キミが存在するシアワセ





 午前の授業が終わり、購買に走る集団を横目に見つつコンビニで買って来たサンドイッチを鞄から取り出す。 パッケージを破って齧り付いた瞬間、教室のドアを開けて入って来る蘭の姿が目に入った。 どこかよろめきながら歩いて来る様子に眉を顰めると、顔色も何だか青褪めて見えて。
 俺の目の前まで来ると、蘭は力が抜けたようにその場に蹲ってしまった。
「お、おい、蘭?どうした!?」
 慌てて食べていたパンを置き、崩れてしまった蘭に手を差し伸べる。ざわついていたクラスメイト達も、 異変に気付いてわらわらと集まってきた。
「し、新一…」
「…ん?」
 俺の腕に縋るようにして立ち上がった蘭の唇が僅かに震えながら言葉を紡ぐ。聞こえるか聞こえないかの 呟きに、俺は蘭の声に耳を澄ませた。
「今、和葉ちゃんから電話が来て……服部くんが……」
「!?服部がどうかしたのか!?」
 瞳を虚ろに彷徨わせる蘭に、ただ事では無いと感じて続きを促す。
 無鉄砲なあいつのことだ。
 また、何かの事件に首を突っ込んで犯人とやり合ったのか。
 それは俺も人のことを言えた立場では無いけれど、お互い探偵なんてやっているため、普通の高校生 よりも危険に晒される確率がかなり高い。
 そんなことを考えながら蘭の言葉を待っていると、あいつは浅い息を繰り返してコクリと喉を鳴らした。 意を決したように顔を上げて口を開く。
「服部くんが、ケガして病院に運ばれたって……」
「病院?」
「どうしよう、新一。電波が悪くて詳しいこと聞く前に切れちゃって……何度掛けても繋がらないの。 和葉ちゃんの声、少し震えてたし……そんなに酷いのかな、服部くんのケガ……」
 よく知る友人であり、親しくしている遠山さんの幼馴染であり。そして、俺の親友でもあるあいつの一大事に、蘭は最早涙ぐんでいる。
 俺は無言で鞄に教科書を仕舞うと、食べかけのサンドイッチを近くにいたクラスメイトに押し付けた。
「悪い、蘭。俺、ちょっと大阪に行ってくる」
「えっ…」
 俺の突然の行動に驚いたように瞳を瞬いていた蘭は、しかし、すぐに頷いた。
「わかった。状態とかわかったら連絡ちょうだいね」
「あぁ」
 短く答えて教室を出た。ざわめきが遠のいて行く。
 昇降口で靴を履くのももどかしく、俺は逸る気持ちを抑えて駅に向かって走り出した。









「…………信じらんねぇ……」
 低く呟いた声が病室に木霊する。





 あれから大阪行きののぞみに飛び乗った俺は、車内から服部の家に電話を掛けたが通じず、 仕方なく、あまり掛けたことにない遠山さんにダイヤルした。
『……はい?』
「あ、遠山さん?工藤ですけど…」
 数回の呼び出し音の後、怪訝気な様子で出た彼女に表面だけ落ち着いて名乗ると、彼女は驚いたように 一旦言葉を切り。次の瞬間、受話器の向こうから些か戸惑った声がした。
『工藤くん…?どないしたん?』
「いや、服部がケガしたって蘭から聞いたから」
『あー……アホやねん、あいつ。たまたまアタシ傍におってんけど…』
「それで、どうなの?あいつの具合は」
『え?あ……う〜ん…』
 はっきりとした物言いをする彼女らしくない歯切れの悪い返答に、ドキッと心臓が疼いた。 無意識の内に最悪の状態を想像してしまい、背筋を冷たいものが伝っていく。
 ドクンドクンという心臓の音がやけに大きく聞こえる。まるで、頭の中で心臓が脈打っているみたいだ。
「遠山さん…?」
『あ…ううん、大丈夫やで。そない心配せんでも』
 取り繕うような声色に不安が大きくなる。
 そして。
『工藤くん、こっちに向かってるんやって?』
 一呼吸置いて聞こえて来た思いがけない一言に、俺は続けようとした言葉を飲み込んだ。
「え、何で…」
『さっき、蘭ちゃんから聞いてん。ホンマ、ごめんな。わざわざ……』
 すまなそうに謝る彼女に何故だかムッとして口を噤んだ。
 どうして彼女が謝るんだ?俺は遠山さんのために大阪に行くのではなくて、服部に会いに行くのに。
 ―――それではまるで、服部が彼女の所有物のようではないか。
 俺よりもあいつに近い場所にいる彼女。そんな彼女に見っとも無くも嫉妬する自分を感じて、 俺は頭を振るとそんな自分を叱咤し、小さく息を吐いた。
「それなら話は早い。良かったら、病院を教えてほしいんだけど」
 受話器からは一瞬躊躇うような気配がした。
『あ、そうやね…。えっと……病院はな……』
 しどろもどろな口調に不審を抱きながらも教えてくれた彼女に礼を言い、俺は新大阪から一路 病院を目指したのだった。

