南十字が瞬くとき

「…俺さ……一度見てみたいものがあるんだ……」
「ん?何?」
 静寂を壊さないためか、囁くような新一の声に、平次が閉じていた瞳を開けて新一を見る。彼は腕を頭の後ろで組みながら、頭上に広がる満天の星空を見つめていた。
「南十字って言う星。知ってるか?南半球を代表する星座だけど、今は、地球上のどこへ行っても本物を見ることが出来なくなった星座の一つだ」
 瞳をゆっくり閉じ、すぅっと息を吸い込むと新一は続けた。
「ガキの頃、地球からはもう見れなくなった星について、母さんがよく話してくれたんだ。知り合いに天文学に詳しい人がいたらしくてさ、その人から聞いた話を俺に教えてくれたんだ…。特に南十字星は綺麗な十字を描いていて、とても綺麗なのよ〜…とか言って笑ってた」
 懐かしい幼少時代を思い出しているのか。子どもの頃の、二度と戻れない楽しかった過去に思いを馳せて。
 こんなに穏やかな彼の顔を見るのは、実に何年振りであろうか。平次は、瞳を閉じたまま話す新一の顔を瞬きもせずに食い入るように見つめていた。
「このデス・シティのメインコンピュータには、嘗て地球上で見ることが出来た星々のデータが全てインプットされていて、要望があれば、南半球の星でも投影することが出来るんだ。言ってしまえば、昔のプラネタリウムみたいなもんかな。で、母さんが好きだった星を…南十字を俺も見てみたくて映してもらったら、凄く綺麗で…感動してさ……。母さんが言っていた通り、懐に入りそうな小さな十字架が空に瞬いていた」
 新一は瞼を上げて漆黒の空を映す。
「……でも、所詮は偽物だから…。実際は…どんな風に輝く星なんだろうな……。本当の星の輝きを、いつか……見てみたいな…」
 どこか淋しそうに伏せる新一の瞳は、この星空よりもずっと綺麗に平次の瞳に映り。
 平次は堪らず起き上がると、新一の顔を挟むように地に手をついた。
「服部?」
 唐突な平次の行動に、新一は驚いたように呼びかける。瞳を傾げて平次を見上げる。
 平次は震えそうになる自分の声を必死に押さえ込んだ。唇が戦慄くのは止められなかったけれど…。
「そんなら…一緒に、俺と一緒に火星に行こうや…っ」
「…………」
 瞬間、新一の瞳にほんの少し哀しそうな色が過ぎった。
「数年前に火星の地底から空気が吹き出たことは、おまえも知っとるやろ?今、あの星では、空気清浄機や製造機が無ぅても暮らせるんや。研究所が人工オゾン層の開発に成功して、こんなシールドに守られんでも生きてけるんや。あそこに行けば、昔の地球みたいに、ホンマもんの星や太陽が見られるんやで…っ!!」
「…それは、わかってるよ。でも、俺は………行かない」
「何でやっ!?」
「俺にも都合があるんだよ。いきなり来てそんなこと言われても、どうしようも出来ないことだってあるだろう?」
「おまえの都合て……」
 新一は自分の上にいる平次の身体を押しやると、立ち上がり際にスーツについた草や埃を掃った。芝生にペタンと座り込んだまま納得のいかない顔で睨んでいる平次を振り返り、埒のあかない不毛な問答はもう終わりだとでも言うように手を差し伸べる。
「…それよりおまえ、寒くねぇか?」
「え?あ、あぁ、大丈夫やけど…」
 差し出された手を躊躇いつつも照れながらぎゅっと握ると、新一にぐいっと引っ張り上げられる。バランスの崩れかけた身体をどうにか踏み止まらせ、平次はホッと息を吐いた。
「ちょっとくらい寒ぅても、俺は頑丈やから平気やで。そんなことより工藤、まだ話は終わってへ……」
「俺は寒い」
 平次の声を遮って、新一が俯きながら呟いた。着痩せする肩が、心なしか震えているように見えて。
