「お、みっけ」
 屋敷の庭に美しく並んでいる木々の一本に近づくと、服部はしゃがみ込み、草をかき分けた。程なくして木の根元に隠れるように打ち込まれた細い杭が現れる。
 常人が見ても目には入らないだろうその杭は、ねっとりと絡み付くように地面に根を張って、服部にはグロテスクな生き物のようにしか見えなかった。まるで寄生虫だ。
 目にするのも不快とばかりに、早速指輪の一つを外すと、はめ込まれた石を器用に外し、石に開けられた穴からほんの少し粉を杭へと振りかけた。そのまま手の平を近づける。
 瞬間、杭から小さな炎が立ち上がったが、すぐに消えた炎の後は変わらずで、服部は小さく舌打ちした。
「今回は、そう簡単にはいかしてくれへんか」
 哀が様々な材料から調合した魔を払う薬。それと、ただ燃やすだけではなく浄化の役割も持つ火。大抵の呪力はこの二つを合わせる事で消滅する。しかしこの屋敷に着いてすぐに潰していった負の結界とは、明らかに強度が違う。それは、自分達が敵とみなされた証拠でもあった。
 出来るならば“力”は使いたくない。
 しかしここ数日、寝る間を惜しんで、この呪いをかけた魔術師の魔力の系統を見つけられないかと書庫を漁ったが、各地から集められた膨大な書物の中にも見つける事は出来なかった。そもそも力のある魔導書など、一般的な書物の形をしている事の方が稀なのだが。
 それでも工藤優作が集めた物ならば、と少し期待はしたのだが。得たのは睡眠不足から来る集中力の低下と、それにより魔術師の気配に気づけずに隙をつくり、呪力の余波をまともに食らってしまったという苦い結果だけだった。
 そこまで考えて、ふと昨夜の事を思い出し、服部は小さく叫んで頭を抱えた。
「あああああああっっっ!めっちゃ嫌な事思い出したやんけ!」
 出来ることならば、ここでのたうち回りたい。記憶から抹消したい。夢だったと思いたい。


 昨夜。


 書庫で昏倒した服部は、毛嫌いしていた工藤新一に抱きかかえられていた。
 おかげで頭部を強打する事は免れたが、弱った所にダメージを受けて体に全く力が入らなかった。それこそ口を開くのも辛い程に。
 服部としては放置して欲しいところだったのだが、新一に抱きかかえられたまま、抵抗さえ出来ずに、自分に与えられた部屋まで運ばれた。
 それですら服部には精神的苦痛だった。だが、何を思ったか、新一は服部の髪留めを外しベッドの横たわらせると、冷や汗で額に張り付いた服部の髪を優しい手つきで払った。
 はよどっか行けーっっ!と胸中で悲鳴を上げていた服部にかまわず、そのままシーツに散らばった長い髪を梳いてる時に、タイミングが良いのか悪いのか、哀がノックもなしに部屋の扉を開いたのだ。

 あの時の部屋に流れた空気を服部は暫く忘れられないだろう。

 哀から見れば、ベッドで新一は服部に覆い被り、まるで恋人のように髪に触れている。これから何をしようとしているのか、誰がどう見ても同じ考えにしかならない事は明白で。
 そして更に、服部に追い打ちをかけるように、彼女に気付いて振り返った新一は、形の良い唇に笑みをのせると、またな、と囁いて服部の上から実にゆっくりと体を起こしてくれた。睨むように見上げる哀の横を優雅な足取りで通り過ぎ、目線でそれを追っていた服部は、二人の間に火花が散ったのを確かに確認して、音を立て血の気が引いて行くのが分かった。



 その後。

 服部に冷たい眼差しを投げかけた哀は、そのまま出て行こうとし、必死に気力を振り絞り呼び止めたのだ。何とか誤解を解こうとベッドの端の椅子に腰掛けた哀に、泣きそうな顔で浅い呼吸を繰り返しながら、それでも何とか弁解した後に哀が吐いた、大きな溜息がとてつもなく痛かった。


 服部平次、一生の不覚。


「もー、ホンマどないしよー。誤解やっちゅーのに姐ちゃん朝から冷たいしー。そら油断しとった俺も悪かったけどーっ」

 お邪魔しなかった方が、すんなり事が運んだかもしれないわね。

 先ほど言われた言葉が耳に痛い。
 とんだ醜態を晒してしまった。暫くこのネタで遊ばれそうだ。
「それもこれも、こいつのせいや」
 じとっと恨めしげに杭を睨みつけて、手段を選ばない事に決めた。とにかく事は急を要するのだ。方法が見つからないのなら仕方がない。
 袖を捲り上げると、腰に差していたナイフを抜いて刃先を腕に滑らせた。杭の上にボタボタと血が落ちる。それを見つめていた瞳孔が三日月のように細くなり、瞳が銀色へと変化した。
「消え去れ」

 冷ややかに呟いた瞬間、血も杭も跡形無く消滅した。





 ノックの音にペンを走らせながら、入れ、と答えると、砂の色をした髪の少女が入って来た。ちら、と確認し、何の用だ、と問う。
「単刀直入に言うわ。あなた、命を狙われてるわよ」
 最後にサインをし、顔を上げた新一を真っ直ぐに見つめる少女の瞳は、揺らぎのない色をしていた。暫くその淡い瞳を見つめていた新一は、小さく息を吐き出すと背もたれに体を預けた。
「おまえらは何なんだ、一体」
「工藤優作さんから、あなたを守るように言われたわ」
「親父が?」
 眉を寄せた新一に、哀は肩をすくめた。
「服部君はあの人に恩があるの。そして私は服部君に恩があるから、手助けをしている。だからあなたを守るわ」
「命を狙われるような覚えはないし、おめーらに守って貰う気もない」
「その気がなくても、守るわ。それに私達はもう、相手にとっては敵と見なされたでしょうし」
 頬杖をついた新一は、ニヤリと笑った。
「それこそ俺には関係ないね」
「…昨晩の事は、私達に対する嫌がらせでしょう」
 くすくすと笑う新一に呆れた目を向けた。何て冷ややかな笑み。自分達に対する敵意を隠そうともしない。
 正直、哀は乗り気になれなかった。今回は危険が高い上に、相手を倒すだけでなく、この全てを憎んでるような男を守らねばならないのだ。
 しかし、服部を見捨てておけるほど、浅い付き合いではない。
「とりあえず、どんな手段を使ってくるか分からないわ。多分この屋敷にも間者はいるでしょう」
「俺はこの屋敷の人間を誰も信用していない」
「それは好都合だけど、とりあえず少しでも体に異変を感じたら私に言いなさい。私は薬師だから、何とかするわ」
 凄い自信だな、と蔑んだ口調は無視した。
「服部君は、全てをかけてあなたを守ろうとするでしょう。だからあなたも自衛ぐらいはしてちょうだい」
 それぐらいはできるでしょ、と色のない声で告げると、もう用はないとばかりに踵を返した。
 部屋を出ようと扉に手を伸ばして、急に外側から開けられた。
「あらあらお嬢さん。お部屋でも間違えたのかしら?」
「そうみたいね」
 派手な女が見下ろしてきたが、女のからかい口調に乗ってやる事もせず、そのまま廊下へと出た。


 今、あの人はノックをしなかった。


 人一人見あたらない長い廊下で、哀は自分の考えに深く入り込んで、暫くその場に立ちつくしていた。







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