「おっ」 暖冬とは言え、窓の外は寒さの厳しいある日の午後。 暖かな空気に満たされた工藤邸のリビングのソファで雑誌を見ていた平次が、ふとページを捲っていた手を止めた。それに、向かいのソファで読書をしながら寛いでいた新一が顔を上げる。 「どうした?」 雑誌の両端を持ち上げ、食い入るように真剣に紙面を見つめている平次に声をかけると、彼はキラキラとした瞳を新一に向けた。 「これっ!!見てみぃや」 「なに?」 ずいっと目の前に差し出されたページに目を移す。と、そこには、見覚えのある巨大テーマパークの写真と『トロピカルランドinスケートリンク 2月末日まで営業中!!』という文字がデカデカと躍っていた。 「何だ、トロピカルランドのスケートリンクの宣伝じゃねぇか」 あまりにも輝いた顔で言うものだから何かと思えば…と、些か期待外れとでも言うように肩で息を吐いた新一に、平次は雑誌を手元に引き寄せて眉を寄せる。 「何やっちゅーことないやん。せやかて、俺、いっ回も行ったこと無いんやで?工藤は何回も行ってるかもしれんけど…」 むぅっと唇を尖らせる平次に新一は興味なさげに肘掛に片腕を突いた。 「んなモン、どこのリンクも同じだって」 「いいや!そもそも工藤がおるっちゅーだけでちゃうわ」 「…………」 真顔でそんなことを言う平次に思わず絶句する。言葉を失っている新一に、平次は更なる追い討ちをかけた。 「なぁ、どうせこの週末暇やねんから行こうや〜。今の時季だけやで〜?それに、毎日花火上がっとるんやって!」 雑誌を持ったまま新一の座るソファの前まで行き、子どものように無邪気に微笑う。甘えるように上目遣いに強請られて、新一は困ったように頭を掻くと、観念したのか仕方なさげに息を吐いた。 「…仕方ねぇな。じゃあ、明日にでも行ってみるか」 「やった!おおきに、工藤!!」 不承不承ながらも承諾を得られ、喜びも露に平次が満面の笑みを浮かべる。そんな彼を目の当たりにして内心満更でもないと思った自分自身を自嘲するかのように薄く笑った新一は、無意識の内に緩んでしまう頬を隠すため、膝の上に広げられたままの本を読む振りをして俯いた。 それなのに。 どうしてこんなことになってしまうのか。 翌日、嬉々として向かったトロピカルランドのスケートリンクで、2人はある人物と出会った。 リンクの周りに張り巡らされている塀にしがみつくようにして1人、へっぴり腰でヨロヨロとスケートの練習をしていた青年……その名も黒羽快斗である。 あれだけスポーツ万能で、何でも器用にこなす彼の意外な面を発見して驚いたのも束の間。 彼は優雅な新一の滑りを目にするや否や、新一にスケートを教えてくれと泣きついたのだった。 「ね、お願い!この通り!!もう、白馬のヤローがキッドが俺だってすっごい疑ってんだよね…で、既にキッドはスケートが下手ってあいつの手帳に書き込まれちゃってるから、このままだと非常にやべぇの!!だから、頼むよ新一!!俺にレクチャーしてッ!!こんなこと頼めるの、おまえくらいしかいないんだよ〜〜〜!!」 パンッと両手を合わせ、悲愴な面持ちで頭を下げられては新一も無碍には出来なくて。 深い溜め息を零すと、平次に一言詫びてその大役を引き受けたのだった。 残された平次はと言うと、2人がスケートレッスンを始めてしまったので何となく1人でグルグルと同じところを滑ってはいたものの、その内飽きてしまい、少し離れたところで彼らが練習する様子を眺めていた。 しかし、その顔つきも徐々に険しいものになっていく。 滑れない者を教えているのだから当然ではあるのだが、新一は快斗と向かい合って彼の両手を取っていて。快斗も新一の手を離すまじといった様子でがっちりと握り返している。 周りに気をつけながらゆっくり滑り、時折滑るのをやめて、腰が引けているとばかりに新一が快斗の腰の辺りを軽く叩いている。そうして、何事か言い合って微笑む。