「工藤?」
 平次が息を止める。
「ずっと……寒いんだよ…。こんな思いは、もうたくさんなんだ…」
 喉の奥から搾り出すように微かに呟かれた言葉。
 平次には意味がわからなかったが、自らの腕で自分の身体を抱き締めた新一の行動が合図だったかのように、平次は引き寄せられるように新一に腕を回した。ぎゅっと力を込めて抱き締める。
 抱き締められた新一は驚いて一瞬身体を強張らせたが、暫しの逡巡の後、躊躇いながらも宙を彷徨っていた腕を平次の背に絡めた。
「……おまえ…、もう、帰れ……」
 平次の肩口に顔を埋めて、しがみ付くような体勢のまま新一が呟く。平次は彼の頭を片手で軽く撫でながら、自らの左腕に目を移した。文字盤が月明かりに照らされて光る。
「ん?あ、あぁ、そうやな。もう遅いし、そろそろ……」
「そうじゃなくて!…この街から……おまえの本来あるべき場所へ…帰れよ……」
「…………」
 発せられた言葉とは反対に力が篭る新一の腕と温もりを感じ、平次は切なげに瞳を伏せた。
(おまえの腕は俺を離そうとせぇへんのに、それでもおまえは、「帰れ」って言うんか…?)
「…………工藤、俺は……」
 平次がそう口を開きかけたときだった。
「シンイチ!」
 突如辺りに響いた声が、それまでの静寂を打ち破った。二人が同時に声のした方向に目を向ける。すると、暗い木々の間から一人の少年が姿を現した。肩で大きく息を吐きながら、こちらをきつく睨み付けている。平次はその少年には見覚えがあった。
「……ハルキ……」
 見覚えはあるものの、誰やったかな…と平次が首を捻ったとき、新一が呟いた名前に合点した。
 そうだ。
 彼は今日の昼間、この公園で行われたイベントの警備をしていた少年。何故か平次を挑むような眼で見た彼だ。
 ハルキと呼ばれた少年は、抱き合った体勢のまま動けずにいる平次と新一をもう一度交互に睨みつけてから、新一に視線を定めた。平次を指差しながら怒鳴る。興奮しているのか、みるみる顔が赤くなっていく。
「店に行ってもいないし、店の人に聞いてもわからないって言うから、もしかしたらココかもって…。で、来てみたら、僕を放っぽって、こんな奴と逢引かよ!」
「あ…あい……っ!?」
 見に覚えのない言いがかりをつけられ、開いた口も塞がらない平次の目が点になる。新一はくっついていた平次の身体をやんわり離すと鼻で笑った。
「こいつは俺の客だ。それにこの間、おまえとは付き合えないって丁重にお断りしたはずだぜ?」
「僕とは付き合えないと言っておいて……ちゃっかり恋人持ちかよ!業界トップ店のナンバーワンさんは!!」
「だから違うって言ってんだろ?あと、俺がどこで何してようが、おまえには関係ねぇだろ」
 新一の素っ気無い言い種に、彼は興奮と憤慨で益々顔を紅潮させた。
「ぼ、僕は客だぞ!そんな口利いていいのかよ!?」
 いきり立って声を荒げたハルキに、新一は見下したような視線で卑劣な言葉を吐いた。
「てめぇこそ、俺無しでは生きてけねぇ身体のくせして偉そうな口利いてんじゃねぇよ」
「…っ!」
「!!」
 売り言葉に買い言葉。新一は、一瞬でも平次の存在を忘れて口を滑らせてしまったことに我に返り、ハッとして平次を振り返った。
 今さっきの彼の科白だけでも信じられないのに、怯えたような弱い瞳を向けられて、平次は驚いたように瞳を見開いて新一を見ていた。
 ハルキは落ち着かない視線を幾度か彷徨わせると、とうとう居た堪れなくなったらしく。
何事か喚き散らしながら走り去って行った。


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