初出同人誌2001.12.29

 一方、車を喜多見方面へと走らせていた新一はいつになく緊張していた。
 自分の取りたい行動はわかっているが、平次は果たして自分と話してくれるのだろうか…。
 車は以前に二度だけ走ったことのある道へと入って行く。最初に通ったときは、ただ平次への復讐のことしか考えていなくて、二度目に通ったときは、自分の行動に対する嫌悪と後悔の念に苛まれていた。
 あと一つ、角を曲がれば平次のマンションが見えてくる。
 新一はまだ少し躊躇いながらも、深夜で空いている道にエンジン音を轟かせた。
 数分後。平次のマンション前に到着した新一は、先日止めたところと同じ場所に車を停車させた。エンジンを切ってから大きく伸びを一つし、シートベルトを外す。
 頭の中で、あれこれとシュミレーションしてみた。
 彼の部屋に行って、会ったらまず何て言おうか。何と言って話を始めようか。
 でも、正直、今更何と言って、どんな顔をして彼に会えば良いのかわからない。格好良い言葉なんてものは浮かぶ筈も無くて。
 それでも、自分が一歩踏み出さなければ何も変わらないことは確かだ。前進するには、今行動するしか無い。
 新一は意を決するように息を大きく吸ってから車を降りた。夏が近いとは言え、まだ夜風は涼しい。風が肌に心地よくて、新一の気分は幾分か落ち着いてきた。
 マンションの玄関に辿り着く。頭の片隅に引っ掛かっていた暗証番号を、新一は一つ一つ確認しながら押していった。ピッと小さな電子音がしたかと思うと、玄関のロックが解除されたことを示すライトが青く点灯する。
 新一はまるで運命の扉を開くように、ゆっくりとそれを押し開いた。







