南十字が瞬くとき

「あら、また安定剤を取りに来たの?」
 机に向かってカルテを見ていた哀は振り向き様、いつにも増してよれたシャツのまま病院へやって来た新一の姿を見て、怪訝そうに少し眉を顰めた。
「今まで仕事?」
「………まぁな…。これから住民データの更新をしにグレート・コーストにも行かなきゃなんねぇし…ちょっと疲れが溜まってるから、ドリンクもくれ」
 疲れたように椅子にどっかりと座り込む新一に、哀はカルテに目を戻しながら、あまり感情の篭もっていない声色で言う。
「相変わらず、大変そうね」
「そんなんじゃ、ねぇよ……」
「なに?」
 聞き取れなかった哀が振り向いて、小さく眉を寄せる。
「…………何でもねぇ」
 そんな彼女を見もせずに、新一は適当な返事を返した。
 マンションに置き去りにして来た平次を未練がましくも思い、もうそろそろ起きて帰り支度をしている頃かな…と、壁に掛けられた時計を見ながらぼんやり思う。
 哀は、心此処に在らずな新一を不審に思いながらも何も言わず、立ち上がると棚から錠剤とドリンク剤の小瓶を取り出してきた。
「…それじゃあ、これがいつもの薬。それから、これがドリンク剤よ。一応、5日分出しておくわね。ドリンクも安定剤も、ちゃんと用法は守ってね。くれぐれも飲みすぎてはダメよ」
「わかってるよ。いっつもいっつも煩いくらいだぜ」
「そう。なら良いわ。あ、あと……」
「……あれ?あれ、何だ?新しいメカか?」
 哀が何か言おうとしたとき、目線を何気なく彷徨わせいた新一は、彼女の机の隅に置かれた機械を見つけて声を上げた。言葉を中断されながらも、普段彼が自ら興味を示すことが少ないためか、哀は然程不快な色も見せずに彼の目線を辿る。
「あ、それは稲尾くんに頼まれて作ったナビゲーションシステムのプロトタイプよ」
「稲尾に頼まれた……ナビ?」
 稲尾という名前とナビゲーションシステムという言葉に反応した新一は、立ち上がると断りもそこそこに怪訝気な表情でそれを手に取った。側面にある電源を入れる。
 ヴンッという音と共に画面が徐々に明るくなり、暫くして映像が鮮明に映し出された。廃屋が建ち並ぶ路地のようだ。そして、そこに映る人物を認めてた新一は思わず息を呑んだ。目を凝らす。
「……あら、これ、服部くんね。稲尾くん、早速ナビの端末を服部くんに持たせていたのね。このナビも、稲尾くんに渡した端末からの電波をキャッチするから」
 動くことさえ出来ずに画面を凝視する彼の手元を覗き込み、身長差故えに辛うじて端に映る人物のみを見つけた哀は、不意に、ナビゲーターを持つ彼の手が小刻みに震えているのに気がついて驚いたように顔を上げた。
「どうかしたの?工藤くんっ?」
 画面から目が離せずに明らかに狼狽している新一の手を、哀は力一杯揺すってみる。漠然とした嫌な予感が脳裏を過ぎった。
「……っ!こいつ……っ、ハルキだっ!!」
 哀の問いかけも、揺すり動かされた感覚も届かなかったのか、新一はふと正気に戻ったように忌々しげにそう叫ぶと、ナビゲーターを放り出し、取るものも取らずに飛び出して行った。
「…………」
 わけのわからない哀は、何が映っていたのかと床に放り出された試作機を覗き込む。すると、先程は背伸びをした無理な体勢だったため平次しか見えなかったが、平次の他にも数人映っていた。それも、どう見ても友好的には見えない輩に平次が取り囲まれていたのだ。
 その上、写っている場所は、現在一般市民の立ち入りが制限されているデス・シティの北の果てにある廃屋地帯。道が狭く、入り組んだそこはデス・シティの中でも一番厄介な場所。通称、『死神の地』とも呼ばれている場所だった。
「……大変だわ!!」
 哀はすぐ様ナビゲーターを取り上げると机の上のパソコンに繋げ、忙しなくキーボードを叩き始めた。






