*   *   *



「…あ、そうですか……。はい、わかりました、伝えておきます。え?いいえ、こちらこそ…。はい、それでは失礼します」

 数日後。
 ガチャ…と力無く受話器を置いた蘭は、事務所のソファで本を読んでいたコナンを振り返って。
「コナンくん、お父さん……今、コナンくんのお母さんから電話が来て、お仕事の区切りがついたから、急だけど、明後日迎えに来られるそうよ」
 江戸川文代に扮した有希子からの連絡を受けた蘭は、そう言って「淋しくなっちゃうな…」と淋しそうに小さく笑った。机に向かって新聞を読んでいた小五郎は蘭の言葉に弾かれるようにコナンを見たが、すぐに無関心だとでも言うように「フン…」と鼻を鳴らして新聞に目を戻した。
 黒の組織が壊滅した今、毛利探偵事務所にいつまでも世話になっているわけにもいかなかった。それに、解毒剤さえ完成すれば「江戸川コナン」はいなくなり、「工藤新一」が帰って来る。そのため新一は両親や博士等と相談をし、「コナン」は外国にいる両親の元へ引き取られるということにして、薬が完成するまではホテルに身を置くことになったのだ。
「あ、そうだ!明日、コナンくんのお別れ会しようよ。少年探偵団の皆も呼んで。あと、服部くん達も呼ぼうか。コナンくんと服部くん、仲良いもんね?早速、都合を聞いてみるからね」
「あ、うん…そうだね」
 コナンが返事をするが早いか、蘭は自分の手帳を開くと電話を掛け始めた。部屋に響く電話のプッシュ音をぼんやりと聞きながら、コナンは読みかけの本を膝に置いたまま天井を見つめていた。










「コナンくん、外国に行っちゃうの?」
「向こうに行っても、手紙とかくださいね」
「くれなかったら、承知しねぇぞ!」
「へぇ〜…コナンくんのご両親、外国に住んではるんや…」
「フン。ようやくうるせぇのがいなくなって清々すらぁ」
「あらぁ?そんなこと言って、本当は淋しいんじゃないのぉ?」
 泣き出しそうな顔でコナンの手を握る歩美。悲しそうに瞳を歪めながらも気丈に微笑む光彦に元太。昨日今日で大阪から平次と一緒に呼び出された和葉がどこか感心するように呟く。
 小五郎は相変わらず口が悪かったが、園子に突っ込まれた通りやはり淋しいらしく、酔っ払いの最高潮にもなる頃には、「何で今更外国なんて行く必要があんだ」だの「おまえがいないと商売上がったりだ」だのブツブツ言っては、周囲の苦笑を買っていた。





「ごめんね、服部くん。手伝ってもらっちゃって…」
 結局、歩美達を帰してからも続けられた宴会は深夜にまで及んだ。蘭の部屋に泊まることになった園子と和葉はまだ騒ぐつもりらしく、近くのコンビニに買出しに行っている。
 飲み過ぎて居間で寝こける小五郎を一人で寝室まで運ぼうとしていた蘭に手を貸した平次は、礼を言われて顔を上げると、ちょっと首を傾げて。
「何も、全然平気やで。このおっちゃん、蘭ちゃん一人で運ぶんはしんどいやろ」
 にっと人好きのする顔で微笑む。吊られるように蘭は小さく笑い返した。
 何やら会話をしながら小五郎を寝室へ連れて行く二人。その様子を床に座ったまま見ていたコナンは、無意識に拳を握り締めた。言い得ぬ不快感が走り抜けて行く。
 それから、はたと我に返った。
 この苛立ちは一体何?自分は役に立たないから歯痒いのか?それとも…。
 それとも、蘭と服部が一緒にいるのを見るのが嫌…?嫉妬している…?それは一体どちらに対して?
 焦燥感とも取れる感情に、そんなバカなことがあるものかと首を振ってグッと奥歯を噛み締めたとき、ふぅ…と息を吐きながら蘭が戻って来た。その後から平次も続く。小五郎を肩に担いだ際に腕に負担が掛かったのだろう、両腕を回している。
 当然のように蘭はコナンの隣に腰を下ろし、平次は彼の正面に腰掛けた。飲みかけのコーラに口を付ける。
「でも、本当にコナンくん、明日でいなくなっちゃうんだね…。淋しくなっちゃうんなぁ…って、あ…ごめんね。こんなこと言ったら、コナンくん困るよね」
 儚げに笑う蘭にコナンは曖昧な笑みを浮かべた。彼女に真実を隠しているという後ろめたさと、彼女から「コナン」という存在を奪ってしまう罪悪感が頭を擡げた。
「僕も淋しいよ。でも、外国から蘭姉ちゃんにお手紙書くから。そしたら、淋しくないでしょう?」
 今の自分に言える精一杯。弟のようにコナンを可愛がっていた蘭は、その言葉に「そうだね」と、顔をやや俯かせながら小さく微笑った。
「服部くんも淋しいでしょう?コナンくんと仲良かったもんね」
「えっ……あ、あぁ……そうやな……」
 突然話を振られた平次は、慌てて飲んでいたコーラの缶から口を離す。缶を持つ手が微かに震えている。それが蘭の目には仲の良かった子どもとの別れを惜しんでいるように見えたのだろう。困ったような、慈愛の溢れた笑みで平次を見つめている。
 コナンは目の前でぎこちなく蘭から目を逸らす彼の様子を、目を細めて見ていた。
「僕、平次兄ちゃんにもお手紙書くから大丈夫だよ、蘭姉ちゃん」
 無邪気に笑って振り返るコナンに、蘭は愛しそうに顔を綻ばせた。頭を撫ぜる。
「コナンくん、服部くんのこと好きだもんね」
「え……」
 ドキッとして言葉を詰まらせる。平次が弾かれたように視線を上げた。
「う……うん……」
 俯いて小さく呟く。蘭が言った「好き」という意味はわかっているが、後ろ暗さのある二人は一瞬だけ動揺する。まるで心の中を見透かされたような気がして、コナンは誤魔化すようにテーブルに置き去りにされていたスポーツ飲料の缶に手を伸ばした。口に含んだ瞬間、温くなって不味い液体が口腔内に広がって、それが自分と平次の関係のように思えたコナンは思わず眉を顰めた。
 何も知らない蘭の優しい視線が、棘のように痛かった。


















