Puzzle   初出同人誌2010.5.3






 飛行船から降りて来る彼を見て、最初に思ったのは、痛々しいな…ということだった。




 頭に巻かれた真っ白な包帯。小さな身体の至るところにある傷跡。
 思わず目を眇めた俺に気付いた工藤は、何でもない風に笑ったけれど。


 疲れているだろうに、約束通り律儀に俺の家について来た工藤は、流石に限界だったのか、俺の部屋に入るや緊張の糸が切れたみたいに布団に倒れ込んでしまった。
 額の傷も幸い掠り傷で思ったより大したことがなかったらしく、そして何より、俺の両親に余計な心配をかけまいと、家に着く前に仰々しいとでも言わんばかりに包帯を外した彼。今は、前髪が揺れた拍子に少し大きめの絆創膏が見える程度。
 規則正しい寝息に安堵する。飛行船から放り落とされたと聞いたときは、肝が冷えて生きた心地がしなかった。
 俺は慈しむように工藤に布団を掛け直してやると、そっと寝顔を覗き込んだ。
 そうして、ふと気がつく。
 頬に貼られたまま取り替えられなかった絆創膏に記された小さな文字。
 工藤を起こさないように細心の注意を払いながら顔を寄せ、目を凝らした俺は次の瞬間、ギクリと体を強張らせた。
 小さな小さな、よく見なければ気付かないくらい控え目な主張。
 ―――新一♥LOVE
 誰が書いたかなんて考えなくてもわかる。
 工藤の幼馴染みの彼女はこういった内容を大っぴらに書くような子ではないから、大方、彼女の親友が揶揄い半分に書いたのだろう。
 それは良い。問題はそこではなくて。


 今更だが、あの綺麗な彼女の想いを皆が知っているということ。
 当然のこととして受け入れられている現実に打ちひしがれる。そして、それを目の当たりにする度に、工藤は俺のものではないのだと改めて思い知るのだ。


 初めからわかっていたことだ。今に始まったことではない。
 しかし、工藤と一緒にいればいるほど想いは募り、行き場を失って心の中で荒れ狂う。
 誰からも咎められない彼女が羨ましくて妬ましくて――……そんな風に思う自分が、どうしようもなく哀しくなる。



 どんなに望んでも、どれ程強く想っても、俺では彼を手に入れることが出来ないのだろうか―――…。



 想いの強さだけなら、俺も彼女に負けてはいないのに。
 だが、だからと言って、彼が望まないのであれば、彼の幸せを奪ってまで手に入れたいとも思えない。綺麗事と言われても、俺はいつだって彼の笑顔を見ていたいから、自ら彼の幸せを壊すことなど出来ないのだ。もしかしたら臆病なのかもしれないとも思う。




 どうにも切なくなり、目を伏せてつと指先で彼の絆創膏の文字をゆっくりなぞると、俺は徐に立ち上がってシャツの中から御守り袋を手繰り上げた。
 数日前、オカンに「アンタはいつも傷だらけやから、その中に絆創膏でも入れとき」と数枚入れられた絆創膏。逆さまにすると、絆創膏が一枚に、いつかの鎖の欠片が落ちてきた。鎖の欠片だけ袋に放り入れて机の引き出しからペンを探り出し。一寸躊躇した後、絆創膏の表面に走らせる。
 小さな米粒にでも書く気持ちで一文字ずつ丁寧に書いていく。
 そうして書き終えた絆創膏を目の高さまで両手で持ち上げた俺は、様々な角度から一通り眺めてから、満足げに頬を緩ませた。
「ちょっと大きかったやろか…」
 ちまちました文字など書き慣れていないために、蘭ちゃんの絆創膏に記された文字に比べると、若干…いや、フツーに結構目立つけれど、誰に見せるわけでも無いのだから良いかと思い直す。



 工藤も大切にしている彼女。あの子には到底敵いはしないとわかっている。


 けれど。


 御守りとして持ってるくらいは許してもらえるやんな…?







