2XXX年。
 この十数年で地球は荒廃し、人々の多くは次々と、人類が長年住み慣れた母なる星を捨て、他の星(主に火星)へと移住をして行った。核や環境破壊によって大気は汚染されて作物も禄に育たず、殆どの動植物は死に絶えた。空には厚い雲が立ち込めて雷鳴が辺りに轟く。時折、青白い稲妻が空と大地を光で繋いでいる。偉大なる海は暗く淀み、何人たりとも侵入させじとばかりに白い刃を剥き出しにして荒れ狂う。
 そのような場所に、人々が好き好んで暮らし続けるわけがない。人口は激減し、今や日本ではトーキョーとオーサカにしか人は住んでいない。人が住む居住地域は「シティ」と呼ばれ、住環境設備の整ったシティがトーキョーとオーサカに幾つも点在していた。そして、人類の滅亡は時間の問題と、多くの人々は新たなる星での豊かな暮らしを夢見て、皆そこから旅立って行くのだ。
 だから今、この星に残っているのは出発を控えた者と、移住の意思の無い(または許可をされない)変わり者やならず者だけだった。
 そんな中、ならず者達は荒廃した大地に自らの手で王国を作った。それはいつ壊れるかもわからないこの星での刹那的なものだったが、彼らにとってはパラダイスだった。そこにはルールも秩序も何も無い。自由。しかし、自由故に争いや略奪が絶えず、性風俗の乱れたそこは、まさに無法地帯であった。
 平和な土地で生きる多くの人々はその王国を恐れ、蔑み、そこを「デス・シティ」と呼ぶ。




南十字が瞬くとき





 今日も相変わらず空は暗く、今にも落ちてきそうだ。

 少年は、窓から低い空を見上げて溜め息を吐いた。
 色が黒く、健康的な印象を放つ彼の名前は服部平次。彼は、以前よりも人を見掛けなくなったオーサカの地で一人暮らしをしていた。正確に言えば、地球を発つ準備をしている。両親は、数週間前に火星へと旅立っていた。平次の父親が法的秩序を司る職業だったため、早急に出発しなければならなかったのだ。そのとき、当然両親は平次も連れて行こうとしたが、彼は「2ヶ月後までには必ず火星へ向かう」という約束を取り付けて、無理矢理二人を送り出した。
 彼には、やるべきことがあったのだ。



 今から10年程前。
 平次の家の近所に、外国から越してきた同い年の少年が両親と一緒に暮らしていた。平次と彼はとても仲が良く、ずっとその関係は続くものと思われたが、ある日突然、彼の両親が行方知れずになってしまったため、幼かった彼はトーキョーの親戚に引き取られて行った。それからというもの、彼とは年に数回程度連絡を取り合っていたのだが、3年前に「叔父さんが死んだ」という短い手紙を送ってきたのが最後、音信が途絶えていた。
 彼も平次もまだ未成年だ。未成年は1人では他の星に移住することが認められていない。何故そうなってしまったのかはわからないが、大分前に各国の要人が集まって開かれたグローバル会議で決まったことなので、今更とやかく言っても仕方の無いことだった。
 そのため、親や保護者的立場の大人がいない子どもは必然的に、いつ命が果てるともわからないこの星に取り残されることになる。
 平次は、今回の火星行きに彼も一緒に連れて行きたいと思っていた。けれども、音信不通の彼の居場所を突き止めるのに随分と時間が掛かってしまった。この数週間ずっとパソコンと睨めっこをし続け、つい先日、宇宙に飛ばしたパーソナル衛星からの情報を元にやっと見つけたのだ。…と言っても、大まかな場所を突き止めただけで、現地でまた探さなければならないのだけれども。
「工藤……元気にしとんのかなぁ……」
 平次と仲の良かった彼…工藤新一のことを思い起こしながら、平次はトーキョーへと出発するための荷物を纏める。新一は整った顔に大きな瞳が印象的で、その瞳の強さに子どもながら平次は一種の憧れにも似た感情を抱いていたものだった。西の言葉に囲まれた中、ずっと東の言葉を話していたことも強く心に残っていた。
 平次は大きなドラムバッグに、両手に乗る程の折り畳み式小型パソコン(コンパクトのようである)を最後に入れると、肩に担いで立ち上がった。