「せやから、ちゃうって昨日も言うたやろ!」
「そんな言葉、信じると思っているのか?現におまえ、今朝シンイチのマンションから出てきたじゃないか!!」

 新一が出て行ってから間も無くして目を覚ました平次は、傍らに置かれた彼の残したメモを見つけて慌てて部屋中を見回した。が、どこを探しても姿が見えない彼に、そのメモが新一の最後の言葉だと悟った平次は消沈の面持ちでマンションを後にしようとした。しかし、そこで待ち伏せていた数人の男達に、平次はあっという間に取り囲まれてしまった。いきなり襲いかかられ、身を翻して避けた際に昨夜の新一との行為で負担がかかった腰に激痛が走り、思わず蹲ったところをすかさず鳩尾に一撃食らわされたのだ。弾みで転がった平次はそのまま苦しそうに咳き込み、力の抜けた彼を男達が引き摺って行った先はデス・シティの最果て。このエリアは確か、立ち入り制限区域だったはずだ。
 そう思いながら、平次は瞳だけ動かして辺りを観察する。そうして、見渡す限り廃墟でしかないビル群の一つから現れた影に目が止まり、それが誰であるかを認めた平次は、両側を拘束されながらも露骨に顔を顰めた。
 忘れるわけもない。
「またおまえか、ハルキ!また性懲りも無く……。おまえ、工藤にフラれたんちゃうんか!?」
 昨夜、新一といた公園に突然現れ、自分を彼の恋人だと勘違いして喚いて行った男。
「黙れ!シンイチは僕のモノだ!!シンイチの幼馴染みだか何だか知らないけれど、いきなり来て恋人面するなよ!!僕は絶対に認めないからな!!」
 茶髪の猫毛を乾いた風に揺らしながら、ハルキは敵対心剥き出しでヒステリーを起こした女のように地団太を踏む。見苦しい彼の様子に、平次は半ば呆れてしまった。人は、相手が取り乱す程冷静になるものだ。
「せやから、昨日あいつも言うたやろ?恋人なんかやないって。…けど、何でおまえ、俺があいつの幼馴染みやって知っとるん?」
 平次が不思議に思って尋ねると、ハルキは小馬鹿にしたように瞳を細めてフンッと鼻で笑った。
「皆知ってるぜ。シンイチは人気があるから、彼の周りで起こったことならファン同士で情報交換だってしてるんだ。シンイチのことで知らないことなんてねぇよ。彼が…誰を大切に想っているのかくらい、もうわかってるんだ。でも、納得がいかない!何で僕じゃなくておまえなんだ!?」
「工藤のプライバシーは全く無いんか。……けど、あいつが俺んことを大切に想うとるやなんて…絶対あらへんわ。それに…安心せぇよ。俺は確かに工藤のこと好きやけど、もうここから出てくから……」
 俯いて、語尾がだんだん小さくなっていった平次の呟きに、ハルキは勝ち誇ったような不敵な笑みを浮かべた。
「ふん……やっぱりおまえはシンイチが好きだったんじゃないか。でも、目触りなおまえが出て行くなら良かった。けどな、だからってこっちも、彼の心と身体を一時でも独り占めにした奴をみすみす逃がす気は無いんだよ!」
(今までシンイチは、身体はやっても、心だけは決して誰にもやらなかったんだ!)
 ハルキの心の奥で嫉妬という爆弾が暴発する。眼前の平次にこの上なく嫉妬していた。据わった眼で平次を捕らえる。まるで、肉食獣が獲物に狙いを定めるときのような危険な色。
 平次は、ハルキのその表情を合図にするかのように一気に殺気立った男達に身体を硬くした。周りを取り囲む人数を素早く確認する。ハルキを入れて全部で7人。通常ならばギリギリいける人数ではあったが、今日は本調子ではなく厳しい状態だ。
 固唾を飲む。緊張の余り冷や汗が背中を伝っていくのを感じた。
 じりじりと近付いてくるハルキに、どうにかして両腕を拘束している二人の男の腕を外そうと身体を捩るが、彼らにいきなり背中を思い切り蹴り上げられ、一瞬呼吸が止まった平次はすぐ側で口を開けていた廃ビルの中へと倒れ込んだ。
「…っ、かはっ、げほっ……」
 冷たいコンクリートに手を付き、忙しなく息を吐く。
 不意に、紅子に占ってもらったときに言われた言葉が蘇った。

『まず、あなたの知っていることから占うわね。…塔の逆位置よ。あなたの不安は的中し、近い内にトラブルに巻き込まれそうね。しかも、そのトラブルは予想以上に大きなもので、あなたにとっても相当なショックとなる可能性があるわ。残念ながら、そのトラブルを回避することは無理そうよ』

(避けられへんトラブルって…このことやったんか……っ)
 背後でガタンとビルの入り口が閉じられた音を聞き、平次は拳を握り締めた。




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