工藤に俺の心の奥底にあった感情を暴かれてから2週間。 今回も、週末を利用して俺は工藤の家に遊びに来ていた。 せやけど…。 「ほら、ヘイジ。ボール取って来い」 「よ〜しよし。ヘイジは本当に頭良いなぁ〜♪」 等々、あいつは俺よりも犬を構っている。 黒い毛並みで丸く大きな瞳が特徴のその犬は、元の飼い主が犬アレルギーだと判明したため、 可哀相に思った工藤がつい先日引き取ったのだった。それが、工藤に対する感情を俺自身に知らしめることとなったのだが。 脂下がった顔が、本当にそいつが可愛くて仕方が無いのだと俺に知らせてくる。 あいつの膝の上に当たり前のように座っている子犬。 (俺が来とるっちゅーのに…) 俺も動物は好きだ。犬やら猫やらの小動物は特に好きだし、抱き上げて構わずにはいられない。 けれど、この犬は何故か好きになれない。 俺と同じ名前を付けられているからなのか。工藤が名前を呼ぶ度にドキリとして…面白く無い。 愛嬌のある可愛らしい顔が、何だか憎らしく見えて来てしまう。 …と考えて、俺ははたと気が付いた。 これって、もしや……。 (……っ!俺、アホちゃうか!?犬相手に…まさかヤキモチ妬いてんのとちゃうやろな…っ!?) 情けなくなって大きな溜め息を吐いていると、それまで犬に感けていた工藤が不意にこちらを振り向いた。 「どうした?」 「……別に」 今し方「ヘイジ」に対して感じていたものを知られるのが嫌で、気まずげに視線を逸らして素っ気無く返す。 工藤は不思議そうに首を傾げたが、すぐにまたヘイジに視線を戻した。 「しかし、こいつは本当に賢いぜ。おもちゃ持って来いって言えば探して持って来るし、ボールって単語もわかるみてぇだ」 「ほぉ…。そいつは頭えぇ犬やな」 「だろ?おまえ、本当にいい子だな、ヘイジ」 「…!!」 ふわりと笑って犬の頭を撫でながら言われた台詞に背中がゾクリと粟立った。 思いがけず優しい声色。穏やかな色をした工藤の瞳。あんな風に優しく頭を撫でられながら、 「いい子だ」などと耳元で囁かれたら…。 (だぁぁぁぁッ!!何を考えてるんや!?俺はッ!!) 「ど、どうした?」 突然立ち上がり、頭を抱えて大きく首を振る俺に、工藤が驚いたような視線を向けてくる。 俺がこないおかしなこと考えてまうのは、それもこれも工藤が犬にあないな名前付けよったからや…!! 「何でもあらへん!!」 大声でそう怒鳴ると俺は大股で扉に向かい、呆気に取られている工藤をそのままに扉を乱暴に閉めた。 (もう……サイアクや…!!) 自分に宛てられた客間に閉じ篭り、俺はまた溜め息を吐いた。 知らぬ間に工藤に抱いていた想いに気付いた途端、あいつに対して心が狭くなったような気がする。 今までだって、俺が遊びに来ているときに一人で本を読んでいたり、目暮警部から呼び出しがかかって出掛けて行ったりしていたのに。 蘭ちゃんと出掛けたときでさえ、つまらないと思いつつも平気だったのに。 「なんで犬に……。ホンマ、俺、アホやんけ…」 工藤が無類の犬好きだということは前から知っていたではないか。 けれど、やっぱり、俺が来ているときくらいは俺を見ていてほしいと思ってしまう。 「…贅沢なんやろか、これって……」 ペットの犬の介入さえも許せない独占欲。今までこんな感情を抱えたことが無かったから、無意識に考えてはそんな自分に気付いて、 その度に戸惑って気持ちを抑え込む。 「工藤は誰かに対してこんな風に思ったこと…無いんやろなぁ……」 ベッドに倒れ込んで枕を抱き締めた。 次の日。朝起きると、工藤の姿はどこにも無かった。 