 もう、何も残っていないガランとした自室を見回す。17年間過ごして来た思い出深い生家を捨てて、新しい生活に旅立つのだ。ここには二度と帰って来ることは無い。
 平次は、不意に込み上げて来るものを感じながら暫く感傷に浸っていたが、やがて深呼吸をすると上着を羽織り、気合を入れるように両頬を叩いた。
「よっしゃ!出発や!!」




 ようやく見つけた新一の居場所はトーキョー南西部の、人々が「デス・シティ」と呼んでいる無法地帯だった。ルールも秩序も無く治安は最悪なそこでは、いつ殺されても不思議ではないらしい。果たして彼は本当に生きているのかと、一抹の不安が脳裏を過ぎる。だが、彼は昔から頭が良かったから、きっと生きているだろうと思い直した。
 人気の疎らなオーサカ駅のホームで1人、シティ列車を待つ。ふと、楽しそうな笑い声が聞こえてそちらに目を向けると、少し離れた場所に大きな荷物を持った人々がいた。その手には、火星行きのシャトルのチケット。火星へ行くには、まずはステーションがある「シンジュク」へ行かなければならない。彼らはそこへ行くのだろう。
 平次は自分の行く末を思い、思わず拳を握った。
 恐らく、自分はとても無謀なことをしているに違いない…と平次は思う。もし彼の両親が、自分の息子が「デス・シティ」に行くと知れば、きっと…いや絶対反対することは明らかだ。傍から見れば愚かな行為に他ならない。自ら進んで、堕ちて行った者達の巣窟へ飛び込んで行くだなんて。
 それでも、平次は新一を連れ戻したかったから。
 その一途な思いしか無かった彼は、何故新一がそんな所にいるのかという事情を知る由も無く――――。
 ただ今は、昔のまま変わらない彼が元気に生きていることだけを願っていた。



 科学が発達してリニアエンジンが開発された現在、オーサカ・トーキョー間は、ほんの僅かな時間で移動出来るようになった。しかし、それだけ発達した科学の代償は大きかった。
 オーサカを発って間も無く、トーキョーに着いた平次は初めて降り立ったこの地の空もオーサカと何ら変わりなく、どんよりと今にも落ちてきそうなのを目の当たりにして溜め息を吐いた。
 駅の周辺には廃墟となったビル群が密集し、不気味に行く手を阻んでいる。乾いた風が、地面の砂を巻き込んで砂嵐を起こす。その様子を瞳の端で捕らえた平次は、子どもの頃に見た写真を思い出した。
 幼かった彼が1人で物置で遊んでいたときに、偶然見つけた1枚の写真。レンガ造りの大きくて立派な建物と綺麗に整備された環境、何よりも、蒼く澄んだ空と植物の緑に目を奪われ、慌てて両親の元へ見せに走った記憶がある。嘗て、遠い過去に祖先が撮ったという「東京駅」。もう、どのくらい昔のものなのかはわからないが、きちんと手入れされて保護シートに包まれていたそれは、今も尚、色褪せること無く鮮やかな色彩を平次に伝えてくれた。それを見て、平次は例えようの無い衝撃と感動を覚えたのだった。それなのに、今現実に目の前に聳える「トーキョー駅」には過去の気品ある面影は微塵も無く、あるのは鉄骨が剥き出しになって傾いたコンクリートの塊だけだ。これが嘆かずにいられるだろうか。
 平次は生まれて此の方、実際の青空を一度も見たことが無かった。この時代に生まれた者は皆そうなのだが、この空に掛かった暗く重い雲は一度として晴れたことは無い。だから、当然のことながら、日光を必要とする天然の植物というものは一切育ちはしない。そのため、食料等生活に必要な物は全て火星で作られて、一ヶ月に数回地球に送られて来ているし、生き物が生活するにはあまりにも空気が悪いため、個々のシティには空気清浄機や空気製造機が設置されて人工的に新鮮な空気が作られているのである。そして、シティで暮らす者達は健康維持のために、家にいる間はずっと、外出したときでも一日に最低数時間は、各家庭に設置された「太陽光線照射装置」と名付けられた機械から発せられる人工の太陽光線(勿論、実際の太陽光では強すぎるため、嘗ての地球に届いていたものと同じ強さに設定された上で有害物質は一切除去されている)を浴びて、日光浴をすることを義務付けられていた。
