初出同人誌2001.12.29

 二人が最後に会った日……新一が平次に対して、長い間の目的を果たした日から一週間が過ぎようとしていた。あれから新一と平次は一度も会うこともなく、お互い気分の晴れないまま、それぞれの生活を送っていた。平次は大学とバイト先を往復することで気を紛らわし、新一は相変わらず、目暮警部に呼び出される事件に没頭していた。二人共、何かしていなければ自分がどうにかなってしまいそうで怖かった。あの日のことを思い出さないようにするのに必死だったのだ。
 けれども実際、そんな簡単に割り切れるようなことではなくて。
 平次は、もう一度新一に会いたかった。許してもらえるとは毛頭思ってもいないが、せめて、この間言えなかった 謝罪の言葉と自分の気持ちを、会ってちゃんと伝えたいと思っていた。それに、あの後の新一の取った行動が 気に掛かった。
 でも……。
 事の始まりが自分なだけに、今更どんな顔をして新一に会えると言うのだろう。
 新一に会いたい気持ちは大部分を占めているにもかかわらず、平次の心の中は揺れていた。
 そして、迷う心は次第に胸を締め付けていき、息苦しささえ覚える。
 平次は痛む胸を懸命に抑えながら、今日も自分を呼ぶ声に笑顔で応え、小さな店内を走り回っていた。





†  †  †  †  †  †  †  †  †  †





 朝。照りつける太陽の光が眩しい休日の朝。もうすっかり太陽は夏の顔をしている。
 新一はゆっくりとベッドから身体を起こすと、一つ欠伸をしてカーテンを開けた。窓を開けると、暑い日差し とは対照的な、さわやかな風が彼の頬を撫でて部屋の中へと流れ込む。新一はそのまま暫く前髪を風に遊ばせながら、 ぼぉーっと外を眺めていた。
 新一の心も平次と同様にもやもやしっ放しだった。
 この風に全てを吹き飛ばしてもらえたら、どんなに楽だろう。
 そんなことを考えても、現実は何も変わらない。自分の犯してしまった過去は、もう二度と戻らない。
 やはり、平次とはもう会わない方が良いのだ。それは、もしかしたら逃げているのかもしれない。けれども、 今の自分は平次とは絶対に会えないのだ。確かに、確認したいことはあるが、自分にはそんな勇気も資格も 無いから…。そう考えて、臆病になっている自分を、らしくない自分をはっきりと自覚する。なぜ、自分が ここまで思い詰めなければならないのか。
 新一が、ふぅ…と目を伏せたとき、下から聞き慣れた声がした。
「明日世界が終わるような顔して、どうしたの。見ていて鬱陶しいわ」
「あ?」
 眼下を覗くと、そこには哀の姿があった。彼女は未だに子どもの姿をしている。組織が壊滅した今では もう安全なのだが、彼女曰く、博士を今更一人にするのは心配だし、子どもの姿にも慣れてしまったから 第二の人生をやり直すのだそうだ。
 そう言えば、哀は平次のことをなぜかとても気に入っていた。元々、新一が一日だけ元に戻れるということを 平次に漏らしたのは、他でもない哀なのだ。
 新一が少し嫌な顔をすると、哀は目を細めて笑った。
「おはよう、工藤くん」
「……おっす」
「あまり眠れてないの?最近早いわね。『工藤くん』に戻ってから…と言った方が良いかしら」
「……何が言いてぇんだよ…」
 新一がムッとして不機嫌に返すと、哀は今までのからかいを含んだ瞳を収めて、射るように新一を見上げた。
「あなたが元に戻ってから、服部くんを一度も見かけていないわ。以前は頻繁にあなたを訪ねていたというのにね」
 そう言う哀の瞳は、まるで何もかも見透かしているようで。
 新一は思わず目を逸らした。唇をグッと噛む。
「…まぁ、あなたたちの問題だから私は何も言わないけれど。でも、そんな状態でいつまで持つか見ものね。 自分がどうしたいのか、後悔しないようによく考えなさい」
 哀は溜め息混じりにそう言い放つとそれっきり何も言わず、何事も無かったかのように花壇に水をまき始めた。
―――そんなことは…そんなことはわかっている。したいことなんて、わかりきっている。
 けれど……。
「出来ねぇんだよ…。出来るんならこんな状態なわけねぇだろ……ッ!!」
 拳をぎゅっと握ると、新一は窓を乱暴に閉めた。