周囲の喧騒に声が聞き取りづらいのだろう、互いに顔を寄せ合って。 平次はコンクリート塀に凭れ掛かると、はぁ…と溜め息を吐いて頭を振った。 「………アホちゃうか、俺…」 あの2人はただスケートの練習をしているだけで他意は無いのに。それを浅ましくも妬ましく思っている自分は何と心が狭いのだろう。彼らの中に入れず、こんなところで1人時間を持て余している自分が何だか仲間はずれにされたような気がして。そんなわけないのに、どうにも面白くないと感じる自分自身にも嫌気が差してくる。 表情や態度に感情が素直に表われてしまう彼は、周りの状況など目に入らず、何とも言えない複雑な顔で一心に2人をじっと見つめていた。 だから、自分に向かってくるものにも気付いていなかった。 「きゃあ〜〜〜っ!!どいてどいてぇ〜〜〜っ!!」 「えっ…?」 不意にすぐ近くで女の叫び声が聞こえ、平次がその方向に目線をやると同時に何かが彼に勢い良くぶつかった。 「うわっ」 「きゃっ」 衝撃に思わず瞳を瞑って身体に力を入れた平次は、次いで聞こえて来たドシンという音にそろそろと片目を開けた。見ると、自分のすぐ傍に若い女の子が蹲っている。恐らく、ぶつかった反動で尻餅をついてしまったのだろう。 「いったぁい……」 「ちょ…大丈夫かー?」 「いたたたた……あ、ごめんなさい…。ありがとう」 慌てて屈み込み、腰を擦っている彼女に手を差し伸べると、彼女は差し出された平次の手にうっすら微笑み、ぎゅっと強く握り締めた。 平次に腕を引っ張り上げられ、どうにか立ち上がりながら、彼女は、スケートをするのは今日が初めてで、一緒に来た友達は皆滑れるから自分だけ放ったらかしにされているのだと独り言のように言って吐息を零した。覚束無い自らの足元を寂しそうに見下ろして嘆く彼女を見ている内に何だか不憫に思えてきた平次は、一度、新一をチラッと窺い見て。 彼が未だ快斗に付きっ切りであることを確認すると、もう一度彼女に目を戻した。 「ほんなら、少しの間だけ教えたろか?今、俺も連れが野暮用でな。ちょぉ1人で退屈してたトコやねん」 聞いた途端、彼女は弾かれたように顔を上げて仄かに頬を染めて小首を傾げた。 「えっ…いいんですか!?」 「おう。そん代わり、俺の連れが戻って来るまでや。それでもええか?」 「勿論です!!どうもありがとう!!」 嬉しそうににっこり笑う彼女に、平次は小さく笑い返した。 「ねぇ、ちょっとあれ…」 「ん?」 突然、唖然としたように横を向いて指を差した快斗に新一が眉を顰める。 「てめぇ、まだへっぴり腰でふらついてるくせに、余所見なんかしてんじゃね……」 小言を言いながら何気なく快斗の指差す方向に目をやった彼は、唐突に言葉を途切れさせた。 視線の先には、見知らぬ女性と仲睦まじく手を取り合って滑る平次の姿。女の子は顔を微かに上気させて平次を熱っぽく見つめている。そんな彼女に気付いているのかいないのか、平次は柔らかく笑みながら何事か話しているようだ。 「……あんのバカ…っ」 新一は小さく舌打ちすると、支えていた快斗の手をいきなり離した。予告も無く両手を離された快斗は堪らない。忽ちバランスを崩し、体勢を整えようと両手を大きく振り回しながら新一に叫ぶ。 「ちょっ…ちょっと、新一!?置いてかないでよ〜〜〜っ!!」 リンクの真ん中に放置され、「俺これからどうしたら良いの!?」と半分泣きそうな声で喚く彼に、新一は進むスピードを緩めぬまま振り返ると怒鳴りつけた。 「うっせぇ!そこまで付き合ってやったんだから、あとは1人で何とかしろ!!」 「そんなぁ〜〜〜…」 不機嫌なオーラを放ちながら去って行く新一の後ろ姿を、快斗はその場にへたり込みながら見送った。 一方、怒りモード爆発寸前の新一が自分に向かって来ているとは露とも知らない平次は、持ち前の明るさと関西人特有(?)のテンポの良い会話で女の子を楽しませていた。