「お疲れ様でした〜」 バラエティ番組の収録を終えた俺達にADが擦れ違い様声を掛けてくる。それに同じ台詞で返し、俺達は楽屋へと戻った。 扉を開けて畳に上がり込み、荷物を纏めながらこの後のスケジュールを思い出す。確か、この後は事務所に戻ってミーティングだったはずだ。ここのところずっと忙しかったから、久しぶりに少しだけ時間にゆとりを持てるかな…等と思いながら、畳に寝転がって雑誌を広げた工藤を見た。俺がデビューして数ヶ月。大分この仕事にも慣れてきた。 今までテレビでしか見ていなかった工藤とこんな風に一緒にいることが未だに不思議だ。ひょんなことから事務所のオーディションを受ける羽目になり、俺なんかが合格したことも不思議だが、何よりも工藤とグループを組むことになったのは人生最大の不可思議だ。 子役から芸能界にいる工藤は演技をやらせれば右に出るものはいない程の実力で、しかも物凄く格好良い。彼のファンの中にはその容姿に惹かれた者もいるだろうけれど、俺は全部ひっくるめて工藤が好きだった。確かに、俺も最初はチラリと見た雑誌に載っていた彼の柔らかな笑顔に釘付けになった。それが切っ掛けだ。それから彼が載っていると知れば片っ端から雑誌やら本やらを買い漁り、出ている番組は例え数分だったとしても全てチェックした。ドラマも勿論外せず、そこで彼のずば抜けた演技力を見せ付けられたのだ。 そんな憧れていた奴と2人でユニットを組む日が来るなんて誰が想像しただろう。俺は密かに彼との出逢いは運命だったと信じていた。 「…どうした?」 自分の世界に入り込んでいた俺は工藤の声で我に返った。気が付けば、彼は雑誌から顔を上げて怪訝な顔でこちらを見ていた。どうやら無意識の内に工藤の顔を凝視していたらしい。 「あ…す、すまん。何でもあらへん」 慌てて両手を振って笑う。工藤はパサリと雑誌を閉じた。 「疲れたか?」 「いんや。バラエティは俺の性に合うてるような気がすんねん。収録は楽しいで」 「そっか。なら良かった」 にっこりと安心したように微笑む。一瞬ドキリとした胸を気付かれないように、俺は取り繕うように壁に掛けられている時計を見上げた。 「それに、今日はこの後ミーティングだけやし、久々にのんびり出来るやんな」 「まぁな」 工藤も時計を見て雑誌を鞄に仕舞う。そのタイミングで、ノックも無しに楽屋の扉が開かれた。顔を出したのは、マネージャーの阿笠博士。 「待たせてしまってすまんな。準備は出来てるかな?行くぞ〜」 「おう」 俺は立ち上がると、楽屋の中をチェックしている工藤に促されるまま外へ出た。 出待ちのファンに出くわすことなくスムーズに事務所に着いた俺達は、ミーティングルームでマネージャーと社長を交え、今後の活動について話をした。どうやら、同じ事務所の人が司会を務める新番組のレギュラーに抜擢されたらしい。 けれども、そのとき工藤が僅かに眉を顰めた「前みたいなことにはならないようにするよ」という社長の言葉の意味が理解出来ず、俺は話を聞きながら内心首を傾げていた。が、ミーティングルームを出た俺達の前に現れた人物によって、それは途轍もない衝撃となって俺に降り掛かったのだった。 「あ、新一、久しぶり〜。聞いたよー。今度、俺と一緒の番組出るんだって?」 「快斗…」 邪気の無い笑顔で手を挙げるそいつ…快斗と呼ばれた彼は、俺達と同じくらいの歳のようだ。近付いて来る足取りは工藤と親しいようだ。どこかで見たことがあるような気がするが、彼も芸能人なのだから当然だろう…と思って思い出した。以前、顔が似ているとかで(俺はそうは思わないが)工藤と一緒に雑誌に載っていた奴だ。そして、先刻社長から告げられた新番組の司会の名前が確か…。 「えへへ。俺もさっき聞いたんだけどさ。