ところてん






 最近、店でところてんを見掛けると溜め息が出てしまう。
 その理由はな……。





 数日前。
 憂鬱な試験も全て終了し、待ちに待った夏休み。
 例によって新一の家に遊びに来ていた平次は、その日も昼から書斎に篭っていた。時間が経つのも忘れる程読書に没頭していた彼は、新一が書斎に入って来たことはおろか、傍の机に座ったことにさえ暫く気付いていなかった。
 カタカタと言う音にようやく気付いて顔を上げた彼は、ノートパソコンを開いた新一を認めて本を閉じる。こんなところで調べ物とは、また厄介な事件でもあったのかと興味津々に近付いて行く。
「工藤、何見てるんや?」
「んー?男同士のエロサイト」
「……は?」
 にこにこ問い掛けた返事が予想していたものと大きく異なり、平次は一瞬ぽかんとなる。が、次第に意味を理解して何やらリアルな画面を想像してしまったらしく一人で青褪める。
 けれども、机に頬杖を突き、興味無さ気にマウスを操る彼の姿とあまりにも淡々とした先程の声に聞き間違いかと今一度我が耳を疑う。
 聞き間違いだったとすれば、何て言葉と間違えたのだ…お陰でさぶいぼが立ってしまったではないか、と自分自身にゲンナリしながら、彼は新一の背後からそっと画面を覗き込む。と、そこには、全裸で絡み合う二体の男の姿があった。一瞬にして頭の中が真っ白になる。
「え…えぇぇぇぇ〜〜〜ッ!!?な、何やこれッ!?何でこんなもん見てんねん!!?」
「何でって、知識は多い方が良いだろ?」
 耳元で絶叫されながらも、臆することなく新一はあくまで淡々と返す。そんな彼に平次はあからさまに狼狽えた。自分は寿命が縮まったかと思う程衝撃を受けたというのに、彼は何も感じないのだろうか。
「そ、そらそうかもしれんけど、何もこないなトコ……」
「でな、服部。ところてんって知ってるか?」
 平次の戸惑いなど知ったことでは無いのか、新一が画面を見つめたまま脈略の無い質問をする。その綺麗な瞳には何が映っているのか。どこまでもマイペースな彼に平次は困ったように眉を下げた。
「はぁ?ところてんって…あのところてんか?知っとるも何も、店で普通に売っとるし…。何や、工藤、ところてん食ったこと無いんか?」
「そうじゃなくて。挿れられただけでイッちまうのを、ところてんって言うらしいぜ」
 背後にいる平次にちらりと視線を向けてどこか得意げに言う。平次はがっくりと肩を落とした。
「………は、はぁ…そうでっか……」
「うん。ほら、ところてんって、棒で押したら出てくるだろ?そこから来てるらしい」
 椅子を回転させて振り返り、真っ直ぐ平次を見つめて片手で何かを押し出すジェスチャーをして見せる。
 あぁ〜なるほどなぁ…と頷きかけて、平次はハッと我に返った。
「ほぉ、そうなんや……って、そないな知識は増やさんでええッ!!」
 慌てて首を振り、腕を伸ばして未だにいかがわしい画像を晒していた画面を閉じる。パソコンを終了させて、やっと平次は安堵の溜め息を吐いた。それを新一が楽しそうに眺める。
「そっか?あ〜、けど、ところてんとか見てたら、何か久々に食いたくなってきたな」
 先程まであんなものを見ていたのに、一体どういう神経をしていればそう思うのだろうか。
 両腕を上げ、椅子の背凭れに沿って体を伸ばす新一を見ながら再度小さな溜め息を落とした平次は、取り敢えず彼の希望を叶えてやろうと動き出した。
「俺は逆に食いたなくなったけどな…。まぁ、ええわ。せやったら、そろそろ晩飯の支度せなあかんし、ついでに買うて来たろか?」
「そうだな、今日暑いし。頼むわ」
 にこやかに見送る新一の視線を背中に受けて、平次は疲れた足取りで書斎を後にした。





