初出同人誌2001.12.29

 平次が調べてくれた時刻表のおかげで、30分過ぎには蘭は渋谷に着いた。しかし、この調子で東都環状線に乗れば、米花町に着くのは余裕で午前1時を過ぎてしまう。
 小五郎には友達の家に泊まると、平次を待つ間に電話をしておいたので心配無いが、物騒な世の中、流石にこの時間の街を1人で歩くのは気が引ける。
 色々と考えた末、蘭は一番安全で話の早い方法を選んだ。
 時間が時間だけに迷ったが、蘭はバッグから携帯を取り出すと指が記憶している番号を押していく。
 暫し呼び出し音が続いた後、相手は電話に出た。ちょっと不機嫌そうな声で。
『……はい』
「あ、新一。私だけど…こんな時間にごめんね。寝てた?」
『…いや。書斎で本読んでたから。で、どうしたんだ?こんな時間に』
 少しばかり「こんな時間」の部分を強調される。蘭は小さく肩を竦めて苦笑した。
「あのね……迎えに来てくれないかなぁ?と思って…」
 蘭がそう言うと、新一は少し嫌そうな雰囲気の間を空けたが。
『……どこ』
 低く問う。蘭は今自分のいる環境を見回し、少々躊躇しつつも答えた。
「…渋谷」
『ちょっ、ちょっと待て。…おまえ、何でこんな時間にんなトコいんだよ!?』
 彼女の父親並みの絶叫(?)を上げる新一に、蘭は少し焦りながら言い訳を考える。まさか、本当のことをここで言うわけにはいかない。
「サ、サークルの友達と飲みに行ったら、こんな時間になっちゃって……」
『…じゃあ、友達も一緒なのか?』
 些かホッとしたような声音を出した新一だったが。
「ううん。彼女達は……ほら、殆ど彼氏いるし。いない人は近い人の家に泊まるって言ってたから」
『……と言うことは、今おまえ1人なのか?』
「うん」
 蘭が明るくそう言い放つと、受話器の向こうで新一は慌てて支度を始めたようだった。
『何が「うん」だよッ、バーロー!ったく、すぐ行くから交番の近くにいろよ!?良いな!?』
「うん、わかったよ」
 蘭が返事をするのも待たず、新一は早々に電話を切っていた。不通音の響く携帯を眺めながら、蘭は新一に 言われた通り交番に近い壁に寄り掛かる。
 蘭が遅い時間に1人でいるときとか。
 新一は血相を変えて飛んで来てくれるのに、それは愛情とかそういうものではなくて。
 …いや、一種の愛かもしれない。けれども男女のそれではない。
 新一にとって蘭は大切な幼馴染みだ。ただそれだけなのだ。昔はどうだったか知らない。でも、今の彼の心は 確実に蘭以外の人へと行ってしまっているのはわかった。それも、その人は蘭もよく知る人物で、今まさに 関係が壊れようとしている人。たった1人しかいない。
 蘭は、悔しいのと哀しいのとで滲んでくる涙を懸命に堪えた。涙はさっき、平次と一緒に泣いたときに枯れた はずなのに、堪えようとすればする程浮かび上がってきて。
 堪らず下を向いて両手で顔を覆った。そんな彼女の様子に、近くでたむろしていた数人の若者が、何やら ニヤニヤしながら寄って来た。1人が声を掛ける。
「カノジョ、どうしたの?こんな時間にこんなトコで1人で泣いちゃってさ〜。カレシにでもフラれちゃったのぉ〜?」
 聞き慣れない男の声に、蘭が不審げな顔を上げる。蘭の顔を見たその集団は、ヒュ〜っと口笛を吹くと あっという間に取り囲んだ。無粋な笑みを浮かべる彼らに、蘭の顔に怯えが走った。
 交番を見ても、奥に行っているのか警察官の姿が見当たらない。近くを通る人々は、巻き込まれるのを嫌って 見ない振りを決め込みそのまま通り過ぎて行く。都会の冷たさだ。
「可愛い顔してんじゃん。どう?これから俺らと遊ばねぇ?」
「慰めてあげるよぉ〜?」
 ヘラヘラと下品な笑いと台詞を吐きながら、男達はじりじりと蘭に近付いて来る。口元にいやらしい笑みを乗せて。
 数人ににじり寄られ、蘭が恐怖のあまり得意の技をかけられずにいると。