これから収録がすげぇ楽しみだなぁ〜♪……って、あれ?新人さん?」 暫く工藤と話をしていた彼は、不意に俺の方を向くと今気が付きましたというような顔をする。工藤が俺の横に来て肩を叩いた。 「こいつは服部平次。ほら、1年前のオーディションで1人だけ受かった奴がいただろ。で、暫く一緒にテレビに出てたんだけど、数ヶ月前に俺と組んで正式にデビューしたんだ」 「…ども」 紹介されて軽く会釈すると。彼は瞳をすぅっと細めた。 「…あぁ、新一の今のパートナーね」 「え…?」 彼の言い種に引っ掛かりを覚えて瞳を瞬かせる。 「おい」 そんな彼を咎めるように工藤が眉を寄せると、彼はふっと笑顔を見せた。 「そう言えば、今月の『スウィーティ』にも出てたよね。お互いを高め合えるライバルなんだとか」 工藤と俺を見比べる。一見無邪気そうに見える笑顔の奥で、瞳がどこか冷たく光る。じろじろと見る視線が痛い気がするのは気の所為だろうか。不躾とも言える視線に居心地の悪さを感じて俺が身動ぐと、彼はあっさり視線を逸らした。 「新一、今度は上手くいくと良いね」 途端に眉間を寄せる工藤に笑い掛けながら、チラッとそいつが俺に目を戻した。 「紹介が遅れたね。俺は黒羽快斗。今度、一緒に番組やることになったから、よろしくね。ちなみに、2年前に新一と『Twins(ツインズ)』ってユニット組んでたんだ。こっちはすぐ解散しちゃったんだけどね」 黒羽が不適な笑みを浮かべる。 俺は目を見開いた。そして狼狽する。工藤が、俺の前にこいつと組んでいた。それを知らなかった自分。その事実に思いの外衝撃を受けていることに気が付いて愕然とした。 「快斗…ッ」 工藤が黒羽を嗜める。黒羽は軽く肩を竦めると、初めと同じく手を振って行ってしまった。 「…服部……気になるか?その…あいつが言ったこと…」 黒羽の姿が消えて、独り言のようにぽつりと工藤が呟く。躊躇うように瞳を彷徨わせ、言い淀む彼は珍しい。あまり言いたくは無いのだろうと感じる。先程、ミーティングルームで彼が顔を顰める原因となった社長のあの台詞も、恐らく黒羽とのことだったのだろう。 「…いや、別に。気にならへんで」 強がって笑った俺に、工藤は些か安堵したようだった。 本当は、工藤のことなら何でも知りたい。あいつとの間に何があったのかも、出来ることなら全て教えて欲しい。 けれど、ただの仕事上の相方でしかない自分が、そんなこと言えるわけも無く。 工藤は「大したことじゃねぇから」と苦く笑うと、手招きをする社長の元へ足早に去って行った。 胸のもやもやしたものが一向に晴れない。 あの日…事務所で黒羽と不意打ちの出会いをして以来、俺の心に生まれた蟠りが消えることは無かった。何故こんな気持ちになるのかわからないが、恐らくこれは、自分の知らない工藤と黒羽の関係を見せ付けられたからだと思う。 あのときの黒羽の眼。まるで、自分の方が工藤のことを知っているとでも言いたげな挑戦的な瞳だった。今は新一の相棒かもしれないが、結局おまえは彼のことを何も知らないのだとでも嘲笑うかのように。 今日は、その黒羽との新番組の収録初日。収録前に顔合わせをしたとき、工藤と並んで座る俺の顔を見て、彼はあの眼でニヤリと嗤った気がした。 苛々する。 俺は事務所に入ってまだ1年強しか経っていない。それに対し、あいつはずっとここにいたのだから工藤との付き合いも長いに決まっている。だからと言って何だと言うのだ。今の彼の相方はこの俺だ。今、工藤と一緒にいるのはこの俺なのに。 優越感に浸ったような、人を小馬鹿にしくさったようなあの顔が気に食わない。その上、何かと言うと工藤にちょっかいを出す。収録中もやたらと工藤に絡んでいた。 視聴者を楽しませるのが目的のバラエティとは言え、あれは明らかに絡み過ぎだ。