* * *
泡沫の夢はやがて終焉を迎える。 週末、新一は蘭に付き合って渋谷へと出掛けた。土曜日ということもあり、久々に行った渋谷は人で溢れ返っている。 身も凍るような凍てつく風。季節は、もう冬になろうとしていた。ビルの谷間から澄んだ青空が覗き、それを目にした新一は理由も無く切なくなった。 駅前から続く道を歩きながら、蘭が不意にぽつりと呟いた。それはとても小さな囁きだったのだが、隣を歩く新一の耳にはっきりと届いた。 「コナンくん、どうしてるかなぁ…」 「あ?…あぁ、おまえん家で預かっていたっていうガキか……。外国、行ったんだって?」 何て白々しい科白だろうかと思いながらも、取り敢えず話を合わせる。独り言のつもりだったのだろう蘭は一瞬驚いたように新一を振り返り、暫く彼の顔を見つめた後淋しそうに微笑った。 「あ、うん…。もう、数週間も経つんだよね…。まだ、数週間しか経ってないんだなぁ……」 「……淋しいか?」 「……そりゃあね……。ずっと一緒にいて、何だか弟みたいな感じだったから……。でも、淋しいなんて言ったら、コナンくんを困らせちゃうから……」 それだけは絶対に言えない、と、蘭は瞳を伏せて力無く微笑んだ。淋しそうな弱い笑みを浮かべた、綺麗な横顔。見ている方が辛くなった。 新一は思わず瞳を眇めて俯いた。蘭にこの上なく淋しい思いをさせてしまっていることが、どうしようもなく切なくて。どうにもしてやれないことがもどかしかった。 彼女に、コナンを再び与えてやることは出来ない。 江戸川コナンという人間は、もうこの世界にはいないのだから…。 俯いて眉を寄せる。そんな彼に気付き、蘭は慌てて取り繕うように笑って軽く彼の腕を叩いた。 「やだ、新一。何で新一がそんな顔するの?コナンくんが来る前に戻っただけだよ。心配しなくても、私は大丈夫なんだから。…そうそう。この間、早速コナンくんから手紙が届いたの」 嬉しそうに手紙の内容を話し出す。その手紙は、新一がまだホテル暮らしをしている間に書いたもので、アメリカにいる優作の元へ一度送った後、向こうから蘭の家へ転送してもらったものだった。 「コナンくん、英語が話せるんだって。まだあんなに小さいのに、凄いよねぇ」 「まぁ、ガキの方が順応性はあるからな」 「もう。新一って、何でそういう言い方しか出来ないの?」 素っ気無い新一の言葉に、折角の賛辞に水を指された感の蘭が不満そうに小さく唇を尖らせる。 と、不意に、蘭が人の波に飲まれてよろけた。新一は咄嗟に腕を伸ばして彼女を抱き寄せて…。ふと、真っ赤になりながらも自分に縋り付いてくる蘭を気にもせず、自分の身体を見下ろした。 以前は逆に、彼女に守られる立場だった小さな自分。今はちゃんと片手で支えてやれる。 ちょっとしたことで、高校生の自分を実感する。 それと共に、もう戻れないのだということも痛感した。 「ご、ごめんねっ、新一…っ……ありがとう」 人込みを避けて何とか道の端に移動してから蘭はそっと新一から離れた。うっすらと頬を紅潮させたままはにかんで笑う蘭に小さく笑い返して、新一は自分の手に視線を移した。 高校生の姿を取り戻したことによって、この手に得るものと失うもの。 失うものを考えると、その大きさに胸の奥が締め付けられるように痛んだ。正常に呼吸が出来ない程。息苦しくて、隣にいる蘭に気づかれないように、そっと胸に手を当てる。小さな深呼吸を数回繰り返す。 その間、蘭は無邪気に店々のショーウィンドウを眺めていた。 しかし、不意にガラスに映った新一に視線を止めると振り返って。 「新一……本当に新一なんだよね…?もう、どこにも行かないよね……?」 不安そうな瞳に見つめられた瞬間、心臓を鷲掴みにされたような気がした。声が、掠れた。 「…何だよ、急に………」 「急じゃないよ!私、ずっと心配してたんだからね。新一、文化祭のときも急に倒れちゃうし、一緒に食事したときに起きた事件のときだって、解決してすぐいなくなちゃったし…。