Infinity love   初出同人誌 『Infinity love』2011.10.23






「『僕の好きな人。1年B組、江戸川コナン。僕の好きな人は、とても明るくて愉快な大阪のお兄ちゃんです。その人の真夏の向日葵を思わせる笑顔が大好きです。しかし、一番好きなところは何と言ってもお尻でしょう。あの丸くて艶やかな臀部にこの手を這わせ、恥じらう内股から余すところなく撫で回して甘く掠れた嬌声を響かせたい……』」
「ちょっと待たんかいぃっ!!」
 ランドセルから取り出した、宿題らしき作文用紙をカサカサ言わせながら読み上げるボーイソプラノを慌てて止める。タイトルと冒頭部分に思わず顔がニヤけてしまったが、続いた内容のあまりの酷さに眩暈がした。事務所の机をダンッと乱暴に叩く。
「何や、その作文っ!?そないやらしい文章書く小学1年がどこにおんねん!?」
 顔を真っ赤にして喚く平次に、コナンはわざとらしく無垢な瞳をきょとんと返して。何でも無い風に作文用紙を持ち直し、少々舌足らずを装いながら再度爆弾を投下した。
「じゃあ、『触り心地の良さそうなお尻を撫でたいです』」
「同じやろ!!」
 じゃあって何やねん!?言うてること一個も変わってへんやないかっ!!
 ぎゃんぎゃん吠える声も、耳まで赤く染めて心なしか瞳を潤ませた状態では可愛らしいだけだ。
 コナンはクッと口角を吊り上げると、心底楽しそうに目を細めた。
「バーロー。マジでこんなの書くわけねぇだろ」
「いーや!おまえやったらやりかねへんっ!!」
 今ここで書き直せと言わんばかりに小さな掌から紙を取り上げる。そうして表を返した平次は、途端に不機嫌そうに眉を顰めた。
「……何やねん、これ」
 低く呟き、コナンの鼻先に用紙を突き付ける。そこには、タイトルと名前の他は何も書かれていない真っ白な紙面が広がっていた。
「上手い具合いに纏まらなくて、まだ書いてねぇんだよ。今みたいのならすぐ書けるんだけどなぁ…」
「………」
 悪びれた風でも無く返された返答に、平次の唇が徐に引き結ばれる。眉間を寄せて逸らされる視線が、あからさまに面白くないとでも言いたげだ。
「なぁ、どんなこと書けば良いと思う?テーマは『私の好きな人』」
「知らん」
 素っ気なく突き離してそっぽを向く。完全に拗ねた態の平次にコナンは唇を尖らせた。
「んだよ。ちょっとは一緒に考えてくれても良いだろ?さっきは小1の書くことじゃねぇとか言ったくせに」
「当たり前やっ!!あんなん書かれて堪るかっちゅーねん!!」
「だったら、何て書けば良いか案出せよ」
「知らんわっ!!自分で考えたらええやろ!?毛利のねぇちゃんのええトコなん俺より知っとるやんか!!」
「……何でそこで蘭が出て来るんだよ?」
 カッと勢いよく振り向いた瞳を静かに見返すコナンと目が合った途端、強気だった双眸は瞬く間に力を失った。叱られた犬のように、徐々に顔が俯いていく。
「何でて……せやかて、好きな人んこと書くんやろ?そんなん、あのねぇちゃんしか…」
「おまえ、バカ?さっきの俺のエア作文聞いてなかったのかよ?俺は、『好きな人はとても明るくて愉快な大阪のお兄ちゃん』って言わなかったか?」
「……っ!!」
 コナンの言葉に平次が目を瞠る。項垂れていた首を前に突き出した中途半端な態勢で大きな瞳を更に大きく見開いた彼は、まるで信じられないものでも見ているようだ。口を半開きにして茫然としている。
 コナンは苦笑を零すと、椅子の上に立ち上がって平次と正面から顔を突き合わせた。
「おまえは本当にバカだよな…」
「そ…、そんなんウソやろ…」
「何でだよ」
 吐息混じりに紡がれた科白に呆れたように肩を竦め、後頭部に腕を回すと額をくっつける。間近で揺らめく瞳に笑んで見せれば、大粒の宝石が微かに滲んだ。何かを耐えるように唇を噛み、目を眇める。その一部始終を、コナンは至近距離から黙って見据えていた。
「あのさー……俺、何回も言ってるよな?おまえが好きだって。それなのに、おまえはまだ不安なわけ?」
 言葉だけでは足りないのかと瞳を傾ける。平次は口を噤んだまま視線を落とした。



