*   *   *



「服部くんは……今、誰か好きな人いるの?」
 重く長い沈黙が続いた二人の空気を打ち破ったのは蘭だった。小さく呟くような問いかけに、平次は言葉に詰まる。
「え…何で……?」
「私、和葉ちゃんから聞いちゃったんだ。服部くんから和葉ちゃんに別れを切り出したこと。それから、服部くんが、前にチェーンチョーカーを買ってたってこと…」
「…………」
「でも、服部くんはチェーンチョーカーをしていないし、……ということは、誰かにあげたんでしょ?」
 平次の襟元を見て視線を逸らす蘭に瞳を伏せる。どう答えたものかと瞳を泳がせ、何度も浅い呼吸を繰り返した。
「……まあな…。けど、それはもう終わったことや」
「終わったって、どういうこと?」
 彼女にしては遠慮の無い問い詰め。彼にとって辛辣な言葉が胸に突き刺さる。それだけ彼女も、瀬戸際に立たされていると言うことなのか。
 平次はそわそわと落ち着かない様子で、自らの指同士を絡ませては遊ばせた。
「それは……そのことは、もう過去のことっちゅーことや」
 視線を落として自嘲気味に唇を歪めた平次に蘭は顔を上げると、手持ち無沙汰に片腕を擦りながら、真っ直ぐ彼を見据えた。
「だけど、服部くんの中ではまだ終わっていないんじゃない?」
「……!蘭…ちゃん……?」
 強い意志を秘めた瞳が平次を貫く。頑なな、何かを確信しているような光と、相反して今にも崩れてしまいそうな弱い色が彼女の瞳の中で揺れる。
「私、つい最近、服部くんが贈ったものらしきチェーンチョーカーを身に着けている人を見たんだけど」
「!!」
 ビクッと、平次の身体が目に見えて大きく震えた。平次の様子を確認しながら、ゆったりとした口調で蘭が続ける。
「服部くんがチェーンチョーカーを贈った人……即ち、あなたが好きな人って、もしかして………」
 平次は、次の瞬間決定的な言葉を紡ぐであろう蘭の口元を黙って見つめ、痛みに耐えるように眉を寄せるとゆっくり瞼を閉じた。
「……新一なんじゃない……?」
 二人の間を湿った冷たい海風が吹き抜けて行く。まるでそこだけ時間が止まってしまったかのように、全てのものがモノクロに彩られる。
 平次は問われた言葉に、静かに瞳を開けた。思考が停止してしまったかのように微動だにしない彼の、唯一動く瞳だけが心情を雄弁に物語って小刻みに揺れる。
 その瞳には今、哀しげな表情の蘭が映っていた。










 一方、レストランで神妙な面持ちで話をしていた新一と和葉は、会話が途切れた頃に時刻を確認して周りを見渡した。
 平次が広場に向かってから、既に三十分以上が経過している。
 一体、どのような事の運びとなっているのか、新一は気が気ではなかった。居ても立ってもいられず、取り敢えず二杯目のコーヒーを注文しようと席を立った彼は、カウンターで和葉にとレモンティーも頼んでテーブルに戻る。入り口付近に顔を向け、平次と蘭の姿がまだ見えないことを確認すると、息を吐いて椅子に腰を下ろした。
「はい、どうぞ。喉渇いただろ」
「あ、おおきに。工藤くんのこないなトコは、平次にも見習わせたいわ」
 嬉しそうに温かいカップを受け取る。湯気を上げるそれを両手で持つ彼女の前に砂糖を差し出して、新一は窓の外を見た。夜闇に瞬く、街路樹やアトラクションの色取り取りの光が目に鮮やかだ。
「……それにしても、ちょっと遅くないか?話が終わったら、ここに来るって言ってたんだろ?」
「うん……。せやね。ちょっと時間かかってるかも…」
 カップに口を付けながら、和葉も釣られるように窓の外に視線を向ける。
 すると、丁度目をやった先に、不審な動きをする人物を認めた。辺りを窺い、人目を避けて行動するそれを瞬時に怪しいと判断する。
 と、思い出したように彼女は目の前の探偵に顔を戻した。彼も同じものを見ているのだろう。瞳をきつくして見つめる顔が、和葉の視線に気付いて目配せし、無言で頷く。和葉も黙って頷くと、新一に続いてレストランを飛び出した。















