南十字が瞬くとき

(今、工藤は何て言うたんや…?)
 頭が真っ白になってただ立ち尽くす。新一を探しに、一緒に火星へ行きたいがために、たった1人でここまで来たと言うのに…。
 拒まれるとは露程にも思っていなかった平次は、傍目からも明らかに狼狽えていた。そんな平次を見兼ねてか、新一の隣にいた少年が困ったように笑った。
「新一も、そんな風に言うなよ。折角彼、わざわざオーサカから来てくれたみたいだしさ。取り敢えず、新一の家にでも行って話しようよ。えっと、名前は?」
「おまえには関係ねぇだろ。口出しすんなよ。それに、何で俺ん家に行かなきゃならねぇんだよ!?」
 新一は彼の科白に異を唱えて食って掛かったが、当の本人は気にも留めずに真っ直ぐ平次に笑いかける。
「ね。名前、教えてよ」
「え?あ……服部。服部、平次」
「ふーん、平次か。俺、黒羽快斗。快斗で良いよ。よろしくな」
「あ、あぁ……」
 平次はにこやかに手を差し伸べる快斗に戸惑い、彼の横にいる新一が不機嫌丸出しな、物凄い形相で快斗を睨み付けているのに内心少々怯えつつも快斗の手を握った。
「よろしゅう…」
 それを見て、新一が片眉を上げてますます眉間に皺を寄せる。平次は、何故新一がそんな表情をするのかさっぱりわからなかったが、もしかすると、彼は自分の知っている昔の彼では無いのかもしれない…ということだけを漠然と感じていた。
「さ、早く行こう。もうすぐ夜になるし。ほら、新一も早く!」
 快斗は平次の手を握る指に力を込める。快斗に引っ張られるようにして歩き出した平次に新一は溜め息を吐き、仕方無さ気に歩き出した。
「さっき、平次がいた所はウエスト・アベニュー。夜の街で、昼間は全く人通りが無いんだ。平次に絡んでいた連中みたいなのがうろついてっから、注意した方が良いよ」
「あ、そうなんや」
「うん。んで、あれが〜……」
 新一の家へと向かいながら、快斗が指を差しては色々と教えてくれる。平次は快斗に未だ握られたままの右手を気にしつつ、自分たちの後ろを黙ってついて来る新一を横目で盗み見た。彼は相変わらず口を真一文字に引き結み、面白くなさそうな顔で俯きがちに歩いている。
 平次は隣の快斗に気づかれないように、そっと溜め息を吐いた。
「昼間は、1本東にあるイースト・アベニューに行くと良いよ。あそこは市場とか図書館とかあって、すっげぇ活気があるんだ。ウエスト・アベニューとは逆に、夜は店が閉まって全く人通りが無くて治安が悪くなるから、夜はあまり行かない方が良いな」
「へぇ…。何や、イメージちゃうな。もっと辛気くさいトコかと思うとったわ」
「……どうだろうな…それも強ち間違いではないかな」
「え?」
 快斗を振り返る平次の大きな瞳に小さく苦笑して、彼は何かを誤魔化すように大袈裟に前方を指差した。
「あ、ほら。あそこに見えるでっかいマンション。あれが新一の家だよ」


 新一の家は、先程の大通り(ウエスト・アベニュー)をずっと西に行ったところにある高層マンションだった。さも家賃が高そうだ…というのは、見るからに立派なそれを見たときの平次の正直な感想だ。
 30階建てのマンションの27階の角部屋というロケーションにある新一の部屋からは、どこまでも続くような大海原が見渡せた。そこから見える海は、シールドの所為だろうか、平次が生まれて初めて見る澄んだブルーで、波はとても穏やかだった。西に傾いてきた太陽が空と海をオレンジ色に染め、水面が美しく輝いている。
 平次はあまりの絶景に言葉を無くし、暫しそれらに見入っていた。平次の意識を現実に引き戻したのは、キッチンからコーヒーを淹れてきた新一の声だった。
「…で?おまえがこんなトコに、バカみてぇにのこのこやって来た理由は?聞いてやるから言ってみろよ」
