キラキラと光る水面。

 じりじりと肌を刺すような眩しい日差しの中。

 家族連れやカップルが犇めく海水浴場から少し離れた岩場で一人、座り込む少年の姿が。


 やけに印象に残った。









真夏のフェイト










 今年の春から新米警官として交番勤務している俺は、その日も自転車で町内の見回りをしていた。
 海沿いにあるこの町は人口の少ない静かなところだが、夏のこの時期は多くの海水浴客で賑わう。
 最も警戒するのは水難事故だが、その他に迷子の保護や、真夏の陽気に浮かれて羽目を外す者に対する対応など、仕事は普段の倍以上だ。
 けれども、いつもひっそりとしている町が熱気に溢れるのは嫌ではない。
 寧ろ、ワクワクしてくる。
 毎年8月の半ば頃に行われているらしい夏祭りに向け、そこかしこで人々が忙しそうにしながらもどこか楽しげに準備を進めている。
 沢山の観光客を迎え、商店街が活気を帯びる。
 元々、国内二番目の都市である大阪から出て来た身としては、やはりこうした賑やかな空気は心地良い。
 それは、俺がお祭り好きな所為もあるだろうが。


 そんなことを思いながら人々の喧噪をBGMに海辺の道を走っていた俺は、ふと、自転車を漕ぐ足を止めた。キッとブレーキをかけて止まる。
 視線の先には、雑踏から離れた岩場にポツンと座る一つの影。
 水色のパーカーを羽織り、何をするでもなく、ただぼんやりと海を見つめているその少年が何故か気になって、俺は自転車から降りると岩場へと続く階段を下りて行った。
「おい、ボウズ。迷子か?」
 声をかけると、彼はチラッとこちらを一瞥しただけで、また目を海に戻した。
「違ぇよ」
 未だに慣れない東の言葉が、素っ気なく返る。
 俺は構わずに傍に寄ると、彼の顔を覗き込んだ。
「ほんなら、こんなトコで何してるん?」
 間近でよく見ると、とても整った顔立ちをした子どもだった。特に印象的なその瞳は、着ているパーカーと同じ蒼く澄んだ色をしていた。
 彼は一瞬瞳を瞬いて俺を見たが、すぐに眉を顰めると顔を逸らした。
「何だって良いだろ」
 万人に問えば万人が可愛らしいと答えるであろう顔に似合わない生意気な口調。
 取り付く島もない物言いに肩を竦める。
 こういった態度を取るのは、恐らく一人になりたい理由でもあるのだろうか。
 思えば、先程までの彼は物思いに耽っていたようにも見えた。
 俺は少し迷ったが、特に非行に走るような感じにも見えず、放っておいても問題は無いかと判断して、結局それ以上構うのはやめることにした。
 しかし、警察官として忠告だけは忘れない。
「…さよか。ほなら、この時期はたまにおかしな行動起こす奴もおるから気ぃつけや」
 俺はそれだけ言うと、そっとその場を離れようとした。


 そのとき。


「コナンく〜ん!」


 多数の海水浴客で賑わう方から一際高い声が響く。
 ビクッと震えた薄い肩にそちらを見れば、長い髪を風に靡かせながら大きく手を振る女性が笑顔で駆けて来るところだった。 白いビキニが太陽の光を反射して眩しい。
 近付いて来る彼女のあまりのスタイルの良さに思わず見つめていると、不意に傍らの彼が立ち上がった気配がして俺は振り返った。
「自分、コナンっちゅーんや?何や、けったいな名前やな」
「ほっとけよ」
 小さく笑うと、それが気に食わなかったのか彼はあからさまに嫌そうな顔をして吐き捨てた。そのくせ、駆け寄ってきた彼女に気付くと、忽ち愛想の良い笑顔を見せる。
「コナンくんったらこんなところにいたの?いきなりいなくなるから吃驚したよ〜」
「ごめんなさい。ちょっと人混みに疲れちゃって」
 天使のような笑顔で困ったように頭を掻く。
 先刻までと打って変わった彼の豹変振りに、瞬時に一体猫を何匹被ったのかと、呆れを通り越して感心する。