「この子が大変お世話になりました」
 翌日の朝、毛利探偵事務所の前に止まった高級外車の中から、江戸川文代(に扮した有希子)が姿を現した。黒いスーツを身に纏い、縁の付いた吊り上がり気味の眼鏡の奥から自らの腕に抱き寄せたコナンを見つめる瞳はとても優しく、紛れも無く有希子のものだ。
 その日は生憎の薄曇の空模様で、初冬の身を切るような北風が道路の砂を巻き上げては遊んで行った。
「いいえ。何だか淋しくなります。……コナンくん。こっちに帰って来ることがあったら、良かったら寄ってね」
 車まで見送りに来た蘭が、コナンの小さな手を握り締めてその大きな瞳を涙で潤ませながらも微笑む。涙脆い彼女。その後ろには、同じく見送りに出て来た小五郎と平次、昨夜遅くまで起きていたらしい園子と和葉が赤い目をして見守っている。
「毛利さん、今まで本当にありがとうございました。これ、気持ちばかりですけれども、今までの御礼です」
「いえいえ、こちらこそ。とても可愛らしい息子さんですので、また何かありましたら仰ってください」
「ありがとうございます」
 小五郎は文代からパンパンに膨れた「御礼」とやらの入った茶封筒を受け取りながら、毎度お馴染みの科白を口に乗せている。しかし、その中にちょっぴり淋しい色を感じ取って、文代(有希子)とコナンは顔を見合わて困ったように微笑った。さり気なく腕時計に視線を落とす。
「それでは、そろそろ…。ほら、コナンちゃん。皆さんにご挨拶してね」
「蘭姉ちゃん、毛利のおじちゃん、今までお世話になりました。園子姉ちゃん、平次兄ちゃんに和葉姉ちゃんも、今まで仲良くしてくれてありがとう。元気でね。バイバイ!」
 手を大きく振って車に乗り込むコナンに、蘭は何とも切なげな表情を見せた。小五郎はそっぽを向く。
「バイバイ、メガネのガキんちょ!外国でも元気にやってきなよぉ!!日本に帰って来たら、必ず顔見せるのよ!?」
「コナンくん、バイバイ!元気でな〜!」
 口々に別れを告げる。平次は何も言わず、何とも複雑な表情で見つめていたが、車の中のコナンと目が合うと、にかっと笑って小さく手を振った。


 ―――もう二度と、ここに「江戸川コナン」が帰って来ることは、無い。


「バイバイ、コナンくん。元気でね」
 既に涙声になりつつある蘭の声に小さく笑って応える。それぞれの想いを乗せて、車は緩やかに発進した。コナンは、毛利探偵事務所の前で手を振り続ける彼らの姿が見えなくなると、ゆったりと背凭れに寄り掛かった。突如襲ってきた疲労感に誘われるまま、虚ろに車の天井を仰いだ。
 それは、もうコナンを演じる必要が無くなって安堵しているためなのか。それにしては、胸に多数の蟠りを残している。
「新ちゃん、本当にお友達から好かれていたのねぇ……って、あら?疲れちゃった?」
 変装を解きながらにこにこと振り向いた有希子は、ぼぉーっとしているコナンに小首を傾げる。
「…ちょっとな」
「それなら、ホテルに着いたら起こしてあげるから、少し寝てなさい」
 小さく微笑んで自分の上着をコナンに掛けてやる。その温もりをどこか遠くに感じながら、彼は脱力したように瞳を閉じ、次第に眠りの淵へと意識を飛ばして行った。
 小一時間後には、賢橋駅近くにある高級ホテルに到着する予定だった。






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