇の花びらだけが、今まで彼が確かにそこに存在していた事を主張する。工藤は暫く厳しい顔でそれを見つめていたが、ゆっくりと椅子から立ち上がると、花びらが落ちている床まで行き、その一枚に手を伸ばした。手の平の上で遊ばせていたそれを、不意に強く握りしめる。
「…西の名探偵は、誰にも渡さねーよ」

 潰された花弁から、微かに薔薇の香りが漂った。






 END




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