*   *   *



 いつしか季節は過ぎ、街路樹の葉が金色に色付いて山が真っ赤に燃える。日中の陽射しは夏の頃よりも幾分か柔らかい。
 先日新一は大検に合格し、晴れて来春、同年代と共に大学受験を迎えることとなった。
 窓から見える景色に嘆息する。季節はどんどん巡り変わっていく。人の心を置き去りにして。
 新一は、自分一人が世界から取り残されていくような孤独を感じた。リビングの出窓に腰掛けて、手持ち無沙汰に携帯を弄ぶ。
 会いたくて会いたくない、声が聴きたいのに自分からは電話も掛けられない相手を思い、肩を落とす。短縮メモリーを呼び出して名前を表示させる度、切なさに心が痛んだ。
 と、そのとき、予告も無く手の中の携帯が着信を知らせ、驚いた新一は思わず携帯を取り落としそうになった。
 何とか手中に収め、ほっと息を吐いた瞳に飛び込んできた名前。大きく脈打つ鼓動。
 少々躊躇した後、新一は恐る恐る電話を取った。
「…………もしもし」
『あ、工藤?俺や。大検、受かったんやてな。おめでとうさん。さすが工藤や。これで来年、一緒に受験出来るんやなぁ』
 開口一番聞こえて来た明るい声は変わらない。こうやって、何かあると連絡をくれるところも変わらない。
 ただ、変わってしまったのは、自分にとって一番大切で一番縋っていたかった彼の心だけ。

―――もう、俺のことなんか何とも思っていないおまえが辛い。

「そりゃ、どうも。俺、東都大を受けるよ」
 新一はそんな弱い自分を微塵も出さず、「友達」としての会話を続ける。
『蘭ちゃんも一緒か?』
「あぁ。学部は違うけどな」
『そうか〜…。頑張ってな!』
 自分は、平次と和葉が同じ大学に行くというだけでも我慢ならないのに、平次はごく普通に「頑張れ」と言う。
 彼の気持ちが自分には無いのだと、何気ない会話からも思い知ってしまう。顔を歪めながらも、取り繕うように新一は他愛の無い話を続けた。
「おまえは……どこ受けるんだ?そういや、まだ聞いてなかった…」
『俺…?俺は……浪速大やで』
「和葉さんも、一緒か…?」
 否定される一寸の望みを持って問うが、あっさりと肯定される。
『……あぁ……』
 平次との会話がこんなにも苦痛だと思ったことは無い。咽喉の奥がひりひりして、何度も唾を嚥下した。

―――おまえに見放されたら、俺は生きてはいけない。

「そっか…。……おまえも、頑張れよな」
 平次が先程言ったように、新一も精一杯の強がりで彼にエールを送る。
 本当は、彼女と同じ大学に行くなら頑張るな、と言ってしまいたい。でも、それではただの浅ましい奴に成り下がってしまう。 自分でもかなり落魄れたものだと思っているが、彼に嫌われるような真似だけはしたくなかった。
 傷ついた瞳を向けられたときは嫌われた方がマシだと思っていたのに、今では彼に嫌われたくないと思う自分がいる。
 矛盾しているな…と、新一は己の身勝手さに目を伏せた。
『おう。皆で来年の春、笑い合えるとええな』
 一度手に入れたものを手放すということが、こんなにも辛いなんて知らなかった。
「そうだな…」
 いつも肌身離さず持っている胸に光るロザリオ。見る度に彼の温もりを思い出させた。