俺は恐らく、その度に面白く無いというのが顔に出ていたのだろう。ディレクターやらプロデューサーやらに注意された。そんな仏頂面をするな、と。 でも、目の前であんな見せ付けるようなことされて笑えるわけがない。多分、そこら辺がまだプロとして未熟なのだと思うけれど、工藤も迷惑そうであっても心から嫌がっていないようだったのも癇に障ったのだ。 まるで、工藤の元カノに遭遇したかのような心境…。 (……は?カノジョ…やと…?アホちゃうか、俺…) 何を考えているんだ、俺は。工藤は男で、俺も黒羽も男じゃないか。それに、工藤のことは好きだけど、それはそういう意味での好きでは無い…はずだ。黒羽はどうだか知らないが。 (あ〜〜〜もうっ!!何やねん、一体!!) グシャグシャと頭を掻き乱し、ハァ…と深い溜め息を吐く。どちらにしても心が狭すぎる。別に、どうだって良いではないか。工藤のことなのだから、俺がとやかく口出し出来ることでも無い。第一、工藤とはプライベートでの関わりがあまり無い。工藤の交友関係だって、よく知らないのだ。俺は彼の相方でしかないのに、こんなことを思うなんてどうかしている。 何だか急に力が抜けてしまってテーブルに突っ伏していると、突然後ろから肩を叩かれた。驚いて座っていた椅子から落ちそうになる。どうにか踏み止まって引っくり返ることを免れた俺は、恐る恐る振り向いた。テレビ局の中にあるこの喫茶店には関係者しか入れない為、お昼時にも関わらず人気は疎らだ。こんなところで俺に話し掛けて来る人も珍しいと思いながら向けた視線の先には、見知った子どもの姿。 「あ〜…何や、コナンかいな……ビビッたぁ〜……」 胸を押さえて息を吐くと、あいつは俺の目の前の椅子を引いた。ちょこんと腰掛ける。 「よ、お疲れ」 「おう。自分、どないしてん?撮影か?」 メニューを差し出しながら聞く。小さな彼を見ると、どこかホッとしている自分を感じた。 「まぁな。来月から始まるドラマの撮り。おまえは?」 「今度、レギュラーやることになってな。その収録や」 「へぇ〜、良かったじゃん。…新一兄ちゃんは?」 ウェイトレスが水を持って来る。彼女に愛想良く笑ってナポリタンとコーラを頼んでから、コナンは椅子に凭れて辺りを見回した。 「あいつやったら、ここ来る途中で顔見知りのスタッフに捉まってな。まだ話してるんちゃうか?」 カレーを口に運びながら答える。だが、コナンはそんな俺をじっと見つめた後、ふいっと視線を外して鼻を鳴らした。 「ふーん………で?」 「は?」 問われた意味がわからず、間抜けにも口をぽかんと開く。コナンは逸らしていた視線を再び俺に戻すと真っ直ぐ見つめてきた。 「とぼけんなよ。さっき、でっかい溜め息吐いてたくせに」 誤魔化し等は通用しない、射抜くような視線にたじろぐ。手元がぶれて、スプーンで掬おうとした御飯を皿に落としてしまった。 「あ……」 「何かあったのか?」 瞳を傾げ、殊の外優しげに尋ねられる。俺は眉を下げた。 見透かされている。 相手はまだ7歳の子どもだというのに、こういうところは自分よりも余程大人に見える。 俺は何だか自分が情けなくなったが、スプーンを置くと一度唾を飲み込み、軽く息を吸い込んだ。多分、心のどこかで俺はその言葉を待っていたから。この靄ついたものが少しでも取り除けるのなら、真実を聞きたかった。 改まった風の俺に、コナンも背筋を伸ばして聞く姿勢になる。 「……おまえ、黒羽快斗って知ってるか…?」 「黒羽?……あぁ、同じ事務所の奴だろ?知ってるぜ。何度か一緒に仕事したことあるし。そいつがどうかしたのか?」 何かされたのか、と、コナンが心なしか瞳の色を強めて問い掛けて来る。 「ほんなら、Twinsっちゅー名前は?」 