 平次が、蘭に対してどこか引け目を感じているのは知っていた。それは、この想いを告げる前からずっと。コナンが工藤新一に戻ったら、自分の居場所など無いとでも彼は思っているのだろうか。新一と蘭の間に入り込む余地など自分には無いと…身を引くのは自分だとでも考えているのだろうか。
 蘭は新一にとって掛け替えの無い幼馴染みだ。確かに以前は蘭に淡い感情を抱いていたし、向こうも同じだったと思う。けれど、子どもの姿となった新一が自分の無力感に苛まれ、苦しんでいるときにいつも傍にいてくれたのは、蘭ではなく平次だった。包み込むような明るい笑顔は幾度となくコナンを励まし、そして救ってくれた。
 心身を締め付ける枷が和らぐようだった。本音で語れる同志。平次といるときだけは十七歳に戻れる安堵感。そんなことを繰り返していく内に、コナンは次第に平次に惹かれていったのだ。そして、絶対的な信頼と共にあった友情が恋愛感情に変わるまでに大して時間は掛からなかった。


 それからは、新一を想って泣く彼女に感じる多くは罪悪感だった。煮え切らずにずっと待たせている自分と、薄情にも心変わりしてしまった自分。こうなってしまった以上、彼女をいつまでも待たせておくわけにはいかない。だから伝えた。新一の声で、待っていてくれと言って悪かった――…と。新一にとって、それは今、蘭に示せる精一杯の誠意であったが、幾ら取り繕っても彼女のこれまでの想いや捧げてくれた時間を裏切ったことには変わりなく。何て身勝手で都合の良いことを言っているのかと、携帯を片手に自己嫌悪に陥ったりもした。
 責められるだろうと覚悟していた新一に対し、しかし、意外にも彼女は泣かなかった。責めることも無く、ただ静かに了承する声だけが耳を打つ。電話を切り、探偵事務所へと戻ったコナンはそっと彼女の部屋を窺って見たが、彼女に別段変わった様子は無かった。寧ろ、机に置いた携帯を見つめる横顔がどこかスッキリしたようにも見えた。
 彼女が新一と実質離れ離れとなって、どれだけの月日が流れただろう。会えなかった空白の時間は、甘酸っぱい想いで繋がっていた心を、本人ですら気付かない程ゆっくりと離れさせて行くのには十分過ぎたのかもしれない。彼女が辛いときでさえ、新一として傍にいてやれなかった。自分には平次がいてくれたと言うのに、心配させまいと強がる彼女には何も出来なかった。
 いつしか蘭が新一を待つのは義務のようになっており、それが新一の一言で解き放たれて、大切な「幼馴染み」という位置にすっぽりと納まったのだと理解した。


 もし、新一がコナンにならずにいたならば。順調にいけば、いずれきっと二人は付き合っていただろう。
 彼女の気持ちを知っていたにも関わらず、実らなかった恋。長い間彼女を待たせた挙げ句、最終的にこのような結末となってしまったのは、全て自分自身の軽率な行動と我が儘が招いたものだと顧みる。ただ、別れを告げた電話の後に見た彼女が、まるで肩の荷が下りたように吹っ切れた顔をしていたのがせめてもの救いだと感じた。
 彼女にはどうか幸せになってほしい。それは、昔から変わらぬ新一の願いだった。以前思い描いていた未来予想図とは変わってしまったけれど…。



