快斗と別れ、自宅に戻った新一は鞄をソファに放り投げるとドサッと腰を下ろして携帯を手に取った。 アドレス帳を開いて目当ての人の番号を表示させる。
 そのまま滑らせた指を通話ボタンの上に置いた彼は、僅かな逡巡の後、意を決したように指に力を込めた。
 耳に当てると、程なくして呼び出し音が響き出す。それが俄かに心臓の音と重なって耳の奥で鼓動が 脈打ち始め、無意識の内に緊張している自分につと気付いた彼は、小さく息を吐くと乾いた唇を舐めて 湿らせた。
 何を緊張しているというのだろう。相手はいつも会っている服部なのに。
 最初の頃ならいざ知らず、最近では授業の他にも快斗や時には白馬も交えて一緒に行動することが 多くなった相手だというのに、何を今更……と、早鐘を打つ己自身に首を傾げる。
 そうこうしている間も呼び出し音は途切れること無く、出られないのかと諦めて切ろうとした瞬間、 それは突如ブツッと途絶えた。途端に耳を打つ大きな声。
「…っ、服部やっ!!」
 慌てたような声に思わず笑みが浮かぶ。
 携帯が鳴っていることに気付いて急いで飛びついたであろう平次の様子がありありと想像出来てしまって、 新一は喉の奥で微かに笑った。と同時に、声を聞いた途端、 先程まであれだけ煩かった心臓が静まっていくのを感じて、携帯を握りながら彼は独り合点した。
 なんだ…。
 あれは緊張していたのではなくて、ただ単に、相手が出るかどうかという期待と不安のためだったのか…と。
「もしもし…?工藤やろ?」
 不意に訝しげな声が聞こえて来て、自らの思考に埋もれていた新一は我に返った。
 そう言えば、平次が出てから何も言葉を発していなかった。
「あ、ごめん。今、大丈夫か?」
 新一の問いに、平次は電話の向こうで少し安堵したような息を漏らした。
「おう、大丈夫やで。どないしたん?工藤から掛けて来るやなんて初めてやん」
「うん…あの…唐突なんだけどさ。おまえ、来週の日曜って暇か?」
「へ?日曜?…うん、まぁ…暇やけど……どないしてん?」
 どこか狼狽えるように聞き返してくる平次にスッと息を吸い込む。また、心臓がドキドキしてきた。
「実は、サッカーのチケットがあるんだけど、一緒に行かないかな?と思って」
「え……」
 再び煩く鳴り始めた心音に邪魔されながらも、そんなことおくびにも出さず、いつも通りの声を出せたことに 新一が密かに安堵していると、平次は一瞬短い声を上げて黙り込んだ。予想していなかった突然の誘いに、 些か戸惑っているようだ。まるで、不意打ちを食らったかのように息を詰める気配がする。
 どのくらいそのままだっただろうか。
 辛抱強くじっと返事を待っていると、ようやく小さな問いかけが聞こえて来た。
「……えっと……それって黒羽も行くん…?」
「快斗?行かねぇよ?あいつ、バイトがあるんだってさ」
「……っちゅーことは、俺と工藤の二人……っちゅーこと…?」
「そうだけど…」
 いつになく躊躇うような平次の声音と、奥歯に物が挟まったような口調に眉を顰める。もしかして、 自分と二人で行くのは嫌なのだろうか。
 新一は苛立たしげに瞳を細めるとうっそり呟いた。
「……なに?おまえ、俺と二人で行くのは嫌なの?」
 すると、パサパサと髪が擦れる音が聞こえて来る。一生懸命首を振っているようだ。
「ちゃう!!そうやない。俺も工藤と一緒に行きたい。行きたいねんけど……」
「けど?」
 言葉の端を繰り返して詰め寄ると、平次は少々言い淀んでからおずおずと口を開いた。
「何ちゅーか……どないして工藤と接したらええんかわからへんっちゅーか…」
「……は?」
 意味がわからなくて瞳を瞬くと、平次は一層困ったように溜め息を吐いた。
「せやかて、工藤は黒羽と付き合うてるやん?俺は工藤と仲良ぉしたいけど……ほら、あいつって めっちゃヤキモチ焼きやんか…。白馬と会うたときもそうやったし。変に誤解されても嫌やろ…?」
 何とも思ってへん俺んことを恋人に勘違いされたら工藤が困るやろ…?と、伏せた瞳の中で思う。
 友達の範囲がわからない。どこまで近付いて良いのか距離を測り兼ねているのだ。
 そんな平次の言葉をどう受け取ったのか、今度は新一が黙り込み。
「……そっか…。そうなったら、確かにおまえは迷惑だよな…」
 数瞬の沈黙の後、耳を打った静かな口調に平次は携帯に意識を戻した。どこか寂しそうな新一の沈んだ声に、 平次は堪らず首を振る。
「ちゃうんや!!俺や無ぅて、工藤が…っ」
「でも!!」
 否定しようと発した声は鋭いそれに遮られ、平次は思わず言葉を止めた。
 一呼吸置いて、携帯から幾らか柔らかくなった声がゆっくり紡ぎ出される。
「俺はおまえと色々話したりしたいよ。同じ趣味でこんなに気の合う奴はそうそういない。 それに、快斗もおまえのことを良い奴だって認めてるし、俺と親しくしたところで変な勘繰りしたり しねぇから」