 それなのに。

「そない怒んなや、工藤〜…」
 このバカは!!
 俺がこの病室に入った途端、ベッドで本を読んでいた服部はヘラヘラしながら開口一番、
「おぉ、工藤。よう来たな」
なんて、どこの親戚のおっさんだよ、てめーは?という台詞を吐いてくださったのだった。
 何だかぼんやりとした病院の受付嬢に病室を聞いて。
 エレベーターを待つ時間すら惜しくて、本当は走りたいのを我慢して。(でも、思わず早足になってしまって、廊下で看護士と擦れ違う 度、じろじろと見られてしまった。)
 普段ならほんの数分で着くはずの病室までの距離がやけに長く感じた。不安に苛まれて、行き着く先は無いかのような錯覚を覚えた。
 俺が一体どんな思いでここまで来たか。
 どんなに心配したか。
 おまえはこれっぽっちもわかってねぇんだろうな。
 服部の無事な姿を見て、思った以上に元気な姿を見て安堵したのも束の間、その暢気な態度に 次第に沸々と怒りが込み上げてきたのだ。
 そして、この服部の状態をよく知っていたにも関わらず、何も言わなかった彼女にも。
「せやかて、工藤くん、学校サボって大阪向かった言うし、めっちゃ心配そうな声やってんもん。言えへんやろ、こんなアホなこと!」
 俺がいきなり病室を訪れても然程驚きもしなかった服部に疑問に思って問い詰めると、どうやら病院に 彼女から連絡が来たらしい。俺が来ることを伝え、そうしてこの台詞だ。
「俺もまさか工藤が来るとは思わんかってん…」
 情けない顔で俯き、上目遣いに俺を見上げながらごにょごにょと口の中で呟く服部を横目で睨む。
 つまりは、こうだ。
 服部は今朝、寝坊をしたために朝食を食いっぱぐれ、その上で剣道部の激しい朝練に参加したらしい。 そして、朝練の後、校内を歩いている際にあまりの空腹でふらつき、誤って階段から落ちてしまったのだと言う。
 幸い捻挫だけで済んだのだが、念のため、今日一日だけ検査入院することになった、と。
 無事だったから出来る笑い話ってわけで、それをネタに遠山さんは蘭に電話をしたらしいのだが、肝心なところで電波が無く なってしまい。その結果、オチを聞けなかった蘭が血相を変えて俺のところに飛んで来てこの騒ぎだ。
 すると、電話口の遠山さんの声が僅かに震えていたというのは、笑いを堪えてといったところか。
 しかも、漸く電波が復活して遠山さんが蘭に掛け直したのが俺が学校を飛び出した直後だったようで、 そのとき俺が大阪に向かったことを知ったと言う。
 …っていうか、何やってんだ?俺。
 関西コンビに振り回されて大阪くんだりまでやって来て。まるっきりバカじゃねぇか。
 服部のケガのこと、蘭達はもう知ってるんだよな…。何て笑い者だよ、まったく。マジで笑えねぇ…。
 俺が自己嫌悪に陥って一人沈んでいると、ふと服部が顔を上げた。
「…せやけど、俺んこと心配してくれたんやろ?おおきに、工藤。心配かけてしもてごめんな」
 柔らかな笑みと共に素直に言われて口篭る。真剣な瞳の中に穏やかな光を宿して俺を真っ直ぐに見つめる服部に、 俺は急に恥ずかしくなって瞳を逸らした。
 言いたいことは沢山あるのに。
 悪口雑言は山程あるのに、そんな風に素直に言われたら何も言えなくなってしまう。
 それよりも何よりも、自分が仕出かした行動を改めて突き付けられて何とも決まりが悪い。
 俺の思いがわかったのか、あいつは再びへらっとした締りの無い表情をした。
「しっかし、不謹慎やとは思うけど、やっぱ嬉しいわ。俺、めっちゃ愛されてんねんなぁ〜♪」
「…言ってろよ、バカ」
 どんなに憎まれ口を叩いたって、こんな行動を起こしてしまっている時点で服部はいつになく余裕の表情だ。 きっと、ただの照れ隠しにしか聞こえないのだろう。実際そうなのだから余計に腹立たしい。
 俺は何だか無性に悔しくなって、ベッドの上のにやけた面に手を伸ばし。突然頬を掴まれて瞳を瞬くあいつに 構わず、半開きになったままの唇を塞いだ。
「…っ!?」
 顔を離せば、目の前には至極驚いたあいつの顔。それが見る見る内に真っ赤に染まっていくのを目にして、 俺は勝ち誇ったように鮮やかに笑ってみせた。
 不意打ちに茫然として反応に困っている服部に満足する。
「もうこんなくだらねぇことで呼ぶんじゃねぇぞ。次したら、キスくらいじゃすまさねぇから」
「なっ…」
 唇を人差し指で辿りながら言うと、服部は紅潮した顔を益々上気させた。
 別に俺が呼んだわけちゃうやんか〜!ケガして心配させたんは悪かったけど!とか何とか喚く あいつに背を向けて、ひらひらと片手を振ってドアに向かう。
 頬を掴んだときの温もりも、唇に触れたときの感触もちゃんと身体に残っている。確かに存在している という証。
 俺はそれらを確認してこっそり微笑み、もう一度服部を振り返った。
「じゃあ、またな。さっさとケガ治して、東京に来いよ?」
 すると、煩く騒いでいた口が不意に止まり。暫く俺の顔をじっと見つめていた服部は、やがて了承するようにふわりと 微笑んだ。
 その笑顔に笑い返して、俺は病室を後にした。




 服部。
 おまえが無事で良かった。



END (2007.12.9up)








病院の受付嬢がどこかぼんやりしていたり、廊下で擦れ違う看護士にじろじろ見られたっていうのは、実は新一さんに見蕩れていた…というお話(笑)。
本人無自覚なので「?」と若干訝しげです(笑)




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