*   *   *



 数分後、指定された広場らしき場所に到着した平次は、立ち止まるとぐるりと辺りを見回した。
 点々と離れた場所にある外灯の薄明かりに照らされた広場は、夕食時だからか、それとも、もうすぐ始まるナイトパレードのためか人気は無かった。目を凝らして目当ての相手を探す。
「えっと……?どこにおるんやろ……」
「服部くん」
「ん?」
 不意に背後から声を掛けられ、それが聞き覚えのある声であると気付いた平次が振り返ると、予想と違わず蘭の姿があった。
「…あぁ、蘭ちゃん。遅なってごめんな。……あれ?で、和葉は?」
 けれども、彼女の隣にも後ろにも幼馴染みの姿が見えず、不思議に思って首を傾げる。視線を蘭に戻すと、彼女は申し訳無さそうな表情で俯いていた。
「…………。ごめんね。服部くんに話があるの、私なんだ…」
「…え……?」
「私、服部くんに、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……良いかな?」
 いつになく固い声。
 顔を上げた蘭の瞳にいつもと違う色を見出して、平次は思わず息を呑んだ。







*   *   *







 平次と別れてから数分が経過した頃。新一は言われた通り、近くのレストランで待っていた。
 照明が煌々として明るい店内は、そろそろ夕食の時間ということもあり、多くの人で賑わっていた。
 カウンターでコーヒーを注文し、辛うじて空いていた窓際の小さなテーブルに身を落ち着ける。コーヒーを飲みながら、ついつい左腕の時計に目が行ってしまう自分に不意に気付き、新一は小さな溜め息を零した。普段通りブラックで飲むコーヒーも、今日に限って何故か苦く感じる。
「……まだ十分も経ってねぇのか……くそ…何か落ち着かねぇな…。…ったく……俺ってすっげぇ人間小せぇ…」
 情けない自分に嫌悪し、再び溜め息が漏れる。そして、片肘を突いて俯いた視線の先に落ちる影に気付いた彼は、不審に思って視線を上げた。
 そこには、何故か、平次に話があると言っていたはずの彼女の姿。
「……工藤くん」
「あれ?和葉…さん……何でここに?……もう、具合いは大丈夫なのか?…あいつらは?服部との話は終わったの?」
 彼と彼女の関係を憎々しいと感じていた新一だが、そんなことを悟られるわけにはいかず。いつもの愛想笑いを顔に貼り付けると、当たり障りの無い声色で尋ねる。と、和葉は眉を下げて困った顔をした。
「あんな、工藤くん……ごめんな。あれ、嘘やねん……」
「……嘘?」
 新一の眉がピクリと動く。どういう意味かと、細めた瞳で和葉を見る。
 人当たりの良い笑みの消えた彼に、和葉は一瞬怯んだ様子を見せたが、次に口にされた科白に怯んだのは新一の方だった。
「ホンマに平次に話があるんは、蘭ちゃんやねん」
「え…っ……な、んで…っ!?」
 和葉の言い方に只ならぬ雰囲気を感じた新一は顔色を変え、ガタンッと勢い良く立ち上がると走り出そうとする。
「あ、あかん!!行ったらあかんよ、工藤くん!!」
 飲みかけのコーヒーもそこそこに出て行こうとする新一の腕を、和葉は咄嗟に掴んで引き戻した。行動を削がれた新一が、和葉にきつい眼差しを向ける。
「何でだよ!?」
 大声を上げる二人に、傍から見れば彼氏彼女の痴話喧嘩にでも見えるのだろうか、周囲の人々がざわめいてさり気に視線を送ってくる。その中に少なからず好奇な視線と忍び笑いを感じ、居心地の悪さを感じた彼らは一先ず椅子に座り直した。
「工藤くんが行ってしもたら、話がややこしなってまう!!それに、どっちも傷ついてまうやないの!!」
 コソコソと声を潜めて嗜める。和葉の放った科白に新一は瞳を見開いた。
「……!!どういう意味だ…?」
「せやかて、工藤くん…アタシら、わかってしもたんよ。平次の気持ち」
「服部の……気持ち……?」
 一体、何がわかったと言うのだろう。
 自分にわかっているのは、少なくとも、彼の気持ちが自分には向いていないということだけだ。
 そう考えて気落ちする。自分で自分の首を絞めている。正直なところ、和葉を見ているのも辛いのに。
「ま、それはええわ。せやけど、もう一つ、はっきりさせなあかんことがあんねん。工藤くん、あんた……平次のこと好きなんちゃうん?」
「!!」
 突然、脈略も無しに話の矛先を自分に向けられ、しかも、核心に触れられた新一が、思わず飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになる。どうにか堪えて、眼前の彼女の顔に吹くことは免れたが、代わりに咽て盛大に咳き込んだ。
 彼女が言ったことは真実だったから。
 自分の心を見透かされたのかと蒼くなった。和葉が気付いたということは、蘭や平次にも気付かれた可能性がある。
 ―――…ということは、今この場にいない二人の話というのは、まさか…そのことなのか……?