 大丈夫だ、と言外に言い含める。
「………」
 しかし、平次を安心させるために放たれた言葉は、新一がいかに快斗を信頼しているのかを改めて 痛感させられるもので、意図せずして平次の胸を貫いて行った。チクリと痛んだ胸に平次が瞳を眇める。
 互いを信頼しているのは当たり前だろう。そうでなければ恋人付き合いなんて出来ない。
 それなのに、どうしてこんなにも打ちのめされるのかわからず、困惑して何も言えずに押し黙る。
 平次の心情がわからない新一(けれど、それは彼に責任のあるところでは無い)は穏やかに続けた。
「いつだったか、あいつ言ってたんだ。俺とおまえは趣味が似てるから、きっと気が合うって。 あいつはおまえのことを信頼している。良き友人だと思ってるんだ。だから、あいつに対して変に気を 回すことなんてないから、おまえさえ良ければ一緒に行かねぇ?友達同士で出掛けるのは、特別 おかしいことじゃないだろ?」
 言葉を尽くしているつもりの新一だが、彼の言葉の節々に引っ掛かりを覚える平次の テンションは、知らぬ内に徐々に下がっていく。
「そう…やな………別に、特別なこととちゃうやんな…」
 自嘲気味に呟いた平次に、新一は邪気も無く追い討ちをかけるように首肯した。
「あぁ。だから行こうぜ。えっと……試合開始が2時だから……昼飯一緒に食う?」
「う…ん……」
 さっさと話を進めていく新一に戸惑いながらも頷く。
 正直なところ、平次は今し方の会話でテンションが急降下してしまい、とてもではないが彼と一緒に 遊びに行く気にはなれなかった。しかし、平次が危惧していることを聞いて納得し、そんなことを 気にしていたのかと言わんばかりな新一は、自分の気持ちや事実を吐露したことで既に解決したものと 思っている。そして、そんな彼のとても楽しそうな声を聞いていると、平次は断ることも出来なくなって。
 自分がどうしたいのかわからない。
 平次は眉を寄せて瞳を閉じ、自分の気持ちを模索した。
 心の中では、ずっと新一と一緒に遊びに行きたいと思っていた。初めて会ったときから、彼の凛とした 姿に惹かれていたから、友達になりたい…仲良くなりたいと思っていた。
 こんな風にぐずぐずした態度はらしくないとわかっていたけれど、あれこれと考えている内に どうにも身動きが取れなくなって、あと一歩を踏み出せないでいた。
 けれど、幸いにも新一も平次と親しくしたいと言ってくれて、快斗も自分を友達として認めてくれているらしい。
 それならば、変に気を遣って彼らと距離を置くよりも、友人として共に時間を共有する方が全然良いだろう。 羽目さえ外さなければ、何ら問題は無いのだ。
 平次はゆるりと瞳を開けた。
 胸の中にはまだもやもやとした蟠りが残っていたが、冷静に気持ちを整理してみたら、 少しだけ気持ちが晴れたような気がした。どこか吹っ切れたように目を上げた彼の脳裏を、 一抹の暗雲が一瞬過ぎる。だが、何となく自分の進むべき方向性を見出せた彼は、 それを振り払うように大きく頭を振ることで黙殺した。
「じゃあ、米花駅前に11時ってことで良いか?」
 電話の向こうで、パラパラと手帳を捲るような音が微かに聞こえる。
 平次は小さく息を吐くと笑みを浮かべ、先刻までとは打って変わってハッキリとした声音で返事を返した。
「わかった。ほんなら、日曜日な。楽しみにしてるわ」
 取り敢えずの打開策を得た彼の声は思いの外明るく。二人は短く挨拶を交わすと携帯を切った。





*    *    *





 新一と別れた足で立ち寄った本屋。そこで、快斗は見知った顔を見つけて肩で息を吐いた。鞄を床に置き、 熱心にミステリーの最新刊に目を落としている人物……白馬探である。
「……どうしておまえがここにいるんだよ?」
 うんざりとした声に、その原因は俯けていた顔を上げるとにっこり微笑んだ。
「あぁ、黒羽くんですか。奇遇ですね」
「奇遇じゃねぇよ」
 素っ気無く言い放ち、肩に掛けたバッグを持ち直しながら探とは反対側の本棚に目を向ける。
 この頃、何故かこの彼も含めた4人で行動する機会が増え、初対面の頃に比べれば幾分か苦手意識は 薄れてきてはいたが、快斗はやはりどちらかと言うと未だにこの白馬探という青年が苦手だったりする。
 快斗は本棚をざっと見渡して、目当ての本を素早く手に取った。隠すようにしてレジへ持って行こうと する彼に、背後からゆったりとした声が掛かる。
「黒羽くんはそういうのが趣味なんですか?」
 ギクッとして振り返ると、本を手に持ったまま探がやんわりと微笑う。マジックが得意な快斗の 超人並みの手捌きを見事に見切ったのか。気付かれない自信があったのに…という思いと、 手に取った物を見られた…という思いが瞬時に沸き起こり、快斗の顔は見る見る内に羞恥に染まっていった。