   * * *





「もしもーし、工藤か?俺や、俺。今、電話大丈夫か?」
 そんな、飛行船ハイジャック事件の翌日。
 色々あって、結局俺が日本一と絶賛するお好み焼きを食べられずに東京へと帰って行った工藤に、そろそろ着いた頃かと携帯の短縮を押した。数回の呼び出し音の後に届いた、少し疲れたような声。
『…あぁ…』
「どないした?疲れた声出して。やっぱ、流石にハードやったか?」
『バーロー…腹減りすぎててテンション上がらねぇんだよ。俺、今日まだ何も食ってねぇんだぞ…』
「えぇっ?」
 話すのも億劫だとでも言いたげに漏れた言葉は溜め息のようで、吃驚した俺はベッドに腰を下ろしかけた中途半端な姿勢のまま固まった。見えるはずがないのに携帯を凝視して、遠い東京の空の下、空腹のあまりソファに突っ伏している工藤の姿を想像してしまう。俺は慌てて携帯を持ち直した。
「せ、せやかて、おまえ、あの後駅弁とか買うてもらわへんかったんか!?それに、もう八時なんねんぞ?夕飯はどないしたん?」
『駅弁なんて…言えるかよ。俺以外は全員たらふく食ってんだぜ?オメーと一緒にいたってーのに、実は昼飯はおろか朝飯さえも食ってねぇなんて言えるか。んで、蘭達は腹一杯だから夕飯遅くて良いかってさ』
「そら…災難やな…」
『半分はおまえの所為だけどな』
「はは……すまん…」
 乾いた笑いを洩らしてから肩を落とす。忽ち力を失った俺に、工藤は仕切り直すように口を開いた。
『そんで?何か用があったんじゃねぇのか』
 心なしか穏やかになった口調に、俺は電話をかけた本来の目的を思い出した。
「あ…、ああ…。ほんでな。おまえ、お好み焼き食えへんかったやん?せやから、近い内にまた大阪来ぇへんかなぁ〜?って思ってな」
『却下』
「えぇ!?何でや!?」
 間髪入れずに拒否されて、堪らずベッドから立ち上がる。そんな俺を知ってか知らずか、工藤は呆れたように息を吐いた。
『おまえな…、今日の今日で……って、それはいいや。大体、そんな頻繁に大阪なんて行けるかよ。俺は今小学生なんだぞ、小学生!わかってんのか?』
 自嘲気味に強調しなくても、工藤の状況も置かれている環境も十分理解しているつもり。それでも、大好きな人には自慢の味を食べてもらいたい。無理を言っているとわかっていても、一緒に美味しいものを食べて幸せに浸りたい。
「けど、めっちゃ美味いねん。ホンマ美味いねん、そこのお好み焼き。絶対おまえに食わしたりたいんや」
『んなこと言ったってなー…』
 ぎゅっと拳を握りしめて眉を下げると、携帯からは思いのほか困ったような声音が流れてきて。彼の気持ちが傾いてきていると感じた俺は、もう一押しとばかりに一気に畳み掛けようと捲し立てた。
「お好み焼きやぞ、お好み焼き!好きやろ?日本一の絶品やで!!その店でしか食われへんねんで!!」
 どこか必死な思いでそう言ったら、携帯の向こうから小さな忍び笑いが聞こえた。次いで、笑いを噛み殺したような声が鼓膜を震わせる。
『おまえさー…こないだから、お好み焼きお好み焼きって凄ぇ連発してるよな。腹減ってるときにキツイっての。お好み焼きで釣ってんのか?』
「え…っ、いや、そないな気ぃは…」
 ちょっとはあるけど…。
 こちらの想いを見透かされているようで、俺は次第に顔が熱くなってくるのを感じた。火照った頬を冷まそうと頻りに手をあてる。
 ややあって、工藤はもう一度深い息を吐き。続いた彼の言葉を聞いた瞬間、俺は思わず飛び跳ねそうになった。
『……仕方ねぇな…。わかったよ。そんなに言うなら、今度の土日、阿笠博士にキャンプに連れて行ってもらうことにして―――……行ってやるよ、大阪』
「ホ、ホンマか!?」
 赤い顔のまま満面に笑みが広がっていくのが自分でもわかる。仕方無いと言いながらも承諾してくれた工藤の優しさが、舞い上がるくらい嬉しかった。しかし。
『仕方ねぇからな。ただし』
 心躍らせる俺に、工藤がピシャリと言葉を突き付ける。
「た…だし?」
 何を言われるのだろうかと浮足立った気持ちが瞬時に凍りつくが、俺の不安とは裏腹に工藤は悪戯っ子のような口調に多少優しい響きを含めて。
『今度こそ、ちゃんとその日本一のお好み焼き食わせろよ?じゃねぇと、俺、トラウマになんぞ?』
 工藤の言葉が心に沁み込んで、再び胸の中が温かくなる。
 俺は携帯を耳に当てたまま部屋の窓を開けると、星が瞬く東の空を見上げた。どこからか飛んできた花弁が、窓枠に着いた俺の手の上にふわりと舞い降りる。まだ夜風は肌寒いけれど、工藤の声を聞いているだけで寒さなど気にならなかった。
「おう!任せとき!!何が何でも食わしたるから!!」
『期待してるぜ。じゃあな』
 工藤はまた小さく笑うと、そう言って電話を切った。
 通話が切れた携帯を幸せな気分で見つめる。心がポカポカする。
 俺は窓を閉めると、昨日、彼が眠る傍でコッソリ書いた絆創膏を御守り袋から取り出し、そこに踊る文字にそっと唇を寄せた。
 週末が待ち遠しくて堪らない。でも、今はこの文字だけで我慢しようと、その絆創膏を大切に御守り袋へと仕舞った。