 未だ咳き込みながらも目を見張る新一を見て、予想は的中したのだと確信した和葉は、元々吊り上がり気味の瞳を尚更きつくした。
「もしそうなんやったら、あんた最低やで。蘭ちゃんも平次も二人とも傷つけとる。何でそないなことすんの?いい加減、男らしゅうはっきりさしたらどないやの!!」
「……ちょっと待て。蘭はともかく、何で、服部まで傷つくんだ…?だって、あいつ……」
(もう俺のことなんか、何とも思ってないんだぜ…?)
 ようやっと落ち着いた新一が、片手を翳して制止をかける。和葉は呆れたように前髪を掻き上げた。
「はぁ…。ホンマにあんた、鈍い男やわ……。とにかく、今はあんたの話や。アタシの質問に答えてや。どうやの?」
「どうって……」
「好きなん?どうなん?はっきりしぃ!!」
 言い躊躇われて目を泳がせる新一に、和葉が容赦無く問い詰める。
 彼女の剣幕と気迫に押され、彼はついに肯定を口にした。あの日から、ずっと口に出せなかった本当の想い。
「……好き、だよ……」
 小さな小さな呟きにも似た告白。予想通りの返答に、和葉は瞳を眇めた。
「……一発、殴らせてもろてもええ?」
「……ご自由にどうぞ」
 両手を組んでポキポキと骨を鳴らす和葉の心情を察し、新一は諦めたように瞳を閉じると息を吐いた。彼女にしてみれば、大事な親友を傷つけられ、おまけに、未だ大好きな幼馴染みに想いを寄せる恋敵。
 当然の報いであると、新一は甘んじる。次に来るであろう衝撃を覚悟し、奥歯を噛み締めた。
「ほな、遠慮無く……」
 和葉は一息吐くと、テーブルの下で組んでいた新一の軸足に、ピンヒールで踵落としを食らわせた。
 相当痛いだろうに、新一は眉間を僅かに寄せただけで、和葉の言葉を待って真っ直ぐ彼女を見つめる。
「ホンマは顔をぶっ叩きたいねんけど、その顔、蘭ちゃんも平次も好きやからな。あの二人が悲しむことしたないし、アタシも結構イケてる思うてるし。これで勘弁しといたるわ」
「…それはどうも。けど、流石にピンヒールは痛ぇな……。やることがすげぇよ。まさかそう来るとは思わなかった。なかなか侮れねぇよ、あんた」
 皮肉気な笑みに口元を歪める新一に、和葉が椅子の背凭れにふんぞり返って鼻を鳴らす。
「ホンマのトコ、思い切り投げ飛ばしたい気分やわ。けど、アタシ、合気道の段持っとるから迂闊に技かけられへんやん。これで、あんたが痴漢でもしてくれたら、遠慮無く投げ飛ばせるんやけどな」
「怖ぇな、本当」
 無茶苦茶を言う和葉に、新一も思わず苦笑を零す。
 気持ち良いくらいにサッパリしている和葉。言いたいことはズバズバ言う性格。こんな彼女だから、別れた後も今まで通り、平次と上手く付き合っていけているのだろう。
 冷めかけてしまったコーヒーを手に取ると、じっとその動きを見ていた和葉が腕を組んで微笑う。
「女の恐ろしさ、身に沁みてわかったやろ?」
「ああ……。本当、蘭には申し訳無いことをしたと思ってる…」
 コナンだった間ずっと待たせて。
 元に戻ったら表面上は彼女のものになったけれど、心は違うところに行っていて。
 そのことを彼女が知ったらどんなに悲しむかわかっていた筈なのに、自分に嘘を吐いて、彼女に本当の気持ちを悟られないように欺き続けていた。その結果がこうだ。
 今頃、蘭と平次は直接話し合っている。
 真相を知った蘭は傷つき、平次は未だ未練がましい俺を知って愛想を尽かし、もう二度と会ってくれないかもしれない。別れた後も親友という偽りの姿で付き合って来たけれど。
(きっと俺は、どちらにも捨てられるのだろう…)
 今までの報いだ。
 彼らに憎まれこそすれ、好かれ続ける自信も資格も今の自分には皆無。
 コーヒーカップに視線を落としているため、新一の表情に濃い影が落ちる。カップの中では、琥珀色の液体に、情けない男の哀れな姿が映っていた。
「蘭ちゃんだけとちゃう…」
「え?」
 搾り出すような否定が不意に彼の耳を打つ。
 自分の思考の中に埋もれていた新一は、カップから目を上げた。
 視線を向けた先には、何かに耐えるように眉を寄せた和葉の切羽詰ったような顔があり。彼女は瞳を眇めて、今にも泣き出しそうな表情をしていた。
「平次は?平次かてそうやん!!」