 平次はいつしか無意識の内に握り締めていた拳を緩めると、瞳を眇めてトーキョー駅に背を向け、バッグからパソコンを取り出した。片手に乗せて電源を入れる。瞬時に立ち上がった画面には、新一の捜索のために集めた情報と自分の現在地が映し出されていた。ピッという軽い電子音が空虚な空間に響く。現在地から目的地までの距離と方角を、一瞬にして弾き出す。
 平次は液晶画面を少しの間じっと見詰め、逸る気持ちを落ち着かせようと大きく息を吸った。数回それを繰り返し、意を決するように顔を上げると、果てしなく続く荒れた大地を睨みつけた。
 ここから南に約50Kmのところに。
 人々が無法地帯と恐れる、デス・シティがある。





*  *  *  *  *






「流石トーキョー。人間は減ったとは言え、日本の首都っちゅーのは伊達やないな。こないに人見たの久しぶりやで」
 トーキョー駅から50Kmもある道程を歩いて行くのは流石に気が滅入り、タクシーを拾うために近くのシティを目指して暫く歩いていると、それまで廃墟でしか無かったビル群が一掃されて視界が開けた。高い城壁のようなバリケードが張られたシティが姿を現す。その入口らしき門の上には「シンバシ」と書かれていた。そこを潜ると、すぐに人通りの多い大きな通りに出迎えられた。等間隔に建てられた、街灯をモデルにした空気清浄機。低層ビルの商店街。高層ビルが立ち並び、呼び込みの声が響き活気溢れる大通り。辺りを、スマートな卵形をしたタクシーが縦横無尽に走り回っている。充電式のソーラーバッテリーとリニアモーターを繋いだ最新鋭のエンジンを搭載したタクシーは全て自動運転で、地上5cmを通常80Kmで走行する。
 早速平次は一台のタクシーを止めると素早く乗り込み、シートの前に備え付けられているナビゲーションシステムにIDカードを入れた。十桁のパスワードを入力すると、カード口付近に設置されたディスプレイに電子マネーの残高が表示される。平次はそれを確認すると、自分のパソコンをタクシーのナビに接続すると、地図を転送して目的地を設定しようとした。
 しかし。
「…え?あれ?何で、エラーが出んねん…??」
 何度転送しても、何故か送信エラーが出てしまう。凛々しい眉毛を八の字にして、平次がほとほと困り果てていると。
『お客様、いかがなさいましたか?』
 すぐ傍のスピーカーから、男とも女とも取れない機械的な声が聞こえて来た。どうやら、このタクシーに組み込まれているコンピュータらしい。
「いや、何度マップを送信してもエラーが出てまうねん」
『どちらまでですか?』
「デス・シティに行きたいんやけど…」
 平次がそう告げると、思わずと言うようにコンピュータは黙り込んで。暫くしてから、確かめるような口調でこんなことを言ってきた。
『……失礼ですが、お客様。デス・シティなんぞに、どのような御用ですか?』
「幼馴染みがそこにおってな…そいつを連れ戻しに行くんや」
 デス・シティはならず者の街だ。新一がならず者になっているとは全くもって思ってもいないが、例えコンピュータと言えども優秀な頭脳を持っている。安易に「一緒に火星に行くため」とはとても言えず、それに言う必要も無いだろうと言葉を濁す。
 そんな彼を宥めるように、コンピュータは言葉を発する。
『お客様、悪いことは申しません。あんなところに行かれるのはお止めになった方がよろしい。あなたはオーサカからいらしたようですからご存知無いかもしれませんが、あそこは危険過ぎます。お友達も、マトモに生きてはいらっしゃらないでしょう。諦めた方が身のためです』
 そんなことを言われても、端から諦めるなんてことは頭に無い平次には何を言っても無駄で。
「俺は行く。行きたい。行って、あいつにもう一度会いたいんや。今行かな、きっともう2度と会われへんようになってまう。そんなんは嫌や。それに、俺にはあいつを見捨てるやなんてこと出来へん。俺は、どうしても行かなあかんねん。お願いや、乗せてってくれ!」