階段を下りてリビングの扉を開けると、そこではヘイジがゲージの中で黙々とご飯を食べていて、部屋に入って来た俺に気付いたあいつは チラッと視線をこちらに寄越しただけで、すぐに再び目の前の食事に没頭する。 「どこ行ったんやろなぁ…。こいつが飯食っとるっちゅーことは、ついさっきまでおったんやろうけど…」 ゲージに近付きながら部屋の中を見回す。大きな出窓から見える庭にも、彼の姿は見当たらなかった。 屈み込んで、一心不乱にドッグフードを貪るヘイジをぼぉーっと眺める。 「おまえは気楽でええなぁ…。ここにおれば工藤がいつも傍におってくれるし、何の心配も無いやんなぁ…」 「…それは、どうだろうな……」 不意に背後から聞こえてきた声にビクリと体を強張らせる。振り向くと、今までいなかったはずのこの家の主が リビングの入口に立っていた。 「何や、工藤。どこ行っとったんや?」 蹲ったまま、ゆっくりと歩み寄って来た工藤を見上げる。 俺の隣に同じようにゲージの前に屈み込んだあいつの顔を見て、俺は瞳を瞬いた。 いつに無く鋭い瞳と僅かに顰められた眉に気付いて不審げに声を掛ける。 「工藤?どないしたんや?」 「……うん…」 俺が問い掛けても、工藤はただじっとヘイジを見つめるだけで。 聞いても言わないときは何を言っても口を開かないと知っている俺は、工藤が話し出すのを黙って待つことにした。 ―――どのくらい時間が経ったのか。 リビングにある時計の秒針の音だけが響く部屋の中で、食事を終えて満足げにおもちゃで遊び始めたヘイジを 何とはなしに眺めていると、漸く工藤が小さく口を開いた。 「…さっきさ……この間の事件のことで警部に呼ばれて警視庁まで行って来たんだけど、その帰りにさ…」 「うん…?」 視線を向けると、彼はヘイジを見つめたまま瞳を伏せた。 「……猫が轢かれてたんだ……」 「猫?」 俺が鸚鵡返しすると工藤は静かに頷く。 「知っとる猫やったん?」 遠慮がちに問うと、無言で首を振る。 俺は小首を傾げた。 動物が車に轢かれているのは今までにだって見たことがあるはずだ。知っている猫だったのならまだしも、 そのことが彼に悲愴な表情をさせる原因であるとはどうにも考えにくいのだが…。 自らの思考に身を委ねて考え込む俺に構うことなく、工藤はぽつりぽつりと続ける。 「その猫が飼い猫だったかどうかはわからないけれど、もし飼い猫だったとしたら、そいつを飼っていた人がいるわけだろう?」 「ん?ん〜…まぁ…せやなぁ…」 話を振られて現実に引き戻された俺は、慌てて相槌を打つ。 「もしかしたら、今でも探しているかもしれない。でも、猫は車に轢かれちまってて、翌日には清掃工場ってのが現実だ。 そいつが、野良だったとしても飼い猫だったとしても」 「…………」 工藤の言葉に口を噤む。その猫が辿る哀れな末路を思い、俺は床を俯いた。隣から掠れた工藤の声が聞こえる。 「それって、あまりにも可哀相すぎねぇか…。飼い犬や飼い猫は、飼い主の目の前で息を引き取ったら墓に入れてくれる 人だっているっていうのに……それってあまりにも酷くねぇか……」 「……工藤…」 何も言えずに顔を上げると、先程までヘイジを見つめていた工藤はどこか遠くを見つめていた。 己を無理に納得させようとしているのか、その形の良い唇を噛み締めて。 「…でも、まぁ、それは仕方が無いことなのかもしれない…。飼われていたかどうかもわからねぇし、 いつまでもそのままにしておけねぇだろうし…」 「…………」 工藤がふっと目を伏せる。 「もし、探している人がいたとしたら…その人はどうするんだろうな…。ずっと探し続けるのかな…。だけど、こんなことは知らない方が良いのかもしれないよな。 