平次を撃った犯人は、その後の取調べで、トロピカルランドで取引をしていたのだと供述した。
 ある企業の裏帳簿を入手した彼は強請っていたのだと話す。他にも、トロピカルランド近辺で起きていた数件の押し込み強盗も、全てこの犯人の仕業だった。

(俺がコナンになった、あの日みたいだな…)

 病院の薄暗い廊下でそのことを警部から聞いた新一は、未だ「手術中」と点灯されている重苦しい扉を見つめて項垂れた。事件体質である己の身を、今日程呪ったことは無かった。
「…ほな、アタシ、ちょぉ平次のおばちゃんに電話してくるから……」
「うん…わかった」
 小声でそう言って足早に去って行く和葉を見送った蘭は、廊下の端から、頭を垂れて長椅子に座り込む新一に目を移した。
 眉間に皺を寄せ、瞳をきつく閉じて平次のチェーンチョーカーを握り締める彼は、傍から見ていても痛々しかった。蘭は自分達を庇ってくれた平次の身を案じて、一度聳え立つ扉を見つめてから、静かに彼に近付くと隣に腰を下ろした。
「……服部くん……大丈夫かな…」
「………大丈夫だろ…。あいつは、悪運だけは強ぇから……」
 囁くような問いに、新一は強張った笑みを浮かべながらも悪態を吐く。本人は強がっているつもりだろうが、眉がピクピクと小刻みに震え、落ち着き無く無意識に視線を泳がせてしまうのは隠せなかったようだ。心配そうな蘭を見て、ポーカーフェイスが発動されなかったことを知った彼は、顔を正面に戻すと小さく舌打ちした。
「……ごめんね、新一」
「何で、おまえが謝るんだ?」
 唐突に謝罪の言葉を発した蘭を、新一が怪訝気に振り返る。蘭は儚い笑顔を浮かべた。
「だって……私の所為でこんなことに…。それに、服部くんに嘘吐いて……新一にも黙って、服部くんを呼び出したから…。私、新一にそんな醜い部分を知られたくなかった。嫌われたくなかったの……」
 申し訳無さそうに言う蘭を責められるわけがない。元はと言えば、そういう行動をした自分が悪いのだから。隙を作った自分の責任。彼女を追い詰めたのも、自分の軽率な行いのためだった。
「……そうか……でも、おまえの所為なんかじゃねぇよ。俺はおまえを嫌いになんかならない。寧ろ、俺の方が嫌われて当然なんだ…」
 そう言いながらも、気になって仕方が無かったことがあったから。
 彼はさりげなさを装い、瞳を逸らして呟いた。
「それで……あいつと、何を話したんだ?」
 聞かれた蘭は一瞬躊躇うような素振りを見せたが、意を決したのか両手を膝の上でぎゅっと握り締めた。息を吐くように口を開く。
「……服部くんが買ったチェーンチョーカーは誰にあげたの?とか、服部くんの好きな人って新一なんじゃない?とか…」
「…ふーん……で、あいつ…何て答えた?」
「何も。ただ……チェーンチョーカーの件は過去のことだって言ってたけれど、まだ吹っ切れていない感じだった…」
「……そうか…」
 レストランで和葉が言っていたことを思い出してみる。
 彼女の言ったことは果たして当たっているのか。だとすれば、彼はまだ自分のことを好きでいてくれているのだろうか。
 まだ、彼の中に自分の居場所はあるのだろうか…。
 一抹の、淡い期待が胸を過ぎる。それと同時に、真実をはっきりさせなくてはいけない責任に、新一は緊張して乾く唇を軽く舐めた。このまま逃げていても、誰も救われないとようやくわかったから。
「………。それで…あの、な…蘭……。俺、おまえに言わなくちゃいけないことがあるんだ……」
「…なあに?」
 何を言われるのか予想がついているのだろう蘭が、それでも何気無い風に返事を返す。
 新一は瞳を閉じ、深呼吸を数回繰り返してから彼女に向き直った。蘭の綺麗な瞳を真っ直ぐ見つめる。
「俺、好きな人がいるんだ」
「……うん」
 蘭の表情が僅かに曇る。視線を手元に落として、静かに新一の声を聴く。
「俺、おまえのこと、凄く好きだった。でも、もっと好きな人が出来ちまったんだ…」
「……ぅん…」
 返って来る声が一段と小さくなったことに、新一は俯く彼女の顔を窺い見た。泣いているのではないかと思った彼の予想通り、彼女は唇を噛み締めて懸命に涙を堪えていた。瞳は既に潤み、切なげに歪められている。
 自分が泣かせているのはわかっていたが、新一には蘭の固く握り締められた両手をそっと包み込んでやることしか出来ない。
 冷たい、手。
 こんなにも傷つけてしまった己の罪。罪に塗れた自分の手でも、少しでも彼女の手が温まれば良いなんておこがましくも願いながら、心からの謝罪を伝える。
「おまえに、待っててくれなんて言って…ごめん。あと、こんな中途半端な気持ちでおまえを選んじまって、本当に悪かった…。俺、自分のことしか考えてなくて……おまえを、傷つけちまった…」
「ううん…。新一は、ずっと待たせていた私のことを思って、私を選んでくれたんだよね…。新一、昔から変なところで義理堅かったし…悪気が無かったこともわかっているよ」
 そうではない、と言おうとして、新一は口を噤んだ。自分の行動はまさに「義理」でしか無かったのだと、ここにきてやっと思い至ったから。
「……ごめん…」
 決して悪気があったわけではなかった。蘭のことを思っての選択だと思っていた。
 けれど、それは大きな間違いで。
 全ては自分のエゴでしかなかったのだと、彼女に言われてみてやっとわかった。