 突然、ボクッという音がして、目の前にいた男が呻き声を上げたかと思うと蘭の足元に倒れて来た。その男の 後ろにいる人物を見て、蘭は安堵の表情を浮かべた。
「新一……」
 いきなりなことに呆気に取られていた男達だったが、蘭が呟いた言葉にすぐさま反応する。
 新一を見て薄ら笑いを浮かべる。
「何だよ、ちゃんとカレシいたんだぁ〜?」
「カノジョの前でカッコイイとこ見せてやろうってか?」
 自分の顎に手を掛けてハハハッと鼻で笑う男の片手をきつく掴むと、新一は無言でその腹に蹴りを入れた。 不意打ちを喰らった男はその場に蹲り、激しく咳を繰り返す。
 恐ろしい程に無表情な彼に、男達は一斉に殺気立った。
「てめぇ〜〜〜ッッ!!!スカしてんじゃねぇぞコラ!!ブッ殺してやらぁッッ!!!」
 男達は懐からナイフを取り出すと、新一に向かって構えた。周りから悲鳴が上がる。
 その様子をまるで傍観者のように見ていた新一は、怯むどころか彼らを嘲笑うかのような冷笑を浮かべる。
「婦女暴行未遂の後は傷害・殺人でも犯す気かよ。バカが」
 その彼の科白に煽られたのか、男達は一気に新一へと突進して行く。しかし新一の方が何枚も上手で、 1人目、2人目と軽くかわしては鋭い蹴りを入れ、時間外に出されたゴミの山へと突っ込ませて行く。
 最後の1人を倒して背中を見せた新一の背後で、先程倒された男の1人がゆらりと立ち上がった。体勢を立て直し、 右手のナイフを握り直すと彼に狙いを定めた。が。
「はぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「ぐっ!!」
 すっかり恐怖が去って行った蘭の見事な足技に、男は瞬時に再起不能となった。
 通行人の通報で駆けつけた警察官は、倒れている男達と新一達を交互に暫く見比べていたが、新一があの 有名な工藤新一だと気付き、新一が事情を説明すると彼は2人に敬礼をして男達を連行して行った。





 新一は、比較的通行量の少ない道の歩道に片輪を乗り上げるような形で車を停めていた。
 一騒動あったせいで、時刻は午前1時をとうに過ぎてしまっている。
 新一は蘭を助手席に乗せると急いで車を発進させ、ハンドルを握りながら「それにしても…」と口を開いた。
「あの警官、近くで騒ぎが起こってるってのに何で気付かねぇかな。あれじゃあ意味ねぇじゃん。なぁ?」
「何か、あのとき奥に行ってたみたいだから。私も交番からすぐ見える場所にいたわけじゃないし、きっと わからなかったんだよ」
「まあなぁ…。それに、蘭には空手があるから大丈夫だと思ってたんだけどよ。見てたら全然動かねぇんだもん、おまえ」
「見てた!?あのとき新一、見てたの!?何もしないで!!?」
 新一の漏らした言葉に蘭が片眉を上げる。新一は横目でそれを確認すると、困ったように笑った。
「最終的には助けたんだから良いじゃねぇか。だから、こんな時間にうろつくんじゃねぇよ」
 小さい子どもにでも言い聞かせるように、新一は優しく話す。それが今の蘭には辛く感じられ、窓の外に 視線を泳がせた。
 あんな風に助けてくれても。その姿がとても軽やかで身震いする程格好良くても。
 新一の心の中にいるのは……私じゃない。
 その事実が蘭に重く圧し掛かった。
 それでも、好きな人には幸せになってもらいたいから。平次にも同じように幸せになってほしいから。
 お互いを想い、目の前で躊躇している2人があまりにも可哀相で見ていられなくて。
 蘭は大きく息を吸うと、思い切って新一に向き合った。
「……飲み会なんて嘘よ」
「え?」
 驚いて思わず蘭を振り向く新一に、ちゃんと前を見るように促してからシートに凭れた。
「飲み会なんて嘘。実はね……今日、服部くんと会ったの」
「なっ!?」
 反射的に急ブレーキを踏みそうになって、慌てて新一がハンドルを持ち直す。そして、ちらっと蘭の方を見ると、 左手を彼女の前に翳して「待て」と合図する。