問いには答えずに続けると、コナンは何事か思い当たったように一瞬瞳を微かに見開いて口を噤み。次の瞬間には、背凭れに踏ん反り返って半眼で俺を見た。 「知ってるけど……何で?」 「ほな、何で解散してもうたんか知っとるか?」 思わず身を乗り出して捲くし立てると、コナンは少々困ったように苦笑した。 「Twinsって名前と、それが新一兄ちゃんと黒羽のユニットだったってことは知ってるけど……解散の理由までは知らねぇなぁ…。それって、確か2年前の話だろ?俺、まだ5歳だったし…」 「あ…そうやんな…」 あまりにも大人びているから失念していた。5歳児にそんな込み入った話がされるわけがない。 「悪ぃ…」 すまなそうに謝るコナンに慌てて首を振る。 「何でおまえが謝るんや!俺の方こそ、こないなこと聞いてもうてすまんかったな」 コナンの頭に手を伸ばして撫でる。出来るだけ優しく言ったつもりだったが、彼は俯くと唇を噛んだ。それに気付いて、俺は撫でていた手を離すと、テーブルの下に引っ込めて握り締めた。こいつが悪いわけじゃないのに、子どもの彼にこんな顔をさせてしまった俺は本当にどう仕様も無いと自己嫌悪する。情けなさで溜め息が零れた。 何も言わず、言えずに黙っていると、コナンが注文した料理が運ばれて来た。彼は黙ってフォークを持つと、黙々と食べ始める。俺はそんな彼に掛ける言葉も見つからず、途方に暮れた思いで自分も食べかけのサラダに箸をつけた。重い沈黙の中口に入れた、ドレッシングの足りないサラダは苦くてあまり美味しくなかった。 咀嚼しながら、コナンを上目遣いで盗み見る。未だ彼の表情は曇ったまま。その罪悪感についに耐え切れず、何か言おうと口を開きかけたとき、そんな気まずい空気を一掃するような声が頭上から降って来た。その人の正体を知り、どことなくホッとして胸を撫で下ろす。 「よう、コナン。おまえもここで仕事だったんだな。どうだ?撮影の方は」 「…あぁ、なかなか順調だよ。で、昼食べに来たら服部に会ってさ、一緒に食べてたんだ」 「ふ〜ん」 互いに兄弟のいない2人だが、こうして見ると本当の兄弟のようだ。コナンは自分を機嫌良さ気に見る工藤を横目で見てから腕時計に目を移すと、ポンッと椅子から飛び降りた。 「ごちそうさま。じゃあ、俺、もう時間だから行くよ」 「あぁ。頑張れよ」 工藤がコナンの頭に手を乗せてポンポンと軽く叩く。すると、コナンはその工藤の手を取り、テーブルから少し離れたところへ引っ張って行った。わけのわからない顔をしながらも、何事かと屈んだ工藤の耳に顔を寄せ、彼は何やら耳打ちをして―――。 瞬間、工藤の顔色がさっと変わり、素早く立ち上がると鋭い目付きでコナンを見下ろした。一瞬にして豹変した二人の空気に、一体どうしたのかとハラハラしながら見守っていると、睨まれた本人は、やがて不適な笑みを顔に浮かべ。ひらひらと手を振ると、振り返りもせずに店から出て行ってしまった。 残された工藤は暫くコナンが消えた入口を見つめていたが、苦々しげに溜め息を吐くと、こちらに戻って来る。不機嫌そうに椅子を引いた彼の前を、その原因を勘違いでもしたのか、ウェイトレスが血相を変えて慌てて片付け、水を差し出すと逃げるように退散する。構わず椅子にドカッと座った彼は、コップを掴むと中身を一気に飲み干した。その仕草で、彼がいつに無く苛立っていることが窺い知れる。 「なぁ…コナンの奴、何やって?」 「…………」 気になって思い切って訊ねるが、工藤は口を真一文字に引き結んでメニューに目を落としたまま、こちらを見ようとしない。テーブルに頬杖を突き、メニューを手持ち無沙汰に捲ったり端を弄ったりしている。ただ眺めているだけにしか見えない様子に僅かに眉を顰めると、工藤はパタッとメニューを閉じた。 「おまえのそれ、何?