「ちっ、ちげぇよ!!これは…………その……こ、今後の参考になるかなって思ってさ……」
「今後の参考?」
 探がチラッと快斗の持つ本のタイトルに目をやり、今し方彼が見ていた棚を見回す。
 一通り見て、快斗へ緩慢に視線を戻した彼は訳知り顔で頷いた。
「あぁ、なるほど……そういうことですか」
「なっ…何がそういうことなんだよ!?…って、てめぇ…っ!!さては、俺が買おうとしてた本 わからなかったのに、わざと声掛けやがったな!?」
「まぁまぁ。ここは本屋ですから、そんなに大きな声を上げないでください」
 真っ赤になって叫ぶ快斗に両手を緩やかに振って嗜める。涼しい顔で肩をポンポンと叩かれ、 快斗は悔しそうに歯噛みしながらも周りを見回して口を噤んだ。
 快斗が叫ぶのも無理は無い。何しろ、彼が見ていた棚や今現在彼が持っている本は、俗に「ボーイズラブ」と 呼ばれる内容のものだったのだから。
 淡白な新一をこれからどうやって攻略していこうかと本気で考え始めていた快斗は、以前、教室で その手の本を女のコ達がキャーキャー騒ぎながら見ていたのをふと思い出した。 そうして、若干迷った末、取り敢えず見るだけ見てみようと思って本屋に立ち寄ったのだ。
 買うつもりで手に取ってみたものの、やはり内容が内容だけに気恥ずかしい。まぁ、これが男女の恋愛を描いた少女漫画の類でも、 きっと気まずかったに違いないのだが。
 しかし、見られた相手がよりによってである。
 普通の人ならば、まず自分の手元など見切れないし、自宅から遠く離れたこの本屋の店員になんて もう会うことも無いだろう。一瞬の恥さえ我慢すれば良い、そう思って来たというのに…と、快斗は 眩暈を起こしそうな頭を片手で覆った。
 そのまま瞬時に持っていた本を全て元通りに棚へ戻すと、何も言わずに足早にその場を離れる。 その後を、こちらも読んでいた本をきちんと戻した探が付いて来る。
「待ってください。買わないんですか?」
「うるさい!!ちょっとした気の迷いだよ!!」
 振り向きもせず、前だけを見て大股でズンズン歩く。そんな彼に然程苦も無く追いついた探は、 何かを見つけて突然その腕を取った。
「…!?なんだよ!?」
 噛み付く勢いで探を見上げた快斗に、彼は優雅な笑みを湛えながらある一点を指を差した。 釣られて目をやれば、すぐ傍に洒落た扉とカフェの看板。
「黒羽くん、時間あります?喉が渇いたのですが、良かったらちょっとお茶して行きませんか?」
「一人で行けば良いだろ!何で俺がおまえと……っ」
「酷い言われようですね。そんなに僕が嫌いですか?」
 悲しげに顔を顰める探を目にして、腕を振り払おうと躍起になっていた快斗の手から力が抜ける。 困ったように視線を彷徨わせる。
「そ…ういうわけじゃ…ないけど……」
「そうですか?それなら行きましょうか。あそこのダージリンは絶品なんですよ」
 憂えていた表情が一変していつもの笑顔になり、強引とも言える動作で快斗を引っ張って行く。 探のあまりの早変わりに、快斗は引き摺られながら一瞬呆気に取られ。ハッと我に返ると、 足を踏ん張りながら焦った声を上げる。
「あ…ちょっと、おい!俺はまだ行くなんて一言も…!!」
「黒羽くん、キミ……何か悩みごとでもあるんじゃないですか?顔に書いてありますよ」
「え…っ」
 真剣な表情で振り返った探に息を呑む。彼の言葉に思わず自分の顔を触ってしまってから、 快斗は「しまった…」と動きを止めた。瞳を見開いて硬直してしまった快斗に、探は歩くのを止めると 瞳に優しい色を滲ませて顔を覗き込む。
「やはりそうですか。キミは正直ですね」
「…………」
 クスリと笑われて目を逸らす。探はまるで子どもにでも言い聞かせるように、柔らかく彼の肩に触れた。
「工藤くんには言えないようなことなんですか?何にしても、一人で溜め込むのは良くない。 キミがそんな覇気の無い顔をしているのは、友人として辛いんです。どこかに吐き出さなければ 溜まる一方で疲れてしまいますよ?」
 吐き出せるときに全部吐き出してしまえと、心配そうにしながらも悪戯っ子のようにウィンクをして見せる。ぽかんと探の顔を眺めていた快斗 だったが、やがて、茶目っ気のある探の態度と真摯な言葉にフッと小さく笑みを零すと、仕方なさげに 肩に置かれた彼の腕を叩いた。
「……OK。カマかけられて動揺しちまうなんてまだまだ未熟だよな…俺。わかった。話すよ」
 一つ吐息を吐き、快斗は探を従えてカフェの扉を開いた。




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