 そうして、待ちに待った週末。
 昼を少し過ぎた頃に着くと言う工藤を新大阪まで迎えに行って、そのままバイクを走らせた。
 淀屋橋にある小さなお好み焼き屋。住宅街にひっそりと埋もれるように佇むこじんまりとした店内には客もあまりいなくて、工藤は思う存分大阪の味覚を満喫出来たようだ。
 焼きたてのお好み焼きを一口食べただけで、工藤の表情がパッと輝いた。黙々と食べ始めるその様子が何とも微笑ましくて瞳を細めて見つめていたら、危うく俺の分まで食べられそうになって。楽しそうに俺を伺う彼の手を叩き、急いで口に運んだら火傷した。
「どや、美味かったやろ?」
 会計を済ませて、結構食ったなぁ…とレシートを眺める。先に外に出た工藤は満足そうに振り向いた。
「あぁ、おかげで腹一杯。今日は無事に食べられて良かったぜ」
「せやな」
 ポケットから携帯を出して時間を確認する。ゆっくりと結構な枚数を二人で平らげたから、時刻は既に3時になろうかというところ。今日は時間もたっぷりあるし、どこか行こうかと工藤を見下ろす。
「ほな、これからどないしよ?どっか行きたいトコあるか?」
「どこでも良いよ。おまえはどこか行きたいトコねぇのか?」
「俺?うーん……」
 問い返され、小首を傾げて考える。この辺で遊べる場所―――…と、つらつらと思い浮かべていた俺は、暫くして工藤に視線を戻した。
「おまえ観覧車とか好き?これからUSJっちゅーのは微妙やけど、天保山とか、あと、キタにもミナミにも観覧車あるで」
 至る場所にある観覧車に工藤が微苦笑する。了承するように小さな頭にヘルメットを被った彼がバイクによじ登るのを見て、俺もバイクに跨った。
「色んなところにあるんだな。んじゃあ、近いところで」
「ほんなら、HEPやな」
 アクセルを吹かせると、閑静な住宅街にエンジン音が響き渡った。