カレー?」 俺の空になった皿を指差す。 「え?あ、あぁ…そうやけど…」 「じゃあ、俺もそれにしよ」 そう言って水を注ぎに来たウェイトレスに注文すると、彼はメニューを元の場所に戻した。はぐらかされた気がする。 「おい、工藤…」 痺れを切らして再度口を開くと、工藤は腕を組んで椅子に凭れ掛かった。視線を窓の外に流す。面白く無さそうな表情でボソリと呟く。 「おまえさ…快斗のこと気になるのか?」 「えっ…!な、何でやっ!?」 思いもしなかった言葉に動揺してどもってしまった。工藤がちらりと視線を寄越す。 「いや……さっき、コナンがそんなこと言ってたから…。おまえが、何か落ち込んでるみたいだって…」 「…………」 (あいつめ…) 俺は心の中で舌打ちをした。これは俺の問題で、工藤には関係の無いことなのに…。 黙り込んだ俺をどう思ったのか、工藤が姿勢を正して向き直る。 「何でだよ。何で、快斗のことでおまえが落ち込むわけ?何で、コナンに言って俺には何も言わねぇの?おまえは俺の相棒なんだぜ…」 問い詰めるような口調とは裏腹に、瞳はいつもの力強い光を失って伏せられる。 「…言ってくれよ、何でも。おまえが何に悩んでいるのかとか全部教えて欲しい。この先、一緒に活動していくんだから、もっと俺を頼れよ」 「Twinsみたいに解散せんように…か?」 「え?」 工藤が伏せていた瞳を丸くして俺を見る。呆気に取られたように、ぽかんと見つめてくる。そんな彼に、今度は俺が俯いた。 「……言えるわけないやろ、そんなん…格好悪ぅてかなわんわ…。…そうや、おまえの言う通り、今のおまえの相方は俺やのに…。俺、おまえのこと何も知らんって思い知らされたんやで?そら、落ち込みたくもなるやろ。しかもあいつ、妙におまえにベタベタしよるし……」 ずっと悶々としていた心の内。言いたくても言えなかったことが堰を切ったように溢れ出す。もう、自分で何を口走っているのかわからない。頭の端の冷静な部分だけが、自分の台詞を分析して焦る。 (何を言うてんのや、俺は…!これやったら、まるで嫉妬しとるみたいやないか…ッ!!) けれども、一度口をついて出た感情は止められなかった。 黙って俺の話を聞いていた工藤の唇に、ふっと小さな笑みが浮かぶ。 「…なんだ、そうか……ただのヤキモチか…」 言いたいことを吐き出して一息吐いた俺は、ふと零れたホッとしたような声音を耳にして、かぁ…っと顔に血が上るのを感じた。 彼が言い放った言葉は、まさに先程自分の脳裏を掠めたもので。狼狽える。恥ずかしさに彼の顔を真っ直ぐ見られず瞳が泳ぐ。 「ヤ、ヤキモチって……っ!!お、俺は、ただ、おまえの相方としてのメンツをやな…っ」 赤面して必死に言い繕う俺に、工藤は素直じゃねぇな…とか何とか呟いて。そして、少し逡巡するように瞳を彷徨わせた後、コホンと小さく咳払いをした。拗ねたように頬を掻く。 「あ〜…その……もし気になるんなら、Twinsのこととか教えてやっても良い、かな…」 瞬時に反応して勢い良く顔を向ける。 「ホ、ホンマか!?」 「あ、あぁ…」 バンッとテーブルに両手を突いて迫った俺に、工藤は驚いたように些か体を引きながらも頷く。俺は両手をきつく握って拳を作った。次第に動悸が激しくなってくる。緊張して乾いた唇を何度か舐めた。 「ほんなら……解散の理由教えてや。何で、あいつとグループ組んだのにすぐ解散してもうたんや?しかも、事務所はその一年後に工藤と俺を組ませるし、わけわからんやんか。それに、こないだ社長が前みたいにならんように―…とか言うとったし…あれって、黒羽のことなんやろ?」 「あ、ぁ……まぁな…」 彼が歯切れ悪く返事を返したとき、ふわりとカレーの良い匂いが鼻腔を擽った。直後にやって来たウェイトレスがその皿を工藤の前に置く。