 そこまで考えて、コナンは未だ下を向いている平次に意識を戻した。
 もしかしたら、平次は弱みに付け込んだとでも思っているのかもしれない。彼女から工藤新一を奪ってしまったと…本来自分がいるべきでない場所にいるという背徳を感じて。コナンが新一に戻った暁には、何だかんだで元の鞘に納まる、彼はそうどこか確信めいたことを考えているのだ。
 だから、平次はコナンの言葉に易々と頷かない。頷けない。事ある毎に蘭の名前が口をついて出るのもそのためだ。自分に対して好意を表してはいるが、心の奥底では新一がまだ彼女のことを想っているのだと思い込んでいる。何度違うのだと言っても、平次の態度はなかなか変わらなかった。
 コナンは小さく溜め息を吐く。好きな相手に信じてもらえない悲しさと虚しさが胸を衝いた。両想いなのは明白。だが、頑として首を縦に振ろうとしない彼に、もしや自分一人で舞い上がっていたのかと一抹の不安が過った。
「おまえはさ、いつになったら俺の気持ちを信じてくれるんだ?それとも、俺とそういう関係になりたくねぇってことなのか」
 それならキッパリ言ってくれと眼差しをきつくする。平次は驚いたように慌てて顔を上げた。
「ち、ちゃう…!そないなわけと違て…」
 力一杯否定しておきながら、すぐさま失速する。徐々に萎んでいく声と困ったように八の字になる眉を眺めながら、コナンはせっかちに追及したいのをグッと堪えて彼の次の言葉を待った。戸惑い彷徨う視線が、一瞬コナンに向けられてまた逸らされる。それでも辛抱強く待っていると、やがて平次がポツリと口を開いた。
「……俺、おまえんこと好きやで。おまえに好きやて言うてもろてごっつ嬉しかったし、赦されるんやったらずっと一緒におりたいて思う」
「だったら、どうして俺を信じねぇんだよ!?」
 思わず苛立って語調を荒げる。そこまで思っているくせに頑なに受け入れないのは何故なんだ。平次がやんわりと首を振った。
「信じてへんのとちゃうねん。…あぁ、けど、同じこっちゃな…。俺は怖いんや……おまえを受け入れたら、俺はきっとおまえから離れられへんようになってまう。もし、おまえがあのねぇちゃんトコ戻りたい言うても、離されへんようになってまうから…」
「それで良いじゃねぇ…」
「良ぉないわ!せやかて、俺の我が儘でおまえんコト縛り付けてまうねんで!?おまえの意志も無視して…っ」
 そこで詰まる。コナンは大袈裟なまでに大きく肩で息を吐くと、平次から身体を離して、らしくなくグルグルしている彼の額を人差し指で弾いた。
「…ッタ!」
 いきなりデコピンされて涙目になった平次が、何をするんだとばかりにコナンを睨む。コナンは、ムッと剥れる平次に構わずしゃがみ込むと、椅子に座り直した。偉そうに腕を組んで背凭れに身体を預ける。
「ったく、何をごちゃごちゃ考えているのかと思えば…。おまえらしくねぇだろ。大体、おまえが今まで俺の意志を尊重したことがあったか?いつもこっちの都合も聞かずにやって来ては色んなことに巻き込むくせして、今更何言ってんだ」
「そ、それとこれとはちゃう…っ」
 咄嗟に反論しようとした彼を遮ってビシッと言い放つ。
「同じだよ。だって、結局おまえは俺に会いたくてココに来てんだろ?こっちの予定を確認する余裕すら無く、とにかく俺に会いたい一心で、わざわざ大阪から来るんだろ?だったら、これから先も俺を振り回す勢いで突っ込んで来りゃ良いじゃねぇか。何も変わらねぇよ。寧ろ、どんと来いってんだ」
 幼い胸板を拳で軽く叩いて笑って見せる。コナンを見下ろす平次の瞳が、額の痛さとは別のもので僅かに揺れた。力無く両手を机に突き、苦しそうな顔を伏せて拳を握り締める。
「俺……俺…アカンねん…。気付いたらおまえんことばかり考えとる…。自分でもブレーキ効かへんねん…っ」
 この気持ちの底が見えない。彼に近づけば近づく程、彼を知れば知る程、増幅していく想い。彼を独占したくて、いつだって真っ直ぐに澄んだ綺麗な瞳に自分を映してほしくて。どんどん貪欲になっていく。知り合った頃よりも今、今よりも未来。彼を手に入れたら、一体どうなってしまうのか。この想いの行き着く先がわからずに打ち震えた。

 ―――彼が彼女の元に帰りたがっても、もう手離すことは出来ない――…。

 落とした視線の先には灰色の事務机。すぐ傍でコナンが身動ぎし、机に片肘を突いたのが視界の端に映る。そうして、フッと小さく笑う気配がした。
「…バーカ。ブレーキなんていらねぇよ。ちゃんと受け止めてやっから、全力で突っ走って来い」
 その代わり、俺もブレーキ効かないからおまえも受け止めろよな!と不敵に告げる声色がとても楽しそうだ。
 平次がそろそろと目を上げれば、間近に見た彼は思いの外穏やかな顔で平次を見ていて。何とも言えない気恥かしさに瞬時に顔が熱くなった。
「わかったか?」
「………」
「わかったのか?」
「……おう…」
「よし」
 しつこく返事を求める彼に押され、若干躊躇いつつもとうとう首肯した平次を見て、コナンは満足そうに微笑んだ。
「んで、作文の続きだけど。どう書いたら良いと思う?」





 ずっと何度も何度も繰り返し投げ続けて来た想い。それが今、やっと相手の心に入った。


 ―――あぁ…俺、死にそうなくらい幸せだ。







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