『……………』
 必死に言い募る平次に、コンピュータは静かに息をついた。
 人間以上の頭脳と、人間同様の感情分析システムを搭載したコンピュータにも平次の意志の固さが伝わったのだろう。それは再び黙った後、渋々といった様子で了承の意を返してきた。
『……わかりました。行かれるのはお勧め出来ませんが、お客様が行くと仰るのでしたら、それを止める権利は私にはございません。ご案内致しましょう。特別プログラムを作動させますので、もう一度マップを送信願います。が、どうか、手前まででご容赦ください』
「うん。それで充分や。無理言うてごめんな。おおきに」






 数十分後。途中から道もビル群も無くなり、文字通り荒野を走ったタクシーはある場所に来た時点で直ちに停車した。
 支払いを済ませ、残金が僅かと表示されたディスプレイを見て、溜め息を吐きつつナビゲーターからカードを取り出した平次は、タクシーを降りた途端に目に飛び込んで来た物体に思わず息を呑んだ。、砂漠の真ん中に聳え立つ、巨大なドーム型都市。上空を透明なカプセルのようなシールドに包まれ、遠くには背の高い建物が幾つもシルエットになって薄く見える。
「あれが…デス・シティ……。めっちゃ凄いわ…。あんな完璧なシールド、初めてや…。あそこに工藤がおるんか…」
 オーサカでも、今し方通ってきたシティですら見たことが無かったそれに圧倒され、小さく呟く。そんな彼の後ろで声がする。
『デス・シティは無法地帯。何が起きるかわかりません。くれぐれも、お気をつけて』
「あ、あぁ。おおきに」
 それだけ言うと、タクシーは息を吐くような音と共に扉を閉め、元来た道を颯爽と引き返して行った。広い荒地に平次は1人取り残される。
 タクシーを見送った平次は振り返ると、一度深呼吸をして一路デス・シティに向かって走り出した。彼が地面を蹴る度にザクッザクッと砂が音を立てて舞い上がる。その音は、次第に平次の鼓動のリズムと重なり合っていった。これから新一を探し出すという使命感と、初めての街への不安と期待に、平次の心臓は高鳴っていた。
 微かに息を弾ませて見上げたバリケードには、遠くからは確認出来なかったが、銀色に光るゲートが幾つかぽっかりと口を開けていた。ゲートの中にもしっかりとした、七色に光り輝くシールドがきめ細かく張り巡らされている。今まで平次が行った、どのシティよりも住環境設備が万全に整っているようだ。こんなにも整備の行き届いたシティが、本当に無法地帯と言われるデス・シティなのだろうか。
 平次はそんなことを思いながら、恐る恐る中に足を踏み入れて行った。
 一歩中へ入った途端、爽やかな風が平次の頬を撫でて行った。道の両側や、あちらこちらに植えられた樹木の緑が映え、草花は鮮やかな色をしている。今まで感じたことの無い澄んだ空気は、これらのお陰らしい。時折吹く風は、オーサカや先程通ってきたシティのような乾いた風ではなく、涼しくてとても心地良かった。時折吹く風は道端の草花を揺らしては遊んでいく。
 昔、暗い物置で見つけた写真に写っていた美しい自然の色彩。それがここにあった。
 平次はその自然の色合いに目を奪われながら、辺りをぐるりと見回した。小首を傾げる。
「…こない綺麗な街やのに……何でここが無法地帯なんや?噂と全然ちゃうやんけ……」
 上を見上げれば、汚染された外部の空気を遮断するためのシールドが幾重にも張り巡らされている。しかも、宙を完全に覆っているシールドは人工の空を作り出し、平次が見たことも無い綺麗な茜色を映し出していた。
 平次は見上げた夕焼け空に感動し、不意に、こんな広い街からたった1人で新一を探し出さなければならないという現実を思い出して愕然とした。