 訴えるように言い放たれた和葉の声が、新一の頭の中でリフレインする。意味を考えて視線を外す。
「服部にも……すまないことをしたと思っているよ。俺、ずっとあいつの好意に甘えていた。でも、俺、あいつにはちゃんと蘭と付き合い出したことを話したし、あいつ、わかってくれたみたいだし……」
 新一の言葉に、和葉が驚いたように大きな瞳を見開く。テーブルに両手を突き、身を乗り出して新一に詰め寄る。
「えっ…?なに…工藤くん、平次の気持ち知ってたん!?それで、ようもそない酷いこと出来るな!」
「…事情が事情だったんだ。苦しんでた俺に、あいつは手を差し伸べてくれて…そのとき、初めてあいつの想いを知ったんだ。俺はその好意の上に胡坐を掻いていた。…で……いつの間にか、本当に好きになっていた。でも、俺には蘭がいたし、いつまでもそんなことしてるわけにはいかなくて……。……服部には本当に悪かったと思ってる……。傷つくのは俺だけで良かった筈なのに、深く傷つけてしまった…」
「な……」
 瞳を伏せてコーヒーを飲む新一に、和葉が目を丸くして身体を戻すと素っ頓狂な声を出す。信じられないとでも言いたげに、言葉を継げずに新一を見つめる。そうして、暫く経ってから彼女が発した声は、心なしか震えていた。
「あんたら……もしかして、前に付き合うてたん…?」
「……これだけぶっちゃけて、今更隠しても仕方が無いから正直に言うけど。少しの間、付き合ってたよ。悪かったな。俺、嘗ての恋敵だよ、和葉さんの」
 視線を逸らしながら告白する新一に、和葉は呆れたように頭を押さえた。頭痛がしてくる。
「……何やの…。アタシら、あんたらの痴話喧嘩に巻き込まれてんの!?いい迷惑やわ!」
「痴話喧嘩なんかじゃねぇよ。大体、喧嘩してないし。それに、前のあいつの気持ちは知ってるけど、今は知らないんだよ」
「はぁあ?」
 溜め息交じりに言う新一を、和葉はテーブルに肘を突いて怪訝な顔で見やる。開いた口が塞がらないというのは、まさにこういう状況を言うのだろう…と考え、和葉は盛大な溜め息を吐いた。
「…まぁ、ええわ。アホらしくって何も言う気にもならへんもん。せやけど……そうやね……もう一個だけ聞いとこかな」
「…なに?」
 拗ねたような表情で問い返す。そこには、いつもの大人びたイメージは全く無く、どちらかと言うと子ども染みた彼がいた。
 和葉は初めて見る彼の表情を珍しいものを見るような瞳で見返し、ゆっくり右手を持ち上げると、今はシャツに隠れて見えない彼の胸元に人差し指を突き付けた。
「あんたがしとる、そのチェーンチョーカー……どないしたん?」
 頭上で、ハッと息を呑む気配がする。和葉は上目遣いで彼を凝視した。数瞬後に返って来た返事は、辛うじて聞き取れる程に小さく掠れたものだった。
「……どうして…知ってる…?」
「昼間、別れる前に覗き込んだときにチラッと見えたんや。でな、それとそっくりな奴を、前に平次が買うててん。あんたは蘭ちゃんに自分で買うたって言うたらしいけど、ホンマは……」
「……堪んねぇな。まるで尋問みたいだ」
 皆まで言わせず、新一がホールドアップのポーズで苦笑を零す。それからテーブルに片肘を突くと、和葉に真剣な瞳を向けた。
「流石、大阪府警刑事部長の娘さん。……そうだよ…これは服部からもらったものだ。俺が帰って来た祝いをするって日に」
「平次が先に帰った…あんときやね」
 いつかのことを思い出して、和葉が「あぁ…」と思い当たる。
 言われてみれば、あの日の平次はさっさと一人で大阪に帰ってしまい、確かに様子がおかしかったと改めて思う。次の日に新一の復帰祝いをすると知っていた筈なのに、あのお祭り好きな彼が事件と称して突然帰ってしまったことを、心のどこかで不審に思っていた節はあったのだ。
「あぁ。ただ、あのときは、まだあいつが俺のこと好きだって知ってたから。……未練がましいよな、俺。本当…」
 はぁ…と新一が肩で息を吐く。和葉は少し考えるように口元に指を当て、瞳だけを動かして新一を見据えた。
「……これではっきりしたわ。平次がホンマに好きな人が、な…………」






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