 バイクを走らせること十数分。混雑する車の隙間を抜け、手近な駐車場にバイクを停める。すぐ傍に、梅田HEPファイブの赤い観覧車が聳えている。
「ほら、あれがHEPの観覧車や」
 上を指さすと、その先を追って工藤もそちらの方を向く。ビルから半分程覗いた観覧車の上部に、工藤が呆気に取られたように目を瞬いた。
「……あれ?下の方がビルの中に…?」
「せや。工藤は来たこと無かったっけ」
「ねぇよ」
 何の気無しに言った科白に不機嫌そうな声が返る。どうしたのかと工藤を見ると、何故か彼は顰めっ面で上を見ていて。そうして睨むような瞳で観覧車をじっと見つめていた彼は、不意に前から走ってきた女性とぶつかってしまった。衝突に無防備だった工藤は弾みで尻もちをつく。
「うわっ」
「あ、ごめんなさい!坊や、大丈夫?」
 女性が転んだ工藤に気づき、慌てて手を差し伸ばす。
「あ…、うん、大丈夫」
「急いでたものだから。本当、ごめんね」
 工藤を引き起こした彼女が急ぎ足に何度も振り向いては頭を下げて行くのを見送って、ふと工藤に視線を落とせば、擦りむいた腕から薄らと血が滲んでいた。
「大丈夫か?血ぃ出てるで」
「え?……あ、本当だ。ヒリヒリすると思ったら、擦りむいちまったんだな」
 腕を曲げて傷口を覗き込む工藤に、そう言えば絆創膏を持ち歩くようになったんだっけ…と思い出す。
 しょっちゅう怪我ばかりしている俺が絆創膏を持つようになったなんて知ったら、工藤は「ちょっとは成長したんだな」とか言って笑うだろうか。どんな顔をするかなと想像したら、何だかワクワクしてきた。勿体ぶって秘密道具を出すドラ○もんってこんな気持ちなのかも。
「ちょお待ってや。俺な、こないだから絆創膏……」
 だが、得意満面に御守り袋に手を伸ばしかけた俺は、そこでハッと我に返った。
(あ…アカン!これは絶対アカン…っ!!)
 先日、袋に一枚だけ残っていた絆創膏。それに自分が一体何を施したのかを思い出して焦る。加えて、言いかけてしまった手前、中途半端に途切れた言葉をどう続けたら良いのかと焦りが増す。
 あまりに間抜けすぎる自分に内心頭を抱えた。
「…服部?」
 不思議そうなボーイソプラノ。洞察力の優れた彼は、ほんの些細な異変さえもすぐに感じ取ってしまう。何とも居心地が悪く、俺は深く息を吸い込んだ。
「……持ってるでしょうか、持ってないでしょうか!?」
「はあ?」
 苦し紛れに咄嗟に誤魔化したら、わけがわからないと半眼で見上げられた。
「知らねぇよ。ってか、別に絆創膏なんていらねぇし。こんなの舐めときゃ治るって」
「そうやけど…」
 口籠る。絆創膏を持っているのに渡せない自分がもどかしい。
 何か無いかと辺りを見回す。…と、数メートル先にドラッグストアの看板が目に入った。
「ちょお俺、あそこのドラッグストアで絆創膏買うて来るわ。ここで待っとってな!」
「あ、おい。別に良いって…」
 制止する工藤に構わず走り出す。人混みの中、俺の後ろ姿を見つめる工藤が、小さく苦笑したことにも気付かずに。