 窓辺に張り付くようにして海を見ていた平次がゆっくりと振り向く。テーブルにカップを三つ置き、座り心地の良さそうな皮製のソファに腰を下ろして足を組む新一の、自分を見つめる無表情な瞳に戸惑って視線を彷徨わせると、助けを求めるように快斗を見た。気づいた快斗は凭れていた壁から静かに離れると、テーブルに近付いてカップを手に取る。上目遣いに新一を見ながらコーヒーを啜る。
「そんな言い方したら、平次だって言い辛いじゃんか」
「話をしようって言ったのはおまえだろ?俺は………初めから、コイツと話をする気は全く無いんだ」
 瞳を伏せてコーヒーを飲む新一の科白に、平次はショックを隠せなかった。
 何故、新一はこんなにも自分に冷たい態度を取るのだろうか。
 わからない…。
「何だよ、それ……。だって、平次はおまえの友達なんだろ?…そりゃあ、おまえが考えてることもわからなくも無いけどさ……それならそれで、ちゃんと話しろよ」
 平次は負の感情で身体が重くなっていくのを感じながら、震える手でギュッと拳を作った。快斗には新一の気持ちがわかると言うのに、全く彼の気持ちが読めない自分が悔しかった。
「……俺……」
 小さく搾り出すような声に二人が目を上げる。二人の温度の違う視線が痛くて、平次は俯いた。
「…俺の親、こないだ火星に行ってん。でも、俺だけ残ったんや。数年前から音信不通になっとったけど、おまえを置いては行きた無かったから…一緒に火星に行きとうて…ずっと、おまえの居所を探しとったんや」
「…………」
 黙ったまま何も言わない新一と、それ以上何も言えなくなった平次を見つめ、快斗は音を立てないように慎重にカップをテーブルに戻した。自分が関わる問題では無いと判断したらしい彼は、その場をそっと離れる。寝室の扉の前まで行ってから振り返った。
「俺、いない方が良いと思うから、ちょっと寝てくるな。新一、時間になったら起こせよ」
 返事も聞かずにパタンと閉じられた扉の音を背に受けて、新一は平次から目を逸らすと小さな溜め息を吐いた。
「……おまえ、やっぱりバカだ」
「……?」
 意味がわからない平次が眉を寄せて首を傾げると、新一は徐にソファから立ち上がり、壁際に備え付けられた本棚から分厚い本を取り出して来た。プリントアウトされた写真が、所狭しと貼られたそれはアルバム。ページを数枚捲り、平次に見ろとばかりに手渡す。
 新一の真意が量れない平次はハテナマークを顔中に貼り付けながらも、渡されたそれに素直に目を落とした。そこには、平次がよく知っている幼い頃の新一と彼の両親が幸せそうに写っている写真や、新一と平次が仲良く笑っている写真があった。無邪気で楽しかったあの頃。
 平次は、思わず目頭に熱いものが込み上げて来るのを感じたが、新一の前で見っとも無い姿を晒すわけにもいかず、ぐっと奥歯を噛んで堪えた。
 暫く無言でページを捲っていると、新一の両親が失踪した直後の写真だろうか、背景はオーサカからトーキョーへと変わり、新一と一緒に若い男が写っているものが現れた。その男は優しそうな顔で新一の肩を抱いている。
「そこに、若い男が写っているのがあるだろ?それが俺の叔父だ」
 平次がその写真を凝視していると、それまで黙っていた新一が口を開いた。平次とは目も合わせず、ぶっきらぼうに呟く。
「…あ、数年前に亡くなったっちゅー……。今更やけど、ご愁傷様やったな。大変やったやろ…?」
 気遣いの言葉を投げ掛ける平次に新一はチラリと視線を寄越したが、次の瞬間にはおかしいとでも言うように笑い出した。
「な、何や?どないしてん?」
 いきなり笑い出されて、わけがわからない平次は困惑の色を濃くする。新一は何とか笑うのを止めると、瞳を細くして平次を見つめた。卑下するような笑みを浮かべる。
「大変?ご愁傷様?そんなこと、全然ねぇよ。……だって、俺が殺したんだから」
「……え?」
 平次の顔が一瞬にして強張る。言われた科白を飲み込むのに時間が掛かった。そして、新一の真っ直ぐ見つめる真剣な瞳に、それが冗談では無く真実なのだと悟る。
(工藤が……殺した……?)