第三者の出現で、俺達は口を閉じた。 「やっぱ……その、何や……何かあったんか…?」 ウェイトレスが離れて行くのを確認して窺うように囁く。でも、それにしては黒羽と仲が悪いようにはとても見えないし、寧ろ逆やんな…等と考えていると、工藤は緩く首を振った。 「快斗と解散した理由は…あれ自体が歌手デビューを前提としたユニットだったからだよ」 「歌手デビュー?それが何で解散に繋がったんや?」 「…………」 不思議に思って首を傾げると、工藤はやはり言い躊躇われるのか一瞬口を閉ざしたが。 すぐに意を決したのか、フゥ…と大きく息を吐き、仄かに頬を染めながら人差し指のみ動かして俺を呼んだ。 俺は促されるままに椅子から腰を浮かし、顔を近付ける。工藤の端正な顔がドアップになって、思わず跳ねた心臓を彼に悟られまいと俺は耳に意識を集中させた。工藤が耳に唇を寄せ、声を潜める。 「……俺が…………だったから…」 「…え?なに?すまん…よう聞こえんかったから、もっぺん言うてや」 肝心の部分が聞き取れず、更に顔を寄せて耳を澄ます。と、突然工藤は俺の耳を掴むと小声で叫んだ。 「俺が音痴だったからだよ…ッ!!何度も言わせんな!!」 「……っ」 息が耳に掛かる。俺は彼の吐息の温もりに肩を震わせ、堪らず飛び退くようにして離れた。耳を押さえ、熱を持った顔でそろそろと工藤を見て…惚けてしまう。 そこには、羞恥に顔を真っ赤にしてわなわなと小刻みに体を震わせながらこちらを睨んでいる工藤新一がいた。 俺が茫然としていると、工藤は思い切り眉間に皺を寄せて大袈裟に舌打ちし。盛大な溜め息を吐くと頭を掻いた。 「子役の頃から青プロだってのに、それまで皆の前で歌ったこと無かったから、社長も知らなかったみたいでさ…」 そう言えば、俺がオーディション受けたときは歌を歌わされたやんな…と思い出す。 つまりはこうだ。 演技に既に定評のあった工藤の新たなセールスポイントとして、社長は彼の歌手デビューを考えた。そして、ユニット結成の発表はデビュー曲の発売ギリギリまで伏せておくつもりだったらしい。当時、それが事務所を挙げての最大のオフレコとなった。その為、ギリギリまで工藤自身にも何も知らされていなかった。 そして、ある日突然黒羽とユニット結成すると知らされ、わけがわからないまま車に乗せられたときには既に遅し。皆が密かに待っていたデビュー曲が出来上がっていた。唖然としながらそれを聴かされ、楽譜を渡されて。その上、これからレッスンだとピアノの前に並ばされ、有名な作曲家が曲を奏で始めたら今更嫌だとも言えず、やむを得ず彼は凄まじい歌声を披露することとなった。あまりのことに、作曲家はピアノを弾く手を止め、黒羽は楽譜を取り落としたと言う。その後、気を取り直した作曲家は幾日も工藤に個人レッスンをしたが改善されず、辛抱強く指導していた彼もとうとう最後には匙を投げたのだ。で、その時点ではまだユニット結成が公になっていなかったことを幸いに、この事実(新一が音痴だということ)は幻のユニットと共に封印されたのである。ちなみに、そのときの楽曲はその後黒羽が一人で出して大ヒットしたそうだ。 それにしても、作曲家やその場にいた事務所の人間は勿論、一緒にレッスンを受けていた快斗までもが、まるで魂を抜かれたようだった…と、当時を振り返った工藤は遠い目をした。 「そう言うたら……俺らはコンビ組んで何すんねやろ…?」 「……ん?」 誰に言うでもなく呟いた俺の声に、遠くに思いを馳せていた工藤が反応する。 「いや、俺ら、一緒にテレビ出たりしとるだけで、コンビ組んだから言うて、これと言った仕事はしてへんやろ?コンビ組んだ意味があるんやろか…」 「…………良いんじゃねぇの?別に。