南十字が瞬くとき

 次の日の朝、2階の8畳ある客間に敷かれた布団で寝ていた平次を総司が起こしに来たのは、窓の外で小鳥が囀り始めた頃だった。
 まだ眠気眼ながらも窓の外がいつもと違い、白い光を放っていることに気づいた平次はすぐに覚醒したらしく、布団を跳ね除けて一気にカーテンを開いた。そこには、オーサカでは見たこともない、明るい青空に白い雲、そして眩しい朝陽が顔を覗かせていた。庭では小鳥が苗木と戯れている。
「……凄いなぁ……綺麗や。俺、昨日の空もやけど、こない綺麗な空、実際に見るの初めてやわ……。それに、こない生き生きとした鳥見るんも初めてや」
 感嘆の溜め息と共にポツリと漏らされた平次の言葉に、総司も窓辺に近付いて外を眺める。
「そうやんな。俺もここに初めて来たときは驚きやった。空って、こない綺麗なモンやったんや…って。せやけど、ココやからこんな景色が見られるんか…って納得したわ」
「?どういうこっちゃ?」
 首を傾げながら隣に来た総司の顔を見つめる。その顔に少し苦笑して、総司は窓枠に凭れた。
「せやって、デス・シティはならず者の巣窟やで。ここにおるんは、重罪を犯してもうたりして移住を認められへん奴とか、地球から出る意思のあらへん変わりモンだけや。中には、能力が高すぎて警戒され、社会から抹殺された奴なんかもおる。ま、悪知恵なんかは天下一品って感じやな。せやから、こないな住環境設備の整った街が作れたんや」
「…そうか。そう言えば聞いたことあるなぁ。ものごっつぅ頭のキレる科学者が、ある日突然失踪したりって事件とか。そうなんや……皆、行き場が無くてここに来たんか……」
 平次が頷きながら納得したのを見て総司はまた笑い、彼の腕を取って扉へと促す。口元に笑みを浮かべながら。
「まぁ、そういうこっちゃな。さ、そろそろ下に行かへんと一久が拗ねるで。あいつ、朝飯作ってくれとるから、早よ行こうや」
 その言葉に、腹の虫もすっかり目を覚ました平次がドタバタと階段を下りて行くと、キッチンではギンガムチェックのエプロンを身に付けた一久が朝食の準備をしていた。冷蔵庫と並んで壁際に設置された大型の調理システムの前で、彼は表示された献立と睨めっこをしながら幾つかのボタンを押している。食欲をそそる良い匂いが部屋中に漂う。
「おはようさん。2人共めっちゃ早いやんなぁ」
 目が覚めたと言え、平次が思わず出た欠伸も堪えずに挨拶をすると、気づいた一久が調理機から出て来た皿を片手に振り返った。テーブルに人数分のスクランブルエッグとトースト、野菜のミックスジュースを並べていく。
「おはようさん。今日はおまえの移住手続きをせなあかんから、こないに早起きしたんやで?」
「えっ」
 自分のために早起きをしたと言う一久に、平次は欠伸を止めて固まった。たじろぐ。当事者である自分が、本来なら関係の無い2人よりも遅くまで寝ていたという事実に、申し訳なさと情けなさとで居心地が悪い。
 決まりが悪くて顔を上げていられず、床を俯いた平次が詫びの言葉を紡ごうと口を開きかけたとき、リビングに入って来た総司がそれを遮るようにテレビをつけた。火星で行われているサッカーの試合の様子が画面に映る。その音につられて、平次は視線を彼に移した。
 ソファにどっかりと腰を下ろした総司は、テーブルの上にパソコンを置いて電源を入れている。やがて繋がった、火星から報道される今朝の地球ニュースを確認して「昨日は火星で首脳会談があったんか〜…」などと言いながらパソコンから目を離すと、呆れたように上目遣いで一久を見やった。
「一久、シャレになってへんがな。ウソやで〜。平次、こいつな、オーサカ人のくせしてボケが中途半端やねん。今のも一応ボケなんや。せやから気にせんでええよ。ホンマは俺が家出るのが早いからやねん。今日は俺、早番やからさ」
「中途半端で悪かったな」
 拗ねたような一久の声に、総司が声を立てて笑う。それを聞いて安心した平次は、身体の力を抜くと表情を和らげた。それからふと、昨夜から頭に引っかかっていたことを聞いてみた。
「そうや。昨日教えてくれへんかったけど、総司は仕事何しとるんや?一久は自分の会社持っとるからあれやけど…」
 再びパソコンの画面を目で追いかけ始めていた総司は、顔を上げて瞳を傾げる。
「俺?俺は、デス・シティの親衛隊やっとんねん。それの隊長で、この街の最高峰であるグレート・コーストとZバンクの警備が俺の仕事や」
「Zバンク?」
「Zバンクっちゅーのは文字通り銀行やで。これから行くグレート・コーストに隣接しとる、この街唯一の銀行やねん。ちなみに、この街には後があらへんっちゅーことで『Z』やねんな」
「へぇ…そうなんや」
 平次が相槌を打ったのと同時に調理機が出来上がりを知らせる音を出し、キッチンから一久が朝食が出来たとの声がかかった。
 リビングのソファから「よいしょ」っと腰を上げ、総司は平次の肩を軽く叩く。
「ほな、さっさとメシ食って、行きましょか」



