盛 夏






 夏は嫌いやない。
 草や木がぐんと生命力を増し、お互いが競い合い、喰らいあう。





 むっとするほどの草の青い匂いが時折部屋に侵入してくるぐらいで、開け放された窓から涼をとるには風がなさすぎた。
「服部、麦茶テーブルの上置くで」
 んー、と気のない返事。沖田のアパートへ来る途中の坂道にある、半分崩れかけたような古書店で、どうやらお気に入りの推理小説を手に入れたらしい。畳ににごろんと寝転がって、沖田に背を向けて今は完全に推理に埋没している。返事が返ってきただけまだマシだ。
 びっしりと滴のついたグラス。カランと音をたてる氷。頭がおかしくなるほどの蝉時雨。
 ああ、またや。
服部の腰のあたりに、長い尻尾がちろりと見えて、隠れた。
 キンと冷えた麦茶を口に含んで、沖田は小さく溜息を吐いた。





 夏は好きや。せやけど、歓迎できひんモンも活発になりおって、こちらとあちらの境界が曖昧になる。
「…ほんま服部さんは好かれるわ」
 服部の脇腹に細く長い爪を引っかけて、今度は顔を出した異形に、沖田は冷たい眼差しを向けると、去ねや、と小さく呟いた。
 慌ててちょろりと逃げて行ったのを見届けて、沖田はまた一つ溜息を吐いた。
 くっく、と薄い肩を揺らして笑う服部を見て、もう一つ溜息。
「服部、氷溶けてまうで」
「おう」
 半分くらい読み終わった文庫本を遠くに放り投げて、しなやかな猫のようにのびをする。
「沖田怖いなあ」
「あほ。服部の方が怖いわ。どうやったらそんなに拾って来れんねん」
 部屋の隅に投げ捨てられた本を拾い上げ、呆れて見れば、当人は笑いながら呑気に欠伸などしている。
「工藤の事件体質と同じちゃうか」
「服部は事件に幽霊に物の怪体質やろ」
 物の怪体質は沖田やろ。ごろんと転がって悪戯っぽく上目遣いで沖田を見る。そんな子供みたいな顔に、いつもついつい甘やかしてしまうのだから、己も始末が悪いと思う。
「物の怪体質はおーきーたーやー」
 つ、と服部のこめかみから顎を伝って汗がぽとりと落ちて畳に染みた。


 こっちのみーずはあーまいぞー


 笑いながら歌って、己を見つめる黒い瞳に吸い込まれそうな錯覚に一瞬視界がくらりとなった。片腕をついて、四つん這いになり服部との距離を縮めた沖田は、今度は肩に乗っている先ほどとは別の異形を素早く握りつぶして霧散させた。
「…別になんもせえへんのに」
 確かに、今まで服部が物の怪に何かをされた事はなかったが。しかしいつ奴らが気を変えるか分からないし、そもそも天敵の沖田が傍らにいれば、あの程度の小物がまわりの人間にまとわりつくのは、尋常ならまず有り得ない筈なのだ。
「服部、ほっぺたに畳の跡」
 節くれ立った白くて長い指が、頬をたどる。くすぐったいと服部は笑った。
「そっちの水は苦いんかなあ」
「ほんまあほやな。甘くてどないするん。本、もうええんか」
 犯人解ったから。そうして触れている沖田の指を掴んで、何かないんかと言う。


 服部さん麦茶。なんや腹減ってきたーおやつの時間やろ。


 汗をぬぐってやりながら、しゃあないなぁと笑った沖田は、冷蔵庫の中を考えて。
「ところてんやったらあるで」
「おー食う食う。せや、沖田知っとる?工藤なー、ところてんは酢醤油やら入れたりする言うんやで?せやったらおやつとちゃうやん?」
 起きあがって乱れた髪を掻き上げると、目を細めて小さく笑った。
 その眼差しの優しさに、映っているのは考えるまでもなく怜悧な美貌の東の探偵。
 微かに沖田の気配が変わったのに気付いて、服部は流れるような動作で沖田に顔を近づけた。
「…沖田、自分、怖いで」
 唇が触れ合うほどの距離。ほんの微かに、甘い香りを感じた気がした。覗き込んでくる瞳は鋭利な光を伴って、こちらの心が見透かされる錯覚に陥る。そのくせ、その黒い瞳は深く深くどこまでいっても闇で、相手に何も悟らせない。
「…何で服部が物の怪に好かれるか解った気ぃするわ」
 すっと顔をひいて、沖田はゆっくりと立ち上がった。冷蔵庫へ向かう背中に、黒蜜たっぷりかけてやーと脳天気な声が飛ぶ。
 はいはいと返事を返しながら、一瞬前の服部を思い出して微かに眉を寄せた。
 活発で無邪気で、どこまでも光に近いようでいて、その実、闇に愛され、その内面の深くにこそ闇を飼っているような服部。
 先ほど嗅覚ではなく、それでも甘い香りを確かに感じ取った。闇は、その香りに引き寄せられて来るのだろう。
 縁の青い硝子の器を二つ用意して、ところてんに沖田の手製の黒蜜をたっぷりかけてやる。その甘ったるい香りに、知らず沖田は苦笑した。
「…お待ちどおさん」
「おー、夏やのー」
 嬉しそうに箸を取る服部を複雑な思いで見つめて、静かに沖田は呟いた。
「引きずられたらあかんよ」
 甘い蜜の香り。
「……心配し過ぎや。それに俺には………」
 沖田がおるしな。


 とくん、と心臓が鳴った。


 何よりも引き寄せられているのは、もしかしたら己なのかもしれない。

「沖田、食べへんのやったら俺が食べたるで」
「行儀が悪い」
 もう食べ終わって、素早く沖田の器に手を伸ばしたそれを、ぺしりと打つ。
 いただきます、と箸を取った沖田と、いてっと呟いた服部の声が重なる。




 雲一つない真っ青な空。アパートの一室から服部の抗議の声が響いた。





END




卯月莉恵サン1本目のSSです。お疲れ様〜(^^)

さて、このお話の中で1つテーマとなっているのが「ところてん」。これは正直、私と莉恵サンも揉めました(笑)。初めて黒蜜なんて聞いたよ…。彼女は酢醤油の方が初耳だったらしいですが(汗)。何年札幌にいるんですか、アナタ(苦笑)。今まで話題にもならなかったので知りませんでした、関西と関東の食べ方の違い。
そこで、関東人の見解も必要かなと思い、拙いながらも私も同じテーマ「ところてん」でSSを書いてみました。図書館にて。

2006.7.17.新部いづみ




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