 小一時間後、書斎からキッチンに移動した新一は、そこで怪訝な顔をして買い物袋の中を覗いている平次を見つけた。
「よぉ、お帰り。どうかしたのか?」
 声を掛けられ、近づいて来た新一に気付いて平次が顔を上げる。その手には、先程彼が所望したところてんが握られていた。
「あ、それそれ。サンキュー」
 受け取って冷蔵庫に入れようとする新一の腕を平次が強く掴む。驚いて振り向くと、依然として不可解な表情をしている平次がじっとところてんを見つめていた。何かと思い、新一も手の中のところてんに視線を落とす。
「…なぁ、工藤。そのところてん、変なモン付いてんで」
「変なもの?」
 平次を見て、もう一度持っているところてんに目を戻す。どこがおかしいのかとつぶさに眺めるが、どこも変なところなど見受けられない。
 意味がわからないと新一が首を傾げると、平次がすっと指を差した。
「これ……」
 彼が指し示したのは、ところてんに添付された黒褐色の液体。
「?酢醤油だろ?普通じゃねぇか」
 何でも無さ気に言い放った新一の言葉に、平次は瞬時に驚愕の色を浮かべ。新一からバッ離れた。信じられないとばかりに瞳を大きく見開き、ところてんにわなわなと震える人差し指を突きつける。
「す…っ、酢醤油やと!?なんでやねん!ところてん言うたら黒蜜やろ!?」
 数秒間の沈黙。
 新一は、今し方平次が叫んだ台詞を頭の中で何度もリプレイし、何を言ったのか理解しようとする。そして、理解するにつれてその顔を嫌悪で引き攣らせていった。
「はぁぁぁッ!?く、黒蜜だぁ〜ッ!?何だよ、それ!気持ち悪ぃッ!!」
 ところてんをテーブルに置くと、両手で自分の腕を抱いて上下に擦る。
「なっ…!!」
 嫌悪感一杯に吐き捨てられ、異議有りとばかりに平次が憤慨する。つかつかと新一に詰め寄る。
「何が気持ち悪いんや!?酢醤油の方がおかしいやんか!!それやったらおやつとちゃうやんけ!!」
「な…ん……おやつだぁッ!?バカ!おまえこそ何言ってんだよ!!ところてんはおやつなんかじゃねぇよッ!!おかずだ!!」
「おかずぅぅぅ〜〜〜ッ!!?おやつやっちゅーねん!!」
「おかずだっつーの!!」
 お互い自らの意見が正しいのだと信じて一歩も譲らない。至近距離で睨み合う二人は、子ども染みた不毛な争いだということにさえ気付いていないようだ。
「おまえ、甘味処にところてんがあるっちゅーこと知らんのか!?」
「知らねぇよ」
「…………」
 即答されて思わず口を噤んでしまう。新一は両腕を組むとテーブルに凭れかかった。黙り込んだ平次に、今度は新一が畳み掛けるように言う。
「そもそも、大阪の食文化がおかしいんだよ」
「なっ、何がやねん!?」
 ところてんだけに留まらず、ついには故郷の食文化まで否定され、愕然とした平次は牙を剥く。いくら新一と言えども、大阪を馬鹿にされては黙っていられない。だが、そんな平次の様子などどこ吹く風な新一は尚も続ける。
「だって、タコ焼きやお好み焼きがおかずになったりよー…あれこそおやつだろうが」
「いや、あれはおかずにもおやつにもなるんや」
「それがおかしいって言ってんだよ。おやつならわかるが、おかずって、炭水化物と炭水化物じゃねぇか」
「せやけど…っ」
 事実を言われ、平次は口篭る。回転の良い頭でどう切り返そうかと考えあぐねるが、なかなか反論の糸口を見出せずに歯噛みする。
 平次がぐるぐる考えている間、言いたいことを言って一息吐いた新一は、高ぶってしまった己の精神を落ち着かせるかのようにフゥ…と深く深呼吸をした。小さく頭を振る。
「まぁ、そこら辺は見解の違いだな。けど、タコ焼きとかはともかくとして、ところてんだけは譲れねぇ。黒蜜かけたきゃかければ良いが、俺のには絶対かけんなよ!」
 頑として言い切る。平次はハァ…と瞳を伏せた。
「………うぅ………美味いのになぁ…」
 殊更残念そうに呟く。横目でその様子を見ていた新一は、何事か考えるように顎に手を当て。
「くずきりなら黒蜜かけるけどな…」
 ボソリと呟かれた台詞に、平次が弾かれたようにがばっと顔を上げる。
「ところてんも似たようなもんやんけ!」
 彼にしてみれば、ところてんもくずきりも大して変わらない。わかってもらえるかも…と仄かな期待を瞳に浮かべて新一を見る。だが、彼は人差し指を立てると、チッチッチッと横に振ってうんちくをたれた。
「いや、全然違う。くずきりの原料は澱粉だし、ところてんは海藻だ。根本的に違うんだよ」
「…………さよか」
 結局は撃沈され、平次は理解されない悲しみに大きな溜め息を吐くと、機嫌良さそうにところてんを冷蔵庫に仕舞う新一を恨めしそうに見つめたのだった。




 それ以来、平次は店でところてんを見る度にあの日の屈辱を思い出す。
 いつの日か、必ず新一に大阪流ところてんを食べさせてやる…!!
 グッと拳をきつく握り締める。
 そんな密かな野望を胸に秘め、今日も彼は酢醤油付きのところてんを買い物カゴに放り投げた。




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