 誰も利用者のいないエレベーターは、あっという間に四階に着いた。静かな廊下。
 新一は腕時計に目をやって時刻を確認する。もう午前二時を過ぎていた。
 寝静まったマンションの中でも、ここは学生マンション。幾つかの部屋の前を通り過ぎると、中から明るい笑い声が聞こえてきたりする。
 楽しそうな声に、新一は思わず足を止めて見知らぬ住人のドアを見つめた。知らぬ内に嘗ての自分達の姿を思い起こし、瞳に懐かしさと羨望の色を滲ませた彼だったが、すぐに振り払うかのように首を振る。ふぅ…と溜め息を一つ漏らすと再び足を進めた。そして、今度こそ目的の部屋番号を確かめて立ち止まった。
 チャイムを押そうとした指が止まる。
 さっきまでとは違う、考えてはいなかった不安が突如新一の脳裏を掠めた。
 流石にこんな時間の来訪は非常識ではないか。もう寝ているのではないか。それを起こしては、不快感を抱かせるのではないか。
 けれどもそこまで考えて、新一は思い直した。もう、嫌な思いは充分させているのだから。これ以上どう思われても同じなら、ここで迷う必要は無いではないかと自身を奮い立たす。
 新一は身体中の力を抜くように深呼吸をし、思い切ってチャイムを鳴らした。
  ピンポーン
 軽く柔らかい音が部屋の中でこだまする。暫く待って、返答が無いのを確かめてからもう一度鳴らした。
  ピンポーン
 また暫く待っていると、中で人の動く気配がし始める。かと思うと、寝惚けたような平次の声がインターフォンから返ってきた。
「……はい?どちらさん?」
 ちょっと怒っているような彼の声。
 新一は緊張で引き攣る顔を両手で軽く叩き、努めて冷静な声を出した。
「……俺、だけど…」
「ん〜…?俺だけどぉ〜?……って…………えぇぇっ!?」
 一瞬、誰かわからなかった平次は不機嫌な声で新一の台詞を繰り返したが、聞き覚えのある忘れられないその声の主にハッとして一気に目が覚めたらしい。慌てふためき、新一が何のために来たのか予想も出来ずに混乱しているようだ。
「……あのさ…こんな時間に締め出し食らってるのって辛いからさ……出来れば、中に入れてもらいてぇんだけど……」
 新一にそう言われて、平次は我に返った。素早くインターフォンを切るとドアまで急ぐ。ドタバタという彼の足音が外にいる新一にも聞こえてきて、思わず彼の口元に小さな笑みが浮かんだ。
 ガチャッと施錠が解かれる音がして、恐る恐るドアが開く。隙間から平次が顔を覗かせた。
「……よぉ。入っても良い?」
「うぇ?あ、……あぁ…えぇけど……」
 昨日、店で偶然出会ったときと同じく、平次はこの上なく動揺しているようだ。戸惑うような視線は定まらず、宙を彷徨う瞳の動きと色合いが今の彼の心理状態を克明に物語っていた。
 新一は、平次が開けてくれたドアから遠慮無く中に入った。この部屋に入るのは二度目になる。
 未だ、玄関のところに取り残されて茫然としている平次に構うことなく、新一は奥へと進んで行く。前に入ったときよりは幾分片付いてはいる部屋の様子に、新一は先程蘭が訪れたということを思い出した。子どもっぽい感情が僅かに頭を擡げる。
 新一はようやくのろのろと部屋に入って来た平次に向かい合うように座ると、立ち尽くしている平次を見上げた。
「どうした?立ってないで座れよ」
 自分の家でもないのに、自分の前の床をポンポンと叩く。平次は言われた通り、新一から少し距離を置いてしゃがみ込んだ。だが、やはり落ち着かないのか、何度か身動ぎを繰り返す。
「…あ、何か飲み物でも……飲む?」
 一度座ったかと思うと、そう言ってまた立ち上がろうとする。確かに、このまま二人を隔てるものも無い部屋の中では気まずいかもしれない。
 新一がこくりと頷いたのを見て、ほっとしたように平次はそそくさとキッチンへ消えて行った。
「コーヒーでええ?」
「あぁ」
 カチャカチャという音がして、暫くするとトレイに二つのコーヒーカップを乗せた平次が戻って来た。数時間前と同様に、彼は一度トレイをナイトテーブルの上に置き、折り畳み式のテーブルを出した。カップを新一の前に置くと、自分も向かい側に再び座る。脇に置いたトレイを弄りながら、新一の様子を窺った。
 沈黙が辺りを支配する。静かな部屋には時計の音と、二人がコーヒーを飲む音しか響いていない。
 平次がその沈黙に耐えられなくなってきた頃、黙ったままコーヒーを飲んでいた新一がポツリと呟いた。
「今日は、おまえと話をしようと思って来たんだ。こんな時間にごめんな」
「えっ。あ、いや、別にええで……。話…って……?」
 平次が慌てて返事をする。いつになく狼狽えてしまい、声が少し掠れた。
 また暫しの沈黙。
 どう切り出せばいいものかと迷いながらも、新一は平次の顔を見つめた。真っ直ぐに見つめられた平次は、何を言われるのかという不安と、それとは別に生まれた熱で鼓動が早まっていった。
「あのときのことで…」
 やっと口に出した言葉に、目の前の平次が怯えたような顔をする。新一は焦って首を振った。