本人にはそんなつもりは全く無かったのだが、面白そうに笑われると彼の中のお笑い魂が擽られてしまうのだ。 「お兄さんって関西の人?」 「せや。今はこっちやけどな」 「へぇ〜…大学か何かで?」 「そうや」 他愛の無い会話を交わしていると、ふと、氷面にばかり気を取られていた女の子が顔を上げて平次を見た。 「お兄さんって優しいよね。見ず知らずの私なんかの相手してくれて。カッコ良いし、モテるでしょ?」 「そんなことないで。今かて退屈しててんもん」 「ウソぉ〜?信じられないなぁ…」 「何で嘘言わなあかんねん」 軽口を叩いて笑い飛ばすと、それまで面白そうに笑っていた彼女が、突如蕩けてしまうような甘い笑みを見せた。瞳を細める。 「……ねぇ、私達のこの出会いって運命だと思わない?」 「運命?」 「そう。きっと運命なのよ…」 言い含めるように言う彼女の瞳が妖しげに煌く。けれど、平次はその瞳に気付かずに、今し方彼女から発せられた言葉を頭の中でリプレイしながら、ぼんやりと自らの思考の海に思いを馳せ始めた。 そのとき。 何の前触れもなく突然腕を強く掴まれた平次は、驚きのあまり一気に現実に引き戻された。振り向くと、そこには険しい顔をして仁王立ちしている新一の姿が。 「く、工藤…?」 「…………」 何も言わず、睨みつけるような鋭い瞳で2人を眺める。 そんな彼の無言の圧力に、平次は意味がわからないまま固唾を飲み、女の子は慌てて握ったままだった平次の手を離した。恐れ戦いた表情で平次の陰に隠れて身を縮める。 「あ…も、もうええんか?…あ、すまんけど、俺の連れ来たからこの辺で……って、お、おいっ!?工藤っ!?」 新一の怒っている原因はわからないが、取り敢えず…と彼女に笑いかけた平次は、話の途中で新一に引っ張られて声を上げる。そのまま引き摺られるようにして連れて行かれる平次と有無も言わさぬ勢いの新一を、女の子はへなへなとしゃがみ込みながらポカンと見ていた。 「おまえ、何やってんだよ!?」 リンクから少し離れた建物に無理矢理引きずり込み、人気も疎らな男子トイレに入ったところで、新一は掴んでいた平次の腕をようやく解放した。乱暴に腕を解かれ、振り向き様凄まじい剣幕で怒鳴る新一に平次も片眉を上げる。 「何って……おまえと同じや。スケート滑られへん言うから教えたってたんや」 「同じじゃねぇだろ!誰だよ、あれ!?おまえの知り合いか!?」 「いや、さっきここで会うたコやけど…」 平次がそう言うと、新一はわざとらしげに盛大な溜め息を吐いた。 「おまえな、わかってんのか!?あの子はおまえをナンパしてたんだぞ!?」 新一の台詞に平次が瞳を何度か瞬かせて首を捻る。わけがわからないといった表情だ。 「はぁ?まさか〜。何言うてんねん。せやかて、ホンマにスケート初心者やねんって。足かてフラフラで…」 「それはこんなトコでナンパするときの常套句だろっ!?滑れねぇ演技くらい出来るし。あわよくばおまえをお持ち帰りしようとでも考えてたんじゃねぇのか?あんだけ媚びられてんのに、マジで鈍すぎ。少しは自覚しろよな!!」 新一がダンッと苛立たしげに個室のドアを叩きつける。一方的に捲くし立てられて、流石の平次もだんだん腹が立ってきた。いくら新一と言えども、何故そこまで言われなければならないのか。 (工藤こそ、親身になって黒羽に教えとったくせに…。俺の気持ちなんかわからんくせに…っ!!) 怒りが沸々と込み上げ、無意識の内に眉が吊り上がる。 「何でおまえにそない言われなあかんねん!?そう言うたらおまえかてなぁ…っ!!」 「嫌なんだよ…!!」 「何がやねんっ!?」 平次の言葉を遮って吐き捨てた新一に、平次も感情のままに叫ぶ。すると、彼は今までの勢いはどこへ行ってしまったのか、不覚とでも言いたげに唇を噛み締めると顔を伏せた。ぎゅっと両の拳を握り締める。それが小刻みに震えているのに気付いた平次は、開きっ放しだった口を噤んだ。 一時の静寂。 