初出同人誌2001.12.29

 平次の家は、喜多見駅からすぐの所にある新築の学生マンションだった。10分程で駅に着いた後、平次の先導で蘭は彼のマンションへと案内された。
 ガラス張りの入り口。その前で平次がオートロックを解除している。扉を開け、共用スペースにある宅配ボックスをチェックし終わってから、彼はようやく蘭を振り返った。
「ほな、行こうか」
「あ、うん…。ここって、何か凄いね」
 エレベーターホールへと向かいながらあちらこちらを眺める蘭は、感心したように言う。平次は少し笑い、おどけながら答えた。
「ここ、セキュリティが完備されてんねん。毎日毎日、入り口でロック解除すんのは面倒いけど、安心出来るで。…ほら、忘れとるかもしれへんけど、俺、一応大阪府警本部長の息子やから。何かあったら困るやろぉ〜?」
「ふふっ。用心して損は無いよね」
「そういうこっちゃ。備えあれば憂い無しってな」
 そんなことを言い合いながらエレベーターに乗り込む。乗り込んで4階を押した途端、さっきまで笑っていた平次が急に黙り込んでしまった。つられて蘭も黙り込む。
 エレベーターという空間はおかしいといつも思う。今さっきまで楽しく話していたのに、そこに入った瞬間、皆が一斉に口を閉ざす。そして、お決まりのように上に目を向けて、階数を確認するでもなく眺めるのだ。
 今の2人もそうだった。
 蘭も平次も何となく気まずさを感じながら、階数を示して点灯する文字を見つめていた。





 406号室。そこが平次の部屋だ。
 平次がジーンズのポケットから鍵を取り出しながら蘭を見る。小首を傾げて。
「すまんけど、鍵開けたら、ちょぉ玄関で待っててくれへんか?」
「うん」
 彼は玄関の鍵を開けると素早く部屋に入り、灯りを点した。そのまま奥へと駆けて行く。
「あ、あの…服部くん……?」
 奥の方でドタバタ音を立てて走り回っている平次が気になって、蘭は玄関先で恐る恐る声を掛けてみる。すると、平次の声が微かに返事をするのが聞こえて来た。
「すまん!!ちょ、ちょぉ、もうちょっと待っといて。めっちゃ散らかっとるから、片さなあかんねん」
「え、良いよ。突然来たんだもん。全然構わないよ?」
「蘭ちゃんが構わんでくれてもやな、俺が構うねん。色々なモンがあるから、もぉ……ッ」
(工藤にも、こんな汚い部屋見られたって後で気ぃついて、めっちゃ恥ずかしかったっちゅーのに…蘭ちゃんにまで見られてもうたら、俺ヤバイやん!!)
 そんな平次の心の叫びは、当然だが蘭には聞こえない。
 蘭は仕方なく、待っている間、手持ち無沙汰に家の中を何となしに眺めていた。けれども、暫くして自分の行動を少し反省する。初めて来た他人の家の中を、何気なくとは言え観察(?)しているような自分の行動が、やはり失礼に思えたから。いつも近くにいる彼も、ここの家の主も探偵だとは言え…。
 蘭が目のやり場に困って自分の足元に視線を落としたとき、奥の扉から平次が顔を覗かせた。
「蘭ちゃん?ごめんな。大体片してんけど、まだちょっと散らかってんねんけど…それでも良かったら入ってや」
 突然掛けられたその声に少し驚いた蘭は、思わず平次を見た。とうとう、決戦のときが来たのだ。
「…蘭ちゃん?どないしたん」
「あっ、ごめん。じゃ、お邪魔します」
「あぁ…。どうぞ」
 通されたリビングは一人暮らしには十分過ぎる程の広さで、急いで片付けた割には綺麗だった。何も無いと逆に居場所を見つけられないもので、蘭は戸惑いながら扉の所に立ち尽くしていた。そこへ、平次がキッチンからジュースの入ったグラスを2つ持って現れる。立ったままの蘭を不思議そうに見ると、彼は1度グラスをベッドサイドのナイトテーブルに置き、折り畳み式のテーブルを出して来た。
 その上にグラスを置く。グラスの中で、氷がカランと涼しい音を立てた。
「ほら、そないなトコに立っとらんと、早よそこ座り」
 テーブルが現れたことによってようやく座る場所を見つけた蘭は、静かに腰を下ろすと真っ直ぐに平次を見つめた。
 …唐突に本題を切り出しても良いものだろうか。それとも、何かの話のついでのようにさり気なく…?
