*   *   *



「蘭ちゃ〜ん、久しぶり〜」
「よぉ、工藤。久しぶりやな。蘭ちゃんも」
 朝靄がかる早朝の東京駅。朝が早い行楽客に混じって立っていた二人に、改札を抜けた西からの訪問者二名は明るく声を掛けた。沢山の人々が行き交う構内でいち早くその声に反応した新一につられて、蘭も改札口に目を向ける。そして、目当ての人物を認めて手を振った。
「あ、和葉ちゃ〜ん!服部く〜ん、久しぶりだね〜。会うのは一年振りくらいかな?」
「せやねぇ。前はもっと頻繁に会うてたような気ぃするけど、何せ受験生やったからね。どっかのアホも、流石に今回ばかりは『東京行く』とは言わへんかったもんな」
「何やねん、その言い草は。おまえかて、俺が東京行く言うたらついて来たがるやんけ!」
 以前、新一の復帰祝いに訪れた二人を同じ東京駅まで迎えに来たときは、他は目に入らないといった様子で真っ直ぐ新一に向かって来た平次。それが今では一定距離を置いて立ち止まり、おまけに彼とは挨拶以外言葉を交わすこともなく、違う人間と愉しげに話している。
 ニコニコと笑いながら蘭に近付く和葉は、最後の部分だけ強調して横目で隣りを見遣る。嫌味を言われて露骨にムッとした表情をする彼。だけど、本当は全然怒っていないことを知っている。そんなやり取りを見せ付けられて居た堪れなくなった新一は、拒絶するように僅かに顔を逸らせた。
 実際にその光景を目の当たりにすると、話で聞くより遥かに堪える。
 いつの間に、自分はこんなにも弱くなってしまったのだろうか。コナンだった頃は障害が多くて思うようにならないことも多々あったが、少なくとも、今よりよっぽど強かったと思う。あいつにも我が侭を貫き通し、何度彼に「何様だ」という目で見られたか知れない。その上、彼の好意に胡座をかいて、あんな関係を築き上げてしまった。
「朝早くから大変だったね。疲れてない?」
「俺は大丈夫や。けど、ちょぉ慌ただしかったかな。これやったら、昨日の夜からこっちに来とれば良かった……かもしれへん…」
 平次は不自然に一旦言葉を止めるが、すぐに何でも無い風に繋げる。ちらりと新一に移した視線が彼とばっちりかち合うと、あからさまに狼狽したとわかる表情で視線を逸らす。新一は心臓に刃を突き立てられたような痛みを感じ、苦しげに息を吐くと目を伏せた。
 取り返しのつかないことだとわかっていた。こんな結末をわかっていて選んだのは紛れも無い自分。それなのに、未だに彼に執着し続けている。自分の考えが浅はかだったと自覚する。これでは、我侭な子どもと同じだ。大人の姿を手に入れたら心も大人になれると思っていたのに、今の自分は思い通りにならずに地団太を踏む小さな子どものようで嫌気が差してくる。あまりにも身勝手だということは十分承知していた。
 ただ、もうこれしか考えられない自分がいるのだからどうしようもない。


 どうすれば、もう一度彼の気持ちを自分に向けられるのか…と、只管に。


 昨秋、大検に受かった新一に電話を掛けて来た平次。他愛の無い会話をしている間に自問した答え。
 今のままでは決して手に入らないものだった。
 そんなことはとっくにわかっている。けれども、自分を信じてずっと待っていてくれた彼女を、自ら切り捨てることが新一には出来なかった。
 慾と理性の狭間で身動きが取れず、ずっともがき続けている。わかっていてもどうすることも出来ない自分がもどかしくて歯噛みする。
 誰にも気付かれないようにそっと上目遣いで盗み見た平次の姿に我知らず心が躍った。彼の視線は、自分に向いてはいないけれど。
 愛しいと思う気持ちは行き場を失いながらも溢れるばかりで、刃の如く新一の心を苛んだ。



