南十字が瞬くとき

「はぁ…すっかり遅なってしもたなぁ……」
 紅子の店『ラズベリー』に入ったときはまだ明るかった空が、いつの間にかすっかり暗くなっていた。辺りには色鮮やかなネオンが煌き、派手な服を着た女や男たちで溢れ返っていた。楽しげな音楽が流れてくる。通りの両側にある店先では、様々な格好をした人々が客引きをしていた。
 露店はいつの間にか綺麗に消え去り、祭りの余韻などは一切感じない。いつものアベニューの情景がそこにあった。
「今日は祭りやったっちゅーのに…ホンマ、切り替えの早い連中やな…」
 昼間とは打って変わった通りの様子に、平次は肩を竦めながら改めてその変貌を見回した。
 そんな中、ある一角で歓声が上がる。人だかりに自然と目が行き、好奇心を擽られた平次は、引き寄せられるようにその場所へ駆け寄った。人垣の隙間から覗いて見る。と、それを見た瞬間、彼は目を見開き、固まってしまった。
 だって、そこでは……。
「やっ……あ、ん…っ…」
 平次と大して変わらないだろう年齢の少年が、大男4人に組み敷かれて犯されていたのだ。それを皆、楽しそうに眺めている。中には口笛を吹いて囃し立てたり、それを肴に始めてしまったり、傍にいる人間に嗾けたりしている輩さえいる。大勢に視姦され、羞恥に頬を染めながらも少年は感じてしまうらしく、体中を男達に撫で回され、局部に男を咥え込みながら時折悩ましげな喘ぎを漏らす。その度に取り巻く人々が歓喜の声を上げるのだ。
 平次はそれ以上見ていることができず、口元を手で覆いながら人混みから這うようにして抜け出した。
 顔色を無くして唇をきつく噛み締める。
 平次はふらつきながら人混みを避け、一本の路地に入ると壁に凭れるように両手を付いた。これまで出会った人々がとても堕ちて来た人間には見えなくて、自分と大して変わらない感覚を持った人間だったから忘れていた。ここが一般シティから忌み、恐れられている「デス・シティ」だということを。最低限のルールはあれど基本的に何でも有りの無法地帯。今し方見てしまった光景を、何かの見間違いだと思いたかった。あんな場面、一般シティでは考えられないことだった。
 平次は自分を落ち着かせようと、その場に蹲った。
「兄ちゃん、こんなトコで何してんの?」
「?」
 突然後ろから掛けられた聞き覚えの無い声を不審に思い、振り返る。彼のすぐ後ろで、肩くらいまである金髪の若い男が平次を見下ろしていた。丁度、通りから平次を隠すようにして立っている。黒いサングラスに隔てられた目は感情を一切隠していた。探るように、平次は眉間を寄せる。
「…何や、おまえ?」
 平次が警戒心を露にして一歩下がると、男もまた一歩近付いて来た。
「何で逃げるの?」
 面白そうにクスクス笑いながら、微妙な間合いでにじり寄って来る男に、平次は得も知れぬ恐怖を本能的に感じた。
 ここにいてはいけない、この男に捕まってはいけないと、平次の頭の中で警鐘が鳴り響く。
 平次が相手の隙を窺いながら何歩目か下がったとき、何の前触れも無く、背中に硬くて冷たい感触がトンッと当たった。
「!」
 驚いて振り返って見れば、いつの間にか目の前に聳え立つ壁。アベニューから入ったときは暗くてよく見えなかったが、路地だと思っていたそこは袋小路だったのだ。冷たいコンクリートが平次の恐怖を更に煽った。
 次第に近付いてくる足音にハッとして顔を向けると、いつの間にか男は彼のすぐ傍まで迫ってきていた。
「兄ちゃん、可愛い顔してるよね。へへっ、あそこでヤッてるの見て興奮したんじゃないの?折角だから、俺とやらないかい?」
「な…っ!?ふざけんなや!!誰が興奮するか!それに、俺は男には興味無いんじゃ、ボケが!!」
「威勢が良いねぇ〜。そういうのもそそられてイイよ。その強気な顔、今に快感と痛みで泣かせてあげるからね。へへへ」
「っ!!おまえ、イカれとるわ!!近寄んなっ変態!!気色悪いっっ!!」
 全身に鳥肌が立つ。伸びてくる手を必死にかわすが、追い詰められている平次は圧倒的に不利だった。男にあっという間に両手首を掴まれ、足払いをされてその場に倒されてしまう。押し倒されながらも平次は渾身の力でもって抵抗するが、見るからに貧弱そうな男のどこにこんな力があるのだろう、なかなか掴まれた手を振り切ることが出来ない。
 男の薄笑いが耳元を掠め、両手を頭の上に捩じ上げられてしまう。男の空いた片方の手が平次の身体に触れ、もうダメだと平次が目をきつく瞑った瞬間、聞き覚えのある声が頭上から降ってきた。