 幾つかの外灯が薄く照らし出す広場は、物音一つせず静寂を保っていた。
 平次も蘭もその後何も声を発せず、しんと静まり返ったそこは空虚のようで。
 平次の沈黙を肯定と解釈した蘭は、一層切なげに顔を歪めて俯いていた。
 同じ人を好きになった苦しさ、そして、想い人の気持ちを考えて、寂しさと遣り切れなさが胸に込み上げてくる。涙が滲んでくるのを、彼女は必死に堪えていた。
 そんな、世界から切り離されたような静かな空間に、音も無く近付いて来る一つの影があった。
 探偵の勘か、普通の人間ならば気付きもしないだろうその気配を逸早く察知した平次がそちらに視線を向けると、全身に黒を纏い、いかにも闇に紛れるように行動している人物を見つけた。
 黒のキャップを目深に被っているため性別はわからないが、こんな場所で気配を絶って行動するのは明らかに不自然だ。それに、左腕に抱えるように持っているのは、アタッシュケース…?
 不審な匂いがぷんぷんするそれに平次が眉を顰めたとき、彼は不意に、その人物が右手に隠し持つものに気が付いた。
「あ…っ」
 自分の後方を見て驚愕に目を剥く平次を、蘭が何事かと言う表情で振り向く。そこで初めて、彼女は不審人物に気が付いた。
 だが、運悪く、向こうもこちらに気付いたようだ。見てはいけないものを見てしまった己が悪いとでも言うように、一寸の躊躇いも無く相手の右手が素早く動く。人気が無いのを幸いとし、その腕が彼らに向けられたと同時に、間合いを計っていた平次は蘭を引っ張って地面に転がった。直後、二人の頭上を通過する弾丸。サイレンサーを装着しているらしく、パシュッという乾いた音の他に銃声はしなかった。
 間髪入れず、芝生の上に転がる二人のすぐ傍に、また一発着弾する。
「きゃあぁぁぁ〜〜〜っ!!」
 一瞬何が起こったのかわからずに呆然としていた蘭が、目の前の芝生が弾けて土が飛び出すのを見て正気に戻り、悲鳴を上げる。
 平次は背中を冷や汗が伝うのを感じた。蘭を庇いながら、相手から目を離さずに睨みつける。銃を構え直した相手が、恐ろしく緩やかな動作で再び照準を二人に合わせた。
「そこで何してやがる!!」
 まさに引き金が引かれようとした瞬間、闇の中を鋭い声と共に、何かが目にも留まらぬ速さで突きぬけて行った。その何かは相手の銃を右手から叩き落し、芝生を削って跳ね返る。何度か地面に弾んで地に落ち着いたそれは、ジュースの空き缶で。
 こんな見事なコントロールを見せる人を彼らは一人しか知らなかった。ホッとしたように表情が些か明るくなる蘭を、平次は隣で盗み見ていた。
 やがて、二人の予想と何ら違わず、レストランで見かけた挙動不審な人物を追って来た新一と和葉が闇の中から姿を現す。
「新一…っ!!」
 新一の姿を見て微かに笑みを見せた蘭が、平次と共にこの隙にと新一達の方へ走り出す。その脇を、また銃弾が突き抜けた。振り向くと、アタッシュケースを地面に置き、左手で銃を向けている暴漢の姿。外灯に照らし出された眼が、赤い怒りに燃えていた。草食動物を襲う肉食獣の貪欲さで、四人に向けて銃を乱射する。
「こっちだ!」
 新一は広場の脇に止めてあった従業員の作業トラックに目を留めて指を差す。
 一先ずその陰に身を隠した彼らは、そこに蘭がいないことに気付いて。
 目を見開いた新一が振り返ると、恐怖に身体を凍りつかせて足を縺れさせた蘭が数メートル離れた先にいた。彼女の後ろには、狂気に取り付かれた魔の手が迫っていた。
「蘭!!」
 即座にトラックの陰から躍り出た新一に、狂気の冷たい銃口が向けられる。蘭に気を取られ、力の入らない彼女の腕を引いて一瞬背を向けた彼に隙が出来た。
「……!!工藤っ!!危ない……!!」
「……っ!!」
 考える暇も無く、咄嗟に新一と蘭に体当たりして突き倒した平次の右胸に、銃から発射された弾丸が吸い込まれるように命中した。
 スローモーションのように倒れる肢体を、その場にいた全員が見ていた。湧き上がる悲鳴。
「は、服部くん!!」
「平次ぃぃぃ〜〜〜ッ!!」
 突き飛ばされて体勢を崩し、地面に尻餅を付いて呆然と事の成り行きを見守っていた新一は彼女達の悲鳴でようやく我に返り、慌てて起き上がると倒れた平次に駆け寄った。彼の身体を素早く仰向けに返す。倒れたまま固く目を閉じて開けない平次に、いつもの冷静さは何処へ行ってしまったのか、蒼い顔でらしくもなく取り乱す。
「し…新一……」
 震える腕で、意識の無い平次を懸命に掻き抱く新一の姿を目の当たりにした蘭と和葉は逆に冷静さを取り戻し、拳銃を下ろして弾を補充しようとポケットを弄って俯いた犯人に忍び寄ると、回し蹴りと踵落としを食らわせた。
「ぐぇっ!!」
 不意を突かれて彼女達の見事な足技をモロに食らった犯人は、潰れた蛙のような声を上げて地面に突っ伏す。興奮に荒い息を吐いてへたり込むようにその場に蹲った蘭と和葉は、半ば泣き叫ぶような新一の声を耳にして振り返った。
「はっ…と、り……!服部…服部……っ!!」
 無我夢中で抱き起こす。その拍子に、平次の穴の開いた胸ポケットからポロリと何かが転がり落ちた。何かと思い、目を凝らして見ると、それは新一がしているのと同じロザリオで。
「ど…うして……」
 何故、平次が自分と同じ物を持っているのかわからず、新一が茫然とそれを見つめていると、おぼつかない足取りで駆け寄って来た和葉が屈み込んで拾い上げる。目の高さまで持ち上げて外灯に翳すと、分厚い金属で象られたそれは真ん中辺りに罅が入り、近くにはこれと一緒に転がったのだろう、平次を撃ち抜いたはずの銃弾が落ちていた。
 閑散としていた広場は、相次いで聞こえた悲鳴の所為で人々が集まり始め、騒然となっていた。
 その混雑の中、付近を巡回していた警備員によって平次を撃った犯人は気絶したまま担架に乗せられ、連行されて行き。
 平次は、駆け付けた救急車で米花総合病院へと運ばれた。






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