 店から出ると、いつの間にか近くで待っていた工藤が靠れていたガードレールから体を起こした。ビニール袋から、今し方買ったばかりの小箱を取り出す。
「ほい、絆創膏」
「サンキュ。っつーか、本当大したことねぇから、わざわざ買わなくても良かったのに…」
「せぇへんよりええやん。ついでに飲み物も買うたった」
 ニッと笑い、袋をガサガサ鳴らしてペットボトルを二本覗かせる。
「もしかして、そっちのが本命じゃねぇのか?ま、ありがとな」
 差し出したペットボトルと絆創膏の箱を手に、綺麗に微笑む彼に思いがけずドキッとした。
「あ…も、もうこないな時間や!ほら、早よ行こ!」
 高鳴る心臓を悟られまいと取り繕うように携帯を見下ろし、まだ絆創膏の箱も開けていない工藤を促す。ビルに足を踏み入れ、俺は何かに急かされるようにさっさとエレベーターホールを目指し。乗り込むや、観覧車の受付のある階のボタンをやや性急に押した。
 そんな感じで受付に辿り着いた頃には、何をそんなに急ぐ必要があるのかという程に、俺も、そして、俺について来た工藤も若干息を乱していた。然程混んでいなかった観覧車はすぐに乗れ、ゴンドラの中で二人して大きく息を吐く。
「おまえ、まるで欲しいものに一目散に向かって行く子どもみてぇだぜ?」
「うっさいわ…」
 シートに座り直した工藤が「もし混んでたら嫌だから、少しでも早く行こうとでも思ったのか?」と、ニヤニヤしながら揶揄う。本当のこと―――工藤の笑顔にトキメいたのを誤魔化すため―――…なんて、言えるわけもない。
 そんなんとちゃうもん…と口の中で力無く反論して、俺は僅かに熱を持った顔を隠すようにそっぽを向いた。眉を顰め、ペットボトルに口をつける。
 そんな俺の様子を正面から見つめていた工藤は、やがて自分もペットボトルの蓋を回すと周囲に目線を巡らせた。それから次第に天辺に向かって顔を仰け反らせる。
「…なぁ。さっきから思ってたんだけど、この観覧車より隣のビルの方が高くねぇか?」
「そらぁ、あのビルは120メートルで、こっちは100メートルやからな」
「20メートルも低いのかよ?それって観覧車の意味あるのか…」
「細かいこと考えんなや。ビルから突き出た観覧車っちゅーんがおもろいんやん。まぁ、デッカイ観覧車乗るんやったら天保山行かなな」
「あ、そう…」
「この観覧車かて、夜とかカップルも多いねんで?」
「へぇー…。じゃあ、今度は夜に乗ってみようか」
「えっ…?」
 驚いて工藤を見返す。聞き間違いかと目を見開く俺に、工藤は呑気に両手を頭の後ろで組んだ。
「今の俺達なら、差し詰め兄弟ってトコかな。ま、確実に浮くだろうけど」
「あ…あぁ、うん……せや、ね…」
 僅かにたじろぎながら首肯すると、工藤は徐に先刻渡した絆創膏の箱を開けた。数枚連なっているのを切り取って台紙から一枚剥がす。
「……ちょお、貸してみ」
 片手で貼りにくそうにしているから、見兼ねて俺はそれを受け取るとそっと傷口に貼り直してやった。
「………絆創膏って言えば」
 頭上でクスッと微かな笑いが零れる。何事かと思って上目遣いに見上げると、工藤が面白そうな瞳で見下ろしていた。目が合った瞬間、彼の瞳が、つっと腕に貼られた絆創膏に移る。つられて戻した視線の先で、工藤は絆創膏を指先で軽く撫でながら続けた。
「この間のハイジャック事件の後、東京に戻ったときに俺の頬の絆創膏を見た蘭の様子がおかしかったんだよな」
「え?」
「じっと見てたかと思ったら凄ぇ慌ててさ、早く絆創膏取り換えなくちゃとか何とか言って剥がされたんだけど…」
「……ふーん…」
 すぐに例の絆創膏のことだと思い当り、興味の無い素振りで相槌を打つと口を噤む。
「何か、園子がまた悪戯したらしいんだよ。そのときの蘭の様子が気になったから園子に聞いたらさー」
「…………」
 意識せず、徐々に頭が項垂れていく。
 それでは、彼は知っているのだ。あの絆創膏に書かれていた秘密の文字。…いや、彼にとっては、今更秘密でも何でも無い愛しい彼女の本心。
「凄ぇ小さい字で書かれてたみたいなんだけど、全然気づかなかったな…。おまえは気づいてた?」
「……いや…」
 突然矛先を向けられて、戸惑いながらも緩く首を振る。
 本当は気づいていたけど。それを真似て、今思えば馬鹿なことまでしたのだけれど。
 工藤は当然のように「だよな」と頷いた。
「それにしても、何で女ってそんな小せぇ字が書けるんだろうな?俺だったら絶対書けねぇよ」
 言いながら、工藤は新たに一枚絆創膏を箱から出して。ジャケットの内ポケットからペンを取り出すと、窓を下敷き代わりに何やら書き始める。
 そうして書かれた文字に目を疑った。
「ほら。せいぜいこのくらいが精一杯」
 無邪気な顔で絆創膏を見せる工藤。俺は彼の真意を計りかねて、絆創膏に書かれた文字に何度も目を瞬くことしか出来なかった。
 工藤が、蘭ちゃんの親友の悪戯を真似て絆創膏に書いた文字は……几帳面な彼の筆跡で書かれた文字は……―――服部♥LOVE。
