南十字が瞬くとき

「……やっべぇ…!!」
 快斗は開きっ放しだった扉を閉め、オートロックが作動したことを確認すると急いで平次の後を追いかけた。しかし、マンションを出たところで平次の姿は既にどこにも無く、快斗は数回深呼吸をすると時計を見た。
 5時40分。
「くっ…。もう、仕事行かなくちゃな……。平次…っ…あいつはまだ、ここの本当の姿を知らないのに…っ!」
 デス・シティのことを何も知らない平次をたった1人にした新一に苛立つが、その真意がわかるだけに頭ごなしに怒るわけにもいかない。歯痒くて仕方が無い。そして、走り去った彼に追いつけなかった自分自身にも腹が立った。
 快斗は後ろ髪を引かれる思いをしながらも再度時刻を確かめ、頭を軽く振ると仕方なく自分の仕事場へと足を向けた。





「ここ……どこやろ……」
 大きな通りに出たところで、平次はようやく足を止めた。
 ただでさえ土地鑑の無い場所である。夢中で走り続けたため、すぐに自分の居場所がわからなくなってしまった。
 大きく肩で息を吐きながら周りを見回す。新一のマンションを出たときはまだ明るかった空も、既に薄暗い闇を作り始めている。通りの両側にはシャッターを閉めた様々な店が連なっていて、辺りは静寂と暗闇に包まれていた。人の気配すら感じない。
 ふと、平次は先程快斗から聞いた話を思い出した。
「…もしかして、ここって、快斗が言うとった…イースト・アベニュー……か…?」
 耳鳴りでもしてきそうな程静かな通りの様子に、平次は茫然と立ち尽くした。これからどこに行こうにも、誰もいなければ何も聞けない。ここに来てからというもの、この街の住人には大して会っていなかった。多分先刻も、これからの時間帯は賑やかになると快斗が言っていたウエスト・アベニューを走り抜けて来たのだろうが、無我夢中だったお陰で気づかなかった。
 再び見知らぬ場所に取り残されてしまったことに、平次は孤独と不安に苛まれた。両腕で自分の肩を抱き締めながら、これからどうしようかと思案する。
(確か、快斗が夜のイースト・アベニューには近寄らん方がええ、みたいなこと言うてたやんな…)
 そんなに夜のここは危険なのだろうか…。ただ単に、人通りが無くなって淋しくなるからなのか。
 ぼーっとする平次の横を、夕方見かけた大型車がまた一台通り過ぎて行った。今度は屋根の上の赤いランプを点灯させながら。その禍々しい赤色が闇夜にぼんやりと浮かび上がり、重低音のエンジン音と相まって得も知れぬ不気味さを感じさせた。
 再び静かになった薄闇の中で、緊張してドクドクと脈打つ自分の鼓動だけが響いてくる。