 信じられない気持ちと信じたくない気持ちに、ガクガクと震える身体を落ち着かせようと、平次は両手で己の身体を掻き抱いた。忙しく息を吐きながら新一を見つめる。
 見つめ合い、先に目を逸らしたのは新一の方だった。瞳を伏せて静かに口を開く。
「叔父さんは…俺が殺したんだ。俺を食い物にしようとしたから。そして……俺欲しさに両親を殺したから」
「な…んやて…?おまえの…両親を殺した…やと…?」
 声が震える。新一の口から出るのは、全部信じられないことばかりだ。
 新一は機械のように淡々と言葉を続ける。身動ぎもせず、感情を失った眼は平次では無く違うところを見ていた。
「俺の親がある日突然失踪したことは、おまえも知っているよな?あれは、あの男の陰謀だったんだよ。『大切な相談がある。もしかすると命を落とすことになるかもしれない重大なことなんだ』とか言葉巧みに言って、心配して出掛けて行った父さん達に……あの男は……っ」
 そのときのことを思い出しでもしたのか、新一が苦しそうに瞳を眇める。小刻みに震える拳を握り締め、吐き捨てるように言葉を紡ぐ彼を、平次は黙って見守るしかなかった。
「……俺がそのことを知ったのは三年前。あいつが酔っ払って、俺に手を出そうとしたときだ。ポロッと出た言葉にピンときて、誘導尋問したらあっさり吐きやがった。だから、その夜に殺ってやったんだ」
「…………」
「犯罪を犯した俺は、その場から逃げなければならなかった。行くところが無かった俺は……ココに来た」
「何で……何で、俺んトコに来てくれへんかったんや!?そしたら俺かて、親父達かておまえを放っといたりせんかったで……っ!!」
「バーロー。行けるわけねぇだろ…。あのときから、俺の人生は大きく変わってしまったんだ。でも、俺はココに来たことを後悔していない」
 新一は伏せていた瞳を上げ、動揺を隠せず揺れる平次の瞳を見ながらゆっくりと目を細めた。
「俺はもうマトモな人間じゃない。そしてここはデス・シティだ。マトモな人間なんていやしない。ここは、おまえが来るような場所じゃねぇんだよ。わかったか?」
「…………」
 新一は返事をしない平次に構わずに腕時計に目をやり、寝室の扉まで歩いて行くとノックをする。
「俺達はこれから仕事があるんだ。おまえに構ってる暇は無い。さっさと帰れ」
 ややあって寝室の扉が開く。扉の隙間から、眠気眼を擦りながら欠伸をする快斗が顔を覗かせた。
「もう時間か?話は終わったの?」
「ああ…。早く支度しろ。遅れるぞ」
 コーヒーにも手をつけず、アルバムを手に立ち尽くしている平次に視線を移した快斗は眉を顰めると、こちらに背を向けて純白のシャツに着替えている新一を振り返った。
(話……終わったようには見えないけど……)
 それでも仕事に遅れるわけにはいかないため、快斗も平次を気にしながらも支度を始める。
 黒いスーツに着替え終わって玄関に向かう新一の後姿に、快斗が一言言おうと袖を引っ張ったとき。
「……俺、帰らへんで」
 彼らの後方から、掠れた小さな小さな声が聞こえて来た。聞き取り辛いが、確かに強い意志を秘めた響き。
「平次……」
 振り向いた快斗は、目を上げた平次の意志の強そうな瞳と今し方の言葉に、呆然とその名を呟いた。こんな薄汚れた地には不似合いな綺麗な瞳の色をしているというのに、自らそれを汚すつもりなのか…と息を呑んだ。
 一方、新一は平次の声に一度立ち止まってちらっと後ろを窺い見たが、すぐに扉に視線を戻すとドアノブに手を掛けた。冷たく言い放つ。
「……そうかよ。だったら勝手にしろ。俺はもう、おまえに関わらない」
「!」
 感情の篭らない冷めた新一の物言いに平次は目を大きく見開く。そのまま部屋を出て行ってしまう彼に何も言えず、平次はその場にずるずると崩れ落ちた。打ちのめされた思いを抱えて、小さく震える身体をどうすることも出来ずにその背中を見送る。
―――一体自分は、彼に何を期待していたのだろう…。
「新一ッ!!」
 あまりな態度に、堪らず快斗が出て行った彼を咎めるように大声で叫ぶ。それでも歩調を緩めず、あっという間に視界から消えてしまった彼に快斗は諦めるように息を吐き、扉の前で慈悲を含んだような目を平次に向けた。
「……ごめんね。新一、言い出したら聞かなくてさ…。本当、頑固なんだよなぁ…」
 肩を竦めて溜め息混じりに言う快斗に、平次は自分の中で何かが切れそうだと感じた。
 子どもの頃仲が良かった平次と新一。相手のことなら何から何まで分かり合っていると信じていた。あの日、新一がトーキョーの親戚に引き取られて離れ離れになったときでさえ、子ども心にも、ずっと、いつまでも気持ちは通じ合えるだろうと信じて疑わなかった。
 なのに今、自分は新一の気持ちが全くわからなくて。目の前の快斗は、自分より新一との付き合いは短いはずなのに、自分が知らない彼を知っていて気持ちも理解出来ると言う。それが、途轍もなく悔しくて悲しくて淋しくて…。
 この場にいることが急に辛くなった平次は、ふらっと立ち上がると、自分を見守る快斗の脇を突然全速力ですり抜けた。
「っ!?平次!!」
 不意をつかれて驚き、思わず反応が遅れた快斗の叫び声が廊下に木霊する。それでも平次は止まろうとはしなかった。今度こそ、目頭に滲むものを堪えきれずに。
 歪む視界の中、行く当ても無くただ走り続けた。


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