「ちょっと待て!待てよ!?今、どっか適当なトコに停めるから!!」
「う、うん…」
 新一の勢いに圧倒されて、蘭は縮こまりながらも返事を返す。言うべきでは無かったのかな?と半分思いながらも、 彼には告げなければならないことがある。
 少し走ったところで新一は車を停めた。サイドブレーキを上げて一息吐くと、改めて蘭を見つめる。ハザードが 点滅する音だけが車内に響く。
 どこか挑むような彼の視線を間近で受けて、蘭は肩が竦む思いがした。
「…………それで?」
 いつにも増して、どこまでも穏やかに新一は問い掛けて来る。蘭は視線を反らせたい気持ちを必死に押し留めた。 視線を外してしまったら、そこでもう何も言い出せなくなってしまう気がした。
「……服部くん………新一とこうなったのは、全部自分の所為だって……泣いてた」
「…………」
 新一が押し黙る。迷うように揺れている瞳だけが彼の気持ちを語っているようだ。
「新一が、服部くんにどういうことされたのか…詳しいことは話してくれなかったけど……凄く、後悔している みたいだったよ。……きっと、服部君は今までずっと、自分を責めてきたんだろうな、って思った」
 新一は俯くと、自嘲気味に小さく笑った。
「俺達の間で何があったのか、何も知らないおまえが見抜けたことを俺はずっと見抜けなくて、ますます拗れ させちまったんだ…。探偵失格だよな……」
 ハンドルに片手を掛け、何をするでもなく弄る。その横顔が、蘭には涙に濡れた平次の顔とダブって見えた。 きっと彼の心も深く傷つき、涙を流しているに違いない。
 蘭は、また込み上げてきそうな予感のする涙を隠すように下を向いた。
「私、初めて服部くんが泣いているところを見て、どうしたら良いのかわからなかった。私が、自分で無理矢理 聞き出したのに…っ……あの服部くんが、何だか壊れちゃいそうで、頼り無くて……。そのとき思ったの。 彼を…服部くんを救えるのは……新一しかいないんだって………」
「…………」
 新一は自分の足元を俯いたまま。自分の話を聞いているのかどうか不安に思い、蘭は顔を上げて彼の横顔を 見つめた。
「…それに、このままだと新一も……2人共ダメになっちゃうよ!新一…時々凄く哀しそうな顔をする。自分で わかってる?私は、新一にも服部くんにも、ちゃんとずっと笑っててほしい。2人で推理をして、あの輝く笑顔を 見せてほしい……」
「…………」
「……ねぇ、新一。服部くんのところに行ってよ……。彼のこと…………好き、なんでしょう……?」
「なっ………」
 絶句して瞳を大きく見開く新一を見て、蘭は微笑む。瞳は相変わらず、隠しきれない悲しみの色を浮かべて しまっているけれど、出来るだけ明るく笑って見せた。
「新一の態度を見てたらわかるよ。…昨日、はっきりわかったの。私は……認めたくなかったけど……新一が、 誰かのものになっちゃうのは嫌だけど……私は服部くんも好きだから。2人が幸せになれるんならそれで良いって、 自分でも不思議だけどそう思えたの。……だから、今すぐ服部くんのところへ行って。ちゃんと、自分の本当の 気持ちを伝えて。新一はあまり口に出して言わない方だけど……口に出さないと伝わらないことって、沢山 あるんだよ………」
 蘭の言葉に、新一が躊躇いがちに顔を上げて蘭に目線を戻す。そのまま、じっと新一を見つめていた蘭と 視線がぶつかった。蘭の瞳は優しく新一を見つめていて。新一は自分の心の中が少しだけ晴れた気がした。
 …そうだ。自分はずっと逃げていた。知りたかった平次の気持ちを確かめることもせず…いや、確かめるのが 怖くて。
 その結果、自分も平次も傷つけていた。
『自分が何をしたいのか、後悔しないようによく考えなさい』
 哀の言葉が脳裏に蘇る。
 自分のしたいこと…するべきこととは?
