「俺………実は……蘭と……付き合うことにしたんだ……」



 二人を取り巻く風がその場の空気を冷やす。ぎゅっと握り締めた手の平に汗が滲み、ベタついて気持ちが悪かった。重い沈黙がリビングに落ちる。
「……お、俺のことやったら気にせんといてや…おまえは間違うてへんよ。俺と付き合うとったんが、おかしかったんやから…自分を責めんといてな。おまえは優しいから心配やけど、俺は、大丈夫やからな。俺も蘭ちゃんのこと、友達として大好きやから、あのコのこと大事にしたれや……」
 暫く何も言わずに俯いて拳を握り締めていた平次だったが、やがてゆっくりとその顔を上げた。
 戦慄く唇が、それでも「何でもない」と紡ぐ。笑顔を浮かべようとして失敗したような、歪んだ表情で笑おうとする。取り繕った笑顔の中で、眉と口元がピクピクと引き攣っていた。
 見ているだけで痛々しい姿に、思わず未練がましく伸ばしてしまいそうになった腕を、新一は叱咤して押し止めた。戸惑うように視線を彷徨わせ、再び床に落とす。
 いつも、太陽の下で明るく元気に笑っていた彼の、刃で切りつけられたようなその表情は、尚も新一の心に幾つもの棘を刺した。
 少しでも責めてくれたら、どんなに楽だろうか。
 嫌悪感を露にしてくれたら、どんなに良かったか。いっそ、嫌われた方がマシだった。
 でも、平次は哀しそうな瞳のまま最後まで新一を気遣っていた。優しい言葉が胸に突き刺さる。
 新一の宣告を甘受した彼。
 彼も心のどこかで予想していたのだろうか。この結末を。
 新一が、自分以外の誰か(それは特定の人を指す)を選ぶという結末。彼との別れを…。
「…あ…せや……今更こんなん俺から貰うても迷惑かもしれへんけど……これ、一応復帰祝いのつもりやねん。詰まらんもんやけど、もし良かったら貰ってくれへんか……」
 何も言えずに沈黙を守っていた新一に、平次が思い出したように鞄を引き寄せ、取り出した小さな包みをおずおずと差し出す。 新一はその包みと平次とを何とも言えない表情で交互に眺めた。
「……あっ、べ、別に何も深い意味はあらへんで。迷惑やったらええから……」
 モゴモゴと彼にしては珍しく歯切れの悪い物言いに、新一は例えようの無い罪悪感に苛まれた。
 たった今、自分は彼以外の人を選んだと宣言したのだから当然かもしれない。しかし、こんな彼は今まで見たことが無かった。
 死刑宣告を待つ死刑囚のように身を固くして息を詰める平次の様子を目の当たりにして、新一は彼を驚かせないようにそっと包みを受け取った。手が触れた一瞬、ビクンと肩を揺らせた平次は、新一が黙って受け取ったことを確認すると、ホッとしたように息を吐いた。





 そして…。



「……何や、大阪で事件起きたみたいやから、すまんけど俺、明日の始発で帰るわ」

 タイミングが良かったのか悪かったのか、重苦しい空気を一掃するような着信音が突如部屋に響き渡り、二言三言話して携帯を切った平次は新一にそう言うと、宣言通り翌日の始発の新幹線で帰路についたのだった。
 急に帰ってしまった彼に、和葉は薄情な奴だとか何だかんだと文句を言っていたが、最後にはいつものことだと呆れたように締め括った。












―――「いつものこと」。


 新一は、平次から最後に貰ったチェーンチョーカーを見つめながら思う。厚みのあるトップ。十字架を象ったそれはずっしりとした重みを伴い、彼の手の中にすっぽりと収まり光を放つ。




 少なくとも俺にとっては「いつものこと」では無かった。


 祈りを捧げるように、胸のロザリオをぎゅっと握り込む。




 ……だって。

 今だって、こんなにも。









 寂しげな表情のまま無理に笑ったおまえの顔が、脳裏に焼き付いて離れない―――…。






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