女が振り返ると、黒装束の男がいた。
「首尾は」
「思ったより時間がかかってるけど、所詮お子様、そのうち落ちるわよ」
 赤い紅で彩られた唇の端を吊り上げて、蔑むような視線を男へ投げかけた。
「…この屋敷の気配が増えておるようだが」
「領主の付き人だとかいう異国の女と子供が二日前に来たのよ。別に関係ないわ」
 不快だと言わんばかりの女に、ほう、と男は目を細める。
 一つは確かに人間の気配だが、引っかかるのはもう一つの気配。人間ではあるが、何かが違う。
 初めて触れた気に、男はどのように動こうか掴みかけていた。
 屋敷を取り囲むように編んだ魔術が、綻び始めている。異国の女か子供か、判別はできないが、おそらくどちらかの仕業である事に間違いはない。綻びごと、更に強い魔術をかけ直さなければならないだろう。このままでは数日で、この歪んだ土地が正しい姿に戻ってしまう。
「あんたこそどうなのよ、さっさとしなさいよ。それでもシラキ様の筆頭魔術師?」
 押し黙った男に、女は苛々と髪をかき上げる。
 工藤新一。
 男は小さく息を吐いた。信じられない程に魔力に対して耐性がある。並の人間ならばとうに精神が崩壊している筈だ。とろりとろりと呪いを流し込んでいるが、未だに自我を保っている。
 屋敷にも囲むように負の魔力で覆っている。二重の浸食を受けている筈なのだが、その精神の強さに密かに男は驚嘆していた。
 だが目の前の、己の美しさだけを武器にする女に、魔道の事など説明しても分かる筈もない。
 この女は野心が強過ぎて、足下が浮ついている。そのうちどこかでミスをする危険がある。ここで殺してしまっても良かったが、まだこの女は使えた。己の価値を過信し過ぎてはいるが、少しでも手駒は多い方が良い。男の主人が欲しているのはこの屋敷のどこかに眠る秘宝でしかないのだから。


   黎明の雫。


 凄まじい力を持つ魔石。巧妙に隠されているのか、その気配すら未だ掴めない。
 その名を知って十数年。主人があらゆる手段を用いて、やっとこの屋敷にある事を掴んだ。
 しかし幾ら探っても、工藤優作のガードは堅かった。
 しびれを切らした主人が、強硬手段に及んでもうそろそろ半年になる。
 工藤優作が、一人息子にその存在すら知らせていない可能性は高かったが、それでも取引材料程度にはなるだろうと思われ始められた父親と息子への精神の拷問。工藤優作には魔を弾く何かがあるのか効果は認められなかったが、皮肉にもその異国の人間が闇を正常にしつつある事で、息子への効果が二重に証明されたのだ。




 沈黙を続ける男に鼻を鳴らして、女は手のひらを男につきつけた。
「まあいいわ。さっさと新しい薬を寄こしなさい」
 狂わせて、私の奴隷にしてやるわ。
 男は肩をすくめると、懐から小さな袋を取り出し女の手にのせた。
 少量ずつ投与すれば、いずれは脳を犯し廃人とさせる毒薬。
 それを渡すと、男は用は済んだとばかりに闇に溶けるように姿を消した。
 女はそれを見届けもせずドレスを翻すと、その薄暗い部屋からさっさと出て行った。















   ぱらぱらと捲っていた分厚い本を元に戻すと、服部は自分の背の二倍はある梯子に足をかけたまま、背表紙を指でなぞりながら目的の物を探していた。
 大きな窓から欠けている月の光が唯一の光源だった。
 この屋敷に着いてから二日、夜の殆どをこの膨大な量を抱え込む書庫で過ごしていた。服部の指先が止まり、本を引き抜こうとした時。
「こんな暗闇の中、何をしている」
 ランプを手にした新一の無機質な声が、服部の注意を強引に本から新一へと引き寄せた。
「好きにしろ、言うたんはあんたやなかったか?それともここは許可制やったんかな」
 挑発的に言ってみせたが、微動だにせず表情も変えない。ランプのほの赤い明かりに照らされても新一の顔には届かないようだ。まるで作り物のような青白い肌に、無意識に服部は溜息を吐いていた。
「何をしていると聞いているんだ」
「探しモン」
 正直、今は相手にしている時間ももどかしい。
 服部は再度本へと視線を戻そうとして。
「…………っっっ」
 不意に眉をしかめて口元を抑えた。
「おい、どうした」
 ことん、と首を傾げて、新一が歩み寄ってくるのは分かったが、それに答える余裕は服部にはなかった。突然ぐにゃりと視界が歪み、感覚機能の異常と床に叩きつけられるような圧迫感。服部は急速に血の気が引いていくのを感じた。


 屋敷を覆っていた解けかけた網が。


 強固さを増して一気に屋敷を包んでいく。


 一体、誰が。




 急速に意識が闇にのまれていく中、それでも服部はその魔力の持ち主を特定しようとして。

 気を失った。






 最初に目に入ったのは白い肌。


 ようやく視界が定まってきて、床に座り込んだ新一に抱きかかえられている事に気がついたが、まだ体に力が入らない。微かに首を傾ければ、新一の青い瞳に自分の姿が映っている。
「すまん、もう大丈夫やから」
 我ながら酷い声だ、とは思ったが、一言一言絞り出すのが精一杯だった。
 放って置いてくれ、と言外に滲ませると、初めて新一の眉が寄った。
「バカか、おまえは」
 そのまま立ち上がった新一の腕の中で、くたりと身をもたせかけるしか出来ない自分が歯がゆい。
「大人しくしてろ。おまえ殆ど寝てねーだろ。部屋まで運んでやるから、さっさと寝やがれ」
 新一が持っていたランプが転がっているのに目を向けると、それに気づいて新一は服部を抱きかかえながら、器用につま先でランプを立たせた。目を丸くした服部に、放っておけ、と一言で切り捨てて、そのまま出口へと向かう。


 先ほどの結界の再構築に急激に闇の密度が増していたが、新一の胸の暖かさと、心臓の確かな鼓動に、まだこの男を救えるかもしれない、と服部は冷静に決断を下した。







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