 今居る大通りは前方に長く伸びていて、どこまで続いているのかもわからない。道の両側には、派手な看板を掲げた店やら豪華な造りの建物が犇めき合うように建ち並んでいる。新一を探し出すと意気込んで来たのは良いが、まさかこんなにも広い街だとは思わなかった。前途多難な予感に暫し途方に暮れるが、ずっとそうしているわけにもいかず、とぼとぼと重い足取りで、誰もいない大通りを当ても無く歩き出した。けれども、通りを進んで行くにつれ、周囲が静か過ぎることに言い得ぬ不安が込み上げて来た。
(何で、こない歩いとっても誰にも会わへんのや?一体、どないなっとんねん…)
 平次がこの街に入ってから目にしたものと言えば、先程、茫然と立ち竦んでいたときに擦れ違った、ゴミ収集車にも似た一台の黒い大型車くらいだった。その車はどこか重々しい雰囲気を纏わせていて、思わずその行き先を目で追った程であった。
 辺りの様子に平次が不審げに眉を顰めたとき、何かがビルの陰から飛び出して来た。
「なぁ、兄ちゃん。クスリいらねぇか?」
 何事かと驚いている隙を付かれ、あっという間に数人の男達に取り囲まれた。突然のことに身構えることを忘れた平次は、後ろにいた体格の良い男に易々と羽交い絞めにされてしまう。
「な、何や!おまえら!?」
「コイツだよ、コイツ。勿論買うよな?」
 押し売り紛いな言葉を吐き、懐から取り出したビニール袋を見せ付けながら近づいて来た男は、平次の顎を掴んで顔を覗き込む。袋の中の白い粉を目にした瞬間、平次は驚愕に目を見開いた。
「コイツ……って、それ…っ、ま、麻薬やないかッ!?そんなん持っとって、おまえら、ええ思てんのかっ!?」
 言われた男が白けたような目で平次を見る。
「はぁ?何すかしてやがんだ、てめぇ。そんなの、欲しがる奴がいるんだから良いだろう。ジュヨウとキョウキュウって奴?兎に角よぉ、今までのとは格段に違うブツがあんだよ。これは絶品だぞ。まぁ、その分値は張るがな…って……ん?」
 そこまで言い掛けて、男はふと何かに気づいたように、不躾にも平次をじろじろと眺めた。全身を舐めるように見詰めて口元を歪める。
「そういやおまえ、妙なことぬかすと思ったら、見かけねぇツラじゃねぇか。新入りか?丁度良いぜ。俺たちがここのルールを教えてやるよ」
 その言葉に平次はキッと男を睨みつけると、蔑むように鼻で笑う。
「はっ。ルールやと?ここにはルールなんぞ無いんちゃうんか」
 男たちは面白そうに声を立てて笑う。しかし、血走った目は全く笑ってはおらず、口の端を歪めただけの嫌な笑い方だった。
「そうさ。ここにはルールなんか無い。が、逆に言えば、誰でもルールを作れるのさ。これが俺たちのルールだ」
「……っ!くそっ!!ええ加減離さんかいッ!!ボケッ!!」
 本能的に身の危険を感じ、前後で拘束している2人の男の腕を外そうと再び躍起になって暴れ出した平次に他の男達が殺気立つ。不意に平次の瞳が、後ろで傍観していた男達の懐から垣間見えたものを捕らえて顔を顰める。キラリと光るそれ。
「おまえら、一体何する気やッ!?」
 押さえつける腕から尚も逃げ出そうと必死に踠く平次を嘲るように見ながら、リーダー格らしき男はようやく平次の顎を掴んでいた手を離した。ニヤニヤと性質の悪い笑みを浮かべる。
「さあ、新入りなら金は持ってんだろ?大人しくコイツを買って、てめぇもこの街に相応しい人間になれよ。楽しいぜぇ?嫌なことも全部忘れられるしな。それとも、痛い目を見て無理矢理クスリ漬けに……いや、待て…そうだな…兄ちゃんなら、あっちの方でクスリ漬けにしてやっても良いぜ?媚薬なんかよりよっぽどイイものもあるからな…へへへへへ」
「あっちの方って、何や……っ!?」
 リーダーの男は厭らしい笑みを浮かべると、片手を挙げて合図をする。と、仲間の内の2人がナイフを懐に仕舞い、そのまま平次ににじり寄って来た。整備された道端の様々な草花が踏まれ、カサカサと悲鳴を上げるように薙ぎ倒される。
 冷や汗を流しながら固唾を飲んでその音を聞いていると、突然、後ろ手に羽交い絞めにしていた男の太い手が平次の身体を弄り始めた。気持ちの悪さに虫唾が走った。
(な、何なんや!?こいつら、正気やない!!)