 昨日、久しぶりに平次と再会したときのことを思い出す。ケンカしたのか?と聞いたとき、彼は何でもないと答えた。それは、場所が場所だったから?そうではなくて、やっぱり彼も新一と同じ反応をするのだろうか。
 そんな彼女の視線を思い切り顔面で受けて、平次が居心地悪そうに身体を捩る。
「何やねん…。蘭ちゃん、何や今日おかしいで?どないしたん?」
 困ったような彼の顔を見て、蘭は迷いを打ち切り、後者で攻めることにした。
「服部くんと会うのって、本当に久しぶりだよね。昨日はお店であまり話せなかったから、お話したかったんだ。ごめんね」
 やはり、唐突に聞いても、きっと答えてはくれないだろうから。
「そのために来たんか?ええよ。話しよ」
 平次はどこかホッとしたような表情をして肩の力を抜いた。蘭は慎重に言葉を選びながら、核心に近づいていく。
「あのさ、服部くんってどこの大学行ってるの?」
「N大やで」
「へぇ…そうなんだ。あそこって、凄く大きい学校だよね」
「そうやな。敷地も広いし…でも、学生の数も多いから、授業中とかちょっとウザいねんな。最初入ったとき、何じゃこりゃぁ〜!?って正直思ったもん」
「あはは。私もそうだったよ。高校とは全然違うしね〜」
「そうやんなぁ」
「サークルとか入ってるの?」
「いや、別に入っとらんよ。バイトとか忙しいし、あんま興味あるトコ無かってん」
「え?サークル入らないで友達とか出来た?」
「出来たで。同じ学部の奴。専門とか殆ど同じ授業で、いっつも結構近くに座っとったから、自然にな」
「何学部なの?」
「経済なんよ。……何や、さっきから俺、尋問されとるみたいやな。そう言う自分はどうなん?どこのガッコ行っとるん?」
 平次が苦笑しながら蘭を見る。蘭は頃合いを見計らって、それまでよりもゆったりとした口調を努めた。今、このときを逃したら、今度いつ話題を振ることが出来るかわからない。
「A大学だよ。……そう言えば、新一も私と同じ大学の経済なんだよね」
「えっ……」
 新一の名前が出た瞬間、平次の顔に緊張が走った。見る見るうちに強張っていく。それがわかっていながら、蘭は自分でも意地悪だと思ったが、じりじりと平次を追い詰める。
「あれ?知らなかったの?でも、こっちに来てから新一と会ってたんでしょ?」
「あ、あぁ…いや……」
 平次は何と答えれば良いのかわからずに、ぎこちなく蘭から目を逸らせて曖昧に返す。無意識だろうか、薄く開いた唇がわなわなと震え、目線が宙を彷徨う。グラスを持つ手も小刻みに震えていて、平次はそれを隠すように、慌てて両手をテーブルの下へ引っ込めた。
 尚も蘭の問い詰めは続く。
「どうして?だって、ずっと仲良かったんでしょ?それに、服部くんが東京に来たのも、新一に会うためなんでしょ?なのに、何で会ってないの?」
「……もう、堪忍してや。蘭ちゃん…」
 平次は項垂れ、聞こえるか聞こえないかのか細い声で呟くように哀願した。けれども、ここまで来て、蘭もおめおめと引き下がるわけにもいかなかった。
「どうして服部くんが謝るの?私に何かした?」
「………イケズやなぁ…あいつと同じや……」
 平次に「意地悪」だと力無く言われて蘭は傷ついた。目の前の平次を見ていたら、まるで自分が苛めたかのように思える。でも、そんなことよりも大切なことがあるから、彼女は心を鬼にした。
「服部くん。私、わからないよ。何故、あなたと新一がそんなことになってしまったのか。一体、何があったの?……ケンカ…したんでしょ?新一と……」
 優しく、宥めるような声で、確信を持って問い掛ける。平次は恐る恐るといった様子で目線を上げた。その瞳は戸惑いに揺れていた。
「…………」
 顔を歪めながらも口を開かない平次に、蘭は溜め息を吐いた。諦めにも似た感情が心の中で渦巻く。
 自分がこんなに言っても話してくれないのは、それ程の事情があるのだろう。どんな酷いケンカをしたのかは全く想像もつかないが、2人が互いに相手の悪口も言わずに黙っているということが答えなのだ。他人は入り込むことが出来ないという、2人のメッセージなのだろう。無理に聞き出すことは出来ない。
 そして、もう2度と、新一の口から平次の名前を聞くことはないのだろうという予感が胸に詰まって。
 蘭は、言えない彼の気持ちを察して静かに立ち上がり、少し寂しそうな瞳で平次を一度見ると、そのまま玄関へ向かった。名残惜しむかのように殊更ゆっくりとした動作で玄関まで行くと、これまたゆっくりと靴を履く。扉を開け、外に一歩出ようとした。そのとき。
 奥の部屋から、啜り泣く声が微かに聞こえて来た。