 電話が鳴ったのは、丁度新一が朝食を食べ終わり、食後のコーヒーを飲んでいるときだった。
 コーヒーカップを片手に持ちながら、新一は足早に呼び出し音を響かせている電話へと向かう。受話器を取った途端、 元気の良い声が鼓膜を震わせた。
『もしもし。新一?』
 蘭だ。
 相手がわかった瞬間、新一は失望している自分と安堵している自分の存在に気づいた。
―――何を考えてるんだ、俺は……!!
 新一は愕然としながらも頭を振って、そんな自分を振り払おうとする。
『…新一?どうかしたの?』
「あ……いや、何でもねぇよ。どうしたんだ?こんな朝から……」
 返事を返さない新一に、蘭が不審気な声を出す。その彼女の声に反応して、慌てて言葉を返した。こんなにも 平次のことばかり考えて、振り回されている自分が新一は情けなかった。
 受話器の向こうの蘭は気楽なものだ。新一がその抜群の演技力で周囲に対して普段通り振舞っているため、 彼女も当然、今の新一がどんな状態なのかを知るわけも無く、無邪気に話を続けていた。
『あのね、下北沢に評判の良いお店があるから付き合ってもらおうと思って。新一、今日何か予定ある?』
「……いや、何も。良いぜ」
 暫く考えて、了解する。
 このところ、あまりゆっくり出来ていなかったから、久しぶりにのんびり買い物というのも良いかもしれない。 少なくとも、何もしないで家にいるよりはよっぽどマシだ。
 新一の答えを聞いて、蘭は嬉しそうに笑った。
『それじゃ、11時に米花駅で』
「わかった」
『じゃあ、待ってるね』
 そう言うと彼女は電話を切った。
 新一は静かに受話器を置くと大きく伸びをして、着替えるために自室に向かう。これから起こることを知る由も無く、 彼は自ら運命の階段を上って行った。



*  *  *  *  *



 新一たちの住む米花町から下北沢へは、通常、東都環状線に乗って渋谷から井の頭線に乗り換えるのだが、 今日は新宿から小田急線に乗ってみた。
 彼らが乗り込んだその電車は日曜日にもかかわらず、思っていたよりも空いていて、二人は難なく座ることが 出来た。蘭は東都環状線に乗っているときからずっと、学校の友達の話や和葉との電話の話など、大方新一には 関係の無い話を続けていた。そんな彼女に新一はただ、時折相槌を打つだけ。
「それでね、そのとき和葉ちゃんが……」
 それでも、楽しそうに話す蘭を柔らかく見守っていた。多少の罪悪感に苛まれながら。
 彼女を好きでいられなかった自分に対して、そして、今でも自分のことを想ってくれている彼女に対する 罪悪感。
 蘭を好きでい続けられれば良かったのに…。昔のように、ずっと蘭だけを見ていられたら良かったのに……。
 でも、今の自分の心は別のところにあって。
 新一は、彼女を以前のように真っ直ぐに見ることが出来なかった。



 どの位そうしていたのだろうか。
 絶え間なく話していた蘭が不意に口を閉じ、探るように新一の顔をじっと見つめた。そんな彼女の視線に 気がついて新一が目線を向けると、蘭は何も言わずに目を逸らした。少し哀しそうな瞳は気のせいだろうか。
 奇妙な沈黙が二人を支配する。
 黙ったまま、蘭は窓の外に視線を走らせている。蘭の突然の行動が気に掛かった新一も、そうなるともう 何も言い出せなくなって。
 どこか気まずい雰囲気の中、二人共それっきり何も言葉を交わさなかった。