『ここに、マトモな奴なんていやしねぇよ』

 新一の声が頭の中で蘇る。新一のことを思い出して、不覚にも涙が滲んできそうになった平次は唇を強く噛み締めた。
 彼は本当に変わってしまったのだろうか。
 もう、昔の彼ではなくなってしまったのだろうか。
 そう考えて、振り払うように頭を振る。新一に思いがけず冷たい態度を取られて、どんどん悪い方に考えが行ってしまう感情に自嘲の笑みを浮かべた。
 新一は、決して自分の過去に囚われたりはしない。ここで暮らす人々が例え堕ちてきた人間であっても、それらに流されるような弱い人間では決して無いのだと、以前のままの彼はきっとどこかにいるはずだと、半ば暗示のように自分に言い聞かせる。そう信じるしか無かった。
「あないな態度取られたくらいで…ヘコたれんなや!服部平次!!おまえはそないヤワちゃうやろ!!」
 新一をこんなところまで探しに来たのだ。たった1人で。それなりに色々と覚悟はして来た…つもりだ。まさか新一本人に、あのような拒絶をされるとは夢にも思わなかったけれど。
 平次は気合いを入れ直すように大きく息を吸うと、両手で頬をバシッと叩いた。グチグチ考えるのはらしくない。
 取り敢えず、今夜寝る場所を探そうと、彼は重い足を引き摺るように踏み出した。
 そのとき。
 物音一つしなかった空間に、突如、大音量のエンジン音が響き渡った。聞き慣れたエンジン音。1台や2台ではない、何十台もの単車のものだ。平次もオーサカで乗っていたが、耳を塞ぎたくなるようなこの音は尋常ではなかった。
「…っ、何やねん、このやかましい音は……っ!!改造車か?」
 両手で耳を塞ぎながら音のする方向を見つめる。次第に近づいてくる轟音と共に、通りの向こうから1つ、また1つと光が見えてくる。平次が目を眇めると、通りいっぱいに広がった単車に跨る黒い特攻服の集団が、何やら振り回しているのが見えた。エンジン音に混じって聞こえるのはいくつもの発砲音。
「…もしかすると、ちぃっとばかしヤバイかもしれへんな…」
 流石に身の危険を感じた平次が冷や汗を流しながら慌てて通りを見回していると、いきなり後ろから腕を掴まれた。
「……っ!?」
「おい!おまえ、こないトコで何しとるんや!?こっちや、早よ!!」
 男は有無を言わせぬ強引さで、近くにあった路地に平次を引っ張り込む。細い路地から息を潜めて大通りを窺い見ると、多くの単車が、眩しいライトと共に銃声を響かせながら走り過ぎて行く。
 エンジン音が遠のき、やがて元の静寂と闇が戻った頃、大きく息を吐いた平次は背中を押された。
「もう通りに出てもええで。…けど、間一髪やったな。おまえ、一人でこんなトコおったら危ないやろ!」
 聞き慣れた独特のイントネーションが大通りに反響する。凛とした通る声。
 通りに出た途端背後でつけられた明かりに平次が振り返ると、そこにはライトを持った2人の男が立っていた。背の高い男と、平次と同じくらいの背丈の男。歳は平次と同じくらいだろうか。小さい方の少年は、腰にビームサーベルを差している。その彼が平次の顔に光を当てた瞬間、「あれ?」と声を上げた。
「おまえ、見慣れん顔やな。新入りか?」
「あ、ホンマや。せやからこない時間にここに…。しかも、俺らと同じくらいやんか。自分、名前は?ドコから来たんや?」
 平次は問われて我に返り、無遠慮に改めて二人を見つめた。そして、こんなところで慣れ親しんだ言葉を聞いた所為だろうか、どこかホッとしたように微かな笑みを浮かべた。
「俺の名前は服部平次。オーサカ第六シティのネヤガワ出身や。幼馴染みを探しにココに来てん」
 平次の言葉と内容に、驚いたように2人は黙り込み。暫くしてから大きい方の男が口を開いた。
「オーサカ…?幼馴染みを探しにって……おまえ、そんためだけに、わざわざオーサカから来たんか?」
「難儀やなぁ、自分…。同じオーサカ出身者からすると何や、他人事とは思われへんわ…。その幼馴染み、何て言うん?もしかしたら知ってる奴かもしれへんで」
 そう言って笑った小さい彼に、大きい彼が嗜めるように名前を呼ぶ。
「総司」
「ええやん。そんくらい教えたっても」
 総司と呼ばれた彼は、大きい少年を振り返って唇を尖らす。見上げられた彼は溜め息を吐いた。
「おまえの悪い癖やな。一度気になると放っておかれへんの。偶には俺の立場も考えてほしいわ」
「…で。自分の幼馴染みの名前は?」
 隣で愚痴を言い出した男を無視して、総司は平次を促す。平次が、未だに顔を照らし続けるライトに眩しそうに瞳を眇めたのに気づいて、総司はようやく手にしていたライトを平次の顔から下ろした。
 親切心というよりも好奇心に輝く瞳に押され、平次は躊躇いながらもその名を口にした。
「工藤…新一……や。一応、見つかってんけどな…」
 はぁ…と、肩を落とす。
「え?」
 その名前に、2人は目を丸くしてお互い顔を見合わせた。大きい彼が小さく呟く。
「工藤新一……って、あの工藤新一のことやんな…?」
「え?おまえら、工藤のこと知っとんのか?」
 何やら意味深なそれに、平次が思わず詰め寄る。二人は何事か相談するようにヒソヒソと耳打ちし合い、少ししてから頷き合うと同時に平次に視線を戻して笑みを浮かべた。その笑顔が嫌味や嘲笑等裏のあるものでは無いということは、二人の穏やかな様子から理解出来た。
「工藤の幼馴染みなんか、あんた。ほな、他人ちゃうな。なぁ?一久」
 にこにこしながら総司が傍らの彼…一久を見上げる。一久は頷きながら平次を静かに見つめた。
「そうやな。平次、とか言うたっけ?俺らに出来ることがあれば、出来る限り協力したるわ。……そういやおまえ、住むトコとかはどうなっとるんや?」
 一久の一言で一気に現実に戻された平次は、これから自分がやらなければならないことを思い知ってしゅんと項垂れた。耳の下がってしまった平次に2人は再び顔を見合わすと、にっこり笑った。
「何や。もしかして、まだ決まってへんの?せやったら、ウチ来るか?」