 先程までとは違う未知の恐怖に、弄り続ける手から逃れようと尚一層平次が身を捩った。そのとき。
 グギッという鈍い音と共に、未だナイフを片手に離れたところで様子を窺っていた男がいきなり地面に突っ伏した。唐突な出来事に事態を把握出来ず、その場にいた全員の動きが止まる。視線が集中する。振り返った先に立つ人物を確認するや否や、リーダーの男を始め、平次を取り囲んでいた男達は皆狼狽し、後退った。
「…フン……ヤクの売人か…。あんまりヤクにばっか頼ってると、身体がガタガタになってこの様だぜ。まぁ、俺には関係無いが。それよりもてめぇら、この街の唯一のルールを忘れたのか?」
 さも簡単に男を殴り倒した男が、倒れたまま微動だにしない男にチラッと視線を向け、地面に落ちたナイフと粉の入ったビニール袋を拾いながら静かに言う。静か過ぎるその地を這うような低音が怒りの深さを物語っている。その彼の隣にいたもう1人の男も、ポキポキと指の骨を鳴らしながら怒りを含んだ声で咎めた。
「そうだよ。ちゃ〜んと守ってもらわないと困るんだよなぁ」
 逆光で2人の顔はわからないし口調も全く違うが、どちらも似たような声だと、そのとき平次は呆気に取られながら思っていた。
 平次の横で、彼らに言われた内容に思い当たったらしいリーダー格の男がハッとして地面を俯いた。何かを認めて、蒼褪めた顔で焦ったように必死に弁解を始める。冷や汗が額を伝っていく。
「あ…っ、す、すまねぇ…ッ!!何か、こいつが見ねぇツラだったもんだから、揶揄ってやろうと思って、その、つい、悪ふざけがすぎちまって…。た、頼むから今回は見逃してくれ…!」
「……悪ふざけ…ね」
 ビニール袋をポケットに仕舞い、ナイフを片手で弄びながら彼も地面を俯く。
「そ、それに、そんな酷いことしてねぇと思うし……な、なぁ?」
 切羽詰ったように仲間たちを振り返って同意を求める。彼はその男をじっと見つめ、それから平次や、平次を羽交い絞めにしたまま動けずにいる男とその場にいる全員に視線を巡らせた。そうしてから、最後に自分の後ろにいる相棒を振り返って。
「こいつら違反だ。グレート・コーストに個人データを送っとけ」
 無感情な声でそう告げると彼は踵を返し、足早に大通りを歩き始めた。
 急展開すぎて、何が何だか事態を飲み込めない平次だったが、自分を羽交い絞めにしていた男が呆然として思わず腕を緩めたことに気がつくと、素早くそこから抜け出し、男達が放心している内に…と、前を行く彼らの後を追って全速力で駆け出した。
 2人が路地に入って行ったのを認めた平次は続いて角を曲がる。と、2人はまるで、平次が来るのを待っていたかのようにこちらを振り返っていた。彼らに向かって頭を下げる。
「さっきはホンマにおおきに!助かったわ」
「なぁ〜に!気にすんなって。あーいうのは見過ごせないからさ」
 ドラム缶に座って明るく言い放った彼は、人好きする顔でウィンクをするとにっこり笑った。壁に寄り掛かり、腕を組んだまま平次を見つめる整った顔立ちの彼は何も言わない。彼の平次を見る瞳は冷たく見下したようで、全く興味が無いとでも言いた気だ。
 2人の容姿は確かに似ていたが、身に纏っている雰囲気が明らかに違っていた。
 そして。
 彼らの顔を見た瞬間、平次の脳裏に幼き日の記憶がフラッシュバックした。
 壁に凭れていた彼が、合図も無く突如背を向ける。ドラム缶に座っていた彼も、それを見て黙って後に続く。何も言わずに去っていく彼らに、平次は慌てて声を上げた。
「な、なぁ!ちょぉ、待ってや!!おまえ……工藤やろ!?」
「!?」
 驚いた顔をして2人が同時に振り向く。先刻までドラム缶に座っていた彼は目をまん丸くして。先に歩き出した彼は目を見開いて。
 ビクリと震えたのはどちらだったのか。それを見逃すような平次ではなかった。
 平次は彼の瞳を真っ直ぐに見つめながら、もう一度、ゆっくりと確かめるように繰り返した。
「…な?工藤なんやろ……?」
 暫しの沈黙。長いような短いようなその沈黙を、震えるような彼の声が破った。
「おまえ……まさか………はっとり……?」
 先程、平次を興味無さ気に見ていた彼の瞳が、信じられないという様子で平次を凝視する。その表情は幼い頃の新一のものと一寸違わず一致した。
 10年振りにやっと出会えた喜びに、平次が満面の笑みを浮かべて大きく頷く。新一は戸惑うように、そんな平次から不器用に目を逸らした。
「……何で、こんな所に……。………何しに来たんだ。ここは、おまえのような奴が来るところじゃない。とっとと帰れ」
 新一から発せられた拒絶の言葉。
 平次は一瞬言われた意味が理解出来ず、呆然と新一を見つめたまま暫くの間動くことが出来なかった。満面の笑みが凍っていく。自分に初めて向けられた新一の声は心なしか掠れていて、平次の心にぐっさりと突き刺さった。


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