ある日の日常   初出同人誌 『ある日の日常』2007.3.25  2007.10.14(再録本に収録)






「よっしゃ。これで朝飯は完璧や」
 平次はテーブルの上に焼き上がったばかりの魚を置くと、満足気に頷いて時計を見上げた。
 時刻は午前8時。
 昨夜遅くまで事件解決に奔走していた新一を思い、いつもの起床時間には起こさなかったのだが、流石にそろそろ起こさなければならないだろう…と考える。
 平次はつけていたエプロンを椅子の背凭れに掛けると、軽快な足音と共に二階へ上がって行った。階段を上がって突き当たりの部屋が新一の部屋だ。
「おーい、工藤。朝やで〜。そろそろ起きぃや〜」
 何とも間延びした声でノックもせずに扉を開ける。ベッドに歩み寄りながら、揺すっても起きないようなら目覚めのチューでもかましたろか?なんて暢気に考えていた平次だったが、見下ろした先の彼の様子がおかしいことに気付き、慌てて新一の肩を揺する。
「お、おい!工藤!?どないしたんや!?」
 ベッドの中で新一が苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。微かに上気した頬。何気無く撫でた彼の頬が異様に熱いことに驚いて、平次は確かめるように額に触れた。
「やっぱり…。めっちゃ熱いやんけ」
 眉を顰めて手を離すと、新一が薄っすらと瞳を開けた。
「…あ……服部…?」
「工藤!おまえ、めっちゃ熱あるで!?」
 思わず大声を上げる平次に、新一は気怠げにゆっくり体を起こした。力無く開かれた瞳はぼんやりとしていて、熱の所為か心なしか潤んで見える。普段、強い光を放っている瞳は弱々しく、平次はそんな彼を心配そうに覗き込んだ。
「……なんか…すっげぇ……ダルい……」
 言い終わるか終わらないかの内に、体が前に傾いて再び布団に突っ伏す。
「く、工藤〜〜〜!!」
 布団に顔を埋めたままビクともしなくなった新一に、平次の絶叫が工藤邸に木霊した。