 全く、何という子どもだろうか。
 その歳である意味凄い…と言うか末恐ろしいが。兎に角、可愛くない。



 俺は何だか急にバカバカしくなって、足早に立ち去ろうと踵を返した。…のだが。
「あら?お巡りさん?」
 ナイスバディな彼女に呼び止められてしまった。
 些か行動を削がれた気分で踏み出しかけた足を止め、見ると、彼女が不思議そうな顔で俺とコナンとか言う彼を見比べていた。
「コナンくん、何かあったの?」
 誰かに絡まれでもしたのかと、心配そうに問う彼女に彼は首を振る。
「ううん。変な人がいたりするから気を付けてねって言われただけだよ。ね?お巡りさん」
「え?あ、あぁ…」
 急にふられて慌てて首肯する。
 それを見て、彼女はホッとしたような笑みを浮かべた。
「そうなんだ、良かった……コナンくんまでおかしなことに巻き込まれたらどうしようかと思った…」
「え?」
 胸に手を当てて安堵の息を吐く彼女の呟きに何のことかと小首を傾げると、まるで遮るようにコナンが口を開いた。
「それより蘭ねぇちゃん、そろそろ時間じゃないの?僕、もう少しここにいるから行ってきなよ」
「え…?でも……」
 途端、蘭と呼ばれた彼女の表情が曇る。だが、コナンは畳み掛けるように続けた。
「僕は大丈夫だよ。このお巡りさんに送ってもらうから」
「えっ…」
 にっこりと微笑んで俺の袖を掴む。
 さっきの今でどういうことかと戸惑っていると、コナンがこちらを向いた。
「ね?」
「…………あ、ぁ…」
 唇は綺麗につり上がっているのに、瞳が全く笑っていない。
 有無を言わせぬ迫力に、こんな子どもは初めて見たと内心オドオドしつつ、仕方がないので大人しく頷いた。
「あー…まぁ、ちゃんと送り届けますよって安心してください」
 探るような彼女に曖昧に笑うと。
「………そう…、ですか…」
 暫しの間を置いて、彼女が了解を示した。
 何かを振り切るような笑みを浮かべ、「じゃあ、気を付けてね」と片手を振ると、俺に「お願いします」と丁寧にお辞儀をして、来た方向へと戻って行く。
 そのとき、彼女が見せた微笑が何故かとても儚く感じられて、少しだけ気になった。


 彼女が去り、俺とコナンしかいなくなった岩場に静寂が訪れる。
 ザザンっと打ち寄せる波の音を聞きながら彼女の後ろ姿を見ていた彼は、ふっと息を吐くとまた岩場に腰を下ろした。
「……あんた、もう行って良いよ」
「は?」
 ポツリと呟かれた言葉に眉を上げる。
「何じゃ、そら?おまえ、さっきのねぇちゃんに俺に送ってもらうとか言うてたやないか。ホテルか何かなんやろ?俺も約束してもうたし、しゃあないから送ったるわ。どこやねん?」
「あれは言い訳だよ。別にあんたに送ってもらわなくたって俺は一人で帰れる」
 彼女がいなくなったらまたこの不遜な態度。
 いくら俺が温厚と言っても、こんなにもあからさまだと流石に腹も立ってくる。
 俺は拳を握り締めるとコナンの肩を乱暴に掴んだ。
「何や、その態度!?あのねぇちゃんがおらんようなったら途端に態度翻しよって…!!」
 そこまで言って、はたと思い至った。