「おい。勝手なことしてんじゃねぇよ。そいつ、迷子になった俺の客だから返してくんねぇ?」
「……っ!!」
 今、1番聞きたくて聞きたくなかった声。
 それが誰であるか確信しながら目を開けると、男の背後に予想と違わず新一が仁王立ちしていた。白いシャツに藍色のネクタイを締め、ダークブルーのスーツを着ている。片腕に上着を掛け、ズボンのポケットに両手を入れて冷ややかに男を見下ろしている。
「……く、どぉ…っ」
 知らず、瞳が涙で滲んだ。今まで必死に堪えていたものが堰を切ったように溢れ出しそうだった。
 慌てて目を乱暴に擦る平次を暫くじっと見つめてから、新一は再び男に視線を戻した。
「聞いてんのかよ?」
 再び発せられた刺々しい新一の声に惚けていた男は我に返った様子で、慌てて平次から飛び退くと、しゃがんだまま新一を見上げた。
「あっ、あぁ!勿論さ!!何だ、この子、シンイチの客だったの?ごめんごめん。てっきりフリーだと思ったからさ」
 男はニヤリと笑うと立ち上がり、指先で新一の頬を撫でる。情欲の眼で誘うようにひっそりと彼の耳元で囁く。
「なぁ、シンイチ。最近は専ら上専門らしいじゃん?たまには下やって、俺の相手してくれないかい?」
「……考えておくぜ」
 男は満足そうに笑うと新一から手を放し、通りの方へと歩いて行った。
「……ケッ。誰がてめぇなんかに組み敷かれるかよ」
 男の姿が完全に見えなくなってから小さく吐かれた嫌悪に満ちた新一の声。眉を潜めて吐き捨てる。
 平次は、こちらを見ない彼の端正な横顔をじっと見つめた。
「工藤、おおきに。助かったわ。おまえに助けられんの、これで2度目やな」
 平次はゆっくりと起き上がると、背中や腰に付いてしまった砂を払いながら新一に向き直る。ニカッと笑うと、新一もつられたのか僅かに表情を緩めた。が、次の瞬間には我に返ったかのように表情を引き締めた。
「…ったく。危なっかしくて見てらんねぇよ。仕方ねぇ……とにかく、おまえん家まで送って行ってやる」
 無表情ながらも、この街に来て初めて新一の優しさに触れられた気がして、平次は嬉しそうに微笑った。頷いて、歩き出そうとした。
 そのとき。
 ぎゅるるるるぅ〜〜ぐるぐるぐる〜……
 何とも気の抜ける音が2人の間に響く。先を行く新一が、パタリと硬直したように足を止めた。呆れたような脱力したような、げんなり顔で振り向かれて、平次は赤くなった顔のまま照れ笑いを返した。
「服部……」
「そ、そう言うたら、今日は出店でちょこちょこ〜っとしか食うてへんかったんや…」
「……まだ7時前なのにな……」
「しゃあないやんけ!減るもんは減るんや!!…あっ!誤解しとるようやから言うけどな、俺、決して食い意地張っとるわけちゃうで!!ホンマやぞ!!」
「……どうだか…」
「ホンマや言うてるやろ!!」
「まぁ、俺も腹減って来たし、ついでだから飯も食わせてやるよ」
 赤い顔を更に赤くしながら食い下がる平次に、気が緩んだのか、フッと新一が小さく笑みを浮かべた。
 この数年間、久しく見ることの無かった新一の笑顔に、平次は見惚れたように言葉をなくす。気づいた新一は、くるっと背を向けると、ぶっきら棒に手を差し出した。
「……おら、手。また変な奴に引っかかりたくなきゃ、しっかり掴んでろっ」





 ウエスト・アベニューを北に行ったところ…メイン・ストリートと交差するところにある、新一お気に入りのカフェ『ハニー・ダスト』で食事を済ませた2人は、満足気にメイン・ストリートをゆっくり歩いていた。暗く静かなストリートを照らすのは、道の端に均等に設置された街灯のみ。家々の明かりも所々に見え、その穏やかな風景は、ウエスト・アベニューの雑踏を思うととても同じデス・シティとは思えなかった。
 2人して無言で歩いていると、不意に平次が横に視線を向けて立ち止まった。
「あれ?ここって、昼間祭りやっとった公園やんな?」
「ん?あぁ、センターパークか」
 平次が立ち止まったことにより、新一も歩を止める。
 昼間、平次達が入った入口とは別の場所なのだろう。茂みに囲まれた狭い砂地の先には木々が生い茂り、そのずっと奥の木々の間から、飛沫を上げる噴水が微かに見えた。
 平次は何かに引き寄せられるように公園へと足を向ける。新一も特に咎めることもせず、黙って彼の後をついて行った。


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