そういうのは事務所が決めることだし」 漸くスプーンを手にした工藤が興味無さそうに皿を俯く。少々冷めてしまったカレーを口に運ぶ。 「何や、えらい冷めとんな…。自分のことやで?」 「ここで俺達が何だかんだ言ったって始まらねぇよ。色々考えてるだろ、事務所だって」 「そうやろか…」 顔を少し突き出して呆れたように頬杖を突くと、カレーを黙々と食べていた工藤が一度手を止めて微笑う。口元に御飯粒を一粒二粒つけているその様は、とても17歳には見えない。ましてや、人気絶頂のタレントには。 俺は思わず微苦笑を漏らすと、手を伸ばして御飯粒を取ってやった。指についたそれを何気無く舐め取ると、目の前で工藤が微かに瞠目して顔を赤らめた。赤くなった顔を隠すように慌ててサラダボールに手を伸ばした彼の姿が、不意に黒羽に絡まれていた場面と重なった。 焦燥感が募る。体の奥で嵐が沸き起こる。 何か、2人だけで出来ることがしたい。2人でしか出来ないもの……と考えて、ふと思いついた俺は顔をパッと輝かせた。 「……あ、そうや!なぁ。歌があかんのやったら、いっそ漫才でもせぇへん?俺がボケで、工藤がツッコミなんてどうや?工藤がやる言うたら、きっとウケるで!」 人差し指を立てて自信満々に提案する。 「やらねぇよ」 が、すぐさま却下される。何を馬鹿なことを…とでも言いたげな工藤の冷ややかな態度にもめげずに、俺は尚も食い下がった。折角思いついた名案を、みすみす諦めることなど出来ない。事務所だって、話題性があるものには乗ってくれるかもしれないとか、甘い考えも頭を過ぎる。 「いやいやいや、そない謙遜せんでもええって」 「謙遜してねぇよ」 「ほら、工藤って何やかんや言うても結構絶妙なツッコミするし、イケるで」 「だから、しねぇっつってんだよ!聞けよ、人の話をよー!!」 全く話を聞かずに勝手に盛り上がる俺に、フォークでレタスを突き刺したままの状態で、彼は片眉を吊り上げてあからさまに嫌そうな顔をした。その表情に肩を落とす。 自分は大阪出身だから、漫才には親しみがあるし、出来るならやりたいとも思う。でも、工藤は東京の人だし、歌じゃなくても漫才もやりたくないのかもしれない。彼が嫌がることはしたくない。 良い考えだと思ったのになぁ〜…と残念に思いながらも、そんな実の無い言い合いを暫く続けていると。 「おぉ、いたいた!お〜い、キミ達に良い知らせがあるぞ」 不意に聞き覚えのある声が聞こえて振り向くと、阿笠博士が大きな体を重そうにしながら入口から走って来るのが見えた。工藤が腕時計に目を向け、時刻を確認してから博士を見る。 「何だよ、博士?」 俺達の傍まで来てハァハァ…と苦しそうに肩で息を吐く。どれだけ探し回っていたのだろうか。…いや、このじぃさんのことだから単に運動不足なのかもしれない…等々考えていると、ようやく息を整えた博士が内緒話でもするかのように声を潜めた。 「ついに、キミ達のデビューが決まったんじゃ!CDデビューじゃぞ!!」 「………」 嬉々として俺達の肩をバンバンと叩く。俺は呆気に取られ、ぎこちなく正面にいる工藤に目をやると、彼は茫然自失といった様子で博士を凝視していた。瞳を見開き、何か言いたげに口をパクパクさせている。言われた意味を咀嚼しきれず困惑しているようだ。それは、彼を見ている俺の方が思わず冷静になれる程の戸惑いっぷりで。 そして、数秒とも数分とも思える沈黙の後―――。 「ぇ……えぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜ッ!?」 驚愕に打ち震える工藤の大絶叫が、喫茶店内に響き渡った。 END |
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