初出同人誌2001.12.29

 運ばれて来た料理を口にしても、不覚にも平次のことが気になった新一は碌に味もわからなかった。目の前で、蘭はデザートの洋梨のケーキに舌鼓を打っている。
「あんまり食うと太るぜ」
「うるさいわね。日頃から運動してるから大丈夫なの!」
 新一の言葉に口を尖らせて反論する蘭を見て、コーヒーを飲みながら新一が小さく笑う。
 その時、ふと視線を感じてその方向に目を向けると、平次がコーヒーの入ったポットを手にこちらをじっと見つめていた。ばっちりと目が合う。
 新一が反射的に目を窓の外に向けたのを見て、平次が意を決したかのようにこちらに向かって歩いて来た。二人のテーブルの前まで来ると新一のコーヒーカップを俯く。平次が躊躇っているのがわかった。
 それでも新一は、平次の気配を感じながらも彼を振り向くことをしなかった。
「服部くん?」
 何も言わずに立ち尽くす平次を蘭が不思議そうに仰ぎ見る。蘭の声に後押しされたのか、平次がゆっくりと新一に話し掛けた。
「あ、あの…コーヒーのおかわり……」
「いや、もう結構です」
 新一は、外を行き交う人々を見つめたままはっきりとした口調で返す。それも敬語で。
 他人行儀な彼の態度を目の当たりにした平次は、傍目から見てもわかる程に明らかに狼狽していた。
 見兼ねた蘭が新一の態度を窘める。
「ちょっと、新一。そんな態度ってないじゃない。折角服部くんが持って来てくれたのに、何でそんな……」
「悪い、蘭。俺、寄る所あるから先に帰るわ。金は払っとくから」
「え?」
 蘭の言葉も待たずに新一はさっさとバッグを持つと、伝票を手に取って平次の脇をすり抜けてレジへ向かおうとする。
 擦れ違った瞬間、弾かれたように平次は咄嗟に新一の腕を掴んだ。
「あっ……」
「……なに?」
 腕を掴まれた新一は、内心驚きながらもそれを微塵も表情に出すことなく、静かに平次を見返す。彼の視線が冷たいような気がして、平次は彼の腕を掴んでいた手を緩めた。
「…な……何でもあらへん……」
 力の緩んだ平次の手から自分の腕を取り戻すと、新一はそのまま何も言わずにレジを済ませて出て行った。
 新一が出て行った扉を見つめる平次の耳に、蘭の戸惑った声が聞こえてくる。
「服部くん……」
 緩やかに振り返る。気が付けば、混み合う店内は静まり返り、店員や客のいくつもの視線が平次達に集まっていた。コソコソと囁く声も聞こえる。
「ケンカ…でも、したの?新一と……」
「…ごめんな、蘭ちゃん……何でもないねん」
 平次は俯き、一言そう言うと、多くの視線を浴びながら逃げるようにキッチンへと入って行った。





 その日の夜、昼間のことが気になった蘭は新一の家へと急いでいた。自分との約束を途中ですっぽかされたことよりも、新一と平次の関係が壊れかけているのではないかという不安の方が大きかった。
 チャイムを鳴らす。何故か緊張して指が震えた。
 暫くしてから応答があった。
『…はい』
「あ、私だけど…」
『…………』
 すぐにガチャッという音がして、新一が扉の隙間から顔を覗かせた。
「どうしたんだよ?こんな時間に」
「うん…ちょっと話があって……」
「………。まぁ、ここで立ち話もなんだから入れよ」
 言いながら扉を開け放って自らの身体で押さえつける。何の話か大体察しが付くのか、新一は少し不機嫌そうな表情をしている。
 蘭はそんな彼の表情にゾクッとするものを感じながら、言われるままに家の中へと歩を進めた。