 驚いて振り返った蘭の瞳に、テーブルに突っ伏して肩を震わせて泣いている平次の姿が飛び込んで来る。今まで見たことが無い、彼の弱々しい姿。
 どんなときでも明るく笑っていた平次。不適に笑む彼の表情に新一を重ねたこともあった。蘭の中には、平次のそんな笑顔しか残っていない。こんな、泣き崩れている彼は見たことが無くて…。
 蘭は急いで靴を脱ぎ捨てると、平次の傍に駆け寄った。音を立てないようにして屈み込み、そっと平次の顔を覗き込む。
 平次は幼い子どものようにしゃくり上げながら、上手く出ない声を必死に絞り出した。
「おっ…俺……ご、めん…な、蘭ちゃん……っ」
「な、何で服部くんが謝るの?大丈夫?」
 背中を擦る蘭に、平次は「大丈夫」と手で合図をすると、伏せていた顔を上げた。涙に濡れたその瞳は頼り無くて、縋るようだった。
「俺………工藤を、怒らせて…もうたんや。それも、普通のケンカなんかと違て……もう…もう2度と笑い合えへん…ような、顔も…っ…合わされへん、位、酷いことしてしもてん……。せやから…っもう、俺達……あの頃、みたいには、戻られへんのや………うぅっ……」
 どうしても漏れてしまう嗚咽の所為で、思うように言葉を紡げない。
 平次の言葉を黙って聞いていた蘭は、どうしたら良いのかわからなかった。ここに来るまでは、2人の仲を修復したいと意気込んでいたのに、いざ平次が話し出したら、掛けるべき言葉も見つからない。もしかすると、自分は聞いてはいけなかったのかもしれない。立ち入ってはいけない領域だったのかもしれない。でも、今、すぐ隣で泣いている平次を放って行くことも出来なくて。
「どんな…ことしたの……服部くん…?」
「………それは言えへん。けど、謝って…済むような、簡単な問題やないねん……。全部……全部、俺の所為や……っっ!!」
 堰を切ったように全部吐き出したら、激しい嗚咽が襲ってきた。呼吸することもままならない。
 バーンッ!!とテーブルに両手を強く打ちつける。
 今更後悔しても遅いのに。もう、何もかもが遅すぎるのに。
 平次は声を出して泣いた。隣に、彼の幼馴染みがいることも、もうどうでも良かった。
 蘭の頬にも知らぬ内に一筋の雫が流れ落ちていく。彼の懺悔が心に沁みる。彼が何をしたのかはわからないけれど、きっと、ずっと彼は悩んでいたのだろう。自分を責めていたに違いない。誰にも言えずに、たった1人で。
 平次の気持ちが痛い程わかった。同じ人を想う気持ちもわかった。
 だから。
「だから、新一…。もう、服部くんを許してあげて。縛られたままの新一の心も、解放してあげてよ……」
 蘭は届かない声で祈るように呟いた。





 2人して一頻り泣いた後、平次はバツの悪そうな笑顔を浮かべた。時計を見ると、針は既に午前0時を指していた。
「…もう帰りや。もうすぐここの電車、無くなるで。新宿まで行くんやろ?…あ、渋谷に出た方が近いんやっけ?」
「うん…」
 平次は立ち上がると、バッグから手帳を取り出して時刻表を確認した。
「えっと……丁度10分にあるから、それに乗ったらええよ。ごめんな。俺、まだ免許持ってへんから…。持っとったら送ったれるんやけど」
「ううん、いいよ。……でも、話してくれてありがとう。新一と服部くんのこと、気になってたから…」
 蘭の科白に平次は小さく笑うと、一つ大きく背伸びをした。視線を天井に向ける。
「いや…。きっと、俺もどっかで誰かに聞いてもらいたかったんやろうから、話せて良かったわ。聞いてくれておおきに。ちょっとだけ楽んなった」
「それなら良いけど……」
 無理に笑う平次の表情が痛々しい。
 蘭は平次からさり気なく視線を逸らすと、玄関へ歩いて行く。後ろから平次もついて行く。
「駅まで送るわ」
 そう言って靴を履こうとする平次に、蘭は振り向くと首を横に振った。ドアノブに手を掛ける。
「ううん。大丈夫。すぐだから」
「けど、こんな時間やし……」
「…いいの。私には空手があるし、本当に大丈夫だから心配しないで」
 言いながら扉を開けると、蘭を見送る平次の口元に哀しそうな笑みが浮かんだ。
「そっか…。こない時間まで……ホンマ、ありがとうな。蘭ちゃんのおかげで、今日は久々にぐっすり眠れそうやわ」
「……うん。じゃあ、またね」
「……ほな、工藤にもよろしゅう……言うといて。………元気でな」
「……………」
 まるで最後の別れのような挨拶をする平次に居た堪れなくなって、蘭はその場を走り去った。支える物を失った扉はキィ…とゆっくり動いて、ガチャンと閉まる金属音が辺りに木霊する。
 また、平次はこの部屋に独り、取り残された。


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