南十字が瞬くとき

「…じゃあ、そろそろ俺も戻らねぇとヤバイ時間だし、行くか」
 一体どの位経ったのか。
 新一も平次もあれから一言も喋らず、俯きがちにただ芝生の上に佇んでいたが、腕時計で時間を確認した新一の声にようやく平次が顔を上げた。
「………なぁ……」
 先に歩き出した彼の背中に平次が声をかける。無言で振り返った彼に、平次は意を決して口を開いた。
「聞きたいこと…あんねん……」
「聞きたいこと?」
 言葉の端を繰り返す新一に、平次は無言で頷く。そんな平次を新一は暫く眺めていたが。
「……歩きながらでも良いだろ。ほら、行くぞ」
 再び歩き出そうとする。
 平次は急いで新一に追いつき、彼の進路を塞ぐように立ちはだかると、ポケットから財布を探り出して札を何枚か取り出し、新一の手に握らせた。
「……何の真似だ?」
 手の中に握らされた数枚の札に目を眇めて平次を睨む。不愉快だと言わんばかりにグシャッと握り締める。
「俺が、今夜のおまえを買う。こういうのんってキャッシュなんやろ?ほんなら、これでええやろ?」
「…バカなこと言ってんじゃねぇよ。俺はこの後仕事があるし、第一、話ならここですりゃあ済むこと……」
 新一が札を突き返そうと平次の手を掴みかけるが、彼はさっとかわすと言葉を続けた。少し離れた場所から、真っ直ぐに新一の瞳を見据える。
「おまえは、さっき助けてくれたときも今の奴にも、俺んことを自分の『客』や言うたやろ?その『客』の俺がおまえを買うた言うてんねん。それに俺は、昼間の祭りで優先権もらっとる。それを使わしてもらうんやから、おまえは拒否出来へんはずやで。俺、日給で給料もろてるし、旅費の分、多少キャッシュで持って来とるから金は大丈夫なんや」
「おまえ……自分の言ってることの意味、わかってんのか?」
「…勿論、わかっとるで…」
「…………」
 口を真一文字に引き結び、全く譲る気の無い平次の態度に困惑し、逡巡するように新一は瞳を伏せて少しの間思案していたようだったが、有効な手立てが見つからなかったのか、やがて仕方なさ気に溜め息を吐いた。聞き取れるか取れないかという程小さな声で呟く。
「………店に行くのか?それとも……」
 言外に、店は安全だと伝えるが、平次は縋るように新一を見つめて。
「落ち着いたトコで話がしたいんや。…おまえん家がええ……」
「……わかった。今から朝まで10時間。20万だ」
 心なしか潤んでいるように見える平次の瞳に新一は躊躇しつつも頷き、手の中の札を確認してスーツの内ポケットへ仕舞った。





 センターパークからタクシーを拾い、2人は新一のマンションの門を潜った。オートロックを解除して中へ入り込むと、初日に入ったままの、相変わらずよく整頓された部屋が平次を出迎えた。
 平次をリビングのソファに座るように促し、キッチンへ赴いた新一は、暫くしてコーヒーカップを2つ手にして戻って来た。
「……で?聞きたいことって?」
 コーヒーをテーブルに置きながら訊ねる。カチャッという小気味良い音が静かな部屋に響いた。そのまま彼は流れる動作で平次の向かいのソファに腰を下ろす。
 平次は差し出されたカップを両手で持ち、それを俯きながら神妙な面持ちで重い口を開いた。
「……おまえの仕事って、何やの……?」
「ホストだけど?」
「それはわかっとる!俺が聞いとんのは、仕事の中身や!!」
 自分もカップを持ち、口を付けながらあっさり応える新一に、平次は怒りにも似た激情が湧き上がってくるのを感じた。カップを乱暴にテーブルに置き、涼しげにコーヒーを飲む彼を睨み付ける。カップがソーサーとぶつかってか細い悲鳴を上げ、中身が少し零れた。
「さっきの奴におまえが言うたこと…俺はショックやった……。おまえ、いつもそないなこと…しとんのか……?」
「…………」
 黙ったまま否定もせずに、傍に置いてあった布巾で零れたコーヒーを拭く新一に、平次はもどかしさを感じて身を乗り出した。布巾を握る彼の手を掴んで答えを迫る。
「ホストって、そういうことしかせぇへんのか」
 そこでようやく、新一は観念したかのように溜め息を一つ漏らした。ぎこちなく瞳を逸らす。
「店にいるときは…そんなことしねぇよ。するのは……店の外に呼び出されたときだけだ。客のご希望とあらば、こっちとしてはするしかねぇだろ。仕事なんだから」
「せやけど……」
 仕事だから、と割り切って肯定する新一に平次は戸惑いを隠せない。瞳を揺らして狼狽する彼に視線を戻し、新一は自嘲にも似た笑みに唇を歪めた。
「……幻滅したか?俺のこと、軽蔑した?…だから最初に言っただろ……。ここは…、ここで生きてる奴はそういう人間ばっかりだって……」
「…………」
「ここはおまえが居る場所じゃない。居て良い場所じゃないんだ。だから、早く、帰れ……帰ってくれ…頼むから…。俺は、もう…」
 言葉に詰まったかのように新一が口を閉じる。喉下まで出かかっていた何かを呑み込むように押し黙った新一に、平次はもう何度目になるかわからない質問を繰り返した。
「…工藤は……ホンマに俺と一緒に帰る気…無いんか……?」
 確認をする。縋るような気持ちで。
 けれども。
「……この金は返す。俺なんかに店の外で不用意に金を渡すな…」
 新一の答えは何ら変わりなく、平次は落胆してソファに沈み込んだ。上着のポケットを探って、優先権の証であるバッジをぼんやり眺めて手の中で弄ぶ。
「……わかった………帰る。せやけど、今夜はおまえは俺のモンやねんから……もう買うたんやから、言うこと聞いてや…」
「え…?」
 バッジを新一の前に差し出し、視線を合わせる。彼の瞳を正面から見つめる。
 ゆっくりと、言葉を紡いだ。


「これから、俺を……抱いてくれ」




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