続く言葉をじっと待っていると、やがて喉の奥から搾り出すような苦々しげな声が聞こえて来て。その内容を理解するや、平次は急激に顔に熱が集まっていくのを感じた。 「おまえが……っ……俺の知らねぇ奴と一緒にいるのが……笑ってんのが嫌なんだよ…っ!!」 バッと上げた新一の顔は平次と比べようも無いくらい真っ赤で。不本意この上ないといった様子で、バツが悪そうに落ち着き無く視線を彷徨わせる。 「く、くど……」 「…んだよ。何か文句でもあんのかよ…?」 呆然として名前を呼べば拗ねたような瞳で睨んでくる。平次は慌てて首をぶんぶん振り、そうして、ふと思い出したように小さく口を開いた。 「なぁ……おまえは運命って信じるか?」 「何だよ、いきなり」 脈略の無い台詞に、新一がまだ熱の引かない顔で怪訝げに見る。平次はゆっくり洗面台に腰を預けると何事か考えるように瞳を伏せた。 「さっきの子ぉがな、言うてたんや。自分達の出会いは運命や思わへんか?ってな」 「あの女…っ!!」 途端にスケートリンクの方を顧みて歯噛みする新一を宥めながら続ける。 「俺は、俺とおまえの出会いこそ運命やと思うねん」 「え…?」 先程まであれ程いきり立っていた感情が、ふっと新一から消える。まじまじと見つめてくる新一を真っ直ぐ見つめ返して、平次は伺うように小首を傾げると柔らかく笑った。 「おまえは考えたことあらへんか?」 「そ、それは……。…その……たまにちょっとは…」 らしくなく口の中でごにょごにょと呟くと、平次は「そか」と言って鮮やかに破顔した。それを思わずぼんやり見ていた新一は、次の瞬間ハッとしたのか、誤魔化すように小さく咳払いをして。そそくさと扉に向かう彼の後ろ姿を、平次が笑顔のまま目で追いかける。 「あ……じゃあ、そろそろ戻ろうぜ」 平次をここまで引っ張って来た張本人はそんなことを言いながら取っ手に手を掛けて、はたと立ち止まった。緩慢な動きで振り返る。 「…折角一緒に来たのに……悪かったな」 快斗に掛かりっ切りで相手をしなかったことを言っているのだろう。眉を下げて申し訳無さそうな、どこか困ったように謝る彼に平次は首を横に振る。 「何も、ええで。俺の方こそ……」 「ん?」 おまえらに変な嫉妬してしまって…なんて口が裂けても言えず、不思議そうに瞳を傾げる新一に平次は曖昧に笑うと彼の背中を押した。 「いや、何でもあらへん。ほな、早よ行こうや」 「?」 話を逸らすようにぐいぐい押して促す平次を新一は暫く訝しげに見ていたが。程なくして、微かな笑みを零し。 「おう。今度は変なのに引っ掛からないように、俺の傍から離れんなよ!」 ぶっきら棒に偉そうに言い放つ。しかし、扉を開ける振りをして顔を背けた新一の頬が少しだけ赤くなっているのを目にして、平次の口元は知らず知らず緩んでいった。 「…はいはい」 嬉しそうに笑いながら返事を返す平次をチラッと盗み見て、新一は満足そうに口角を上げると扉を押し開けた。瞬間、一気に近くなる人々のざわめき。 2人は扉に手を掛けながら一度顔を見合わせ。 コソッと何事か囁き合うと楽しそうに微笑み合い、人が犇くリンクへと戻って行った。 『滑れない振りをして手を繋ごうか』 堂々と大好きな人の手を握れるなんて何て素敵なことだろう。 冬の夕暮れは早い。 雲ひとつない空には、既に一番星が瞬き始めていた。 トロピカルランドのシンボルである大きなお城がライトアップされ、数々のアトラクションにも光が溢れていた。 まさに夢の中にいるような光景。 そんな中、コバルトブルーのキャンパスに大音量と共に咲き始めた大輪の花が色を添え、人々の歓声がテーマパーク中に響き渡る。 ちょっと時間を食っちゃったけど、思い切り今日という休日を楽しもう。 2人の時間はこれからだ! END (2008.1.20.up/2008.1.25.一部改) |
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