「……ははぁ〜ん…。おまえ、あのねぇちゃんのこと好きなんやろ?せやからそないな……」

「……っ!!」




 一瞬、何が起こったのかわからなかった。


 軽い気持ちで揶揄ってやろうと思っただけだった。
 ただ、あまりにも彼女と俺に対する態度の差が気に入らなくて。



 だけど、目の前には辛そうに顔を歪めた子どもらしからぬ彼の姿。
 肩で大きく息を吐き、突き出された拳が小刻みに震えている。


 そして、左頬に感じる熱い痛み…。



 殴られたのだと理解した俺は、初めて彼が俺を真っ直ぐ見ていることに気がついた。





 ―――あぁ……。
 こいつにとってそれはタブーだったのか…と唐突に悟った。





 呆然と左頬に手を当てる俺にコナンは眉を寄せ、しかし、謝ることはせずに背を向けて膝を抱えた。
 殴られて痛いのは俺だし、何も言わずに突然手を上げておいて(それも大人に)謝罪もしないなんて――……とは不思議と思えなかった。
 何より、その背中がとても悲しげで、俺が受けた痛みよりも酷い激痛に咽び泣いているようだったから…。
「……すまん…」
 堪らず、激しい感情を露わにするくらいの失言だったのかと無言の背中に謝罪する。
 すると、弾かれたように驚愕した瞳が振り返った。
「………何であんたが謝るんだ…?」
 殴ったのに謝らないのは自分の方なのに…と、理解し兼ねて困惑する彼に頬を掻く。
「せやって、俺が言うたらあかんこと言うたから、おまえ怒ったんやろ?」
「………」
 何も言わないのは肯定の意味。
 それでも、彼はばつが悪そうに目を逸らす。
「だけど……いきなり殴ったのは俺だし……」
 そんな風に謝られたら困る…と、彼は小さく口籠って。
「……悪ぃ…」
 唇を噛み締めたかと思うと、聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。耳触りの良いボーイソプラノが耳を打つ。


 何だ……どうにも可愛くない子どもかと思えば。

 そうでもないではないか。


 子どもらしくない言動は多少気にかかったけれど。





 それでも、自らの非を認めて謝った子どもに笑みを零し、敬意を表してその小さな頭をがしがしと撫でてやる。思いのほか形の良い頭と、指の間を滑るさらさらとした黒髪が気持ち良かった。
「偉いな〜、よう出来ました」
「思い切りガキ扱いでムカつくんだけど」
「そない言うなや〜、褒めてんねんから。そう言うたら、ボウズはどっから来たんや?」
「あんたこそ、どこから来たんだよ。大阪?」
 俺の問いには答えず、逆に聞いてくる。
 彼は、頭を撫でる手を少々鬱陶しそうに軽く払い退けた。しつこくやると怒りそうなので、名残惜しく思いながらも手を離す。
「そうや。今年の春、ここに赴任して来たんや」
「ふーん…」
 そっちから聞いてきたくせに彼は気の無い返事をして視線を巡らせると、再度、果てしなく続く大海原に視線を投げた。
 俺がここに来てから、ずっと彼は海を眺めている。
 何かに想いを馳せるかのように、一心に海を見つめる瞳に微かに浮かぶ色は何なのだろうか。
 彼の隣で海を見れば少しはわかるかもしれないと、ずっしりと腰を据えた彼の隣に腰を下ろした。
 どうしてそんなことを思うのかわからなかったが、取り敢えず今は、じっくり海を眺めてみることにした。




















「なぁ、いつまでここにおるつもりや?そろそろ帰らんと、あのねぇちゃん心配するで?」

 あれからどのくらい経ったのだろうか。


 いつの間にか太陽は傾き、辺りは薄闇に塗れ始めた。
 少し離れた海水浴場からも人々は引き上げ、しんと静まり返った空間に波の音しかしない。
 こんな時間になるまで黙って付き合っていた俺も俺だが、そろそろ帰らなければマズいだろうと、一向に動く気配の無い横顔に声をかける。
 だが、返ってきたのは意外にも苦々しさの滲む低い声だった。
「…別に、心配なんてしねぇよ」
「はぁ?そないなわけあらへんやろ。さっきかて、おまえがおらんようなったから慌てて探しに来たみたいやし」
 そう、彼女は言っていたではないか。
 コナンくんまでおかしなことに巻き込まれたらどうしようかと思った、と。



 ……ん…?ちょっと待て……。

 コナンくん…「まで」?



 今更ながら言葉に引っ掛かりを覚えて、俺が思考の海に潜ろうと顎に手を当てたと同時に、突如彼が立ち上がった。
 吃驚して見上げると、押し殺したような声が降ってきた。
「あいつは……今は俺なんかの心配をする状況じゃないんだ。だって、あいつは……」
「あいつ…?」
 あいつとは、もしかして、あの蘭という女のコのことを言っているのか?
 あれだけ彼女の前で良い子ぶっていたのに、10も違うだろう彼女をあいつ呼ばわり…?