あのときはコナンくんが……っ」 そこまで一息に言って、蘭は言葉を止めた。瞳が僅かに眇められる。 「コナンくんが……カードを届けてくれたんだからね……。子どもに届けさせるなんて、最低だよ……」 新一から視線を外して歩き出す。強がりながらも淋しいということがひしひしと伝わってくる。 新一の前ではあまり泣き言を言わない蘭。そんな彼女が儚げに見えて、新一は思わず抱き締めてやりたい衝動に駆られた。 「あ、そうだ。あのとき言おうとしてたことって何?大切な話があるとか言ってたけれど、まだ聞いてないよ?休学中のノートのことじゃなかったんでしょ?」 話題を変えようと思ったのか、蘭がわざと明るい声を出して振り向く。瞳をうっすらと滲ませながら。 新一はその姿に堪らず手を伸ばすと、細い身体を強く抱き締めた。 「し…新一……っ!?」 突然抱き締められた蘭の慌てたような声が胸で響く。蘭の鼓動と体温の上昇を感じて、新一は抱き締める腕に力を込めると瞳を伏せた。 「俺…………」 「新一…?」 蘭が戸惑うように顔を上げる。顔を見られるのが嫌で、新一は蘭の頭を胸に抱き込んだ。 「あのとき、言えなかったけど……俺……蘭が好きだったんだ…………」 浅い呼吸を繰り返しながら、自分に言い聞かせるように震える唇で告げた。声まで震えなかったことに密かに安堵した。 息を吐くように告げた言葉に、腕の中の蘭が一瞬ビクッと身体を強張らせるのがわかった。 新一は瞳を閉じる。自分の科白が、愛の告白と言うにはあまりにも真実味の欠けた、薄っぺらな言葉に思えて自己嫌悪した。 ややあって、恐る恐るといった様子で蘭は新一の背に腕を回して来た。 「私も新一のこと、好き……だよ。ずっと、好きだったよ……」 蘭の告白に、新一は閉じていた瞳を静かに開けた。 以前だったら、嬉しくて天にも舞い上がるような気持ちになったに違いない。けれど、今は重苦しい胸の奥が、赦されない自分の罪のように感じられて息が詰まった。蟠りは未だ胸中にあった。 「嬉しい……新一……新一……」 うわ言のように新一の名を繰り返し呼ぶ蘭。新一に抱き締められ、抱き返して蘭は幸せそうに瞳を閉じる。何も知らない彼女。 罪悪感で一杯になった新一は、苦しげに眉間を寄せてその身体を掻き抱いた。 (ごめん、蘭。また、前みたいにおまえを好きになるから。前よりも大切にするから。だから、おまえを腕に抱きながら別のことを考えている俺を、今だけどうか許して……) 新一は祈るように空を見上げた。 もし、本当にいるのなら神様…。 あいつを、どうか幸せにしてください。 俺に誑かされてしまったあいつを。あいつには何の罪も無いから、どうか幸せにして―――…。 無責任な願いだということはわかっていた。何て矛盾。他力本願もいいとこだ。俺がこれからあいつに告げることは、あいつを不幸にする言葉でしか無いのに、いるのかいないのかもわからない神にさえも願わずにはいられなかった。 見上げた空は相変わらず澄んでいて、くすんだ瞳に反射した純粋な蒼色がやけに鮮やかだった―――。 そうした過程を経て、新一と蘭は正式に付き合い始めた。 周囲は既に公認の仲だったから、ようやくくっついた二人に呆れながらもとても喜んだ。当事者である新一本人を除いては。 その後、新一が戻って来た直後から蘭と園子が計画していた彼の復帰祝いも兼ねて、皆で二人の冷やかしついでに馬鹿騒ぎをしようということになって。 平次や和葉にも連絡をしようとした蘭に、終業式の後に平次が来る旨を伝えると、彼女は柔らかく笑んで携帯を切った。 「じゃあ、その日に復帰祝いしようか。和葉ちゃんも一緒に来てもらえば良いもんね」 「楽しみだね」と笑う蘭に、新一ははぐらかすように頷くだけで何も言わず、片手でさりげなく口元を覆った。 唇の端が引き攣ってしまって、上手く笑えなかった。 |
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