 数分後。電車は下北沢駅のホームに滑り込んだ。
 新一は、重苦しい空気からやっと抜け出せたことに内心ほっとしていた。
 先を行く蘭は先程までの気まずさが嘘のように、もういつもの彼女に戻っている。楽しそうに、道の両端にある 店を次々と覗いて行く。
「新一ぃ〜!見て見て。これ、可愛いよね」
 ふと立ち止まった店のショーウィンドウを覗いた蘭が、手招きをして新一を呼ぶ。そこには、硝子細工の 小さな犬の置物が飾ってあった。ちょっと触れればすぐに壊れてしまいそうな危うさをその置物は見事に 醸し出していて、新一は思わず目を奪われた。
 何かが脳裏を過ぎる。浮かんですぐに消えたそれは、もしかしたら、あの始まりの日の自分だったのかもしれなかった。
「…………っ」
「新一…?」
「……え?」
「え?じゃないわよ。どうしたの?急に…。顔が真っ青だよ。大丈夫?」
 置物を見つめたまま動かなくなった新一に、蘭が心配そうな目を向ける。それを視界の端に見て、新一はようやく我に返った。
 嫌な汗が手の平から滲み出てくる。
 知らぬ間にかいていた額の汗を拭いながら、新一は何事も無かったかのように、さり気なくその場から離れた。 尚も不安そうな瞳で見つめる蘭に苦笑して、新一は誤魔化すようにポケットに手を突っ込む。
「新一……」
「何て顔してんだよ。何でもねぇから、そんな顔すんな。……そんなことより、おまえが今日行きたいって 店はどこなんだ?」
 話題を変えた彼の心中を察した蘭は、それ以上言うのをやめて素直に新一に従う。
「…あ、そうそう。えっとね、2ヶ月くらい前に出来たお店なんだけど。そこのランチが安くて美味しいって 評判なんだ。知ってる?『TRICK』ってお店」
「いや、知らねぇ」
「そっか。新一、あまりこっちの方とか来ないもんね。私の周りでは結構有名なんだよ、そのお店。何かね、 噂によると、そこの店員さんの中に凄く格好良い人がいるんだって」
「……おまえの周りで有名な理由って、本当はそれなんじゃねぇの?」
「う〜ん…どうだろう」
 首を傾げる蘭に呆れて苦笑する。
「でも、美味しいって噂も本当だよ。開店して間もなくして、何かの雑誌に載ったみたいだし」
「ふ〜ん…」
「もうそろそろだと思うんだけど……あ!あった!!あそこだよ」
 蘭が指し示した先には、洒落たレンガ造りのこぢんまりとした店があった。入り口の上には『TRICK』と 書かれた木製の看板が掲げられている。ドアの脇には、「本日のランチ」とチョーク書きされた黒板が 立てられていた。
「…何か、すげぇ可愛らしい店だな……」
 自分には不似合いだと思われる(本人がそう思っているだけで、実際は全然そんなことは無いのだが)その 外観に、新一は口の端を少し引き攣らせながら店を見上げる。蘭はそんな彼を構うことなく、木の扉を押し開けた。
 その途端、割れんばかりの元気の良い声が店内に響いた。
「いらっしゃいませ」
 ピンクのギンガムチェックのエプロンをした女の子が、早速メニューを持って二人を出迎える。店の中は ランチタイムということもあってかなり混んでいた。ウェイトレスはその賑やかな店内を見回すと、辛うじて 空いていた窓際の小さなテーブルへと彼らを案内した。
「只今、お水をお持ち致します」
 そう言って彼女は一礼すると、足早に去って行った。
「めちゃくちゃ混んでるなぁ」
「うん。丁度お昼だしね。友達の話だと、お昼時以外でも結構混んでるらしいよ」
「へぇ…そんなに美味いんだ?」
「って話だよ」
 二人でそんな他愛の無い話をしていると。
「お、お待たせしました……」
 突然、頭上から消え入りそうな声が聞こえてきた。
 その、よく知る独特な発音と声を聞いた瞬間、新一は息が止まった。背筋が急速に強張る。
 声の主が誰なのかを確かめたくなくて顔を上げることが出来ない新一に代わり、蘭が素っ頓狂な声を上げて 新一の予想が外れていなかったことを教えた。
「は、服部くんっ!?」
 少しずつ、ゆっくりと顔を上げた新一の視界には、怯えたような瞳でそわそわとした平次の姿が飛び込んできた。
 グリーンのギンガムチェックのエプロンを身に纏った平次は視線を手元に固定しながら、小刻みに震える手で 水をテーブルに置く。
「服部くん、ここでバイトしてたんだ。久しぶりだね〜。元気?この間、和葉ちゃんと電話で話したんだけど、 東京で一人暮らしは心配だって、服部くんのこと心配してたよ」
 新一と平次の張り詰めたような空気に気づいていないのか、蘭は殊更明るく平次に話し掛ける。彼女は平次とは一年近く 会っていなかったから懐かしいのかもしれない。
 新一は水を一口飲んで、上目遣いで蘭を見た。
「あ、そうなんや…」
 話し掛けられた平次は動揺しつつも、ぎこちない笑顔を蘭に向ける。その瞳は決して新一を見ようとはしない。
「新一ったら、服部くんがこっちに来てること、全然教えてくれないんだもん。和葉ちゃんに聞いたとき、 びっくりしちゃった」
 尚も続ける蘭から平次は一瞬目を逸らすと、申し訳無さそうに口を開いた。
「すまん、蘭ちゃん。俺、今仕事中やから…」
 平次にそう言われて、蘭はハッとしたように口を噤んだ。俯く。
「あ……そうだよね。私ったら何も考えてなくて…ごめんね」
「いや、ええよ。ほな、お決まりになりましたらお知らせください」
 平次は相変わらず新一から視線を逸らしたまま、マニュアル通りの科白を口にした。一礼して他の客の ところへ歩いて行く。
 そんな彼のあからさまな態度に、新一は自分でも矛盾しているとは思うものの苛立っていた。
 会わない方が良いと思ったのは自分だ。彼の今の行動は、もう関わらないと決めた自分にとって都合が良い はずなのに。自分の気持ちがわからない。
 新一は、オーダーを取ってキッチンに戻って行く平次の後姿を見つめたまま、蘭に気づかれないように そっと溜め息を吐いた。


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