車に轢かれて死んだことを知らずに、見つからないのはどこかで誰かに拾われて幸せに暮らしているからなんだって考えた方が、いなくなった悲しみも 幾らか和らぐかもしれない…」 諦めたような声色でそう呟き、犬用のぬいぐるみにじゃれ付くヘイジに目を戻す。次いで静かに身動いだ彼は、ゲージの上から手を入れると、 驚かせないようにそっとヘイジを抱き上げた。抱き上げられて、ヘイジは嬉しそうに尻尾を振って工藤の手を舐める。 「あれを見た瞬間、もしこいつがいなくなったら俺はどうするんだろうって……自分に置き換えて考えちまったんだ。 それならいっそ、危ない目に遭うかもしれない外には出さずに、ずっとこの家の中で鎖にでも繋いじまおうか、とか…」 俺は瞳を見開いた。まさか工藤の口からそんな言葉が出るとは思わなかったから。 胸にヘイジを抱き締める工藤と、その顔を一生懸命舐めるヘイジ。彼に心からの信頼を寄せているとわかる小さな生命。 確かに、このままここに繋ぎ止めておけば安全なことには違いないだろう。そいつには工藤しかいなくて、この家の中だけがそいつの世界の全て。 だけど、それでは…。 「けど、工藤、それは…」 「わかってるよ、おまえが言いたいことは…。それは所詮人間のエゴだ。動物なんて元々自由なものなのに、 束縛するのも殺しちまうのも、全部人間のエゴだ…。それなら、初めから飼わなきゃ良いんだよな……」 言葉を挟もうとした俺の声を遮って、工藤が自嘲気味な笑みを浮かべて俺を見る。その瞳の中に僅かに浮かんだ悲しげな色を見つけて切なくなった。 そして、俺は、あいつの腕の中で、こちらには見向きもせずにずっと工藤を見上げている子犬に瞳を細める。 (こんなにも工藤に想われて…幸せやな、おまえは……) 「でもな、工藤。そないなこと言うても、やっぱりこいつは工藤んトコ来れて良かったと思うで?」 「え…?」 俺の言葉に、工藤が弾かれたように振り向く。思いがけずポカンとした顔で振り返られて、そのあまりに間抜けな表情に俺は思わず苦笑いを零した。 「工藤は、こいつの元の飼い主が犬アレルギーで飼われへんようなったから引き取ったんやろ?あんとき、もし工藤が引き取らへんかったら、 こいつは今頃どうなっとったかわからへん。工藤はこいつを救ったんや」 「………救われたのは、俺の方だよ…」 何かを小さく呟く。それは小さすぎて俺の耳には届かなかったが、俺は構わずあいつの眼前に 得意顔で人差し指を突き立て、ついでにウィンクして見せた。 (そんなウジウジしてんのは、おまえらしゅうないで?) 俺が言外に含ませた台詞を読み取ったあいつは、驚いたように瞳を小さく見開いた。 「おまえやったら大丈夫やって。こいつもおまえの傍から離れて行かへん。最後まで一緒におれるから。ほんで、ちゃんと最期を看取ったって」 頭を撫でてやると、ヘイジは気持ち良さそうに耳を動かした。ビー玉のような、一片の曇りも無い純粋な瞳が俺を映す。 「…おまえ、こいつの代弁してんの?」 「そうや。何ちゅーても、俺と同じ『ヘイジ』やからな!」 「……なんだよ、それ」 俺が胸を張ってニッと言うと、工藤は一瞬瞳を瞬いてからフッと小さく笑った。その顔に安堵する。 「工藤、ようやっと笑ってくれたな〜」 「え?」 「さっきここに入って来たときのおまえ、そらぁ〜酷い顔やったで?折角の男前が台無しや」 「……そうかよ…」 「せやせや。ホンマ、自分の飼っとる犬の気持ちもわからんとは、名探偵形無しやで」 偉そうに言い放った俺に工藤が片眉を僅かに上げた。 「んだよ。じゃあ、おまえにはこいつの気持ちがわかるってのか?」 「わかるに決まってるやろ。めっちゃ幸せやと思うで。