「えっ?ホンマに?ええんか!?」
 思い掛けない一久の申し出に、平次は弾かれたように顔を上げると、何とも間の抜けた声を上げた。総司が苦笑しながら平次の肩を叩く。
「ええで、ええで。取り敢えず、一久の家に向かおうや」
と、軽く平次の背中を押す。
「おまえが言うことちゃうやろ」
 総司の受け答えに一久は不満そうな声を上げるが、総司は全く意に介していないようだ。
「ええから、ええから」
「何がええねん」
 間髪入れずに突っ込む一久のことはまるっきり無視を決め込み、人好きする笑顔を浮かべながら総司は平次に向き直る。
「こいつの家、めっちゃデカイから遠慮せんでええで。俺も居候させてもろてる身やし。けど、まだ家も決まってへんってことは、仕事とかも決まってへんねんな?」
「仕事?」
 背中を押されながら、きょとんとして総司を振り返る。そんな平次に、少し遅れて歩き出した一久が答えた。
「ここは、全てが金次第やからな。働いて金稼がんと情報も何も得られへんねん。せやから、まぁ、言うてまえば、金さえあれば何でも出来るっちゅーわけや。自分の身は自分で守らなあかんし」
「せや、せや。働かん者食うべからずやで」
 にこにこと総司も間に入る。
 ならず者の街「デス・シティ」。ここでは衣食住から、得る情報、身の守りまで金次第。誰にも頼れない。それがこの街。
 平次は彼らの話を聞きながら、ここが他の平和なシティから恐れられている理由が少しだけわかった気がした。
 けれど、実際仕事をすると言っても、今まで両親と一緒に普通のシティで微温湯に浸かって生活していた平次は、ただの一度も働いたことが無いのだ。どういった仕事があるのかも検討がつかなくて、彼は困ったように眉を下げた。
「仕事かぁ……けど、どない仕事があるんかもわからへんしなぁ。オススメとかあらへんの?」
「ほんなら、一久んトコの事務やったらええやん。なぁ?おまえ、丁度人手不足や言うてたやんな?」
 平次のすぐ後ろを歩いていた総司が、名案だとでも言うように得意気に一久に話を振る。
 平次は一瞬何のことかわからなかったが。
「一久んトコの事務…って、え!?おまえ、会社持っとるんか!?」
 あまりにも驚いて、平次は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。それは静かな空間に響き渡り、彼はハッと口を噤むと周りを見渡した。口を片手で覆いながら一久を繁々と眺める。
 自分とあまり変わらないであろう年齢で、既に会社を経営していると聞いてとても驚いたのに、当の本人は大したことでは無いとでも言うように涼しげな顔をしている。
「まぁな。一応、2つの店を持っとる。元々親のモンやったのをもろただけやけどな」
「はぁ…すっごいなぁ。……え?けど、親からもろたって…おまえの親は、今どないしてん?」
「ん?あぁ。ちょぉ裏の道に従事しとるわ。店やっとるより、よっぽど金になるらしいで。俺はよう知らんけど」
「……ハハ。さいでっか」
(昼間の奴らといい、やっぱり一般シティとは感覚ちゃうやんな……)
 平次が口元を引き攣らせながら、どこか遠くの出来事のようにそんなことを考えていると。
「そうそう。さっきおまえが探してる言うてた工藤も、一久の片方の店で働いてるしな」
「えっ?そうなんかっ!?」
 総司の放った名前にすぐ様反応した平次が、反射的に一久を仰ぎ見る。一久は一瞬何とも言えない複雑な表情で平次を見たが、すぐに元の表情に戻した。
「ああ…。ほな、取り敢えず、明日にでもグレート・コーストに届け出しに行こうや。総司、明日出番やろ?」
「おう」
「…グレート……コースト、って何や?出番って…?」
 先程、平次に絡んでいた連中に新一が言い放った言葉と同じものを耳にした彼が不思議そうに問うと。
「グレート・コーストっちゅーのは、この街の唯一の役所やねん。ま、俺の仕事は明日までお楽しみっちゅーコトで」
 総司は悪戯っ子のような瞳で楽しそうに笑った。
 そんな話をしている内にイースト・アベニューを大分北へ進み、アベニュー程の広さではないが、ある程度広い通りと交わった。こちらはイースト・アベニューとは雰囲気が違い、静かではあるが、閑静な住宅街といった感じだ。アパートやマンション、一戸建ての家々が建ち並んでいる。
 そう言えば、先刻訪ねた新一のマンションの周りもこんな雰囲気が漂っていた。
 2人に連れられて通りを右に曲がる。すると、すぐに一際目立つ大きな洋風の屋敷が目に飛び込んできた。それまでの会話から何となく予想はついたが、一応聞いてみる。
「……なぁ。もしかして、あれが一久の家か…?」
 指を差しながら訊ねる平次に、無言で門のロックを解除する一久の行動が、平次の予想が外れていなかったことを教えた。
「…何で、工藤にしてもコイツにしても、俺が出会う奴は金持ちばっかやねん……?」
 平次は傍にいる2人に気づかれないように独り呟き、そっと溜め息を吐いた。


 一久と総司は平次と同じ17歳で、育ったシティは違えど同じオーサカ出身だった。2人はこの街で知り合った友達らしい。一久はここで生まれ育ったそうだが、総司がここに来たときは色々と事情があったようで、けれど、今ではここに来たことを全く後悔していないと平次に話した。
(工藤もそないなこと言うてたな…後悔してへんって。そないにええ街なんやろか…?ならず者の街が、か…?)
 ちなみに、一久の家の前の通りはメイン・ストリートと言うらしい。イースト・アベニューを彼の家とは反対側に曲がると、役所や銀行、病院といった施設があるそうだ。
 リビングに通されて柔らかなソファで寛ぎ、総司たちの話を聞いていた平次は穏やかな空気に緊張の意図が切れたのか、思わず、こんな街にもちゃんとした施設はあるんやな…と零し、即座に元々オーサカ人な2人の激しいツッコミを受けたことは言うまでもない。


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