 俺ならば、冗談だと笑って流すと思ったのだろう。実際、工藤以外の友達にこんなことを書かれても、「アホか、気色いわ!」と軽口を叩いて終わる。大笑いして本気にもしない。するわけがない。
 だけど…。
 工藤にこんなことを書かれたら、冗談とわかっていても笑って済ますことなど出来ない。
 絆創膏を見つめたまま何も言えずにいると、工藤が訝しげに首を傾げた。
「服部?どうした?」
 いつもだったら即座にリアクションがあるのに…とでも言いたげな、怪訝げな瞳。
 俺は彼に気付かれないように数回浅く深呼吸を繰り返すと唇を噛み、数瞬後には平静さを装って口角を吊り上げた。
「アホ。何で俺の名前やねん。そこは、あのねぇちゃんの名前書くトコやろ?」
 表情筋の全てを使って普段の顔で笑えと脳が命令を下す。元々感情が表に出やすい性質だからなかなか難しい作業ではあるが、それでも俺は必死に笑顔を作った。友人同士の他愛のないじゃれ合いだと、俺の気持ちを彼に悟られないために。
 それなのに、工藤は俺の懸命な努力の結晶をいとも簡単に打ち砕くようなことを言い放つ。
「何で?」
「え…?」
「何でって何でだよ?別におまえの名前書いたって良いだろ?俺、おまえのこと好きだぜ」
「……っ!」
 罪の無い瞳を返す彼にもう勘弁してほしいと思う。心臓が鷲掴みにされる。痛い。
 工藤はあくまで友達として「好き」だと言ってるのに…それがわかっているからこそ苦しくて堪らない。
 素直に喜べるわけがない。大好きな人から「好き」と言われたのに、それがこんなに辛いのが悲しい。
 だって、彼と俺との「好き」は全くの別物なのだから。それを改めて突き付けられた気がした。
「…………な…」
「え?」
「そんなん軽々しく言うなて言うてるんや…っ!!」
「服部……」
「…っ、ぁ」
 叫んでから「しまった」と両手で口を覆っても遅かった。俺の目の前で、工藤は大きな瞳を更に大きくして俺を見つめている。自己嫌悪で息が詰まり、工藤の顔を真っすぐ見られなくて目を逸らした。
 何を言っているんだ、俺は。男同士で軽々しいも何も無いだろうに。
 察しの良い工藤は気づいたかもしれない。俺の心に渦巻く感情に。友達としてではない、違う意味での好意に…。
 軽蔑されるだろうと強張らせた肩は、しかし、思いがけず優しい温もりを感じて、俺はいつしかきつく閉じていた瞳をゆるりと開いた。眉間を寄せ、肩に触れたものの正体を確かめようと僅かに首を動かすと、小さな手が間近に置かれていた。次いで、頭を柔らかく撫でられるのに目を上げれば、ほんの数センチ先に工藤の涼しげな双眸があって。
 俺の瞳と出会うと、その蒼い眼はどこか呆れたように傾けられた。
「おまえってさー……どこまで鈍いの?」
「……は?」
 惚けて間の抜けた返答をすると、工藤はこれ見よがしに大袈裟な溜め息を吐いた。俺に触れていた手が引き戻され、彼の腰に当てられる。片方の人差し指を俺の鼻先に突き付けて。
「あのな。俺がマジでお好み焼きだけのためにわざわざ大阪くんだりまで来たと思ってるのか?それも、蘭に嘘まで吐いて」
「へ…?せ、せやかて……」
 意味がわからない。彼の言わんとすることが理解出来ずに困惑する。
「え…、くど……それってどういう……」
 ともすれば自分に都合の良いように解釈しそうになって、慌てて打ち消す。そんなはずは無いと思いながらも、俺を見つめる眼差しに淡い期待を抱きかける。
「…バーカ」
 困ったようにやんわり微笑む彼に瞳が揺らめく。
 その表情は何?どういう意味?
 やめてくれ、これ以上俺の心を掻き乱すのは。このままではあらぬ期待をしてしまう。
「ぇ…、えっ…?く、くどぉ?ちょっ…ホンマ、何?おまえ、そんなん言うたら……俺、自惚れるで!?」
「自惚れるくらいが丁度良いんじゃねぇの?おまえの場合。こういったことに関してはな」
 凶悪なウィンクと共に意地悪な口元が笑みを刻む。それでも、感情を如実に語る瞳は穏やかな色を湛えていて。
 俺は不覚にも涙腺が緩みそうになって困った。




 そうこうしている内に頂上を過ぎてしまっていた観覧車は、ゆっくりと地上に向かって降りて行く。
 大して景色を楽しむ間もなく、次第に乗降口が本来の大きさに戻って来るのに束の間の空中散歩ももうすぐ終わりかと思うと少しだけ名残惜しくなる。
 偶然にもそれは工藤も一緒だったらしく、隣に座った彼は一度空を見上げてから俺を振り返った。


「次乗るときは、天保山の大観覧車な」




 胸の御守り袋には、愛しい名前を記した秘密の絆創膏。
 ご利益なんて信じてなかったし、期待もしていなかった自己満足な御守りだった。けれど、この想いがキミに届けば良いと密かに祈っていた。


 こりゃあ、蘭ちゃんの親友に感謝せなあかんかなぁ…?



END









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