なぁ?」 「なんでだよ?」 どこか腑に落ちないような表情。俺は工藤からヘイジに視線を移した。 「せやかて、工藤、めっちゃこいつのこと可愛がっとるやんけ。こっちが妬けるくらい…………あっ…!」 思わず口をついて出てしまった本音に、言ってしまってから気付いて慌てて口を手で塞ぐが、時既に遅し。 眼前では、工藤がニヤニヤした笑顔を浮かべていた。 「なんだ、おまえ妬いてたのか?」 「ぇっ、ぁ…ぃ、いや、その……」 「悪かったな、気付かなくてよ」 「あ、せ、せやからな、それは……その……」 ヘイジをゲージに戻すと、工藤はイヤらしい笑みのまま床に手を付いて体ごと迫って来る。 俺はそんなあいつが不意に恐ろしくなって反射的に後退ったが、ぐいっと腕を掴まれて動きを封じられてしまった。 「あ……あの……く、ど……?」 恐る恐る目線を上げると、すぐ目の前には工藤の綺麗な顔。それが俺と目が合った瞬間、揶揄るような笑みを消して急に真面目な顔になったので、 俺はますます狼狽たえた。 こんな至近距離でその表情は反則だ。まともに見られない…。 意識せず、顔に熱が集まってくるのを感じる。 堪らず瞳を逸らすと、まるでそれを待っていたかのように、ふと工藤の顔が近付いてきて――― 「……っ!」 唇に訪れた柔らかな温もり。初めての接触に心臓が壊れそうなくらい早鐘を打った。 鼻腔を擽る工藤の香り。感じる息遣い。俺の腕を掴んでいた手が首筋を撫でながらゆっくりと顔に移動して、両手で頬を優しく撫ぜられる。 啄ばむように何度も繰り返される優しい口づけ。 その全てに、俺は酔ってしまったかのように一気に全身の力が抜けてしまった。 その後、ぼーっとして力が抜けてしまった俺は暫く工藤に抱き締められていたのだが。 「…ん?なに、おまえもキスしてぇの?」 工藤の腕が気持ち良くてついウトウトしていると、不意にクーンという甘えた声がして 頭上であいつが笑った気配がした。そして、次の瞬間には俺を抱き締めていた腕がゆるりと離れていき、 俺は工藤に凭れ掛かりながらぼんやり瞳を開けると行く先を目で追った。 工藤は、ゲージに前足をかけて忙しなく尻尾を振るヘイジを抱き上げる。そのままその鼻先に軽くキスをすると、 ヘイジは尚一層嬉しそうに尻尾を振って工藤の唇を舐めた。 「あっ…」 「あはは、擽ってぇよ」 微笑みながらヘイジとじゃれつく工藤に、俺は思わず起き上がった。気付いた工藤が不思議そうに見てくる。 「どうした、服部?」 「……や、別に何もない…」 「そっか?」 邪気の無い顔で首を傾げる工藤に複雑な思いが頭を擡げる。 何やねん。もしかして、俺って犬と同じなんか?? 無意識の内に剥れていたらしい俺は、ふと頬に触れられて我に返った。 「何、膨れてんだよ?」 怪訝げにそう言ってから、何かに気付いたようにニヤリと笑う工藤にギクリとする。 「……あぁ…そうか。おまえ、こいつに妬いてたんだっけ。俺がこいつにキスするの、そんなに嫌?」 「ア、アホか!誰もそないなこと言うてへんやろ!!」 「ふ〜ん?」 締まりの無い顔で覗き込まれて、俺は自分の顔が赤くなるのを止められなかった。そうして、 少しの間面白そうに俺を眺めていた工藤が突如、目の前で鮮やかに破顔して。 「ホント、可愛いよな、おまえは」 「……っ」 臆面も無く言われて体温が一気に上昇した。ますます彼を直視出来なくなった俺は床を俯くほか無く。 あぁもう、ホンマに。 惚れたモンの負けやなぁ…。 END (2007.12.13.up) |
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