「いや、そういうことじゃねぇよ。ちょっと……確かめたいことがあるんだ」
「……確かめたいこと……?」
 平次が新一の言葉の端を繰り返す。新一は黙って頷くと、真面目な顔をして言った。
「おまえの気持ちを確かめたいんだ」
「俺の………気持ち……」
 平次は俯く。新一に言いたいことは沢山あった。それを彼に伝えられたらどんなに良いかと。そのときをずっと待ち望んでいた。
 新一は尚も続ける。
「あのとき、どうしてあんなことをしたのか。あれから俺達の関係は狂ってしまったから、俺も考えてみた。でも、出て来る答えはすべて俺の想像でしかない。だから、ちゃんと真実を知りたいと思ったんだ」
 淡々とした新一の口調は彼の心をそのまま表しているようで。彼の苦しみや悲しみを、平次はひしひしと感じた。
「本当は俺、おまえにあんなことしてから、もう二度とおまえには会わないでおこうと思ったんだ。会うつもりもなかった。これ以上傷つくのならば、金輪際会わない方が良いんだって。おまえのことも含めて、あの出来事を全部忘れようと思った。……けど、昨日、あの店でおまえに会ってしまった…」
「…………」
 平次は何も言わない。新一は、蘭の言葉が本当ならばベクトルはこちらに向いていると信じていた。それは既に確信に近かった。
「もう、運命だと思って観念したよ。おまえがあの店で働いていたのも、蘭が俺を誘ってあの店に行ったのも、全部運命だったんだ。もう一度、俺達は会わなくちゃいけなかった」
 俯いたままだった平次が、ゆっくりと顔を上げる。瞳は揺れて潤んでいた。
「………くどう…」
 微かな声で、囁くように平次が呼ぶ。久しぶりに聞く彼の独特の呼び方に、新一は心地よさを感じた。
「だから……きちんと話そう。俺はおまえの本当の気持ちが知りたい。どうして、あんなことをした……?」
 新一の穏やかな声に、平次が堪らずしゃくり上げる。堪えていたものが、堰を切ったように溢れ出した。
「俺…おれ…っ……、あん時おかしかってん。ホンマ、ごめん。ごめんなぁ……」
「落ち着けよ、服部。それじゃあ質問の答えになってないだろ?」
 新一は平次の隣に移動すると、震えている彼の肩を抱いてやる。落ち着くようにと背中を擦る。
 自分を憎んでいたはずの彼が、何故こんなにも自分に優しくする…?
 平次は、先日とは全く違う彼の行動に戸惑ったが、一生懸命気持ちを言葉にした。
「こんなん言うてもおまえ……困るだけやって思うけど……」
「うん。いいぜ。言えよ…」
 平次の耳元に囁く。
 平次は耳に掛かる彼の吐息に思わず身体を震わせると、ゆっくりと口を開いた。
「……俺………おまえが好きやねん……」
「…………」
 背中を擦っていた新一の手が止まった。
 あぁ、やっぱりなぁ…と思いながら、平次は自嘲気味に小さく笑った。
「あん時…おまえ、調子悪かったっちゅーのに……抑えがきかんようなってしもて……。ホンマに、ごめんな。取り返しのつかへんことやけど…今更言うても遅いけど…ずっと謝りたかったんや」
 平次が話し終わっても新一は相変わらず黙ったままで。
(今度こそ、おしまいやな…)
 何とも言い難い感情に瞳を歪めて俯く。
 けれども、このまま新一に肩を抱かれていたらまた自分の抑えがきかなくなるような気がして、平次は新一から離れようと彼の身体を押した。
「軽蔑したやろ?」
 下を向いたまま、哀しそうな笑みを浮かべて平次が完全に新一から身体を離した途端。
「!?」
 再び引き寄せられ、彼の胸の中に強く抱き締められた。何が起こったのかわからない平次の頭上から声が降って来る。胸に顔を埋めているため、そこからも彼の声が響いた。
「ばかやろ……」
 喉元から搾り出すような苦しげな声。
 新一は平次の身体を掻き抱くように抱き直して彼の髪に頬を寄せた。愛しむように髪を撫で、指を絡めては離す。
「おまえ…俺の気持ちも知らねぇで、勝手に突っ走りやがって……。あの時、俺…嫌がったのに……っ」
「うん…そうやんな……」
「俺がどんな気持ちだったと思ってんだよ…」
 新一の声が震えている。
「あの時、酷い嫌がらせをされてんだと思った。…知らない内におまえに嫌われていたんだ…って……。でも、俺の認めた奴が…俺の想っていた奴がそんなことするなんて……信じたくなくて……っ…。 俺、俺の中のおまえを壊したくなかったんだ。それに、そんなに嫌われていたんだって思いたくもなくて……だから、すげぇ必死で、おまえに対する想いも忘れようとしたんだぜ……」
「え……?」
 思わぬ新一の言葉に、平次が驚いたように顔を上げる。見つめた先の新一の顔は涙で濡れていた。静かに頬を伝う涙があまりにも綺麗で、平次は不謹慎だと思いつつも見蕩れてしまう。そして、次の瞬間、我が耳を疑った。
「……俺も……ずっと…好きだったんだよ……」
 夢なのではないかと思った。平次は大きく瞳を見開く。
 そんな信じられない告白の後、新一は平次を抱いていた腕を緩め、手を両肩に滑らせて軽く身体を離した。惚けている平次を正面から見つめる。平次は揺れる瞳で見つめ返す。