 最後に逢ったのは一昨年の冬だった。

 あれから約一年、逢っていなかった。




















 ゴールデン・ウィーク初日ということもあり、都内でも有数の大規模なテーマパークは、家族連れやカップル等で賑わっていた。開園時間よりかなり早く来たというのに既に駐車場は長蛇の列で、数時間待った後やっとのことで車を止めた。開園直後で入場券を買い求める人込みを尻目に、事前に購入していたパスをゲートに通す。抜けた途端に開ける視界。欧風な街並みが建ち並ぶそこは、まるで異国の地に降り立ったような錯覚を起こさせた。
「二人とも、朝ご飯食べて来た?」
「ううん、食べてへんよ。朝早ぅて食べられへんかってん」
 蘭の問いに、平次と和葉は揃って首を横に振る。確認して、彼女は近くのレストランを指差した。
「じゃあ、私たちも食べてないから、まずは何か食べながらどこに行くか相談しようよ」
 蘭の提案に異議を唱える者は無く、セルフサービスのレストランで少し遅い朝食となった。
 時間が微妙にズレているためか、人でごった返す屋外とは裏腹に店内には数える程しか客はおらず、空いたテーブルでのんびりと談笑しながら食事を進める。パンフレットを広げて、何だかんだと愉しい議論を交わす。
「ほな、俺、ちょぉ便所行って来るわ」
 暫くして、最初に食べ終わった平次が席を立った。新一はその後姿を何気無く目で追う。ひっそりと溜め息を吐いて顔を前に戻したとき、蘭と話しながらも微かに視線を彷徨わせている和葉が目に入って来た。淋しそうなその視線の先を辿った新一は、それが今し方彼も追っていた人物に向けられているとわかり、新一は思わず怪訝気な視線を向ける。突き刺すような視線に気付いた彼女は新一と目が合うとハッとしたように目を逸らし、再び蘭に戻した。誤魔化すように言葉を紡ぐ。
「あ、せや、蘭ちゃん、今夜は一緒にビーズアクセ作ってくれるんやんな?アタシ、色々買うて来てんで〜♪めっちゃ楽しみやわ〜♥」
 取り繕ったような笑顔で言う科白に、新一は食事をする手を止めた。
「あれ?…そういや、服部と和葉さんって…同じホテルに泊まるんじゃねぇのか?」
 不審気な視線が和葉を射る。先程の彼女の行動が、探偵としての新一の瞳には妙な行動として映っていた。今、彼を独占しているのは彼女のはずなのに、何故あんな瞳で後姿を見つめるのか。嫉妬も相伴って、知らず知らずの内に表情が険しくなる。
 正面から凝視されて居心地の悪さを感じたのか、和葉は何度か小さく身動ぎをして俯いた。顔を伏せてしまった彼女を庇うように、蘭が身を乗り出して口を開く。
「あ、あのね、新一……和葉ちゃんと服部くん…………その……」
 何かを言い躊躇う彼女。隣りの和葉を気遣うように伺い見る。和葉は、隠していても仕方が無いと言うように緩く首を振ると、新一に弱々しい笑みを向けた。
「アタシら、一ヶ月前に別れてん。ほんならやっぱり、一緒んホテル泊まるんはちょぉヤバいやろ?」
 まぁ、部屋が別々やったら構へんねんけどな、と気丈に笑いながらそう告げる和葉の瞳が揺れている。
 瞬間、新一は別れたと聞いて歓喜している自分を確かに感じた。目の前には、沈痛な面持ちの蘭と強がって笑っている和葉がいるというのに、何と不謹慎なことか。同時に、居た堪れない罪悪感のような感情が頭を擡げた。小さく舌打ちする。
「…アタシら、やっぱり幼馴染みの方が合うてる気ぃするわ。……せやけど……最初は、上手くやってけるて思うてたんやけどなぁ…なかなか難しいわ。何であかんかったんやろ……何があかんのやろな…」
「和葉ちゃん……」
 和葉は新一と蘭を交互に見遣り、悲しい瞳で無理に笑おうとする。その視線を真っ直ぐに受け止められなくて、新一は手元を俯いた。
「蘭ちゃんたちが羨ましい……。工藤くん……蘭ちゃんのコト、大事にしたってね」
「和葉ちゃん…っ…」
「…………」
 何とも答えられない新一は黙ったまま眉を寄せて瞳を閉じる。気不味い空気に息が詰まりそうになる。
 先刻が初めてでは無い。思い返せば、今朝東京駅に着いたときから、和葉の平次に対する態度は何処かよそよそしかった。自分が気付かなかっただけ。当然のことながら、和葉は相当傷ついている。己のことばかりに感けて他人の気持ちもわからないなんて名探偵形無しだよな…と自嘲の笑みに肩頬を僅かに吊り上げた。


 だけど、何故?
 どうして?
 何が原因で別れたの?
 どちらが振ったの?