「―――で?」
 リビングに蘭を通した新一は、キッチンからコーヒーカップを二つ持って来てテーブルに置く。そして、蘭が座っている向かいのソファに自分も腰を下ろした。
 蘭を見つめる。新一の射るような視線とその場の雰囲気に、蘭は息苦しさを感じた。
「単刀直入に聞くけど…良いかな?」
「……どうぞ?」
 カップを手に持ち、新一が答える。蘭は一つ大きく深呼吸してから、思い切って口を開いた。
「……新一。服部くんとケンカしたの?」
「…………別に」
 手の中にあるカップを見つめる新一は、やっぱり蘭が思っていた通りの返事をして。
 蘭は小さく溜め息を吐いた。
「だって。今日のお昼に服部くんと会った時、二人とも普通じゃなかったじゃない」
 新一を真っ直ぐに見てそう言い返しても、彼は変わらずカップを眺めている。
「んなの、おまえの気のせいだよ」
「じゃあ、何であんな態度取ったの?新一、服部くんが他の仕事している時は目で追っていたくせに、自分の所に来たら見もしなかったじゃない」
「おまえ……」
 それまでカップを俯いていた新一が、蘭のその言葉に驚いたように顔を上げた。眉を顰め、先程にも増して瞳が鋭い光を放つ。凍りつきそうなその瞳の冷たさを、蘭はこの時初めて知った。
 荒々しい仕草で新一がカップをテーブルに置く。その拍子にカップの中身が波打って零れた。
「…何なんだよ。俺と服部がケンカしようがしまいが、そんなのおまえには関係ねぇだろ!?」
「新一……」
 人間、図星を指されると腹が立つとは言うけれども。今の新一はその通りだった。
 怒鳴られて呆然としている蘭に気づいて、新一はハッとする。昂ってしまった感情を必死に落ち着かせ、新一は出来るだけ口調を静かなものに変えた。
「…あ……ごめん………。おまえが心配してくれてるのに、俺……。けど、本当に何でもねぇから。大丈夫だよ」
(全然大丈夫じゃないくせに…)
 蘭は思う。昼間の二人の様子から、何かあったことは一目瞭然だった。そうすると、平次が東京にいるということを新一が教えてくれなかったことも関係があるのだろうか。
(じゃあ、そんなに前から……?)
 色々と心の中で詮索してみても、真実はわからない。目の前で再び俯いてしまった新一は、これ以上蘭が何か言ったところで話してくれる気配は無い。
 蘭は諦めて、改めて標的を変えることにした。
「……わかった。新一がそう言うんなら……私、帰るね」
 立ち上がった蘭に、新一はさっきまでと打って変わった儚げな視線を向けた。力無く呟く。
「…悪ぃ。蘭………」
 新一の声を聞きながらリビングのドアを閉めた蘭は、彼にあんな顔をさせてしまう原因をどうしても知りたかった。新一と平次の関係は、自分の知らない間にそんなにも悪化してしまっていたのだろうか。
「……新一も服部くんも、私を除け者にして…。バカ……」
 関係無いと新一に言われながらも気になるのは、新一も平次も二人とも大切だからだ。