 俺の疑問は訝しげに彼の言葉を鸚鵡返ししたが、彼は構わずに波打ち際まで歩き出した。すっかり暗くなって、コールタールのように真っ黒な海に躊躇いなく向かって行く。
 彼が何をしたいのかわからず暫く見守っていると、絶えず引いては返す海水に足を濡らしていた彼は、やがて何か決心したように拳を握り締め。


 ゆっくりと、振り向いた。


 光の途切れた闇ではその表情はよく見えなかったが、目を凝らして辛うじて見とめたのは、どこか切なげに寄せられた眉間と引き結ばれた唇だった。
「………あんたになら、話しても良いかな……」
「え…?」
 自分と関わりのない人間になら言ってもいいか…と、自嘲気味に唇が小さく動く。
 次いで、懺悔のように紡がれた科白は。





「俺……ここに、過去を捨てに来たんだ」




「……過去を捨て……?」





 彼の年齢にそぐわなすぎて、俺はただ茫然と瞳を瞬くことしか出来なかった。




 過去を捨てに来たとはどういう意味だろうか?
 とても、捨てる過去がある年齢には見えないのだけれど。



 今の子どもは色々あるのだろうか…と考えていると、少しムッとした声が波間に響いた。
「……今、何を大袈裟なこと言ってんだとでも思っただろ?」
 睨むような鋭い眼差しを受けて、ギクリとする。
「い、いや、別に…っ。せや!子どもにかて嫌な思い出の一つや二つあるわな!!」
「……いいよ、当然の反応だ。期待しちゃいねぇ。俺はただ…、誰かに聞いてもらいたかっただけだから」
 この胸の内を…と瞳を伏せる彼にただならぬ雰囲気を感じて口を噤む。
 彼はギュッとパーカーを握り締めた。
「吹っ切らなきゃならない……この姿こそが捨てるべきものなんだ…」
「なっ!?」

 姿こそ…って、まさか自殺でもする気とちゃうやろな!?

 そう言えば、彼はじっと海ばかり見つめていた。それが、この場所に身を沈める覚悟によるものだったとしたら…?


 彼が足元で遊ぶ波を見下ろす。
 そのまま今にも沖の方へと行ってしまいそうで、俺は慌てて彼に駆け寄った。頼りない両肩を素早く掴み、バカな真似はよせと必死に思い留まらせようとする。
「アホ!!おまえはまだまだこれからやないか!!何があったんか知らんけど、命粗末にしたらあかんっ!!!」
「………はあ?」
 前後に大きく体を揺さぶられながら、彼は瞳を見開き。
 次の瞬間、呆れたように溜め息を吐いた。
「なに勘違いしてんだ?死んだりなんかしねぇよ」
「ホンマか!?」
「あぁ。…っつか、何で俺が死ななきゃなんないわけ?」
「いや、知らんけど…」
 問い返されて詰まる。
 大体、それを俺に聞く方が間違ってるだろう…何も事情を知らないのに。
 困ってしまって情けない顔をすると、俺を見ていた彼がフッと口元を緩めた。
「……あ…」
 堪えきれずにといった様子でクスクス笑う彼をボーっと見つめる。
 蘭ちゃんに見せていたものとも違う、少し幼くも見える自然な笑顔。
 今さっきまで仏頂面しかしていなかったのに、それが俺に向けられているのかと思うと、知らず胸が熱くなる気がした。
「何か…ヘンな奴だな、あんた」
 一頻り笑って気が済んだらしい。
 彼はそう言うと、思いのほか穏やかな瞳を返して。
「俺は江戸川コナン。米花市から来た。おまえは?」
 何の気紛れか自己紹介して来た彼は当然のように促し、その大人びた口調に気を取られて、俺は「おまえ」と言われたことに気づかなかった。
「あ…、俺は服部……服部平次や」
「服部…か」
 俺の名前を反芻した彼は口角を上げ。
「気に入ったぜ。俺、今週末までここにいるんだ。夏祭りがあるんだろ?案内してくんねぇか?」
「へ?」
 あれだけ鬱陶しそうにしていたくせに。
 どこをどう気に入ったのかわからないが、どうやら懐かれたようだ。
 でも、悪い気はしない。
 それどころか、年相応でない言動をする彼が俺も気になってしまって。
 自分でも妙だと思うが、もっと、彼が笑う顔を見てみたいと思ってしまって。


 俺は意図せず満面に笑みが広がっていくのを感じた。

「よっしゃ!任せとき!!」

 大きく頷くと、彼は満足げに瞳を閉じたのだった。





 真夏の海で出会った俺達。

 これはもしかして、運命だったんじゃないだろうか…。









END (2009.8.20.up)





今回の夏コミのとき、ゆりかもめで流れた迷子のアナウンスで不謹慎にも思いついたお話です(;^^A
ただ単に、コナンに向かって「迷子か?」と平次に言わせたかったという…(笑;)

>>新一ver.




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