 訊きたいことは山程あるが、大して親しくも無い自分はそこまで無神経なことは出来ない。まして、彼女は知らないとは言え、嘗ての恋敵だ。そんなことを聞ける権利も無い。
 新一はそれ以上その場にいることが出来ず、皿に料理を残したまま、逃げるように平次の後を追って駆け出していた。蔑むべきは己自身だった。




 男二人が去った後、蘭は眼前の和葉に何と声を掛ければ良いものかと途方に暮れた。そんな彼女に心配をさせないためか、和葉は殊更明るい声音で冗談を言うように言葉を紡いだ。
「蘭ちゃんにもまだ言うてへんかったね。ホンマはアタシ…平次に振られてん。あいつにとってアタシは家族みたいなもんやねんて。せやから……恋愛対象としてはやっぱり見られへんって…言われたわ…」



 一ヶ月前の、大学からの帰り道のこと。


 高校二年の冬、新一の復帰祝いを兼ねて東京に遊びに行って以来、どこか淋しげな表情をするようになった平次を和葉はずっと気に掛けていた。そこへ、「服部くんが誰かにチェーンチョーカーを買っていた」と友人から聞かされ、あまつさえ「貰ったのか」と問い質されて、和葉の頭は嫉妬と焦燥で真っ白になって…。思い詰める程に膨れ上がった想いを最早どうすることも出来ず、思い切って、進級と同時に告白をしたのだ。
 ダメ元で告白したのにOKを貰えたことに舞い上がり、時折切ない瞳をする平次は気がかりだったが、それでも彼の傍にいられて和葉は幸せだった。




 その日、いつもと様子が違う平次が気になり、気分転換にと普段は降りない駅で降りて、友人たちの間で人気のあるカフェに彼を誘った。暫く、目の前のコーヒーを黙ったまま見つめていた平次が不意に顔を上げ、小さくだがはっきりとした声音で告げられたのだ。彼氏・彼女という関係からの別れを。
「俺は…おまえにすまんことした。好いとんのはホンマや。けど、それは恋愛感情とはちゃうねん…」
 おまえの気持ちを利用して悪かったと項垂れて謝る彼に、和葉は何も言えなかった。傷つけられたのは自分の方なのに、彼の方が何倍も傷ついたような痛々しい表情だったから…。きっと彼は、曖昧なままに関係を続けていることを思い悩み、自分を責めていたのだろう。その姿があまりにも儚くて、和葉は運ばれて来たパフェにも手を付けられず、スプーンを手にしたまま呆然としていた。








「めっちゃすまなそうに謝るんやもん。何も責められへんかった…」
 顔をやや伏せて瞳を揺らめかせる和葉に、蘭は今にも泣きそうな歪んだ表情をする。気付いた和葉が慌てて顔を上げる。両手を振って言い募る。
「嫌やわ、蘭ちゃん。そんな顔せんといてぇな。振られてしもたけど、アタシ、全然後悔してへんよ。少しの間だけやったけど、平次がアタシのコト、女として見てくれようとしたっちゅーだけでめっちゃ嬉しいねん。ホンマ、告白して良かった。これで…吹っ切れるわ」
 天井に向かって大きく伸びをする。伸ばした両腕の力を緩め、高い天井を仰ぎ見る。上を向いたまま腕を大きく広げて数回深呼吸を繰り返すと、気持ちがすっきりして幾らか楽になった気がした。
「平次……きっと、誰か好きな人がおんねん……。時々、めっちゃ苦しそうな顔しとる……。どんな人なんやろ、平次にあない顔させる人って…。あのチョーカーもそん人にやったんやろか…。……あ〜あ、もう!そないに好きなんやったら、さっさと男らしゅう告白してまえばええのに!平次のアホ!!」
「チョーカー……好きな……人……」
 態と大きな声を張り上げて大袈裟に溜め息を付く和葉の科白の一端を復唱する。瞬間、まるで走馬灯のように、くるくると色々な場面や科白、表情が彼女の脳裏に浮かんでは消えて行った。
「苦しそうな表情」と聞いて思い浮かんだ彼の姿。どこか遠くを見つめる表情。翳りのある伏せた顔。時折見せる切なげな表情…。
 ケンカでもしたのか?と訊いたとき、何も答えなかった彼。変わりに見せた痛々しい表情。
 あんな彼は知らない。
 以前の彼はあんな顔を見せなかった。いつも強気で我が侭で意地悪で…あんな、何かを堪えるような顔を蘭は見たことが無かった。そう、彼がこのトロピカルランドで失踪したあの日までは…。
 東京駅で、平次が新一に一瞬視線を移したときの表情を思い出す。そして、いつの間にか新一の胸元で光っていた銀色に輝くチェーンチョーカー…。それらが突如一線で繋がり、蘭の中で小さかった蟠りが大きな疑惑へと変貌していった。それならば、平次が和葉に別れを切り出した理由も納得がいく。
 そう考えた次の瞬間、蘭は例えようの無い不安感に打ち震えた。もし自分の勘が正しければ、いつか自分も和葉と同じく、彼を失うことになるだろう。
 震える唇が何事かを紡ぐ。
 声は小さすぎて隣りにいた和葉にも届かずに蘭の口腔内で消えて行った。


「……まさか……服部くんの好きな人って…………」



―――新一なの……?






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