 後悔はもうしているから、今度こそ絶対しないようにと自ら胸に問う。
 ずっとしたかったこと……その答えは考えるまでもなく既に出ていた。
 新一は自分を見つめたままの蘭の瞳を真っ直ぐに見つめ返すと綺麗に笑った。
「……ありがとう、蘭。俺、行くわ」
 新一の科白を聞いて蘭も微笑む。
「うん」
「…あ、でも、あいつが今部屋にいるとも限らないよな。どうしようか…こんな時間だし…」
「大丈夫だよ。帰り際に、これから寝るって言ってたし」
「え?…って、お、おまえ、まさかさっきまで服部と……っ!?」
「ん?うん。部屋にあげてもらって………あ、もしかしてヤキモチ?」
「バッ!バーロー!!誰が……っ!!!」
 真っ赤になって反論する新一を面白そうに眺めて、蘭は自分の気持ちにピリオドを打つ決心をした。自分には、 いつかきっと新一よりも素敵な人が現れるだろう。
 蘭は安心したように目を閉じる。もう、自分の役目は終わったのだ。
「……じゃあ、車出すぜ。おまえん家…は、ヤバイよな。どうする?」
「あ、今、園子に電話するから、園子の家に行ってくれる?」
「OK」
 サイドブレーキを下ろしてギアを入れる。その横で蘭が携帯を弄る。耳に当て、すぐに出た友人と楽しそうに 笑い合う。
 そんな彼女の姿に、新一はどうしようもなく切なくなった。





 数十分後、いつ見ても大きな屋敷の前で車は停止した。門の両側には守衛が控えている。彼らと顔見知りな 2人は車の中から会釈をし、蘭は車を降りようとした。その腕を素早く掴み、新一は真面目な顔を蘭に近付けた。
 彼は蘭を暫くの間見つめてから、申し訳無さそうにゆっくりと瞳を伏せる。それが何を意味するのかわかっているのに、 さっき決心したばかりなのに、不覚にも蘭は彼の容貌に高鳴る心臓を止められなかった。
「蘭……その、本当にありがとう、な……」
 少しはにかんだような微笑を浮かべて。
「……きっと上手くいくよ。頑張ってね」
「あ、あぁ。……蘭。おまえの気持ちに応えられなくて…ごめんな……」
「………。……じゃあ、ね」
 謝られて、何とも答えられない蘭は新一の腕をそっと解くと、さっさと車から降りて後ろでにドアを閉めた。 新一はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、蘭は一度小さく笑うと彼に行くようにと手を振る。
 守衛の連絡を受けて、園子が門の外に出て来たのが見える。新一はそれを確かめると、軽く片手を上げてから アクセルを踏み込んだ。
 車が角を曲がって見えなくなるまで見送ると、蘭はすぐ傍らで不思議そうな顔をしている園子を振り返った。
「ごめんね。こんな時間に…」
 申し訳無さそうな蘭の様子に、園子は首を振って。
「ううん、良いよ。起きてたもん。…それより蘭、新一くんと何かあったの?何か元気無い……」
「うん…ちょっとね。でも大丈夫。中に入ってから話すよ」
 全てを話すのは彼女の部屋に入ってから。親友である彼女に全てを話したら、堪らず泣いてしまうかもしれない からと、蘭は俯きながらも明るい声を出す。
「そう?じゃ、早く中入ろ。うら若き乙女が2人もこんな時間に外にいたら危ないよ」
 園子の言葉に不意に先程の新一を思い出した蘭は、堪えていた涙が無意識の内に再び込み上げてきてしまった。 ポロポロと涙を零す蘭を見て、突然なことに園子が慌てて蘭の両肩を掴んで顔を覗き込む。
「ど、どうしたの!?蘭!!大丈夫!?」
「うん……ごめん…」
「謝らなくて良いよ。さては、新一くんに何か言われたのね?もう、いくらでもグチ聞いてあげるから、ウチに 入ろう?」
 そう言って心配してくれる親友の優しさがとても嬉しくて。蘭は有り難く、今は彼女に甘えることにした。


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