 一久の家から約20分程。
 デス・シティ唯一の役所『グレート・コースト』と、唯一の銀行である『Zバンク』はメイン・ストリートに隣接して建っていた。位置的には、イースト・アベニューとウエスト・アベニューの丁度中間である。
 外観はどちらも重厚で気品ある雰囲気を醸し出した造りになっていた。総司と一久に続いて中に入ったグレート・コーストに至っては、内装はまさに高級ホテルのようだった。
(役所がえらい立派なんは、どのシティも一緒やな…)
 平次は内部を見渡して少々呆れながらも、エレベーターで着いた先の窓口へ急ぐ2人の後を慌てて追いかけた。
 窓口には、こちらも平次たちと同じくらいの年齢の少年が、忙しそうにパソコンを操作していた。
「探、おはようさん!今日も朝から頑張っとるなぁ〜」
「新規登録の奴がおんねん。白馬、手続き頼むわ」
 総司と一久が口々に彼に声をかける。親しげなその様子に、3人は顔見知りなのだとわかる。
 ふわふわの栗色の髪の毛に品のある風貌の彼……白馬探と呼ばれた少年は、平次達に気がつくと真っ直ぐに向き直って姿勢を正した。
「ああ、沖田くんと稲尾くんか。おはよう。…あ、新規移住登録って、彼?」
 探は2人に笑いながら挨拶をしてから、後ろにいる平次に気づいたようだ。確認するように一久を見上げる。
「そうや。昨日の夜、イースト・アベニューをうろついとったから、ウチに連れてったんや」
「あぁ、昨日は君達が巡回の日だったんだよね。お疲れ様でした。……さて」
 探は平次に向き合うと、自分の目の前の椅子に座るように促してから書類を揃え始めた。
「新規移住登録ですよね。それでは、市民パスの発行等を致しますので、手数料として1,300ピース(P/世界共通通貨。円と貨幣価値はほぼ同じ)頂きます。こちらの書類の内容をご確認の上、必要事項をご記入ください」
 差し出された書類に目を通した平次は、ペンを受け取ると財布からIDカードを出しながら苦笑混じりに総司に囁く。
「手数料、やっぱ掛かるんやな。流石役所、しっかりしとるわ。しかも何や高いしなぁ…。えっと……?住所はドコやっけ?」
「メイン・ストリート東223番地や」
 平次が書類に記入をしている間にも、隣では探と一久が難しい顔をして話を進めていた。
「それで、勤務先についてなんだけど…」
「あ、それやったら、俺の店2店舗の事務をやってもらうことになったから、それで頼むわ」
「稲尾くんの?……あぁ、『シーク・D・ポップ』と『ミルティ・エンジェル』の事務だね。わかりました。それでは、契約欄にサインをお願いします」
 一久に雇用者用の書類を手渡し、平次が書類に記入し終わったのを確認して受け取ると、探は手馴れた動作で素早く内容をパソコンに入力してカードを取り出した。それを平次に差し出す。
「ありがとうございます。手数料の1,300Pも確かに。では、こちらが市民パスとなります。この街の身分証明証となりますので、保管には十分注意して、必ずいつも携帯していてくださいね。それでは、これからこの街についてご説明致します」
 探は書類を手早くファイルに仕舞うと、椅子に座り直して平次を真っ直ぐに見ながら説明を始めた。
「この街の予算や食料等の物品は、火星の宇宙ステーションからまずここ、『グレート・コースト』に送られて来ます。そして、送られて来る多額の予算はデス・シティの運営費として行政のために使われたり、各店舗や市場の銀行口座に振り込まれ、運営経費等に使用されたりしています。各店舗への補助金は売上によって様々ですが、一般シティからいらしたのなら、このシステムは信じられないでしょう?同じ国にいながら、一般シティは住民から税金を取り、それで行政の予算等を遣り繰りしていますからね。そう、最も他のシティと異なるのは、この街には税金が無いことです。だから、その気になれば1ヶ月で億万長者も夢では無いですよ」
