今し方の探の言葉を思い起こしていた新一は、ふと思い出したように壁に備え付けられた時計を見上げた。隣の快斗を突く。
「おい。おまえもそろそろ行った方が良いんじゃねぇのか?」
「えっ、もうそんな時間?」
 慌てたように本から顔を上げて快斗もつられるように時計を見る。そして時刻を確認すると、急いで本を持って立ち上がった。
「本当だっヤバッ!じゃあ、俺、行くから。またな、平次!」
「おう、またな」
 手を振る平次と頬杖を突いて見送る新一を残し、快斗は慌しく図書館を飛び出して行った。







「……あれ?」
「おや?」
 チャイムギリギリに駆け込んだ教室で空いている手近な席に着こうとした快斗は、そこでシラバスに目を通している探に気が付いた。椅子に座りかけた状態で動きを止め、あからさまに嫌そうな顔をした快斗に相手も気付き、穏やかな笑みを浮かべて会釈する。
 快斗は別の席を探そうかと視線を巡らせたが、入口から教授が入って来るのが見えて仕方無くその場に腰を下ろした。
 教授が教卓で資料を揃えているのを横目で見つつ、小声で呟く。
「…なに、あんたもこの授業取ってたんだ?」
「えぇ。奇遇ですね」
 嬉しそうににっこり笑う探に、快斗は複雑な表情をした。
「ん〜…奇遇っていうか……。おまえ、こういうの興味あるわけ?」
「僕はまだ取るかどうか迷ってるんですけどね。シラバスを見ただけではわかりませんし、取り敢えず 講義を聴いてみようかと思いまして。キミはもう決めたんですか?」
 そうしている内に、準備を終えた教授がマイクで話し始める。
「……う…ん……まぁ……」
 快斗は歯切れ悪く返事をするとそのまま口を噤んだ。




  * * *




 一方、快斗を見送った新一はもう一度時計に目を移してから平次を見た。
「そう言えば、おまえ、昼飯は?」
「ん?まだやけど?」
 あっけらかんと返されて、新一は瞳を傾げる。時刻はもう3時を回ろうとしていた。
「腹減らねぇの?」
「あー…せやなぁ……」
 お腹の辺りを擦った途端、空腹を思い出したように、ぐぃきゅるるぅ〜…という何とも気の抜けるような音が彼のそこから奏でられる。その音を聞きつけて一瞬目を瞬いた新一は、次の瞬間、弾かれたように笑い出した。肩を震わせて笑う彼に、平次が羞恥に顔を赤く染めて凛々しい眉毛を困ったように顰める。
「わ、笑うなや…!」
「わ…悪ぃ、悪ぃ……っっ…ぷくくっ…」
 謝りつつも一向に笑い止まない新一を、平次が頬を紅潮させたまま瞳を据わらせて睨む。暫くそうした後、ようやく笑いのおさまった新一は、目尻に浮かんだ涙を拭いながら落ち着くために大きく息を吐いた。
「じゃあ、今の時間ならもう食堂空いてるだろうし、行くか」
 その言葉に忽ち平次が目を丸くした。
 さっきまで瞳を据わらせていたというのに、表情がコロコロとよく変わる奴だ。
「へ?あ、せやけど……おまえはもう食ったんやろ?1講終わった後、食堂行く言うてたし…」
「あぁ。でも、俺もコーヒー飲みたいし」
 思いのほか表情が豊かだという彼の新たな一面を見つけられて、新一は満足げに彼を眺める。持って来ていた本を重ねて席から立つと、平次も急いで読んでいた本を閉じて鞄を掴んだ。 小脇に本を抱えて立ち上がり、はにかむように微笑む。
「付き合うてくれるんや?…おおきに」
 その笑顔につられて新一の口元も綻んだ。
「別に良いよ。それに俺、快斗を待っててやんなきゃならないし、気にすんなよ」
 しかし、新一の笑みを誘った笑顔は、彼の台詞を聞くなり徐々に曇っていき。心なしか俯く。
「あ…黒羽……。そ、そうか……そうやんな…」
「ん?どうかしたか?」
 明らかに先程までとは違う、どこか淋しげな笑みを浮かべる平次の顔を、新一が不思議そうに覗き込む。
 平次は慌てて顔を上げると首と両手を振った。
「えっ?あー、いや、何でもあらへん。ほな、行こか」
「? あ、あぁ…」
 そそくさと逃げるように歩き出す。
 そんな彼に新一は腑に落ちないような表情をしたが、何も言わずに大人しくその後姿について行った。





 キラキラとした木漏れ日が目に眩しい。
 建物から外に出て、人工の光とはまた違った自然光の眩しさに思わず目を眇めた。
 青々とした芝生の上では男子学生が気持ち良さそうに昼寝をしていたり、道端に設置してあるベンチでは、女のコ同士やカップルが楽しそうに談笑している。
 そこかしこで寛ぐ学生がいつになく多い。暖かな日差しに包まれたこんな日は、皆のんびり外で過ごしたくなるのだろう。
 そんなことを考えながら辿り着いた学生食堂は、コーヒーを飲んでいる学生が点々と座っているだけで人気は疎らだった。
 平次はカレーを頼み、新一はコーヒーを持って窓際に向かう。昼時は滅多に座れない窓際の席に着くと、平次は食事に手を付けるより先におもむろに口を開いた。
「な、なぁ?」
「ん?」
 カップに口を付けながら彼を見ると、平次は言い躊躇うように瞳を彷徨わせていた。
「なに?」
 言い辛そうな彼の様子に新一がカップを置いて向き直ると、平次は意を決したように拳を握り締めた。
「あのな……もし迷惑ちゃうかったら、その……け…携番とアドレス、交換せぇへんか?」
「え?」
 突然の申し出に、一瞬新一が言葉に詰まる。驚いている新一を平次はおずおずと上目遣いで窺い見た。
「あかんか…?」
 その、まるで捨てられた子犬のような瞳を目の当たりにして、開きかけていた唇を閉じる。
 何の濁りも無い、無垢な瞳。真っ直ぐ自分を見つめる澄んだ色。
 新一は一度瞳を伏せて少しの間逡巡していたが、やがて平次に視線を戻すとゆっくり頷いた。
「……いや、良いぜ。おまえとは結構気が合いそうだしな」
 聞いた途端、パァっと顔を輝かせる。OKの返事を貰い、平次はいそいそと携帯を取り出した。
「そ、そか!良かったわ〜…。あんた、そういうん好きそうやないんちゃうかって思うてたから…。おおきに!ほんなら、これが俺の番号とアドレスやから、よろしゅうな!」
 画面に自分の番号とアドレスを表示させて差し出す。心底嬉しそうな平次に新一は小さく笑うと、ポケットを探った。
「わかった。それじゃあ、すぐ登録してメールを送るから、ちょっと待っててくれよ」
「お、おう!」
 子どものように期待に満ちた瞳で新一の手元を覗き込む姿は、とても同い年の青年には見えない。
 弟がいたらこんな感じなのかな…と、新一は携帯を弄りながらふと思った。




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