 やがて、新一の顔がゆっくり平次に近付いていき、平次は思わずぎゅっと瞳を瞑った。唇に触れた柔らかな濡れた感触に、平次は自分の身体が熱くなっていくのがわかった。
 何度か触れたことのある新一の唇。数回軽く触れてから、徐々に角度を変えて深く合わさってくる。息苦しさに平次が僅かに開いた唇の隙間へ新一はすかさず舌を滑り込ませ、彼の口腔内を貪る。
「んっ……っ…」
 舌をあっさり絡め取られて、平次は喉から声を漏らした。リアルな彼の体温に頭がぼぉーっとしてくる。
 音を立ててやっと唇が解放され、離れた互いの間を銀糸が繋ぐ。
 顎を伝うどちらのものとも言えない唾液を急いで拭った平次は、至近距離でその様子を見つめる新一と目が合った瞬間、ぼっと音がしそうなくらい顔を真っ赤にさせて俯いた。心臓が壊れそうなくらいバクバクいっていた。
 新一は小さく笑うとまた下を向いてしまった平次に腕を伸ばし、再度その胸に閉じ込めて静かな口調で話し出した。
「もっと早く、おまえが後悔しているとわかれば良かった。見抜ければ良かった。……何で…何で、何も知らないあいつが見抜けて、俺は…見抜けなかったんだろうな……。本当、探偵失格だよな…」
 そんなことを言う新一に、不意に何事か思い当たった平次がますます顔を上気させる。恐る恐る訊ねる。嫌な予感がする。
「……な、なぁ……その、あいつって、まさか……」
 情けない顔で自分を見上げる平次に新一は笑って。
「女の勘って凄いな」
 自分の予感が外れていなかったことを知り、見る見る内に平次は羞恥で頬を染めて顔を逸らした。
 何となくおかしいとは思っていた。彼がこの部屋を訪れたときから、偶然にしては出来すぎていると。
 この部屋を去った後、蘭は新一と会って色々話したのだろう。…ということは、当然、彼女の前で泣いたことも新一は知っているはずで……。
 平次はあまりのことに頭痛がしてきた。
 それに比べて、新一は何ともすっきりした顔をしている。長い間胸の奥にあった蟠りが消えて気持ちが軽かった。新一は頭を抱えている平次の顔を両手で包むと上を向かせ、額にチュッと軽くキスをした。
「でも……蘭のおかげで俺はここに来る勇気が出た。おまえに会って、ちゃんと話をしようって思えたから……」
 きっと、彼女の助言が無ければ自分はずっと平次に会えなかっただろう。一生失った悲しみを背負って生きていかなければならなかったに違いない。
 新一は幸せそうに平次の首筋に顔を埋める。彼の熱を、早い鼓動を直に感じられることが堪らなく嬉しかった。
 そして平次もまた、甘えるような新一の行動に顔を赤らめながらも幸せだった。暫くそのまま抱擁を続ける。
 と、新一の温もりが心地よくてうっとりと瞳を閉じた平次を上目遣いで見上げた新一が、不意に意地の悪い笑みを浮かべた。
「あと、言っとくけど。こんなこと言ってても、俺はまだおまえを許したわけじゃねぇからな」
 自分が平次にしたことは棚に上げて、いけしゃあしゃあとのたまう。それを聞いた平次はビクッと肩を震わせた。瞳を開き、不安そうな顔でそろそろと新一を見下ろす。
「……ど、どないしたら、許してもらえるんや…?もう、無理なんか……?」
 しかし、今にも泣きそうな彼の表情に新一は柔らかく微笑みを浮かべて。
「……そうだな…。じゃあ……今度は、ちゃんと気持ちの通じ合ったことがしたいな?」
「?」
 きょとんとしている平次を抱き締めながら、フローリングに優しく押し倒す。そこで新一の言った意味を理解した平次は、期待と羞恥に頬を染め、瞳を潤ませて新一を見つめた。
 覆い被さってきた彼の首に遠慮がちに腕を回す。
「ホンマに……これで許してくれんの……?」
 平次の腕に引き寄せられるままに、新一は彼の頬に口付けを落とした。
「…あぁ。もう…いいから……。おまえの気持ちはよくわかったから…今まで離れていた分を取り戻したいんだ。……だから」

 ―――ずっと、一緒にいよう。

 そう囁いた新一に、平次は満面の笑顔で応えた。





 擦れ違ってばかりいた時間に別れを告げよう。苦しんでいたあの頃の記憶を心の奥底に仕舞って、狂っていた歯車を噛み合わせる。それは以前と同じものではないけれど、それは修復するのではなく、新しく作り上げていくものだ。
 もう二度とあの頃には戻れない。後戻りは出来ないから。
 だから。
 これからは違う形で歩いて行こう。二人で手を取り合って、果てしない道を歩いて行きたい。





 窓の外はもう白み始めていた。けれども、ここは時が止まったようで。
 今までの苦しみを溶かすように。
 閉じ込められた部屋の中で、二人は時間も忘れて互いを確かめ合っていた。

 これから幸せが訪れますようにと心から祈り、揺ぎない二人の絆だけを信じて。





END


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