「え…何でや?」
 大きな瞳を丸くして平次が尋ねると。
「国や、火星の連合政府が面倒を見てくれるお陰です」
「面倒見てくれとるって……」
「まぁ、その内わかりますよ。もうすぐお祭りもありますしね。さて、話を戻しますが」
 チンプンカンプンと言った様子で首を傾げている平次に、探はこっそり苦笑しながら説明を続けた。
「給与は隣りにあるZバンクの口座に振り込まれますので、近い内に口座を開設しておいてくださいね。あ、一般シティの銀行ともオンラインで繋がっていますので、他の銀行口座からの引き出しも可能ですから安心してください。それから、この街を万が一出られる際にも必ず届け出をしてください。住民を管理しなくてはなりませんので」
 と、そこまで言うと探は一息吐き、これまでとは違った至極真面目な顔を平次に向けた。
「では、これからこの街の唯一のルールをお教えします」
 探の真剣な表情に圧倒され、平次もつられて真面目な顔をする。ゴクリと喉が鳴った。
「これからお話することは、絶対に守って頂かなくてはなりません。その唯一のルールとは『デス・シティ内の植物を、許可無く無闇に抜いたり荒らしたりしないこと』。公園の芝生に関しては一部立ち入りを許可していますが、花壇は勿論のこと、道端の草花や樹木、森等の道以外の場所にも立ち入ってはいけません。また、最北の地区…通称「死神の地」と呼ばれるエリアは立ち入り制限区域となっていますので、あまり近付かないようにしてください。まぁ、バリケードがあるのでわかるでしょう。他は何をしても構いません。1人の夜が淋しいときにはウエスト・アベニューに行けば、そういった店も沢山ありますしね」
 真顔で言ってのけた探の最後の言葉に、平次が瞬間湯沸かし器の如く真っ赤に沸騰する。
「だっ、誰もそんなとこ行かへん!!」
 そんな平次に探は小さく笑う。純粋だなぁ…と思うと同時に、この街には似つかわしくないとも思う。
「そうですか。失礼。ただ、この街の空気は、大部分が緑豊かな植物によって保たれていますので、先程言ったルールだけは必ず守ってくださいね。もし守られなければ、シティ内での食料等の売買の制限や、勤務先の給与の没収・解雇、娯楽施設への出入り禁止等というペナルティが1年間あります。住人のデータは全てこちらで管理していますし、毎日、グレート・コーストに任命された巡回員がパトロールしていますので、くれぐれも気を付けてください」


 探の話を聞きながら、平次は昨日、初めてこの街に来たときのことをぼんやり思い返していた。

『てめぇら、ここの唯一のルールを忘れたのか』
『こいつら違反だ。個人データを送っておけ』

 確かにあのとき、新一はそんなことを言っていた。それでは、新一も巡回員の1人だったということか。あのとき、男たちが草を踏む音を聞いた。だから助けてくれたのだ。いや、助けた、というよりも、ただ自分の任務を遂行しただけと言う方が正しいだろう。平次のことを覚えていて、気遣って助けてくれたわけではないのだ。
 その後の彼の態度で、彼が自分のことを何とも思っていないことはわかっていたが、それでも、少しでも彼に期待していた自分が惨めで切なくて胸が苦しくて。

 平次はその場にいる全員に気づかれないように、そっと胸を押さえた。


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