 新一がベッドに沈んだ後、平次はすぐに救急箱から体温計を取り出し、新一の体温を確認すると隣家へ駆け込んだ。
 哀から薬をもらって家に戻ると、平次は先刻まで朝食の支度をしていた台所でうどん粥を作り始めた。折角作った新一の分の朝食は、残念ながら今は食べられそうにないから、取り敢えず冷蔵庫の中へ。
 熱々の湯気をたてる鍋と薬をトレイに乗せ、平次は再び新一の部屋へ向かった。
「工藤、うどん粥作って来たで」
 両手が塞がっているため行儀悪く足で扉を開ける平次を、新一はぼーっと顔だけ振り返り。
「…いらねぇ」
 小さな声ではあったが、頑固として言い放った。
 一旦机の上にトレイを置いた平次の眉が困ったように下がる。
「せやけど、灰原のねぇちゃんから薬もろて来たし、何か食べんと…」
「薬、苦いからいらねぇ」
 またしてもこの一言。ついでに、プイッと布団を被ってそっぽを向いてしまう。子ども染みた行動ではあるが、この態度には流石に平次もこめかみをピクピクと痙攣させる。
「アホ!ちゃんと飯食って薬飲まな、治るもんも治らんやろ!」
「………」
 人差し指を突きつけて一喝する。すると、新一は平次を振り向いて拗ねるように瞳を眇め。
「……それはそうだけど、食いたくねぇんだもん…」
 彼にしては珍しく、ごにょごにょと歯切れ悪く呟いて上目遣いで見上げる。バツの悪そうに仄かに頬を染め(それは熱の所為だけど)まるで悪戯を咎められた子どものような瞳で拗ねるその顔が何だか可愛く見えて、平次は先程の勢いを削がれて暫し惚けてしまった。
(あ…ああああかんあかんあかん!!ちゃんと飯食わせな…っ!!ほんで、薬や…っ!!)
 一瞬思考回路が停止してしまった自分を叱咤して、平次は気を取り直すとベッドの傍らに椅子を引き摺って行く。ナイトテーブルの上にトレイを移動させ、箸とスプーンを手に取る。その様子を黙って見つめる新一の目の前で、平次は食べやすいようにうどんを小さく切ると、新一の背に手を入れて抱き起こした。
「服部?」
 不思議そうな新一に構わず、鍋の中身をスプーンで掬ってフゥ〜フゥ〜と息を掛ける。
「……ぅあっち」
 舌で温度を確かめてその熱さに顔を顰め、もう一度冷ましにかかった平次をかなり回転の鈍くなった頭で眺めていた新一は、次の瞬間、ようやくその行動の意味を理解し。熱の所為だけではないもので顔を染めた。
「もうえぇかな。はい、あーん」
 にっこり笑って差し出されたスプーンに瞳を見開く。
「なっ…!バ、バカ!!自分で食えるよ!!」
 焦って逃げるように体を捩るが、倦怠感漂う今の状態では逃れられるはずもなく。素早く腕を掴まれて動きを封じられてしまう。
「せやかて、自分で食いたないんやろ?ほんなら俺が食わしたるから遠慮すんな」
「バーロー!遠慮なんかしてねぇよ!!あっ!てめっ…コラ、何しやがる!?」
 自分で食べられると暴れるも、いつもよりもかなり体力が落ちている新一を押さえ込むのは簡単で。平次は新一の顔を固定すると、喚く口腔にスプーンを突っ込んだ。
「……!」
 眉間を寄せて思い切り睨む瞳に笑いかける。新一は諦めたように口の中のものを咀嚼して飲み込んだ。
「どや?美味い?」
「……まぁな」
 憮然としながらも肯定する新一に、平次は一層嬉しそうに微笑む。その顔を見て、新一は小さく溜め息を吐くと、尚も口を開けるように促す平次に苦笑して大人しく従った。
 心の中で、まるで新婚みたいだな…などと考えながら。
「せやけど、何でいきなり熱なんて出たんやろ?」
 何度かそんなやり取りを繰り返し、再度うどん粥に息を吹きかけて冷ましていた平次が、ふと首を傾げる。口元にスプーンを寄せられ、新一は億劫そうに口を開いた。
「多分、昨日の事件の捜査んときに雨の中走り回ったからじゃねぇか…」
「けど、俺も一緒やったやん。何して工藤だけ…」
「本当、不思議だよな。何でおまえは何ともねぇんだか…。でも、まぁ、何とかは風邪引かないって言うし……」
 お粥を口に含みながらそんな暴言を吐く新一に、平次が鍋の底をスプーンで掻きながら片眉を上げる。
「あん?何か言うたか?工藤?」
 きつい瞳で睨まれて肩を竦める。
「いや、別に…」
 最後の一口を差し出されて飲み込む。
 それを見届けて、平次は空になった鍋にスプーンを入れてナイトテーブルの上に置いた。何だかんだ言いながらも全部平らげた鍋に自然と笑みが浮かぶ。
「…ご馳走さま」
「お粗末さん。全部食べられたやん」
「おまえが無理矢理口に突っ込んだからな」
 無理矢理、の部分を強調して言われる。
「またまた〜。こないに俺に甲斐甲斐しく世話してもろて、嬉しいやろ?」
 冗談なのか本気なのかわからない口調で言われて、新一は複雑な表情をした。
「ほんなら、次は……。ほい、工藤」
 と、そんな新一の目の前に、今度は紙の袋と水が差し出される。袋の中は白っぽい粉。
 瞬時にそれが何であるかを悟った新一は、あからさまに嫌そうな顔をした。隣では、それに気付いているのかいないのか、笑顔で薬と水を手渡す平次の姿。
 食事の前に怒鳴られたこともあってか、その笑顔にどこか逆らえない雰囲気を感じ、新一は取り敢えず受け取る。だが、顰めっ面でじっと手の中の薬を見つめるだけで、一向に飲もうとしない。
 暫く黙ってその様子を見ていた平次は、不意に何か思い付いたように、スッと手を伸ばすと新一の手から薬と水を取り上げた。
 つられるように目で追うと、薬と水を呷る平次が目に入った。
「お、おい?」
 何をしているんだと戸惑う新一に、平次は椅子から腰を上げると、両肩に手をかけて顔を寄せ…。
「……っ!」
 突然のことに瞠目する。
 薄く開かれたままだった唇から、口移しで薬が流し込まれる。ゴクリと新一の喉が鳴ったのを聞いて、平次は唇を離した。
「ちょ…っ、おまえ、なにを……!」
「工藤がいつまで経っても飲まんから」
 唇の端から零れてしまった水を腕で拭いながら文句を言うと、あっけらかんと返される。全く悪気のない無邪気な笑顔を向けられて、勢いを削がれた新一は呆れたように脱力した。
「…ったく……」
 息を吐いてベッドに座り直す新一に、平次は再び手を伸ばし。ぎゅっと首に抱きついた。
「…おい、今度は何やってんだ、おめーは。風邪感染っちまうだろ?」
 離れろと肩を押すが、頑な体は反対に力を入れて尚も抱きついてくる。密着した体温に思いがけず動悸が早まる。
「大丈夫や。さっきチューもしたんやし、感染るんやったらもう感染っとるわ」
「どういう理屈だよ、そりゃ」
 聞こえてきた台詞に思わず微苦笑を浮かべる。
「早よ、風邪治しや。俺がいくらでも看病したるから」
 優しい声音に、平次の肩に掛けられていた新一の腕から力が抜けた。首を捻って平次を見る。新一の肩に顔を埋めているため、その表情を伺うことは出来なかったが、新一はフッと柔らかく瞳を細めると目の前の背中に腕を回した。
「……うん」
 思い切り抱きしめたら、どこからともなく日向の匂いがした。心と体に温もりを感じて瞳を閉じる。







 部屋の中には優しい空気が流れていたが、やがて朝食を食べ損ねていた平次が空腹を思い出して慌しく階下へ降りて行き、新一がその後姿を憮然とした表情で見送るのは、もう少し後のことである。







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