―――どうしたら、もう一度、おまえの心を振り向かせられるのだろう…。









「新ちゃん、忘れ物は無い?」
「ガキじゃねぇんだから大丈夫だよ」
「だって、新ちゃんったら、ついこの間までコナンちゃんだったでしょ?何だか、まだまだ子どもってイメージが抜け切らないのよねぇ〜…」
 受験の前日、有希子は突然工藤邸に現れた。また優作と喧嘩でもしたのだろうと、新一は大して気にもしていなかったが、当日の朝、困ったような顔で起きて来るや否や当人よりもオロオロと落ち着かない有希子に、新一は支度をしながら呆れたような視線を送った。
「わざわざ日本に帰って来るくらい心配なのかよ?俺はもうすぐ十九なんだぜ。ガキじゃねぇっての!」
「あら、親にとってはまだ子どもよぉ。でも、蘭ちゃんが一緒だから安心よね〜。本当、良かったわね。蘭ちゃんと一緒に同じ大学受験出来ることになって♥」
 ニコニコと嬉しそうに笑う有希子に邪気は無い。新一は露骨に溜め息を吐いた。途端、怪訝気に「何よ?」と瞳で問い掛けてくる。
「……いつ帰るんだ?」
 横目で尋ねると、有希子は片眉をピクリと跳ね上げた。親子揃って不機嫌そうに半眼で互いを見遣る。
「あら、なぁに?昨日帰って来たばかりなのに、私がいたら邪魔なの?」
「邪魔ってわけじゃねぇけど。どうせ、また父さんと喧嘩でもしたんだろ?早く帰ってやれよ」
 新一がひらひらと片手を振ってもう一度わざとらしく息を吐くと、有希子は瞬時にその大きな瞳をうるうると潤ませ、ポケットから取り出したハンカチに顔を埋める。
「酷いわ、新ちゃん!ママのこと、そんな風に思ってたの?」
(酷いも何も、いつもそうじゃねぇか…)
 心の中で突っ込みを入れながらも口には出さない。
「私は絶対帰らないわよ!原稿を溜め込んで、碌に妻の相手も出来ないような人なんて知るもんですか。優作が迎えに来るまでは、ぜっっったいに帰らないんだから!!」
 ガバッとハンカチから顔を上げ、両手でそれを握り締めながら駄々っ子のように力一杯宣言する。
 口を一文字に引き結ぶ彼女にもう苦笑いしか浮かべられず、新一はいくつになっても相変わらずな母親の姿に口元を引き攣らせると、ほんの少しだけ父親に同情した。
 こんなことをやっていても、いつも優作が迎えに来たら万事丸く収まるのだ。
 毎度のことにいい加減相手をしていられないと、涙目で訴えてくる有希子に構わず再び鞄に意識を戻す。持ち物をチェックし、ふと時計に目を移した。
「…っと、いけね!もうこんな時間だ。じゃ、行って来るから」
「うん。頑張ってね〜」
 鞄を肩に担いで玄関へ向かう。後ろから有希子がケロッとした表情でゆったりとついて来た。靴を履いて振り返る新一ににっこり笑って手を振る。
「行ってきます」と言って扉に手を掛けようとした瞬間、インターホンが鳴り響いた。返事を返して扉を開くと、同じように鞄を肩から提げた蘭が立っていた。
「新一、おはよう」
「おはよう」
「あら、蘭ちゃん。おはよう。久しぶりねぇ〜」
 新一の後ろから有希子が人懐こい笑顔を浮かべる。久方振りに会う憧れの元女優に、蘭は驚きと同時に頬を薄っすらと染めて慌てて頭を下げた。
「あっ、新一…くんのお母さん。おはようございます。帰ってらしたんですか?」
「そうなの。新ちゃんが心配でね」
「だーから、大丈夫だって言ってんだろ」
 邪魔そうに前髪を掻き上げて疲れた表情をする新一を尻目に、有希子が「うふふ♥」と意味深な笑みを浮かべる。
「だけど、蘭ちゃんが付いててくれるから、とても安心してるのよ♥聞いて、蘭ちゃん。新ちゃんたら酷いのよ〜。蘭ちゃんときちんと付き合ってるって教えてくれないんだから。もう、やるわね♥このっこのっ♥」
 新一を肘で軽く小突きながら言う有希子に、蘭がますます頬を紅潮させて恥ずかしそうに俯く。
 新一はそんな有希子に内心げんなりとでも言うように、こっそり肩で息を吐いた。
 そうして脱力した所為で、きちっと上まで留められていない開襟シャツの合わせ目からキラリと胸元で光る十字が覗く。
 目敏く見つけた有希子が、突然新一のシャツの襟元を引っ張った。
「ぐえっ…な、何すんだよ、いきなり……っ」
「ねぇ、新ちゃん、綺麗なチョーカーしてるのね。昔は、私が買ってきても全然してくれなかったのに…。……あ、もしかして、蘭ちゃんからの贈り物?妬けるわね♥」
 指でその輪郭をなぞっていた有希子は手を離すと、揶揄うように再び新一の腕を突く。
「え…?」
 しかし、身に覚えの無いものを示された蘭は、何とも複雑な表情で新一を凝視した。その様子に有希子が首を傾げる。
「え?違うの?」
「あ、いや、母さん、これは……その……偶然目に留まったものを気に入っちゃってさ…自分で買ったんだ」
 有希子が息子と彼女を今一度見比べる。
「へぇ…珍しいこともあるものねぇ……新ちゃんが衝動買いなんて……」
 意外だと言いたげに瞳を瞬く有希子と不審げな視線を寄越す蘭に、新一は慌てて乱れたシャツの前を掻き合わせてチョーカーを隠すように握った。そのまま視線を下げた先に腕時計の文字盤が映る。
「あっ、おい、蘭。もう時間やべぇから行こうぜ。じゃあな、母さん」
 些か乱暴に蘭の腕を取って歩き出す。何処か腑に落ちない顔をしながらも新一にされるがままに腕を引かれる蘭は「それでは…」と有希子に軽く会釈することを忘れない。
 有希子は不思議そうに小首を傾げながらも仲睦まじい姿に微笑み、手を振って二人を見送った。
「二人とも、頑張ってね〜!」






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