 次の日。午後の講義が終わってから、蘭は再び平次が働いている『TRICK』の前まで来ていた。木製の扉を開く。中からは昨日と同じく元気の良い声が聞こえてきた。
 すぐに店員がメニューを持ってやって来る。
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか?」
「はい」
「それでは、こちらのお席へどうぞ」
 案内をする店員に続いて歩く。店内は午後四時過ぎだというのに、結構な賑わいを見せていた。
 席に着いた蘭はコーヒーを注文して店内を見渡した。学校帰りの学生や、近くに住んでいるのだろう主婦達が、楽しそうに笑い合っている。
 しかし、いくら店内を隅々まで見回してみても、どこにも平次の姿は見当たらなかった。もしかすると、今日はシフトが入っていないのかもしれない。
 そんな一抹の不安が脳裏を過ぎった頃、キッチンの方から「おはようございます」と、擦れ違う店員に小さく挨拶しながら出て来る平次が目に入った。昨日と同じ、グリーンのギンガムチェックのエプロンをしている。
 コーヒーを持って行ってと指示されたらしい彼は、トレイにコーヒーカップを乗せてこちらへ歩いて来る。そして視界に蘭の姿を捉えた時、平次は固まったように一瞬立ち止まったが、蘭の他には誰もいないことを確かめるとまた歩き出した。
「お待たせしました」
 昨日と何ら変わらない科白を言いながら、蘭の前にコーヒーが入ったカップを置く。ソーサーとカップがカチャッと小さな音を立てた。
「こんにちは。服部くん」
 にっこり笑って蘭が言う。それに応えて平次も口元に微笑を浮かべた。
「こんにちは。ほな、ごゆっくり」
 彼の本当の笑顔を知る者が見ればすぐに愛想笑いだとわかる笑みを浮かべて、平次はその場を後にしようとする。その彼の後姿に慌てて、蘭は向こうへ行こうとする平次を呼び止めた。
「あっ!追加、頼みたいんだけど」
「あぁ、そうなん?ちょぉ待っとってな」
 平次はキッチンに向かっていた足を一旦止めて振り返ると、伝票を持っている店員を呼ぼうとした。しかし、その前に蘭が口を挟んだ。
「待って。私のオーダーは服部くんだよ。今日は、服部くんに用があって来たんだから」
「え……?」
 びっくりして振り向く平次に、蘭は静かに言った。
「ちょっと話したいことがあるの。今日はバイト、何時に終わるの?」
「え…今日は10時にあがるけど……」
 戸惑いながらも返事をする。それを聞いて、蘭はもう一度笑うと席を立った。
「じゃあ、それくらいにここに来て良いかな?」
「あ、いや…一応、あがるのは10時やねんけど、着替えとか片付けとかあるから……下北駅の南口に、10時半くらいやったら……」
「わかった。それじゃ、また後でね」
 蘭は呆然としている平次に手を振ると、運ばれて来たコーヒーもそこそこに店を出て行った。




 午後10時40分。
 下北沢駅の南口に現れた平次は、高校生の頃と同じトレードマークの帽子を被って、薄い青のTシャツにジーンズという相変わらずラフな格好だった。
「遅なってもうてごめんな。待ったやろ?」
「ううん。こっちこそ、疲れてるのにごめんね」
「いや、別にええねんけど…。それより、話て何や?」
 どこかぎこちなく視線を泳がせながら問う。
「あ…ちょっと、ここじゃあ……」
 言い淀む蘭を視界の端に見た平次は、ふと左腕の時計に目を落とした。何かを察したのか、困ったような淡い笑みを浮かべる。
「何や、込み入った話なん?……せやったら、俺ん家がええか。ほな、すぐ電車あるから早よ行こうや」
「電車の時間、わかるんだ?」
「そらぁ、いっつも同じ時間に乗ってますからねぇ」
「あ、そっか」
 平次は笑いながら、人の多い構内をホームへと歩き出す。そんな彼の姿を見ていると、時間があの頃に逆戻りしたような錯覚に陥る。何も変わらない平次。けれど、時は確実に過ぎていて、以前は新一と頻繁に連絡を取っていたようだったのに(これは新一がコナンだった頃の蘭の解釈で、彼女は勿論、新一=コナンの事実は未だに知らない)今ではその新一と彼との間には深い溝が出来てしまっているのだ。
 それを、その二人を隔てている溝を自分が埋められるとは思わないが、自分の行動が切っ掛けとなって、二人が自分達の手で修復していってくれるなら……と願う。新一にはお節介と言われるかもしれないが、こんな暗い雰囲気の二人を見るのは嫌だから。
 蘭は、これからの行動に早まる心臓を落ち着かせるため、小さく息を吐いた。


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