 何て愚かで傲慢なのだろう、自分という人間は。

 自己嫌悪に暗い表情になった新一を見て、蘭が慌てて顔を上げて違うとでも言うように首を振る。
「あ、別に責めてるわけじゃないよ。私、新一と一緒にいれて幸せだった。服部くんや新一の気持ちに気付かなかったら、平気でこの先も付き合ってた。そして、服部くんや新一を傷つけて行ったと思う…」
「おまえの所為で傷つくわけじゃない。全部、俺の所為なんだ。俺が無責任なことしちまったから……。蘭や服部だけじゃなく、俺、和葉さんまで傷つけてた。本当に、悪かった…。謝っても謝りきれねぇ…」
 頭を下げて謝る新一に、蘭は彼に握られた手を握り返して上下に軽く振った。
「謝らないでよ。新一、そうやってずっと自分を責めてきたんでしょ?もう、それで充分だよ。新一と過ごした時間は私の宝物だよ。今までも、これからも。でも…仕方無いよね。新一が本当に好きなのは私じゃなくて……服部くんだってこと、痛いくらいわかっちゃったから…」
「ごめんな…」
「もう!謝らないでってば!そんなの、全然新一らしくないもん」
 気味が悪いからやめてと笑う蘭に、新一の表情も幾分か和らぐ。微苦笑を浮かべて手を離す。
「…そっか。ありがとな……」
「うん」

 それでも。

 新一が他の誰かを好きでも、私を大切にしてくれるなら。もっと、ずっと新一の傍にいたかった…と、涙ぐみながら微笑んだ蘭を、新一は強く抱き締めた。


「……大好きだったよ」


 涙に濡れた声で呟く、彼女の最後の言葉。
 新一は、声も無く涙を流す蘭の髪に顔を埋めた。いつも嗅いでいた、懐かしく切ない香りが鼻腔を掠めて流れて行く。


 昔から、大切に想っていた人だった。それは今もそう。
 だけど。
 「大切」の意味が前とは変わってしまった。


 だから…。

 こうして彼女を抱き締めるのは、これが最後。










 小一時間経った頃。
 不意に「手術中」のランプが消え、永遠かに思えた時間に終わりが訪れた。
 扉を開いて出てきた医師に、ハッと顔を上げて立ち上がる。死刑宣告を聞くような面持ちで詰め寄ると、彼は厳しかった表情を一変させ、穏やかな表情を見せた。
 彼によれば、平次は負傷しているものの、命には別状無いらしい。銃弾が、胸ポケットに入れていたチェーンチョーカーの厳ついデザインのロザリオに上手い具合に当たったため、致命的なダメージにはならなかったそうだ。口径が小さかったことも幸いしたのだろう。


 今は気を失って眠っているだけだから、意識が回復すれば問題無いと告げて去って言った医師に頭を下げ、新一はずっと握り締めていたロザリオに目を落とした。
 罅の入ったそれが平次の命を救ったのだと知り、込み上げてきた熱いもので胸が一杯になった。






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