南十字が瞬くとき

「!! シンイチっ!?」
「く、工藤ぉぉぉっ!!」
 ナイフが平次に届く寸前の新一の行動に、平次とハルキは悲鳴のような声を上げた。
 ブレーキが効かず、勢いの衰えなかった刃はそのまま新一の胸に吸い込まれるように突き刺さって…。
 彼の身体から溢れ出た鮮血の赤が、暗い色をしたコンクリートを鮮やかに染めた。
 ハルキは返り血で濡れた両手や、顔にかかった生温い感触と、胸にナイフを刺したまま言葉も無く倒れる新一の姿を目の当たりにし、顔面蒼白になって震えながら後退った。
「あ……あっ………」
「く、工藤っ!!しっかりせぇ!!」
 自分を庇った新一に、平次は泣きそうな声で必死に呼び掛ける。苦しそうに眉を寄せて瞳を閉じ、息が上がった彼の様子に焦りを感じた。傷口に目を遣る。心臓から外れてはいるものの、即死ではなかっただけで危険な状態なことには変わりなかった。
「あ………は…早よう、病院に連れて行かな…!おいっ!早よ、手ぇ貸せや!!」
 側で未だ動揺して視線の定まらないハルキに手を貸せと叫ぶが、彼は全く聞こえていないようだ。
「う…ぁ……ぼ、ぼく…っ…シン…イチ……シンイチ…を…っ!!」
「おい、コラ!!聞いとるんか!?」
 新一を腫れ物を扱うように慎重に横たわらせた平次が詰め寄っても、震えながら自分の赤く染まった手を見下ろすばかりだ。
 こいつが仕出かしたことなのに…新一は俺を庇ったのに…と、何も出来なかった自分自身と元凶であるハルキに憤りを感じていた平次は、堪らず彼の頬を殴った。
「…ったく、しっかりせんかい!!」
「…っ」
 頬を張られてやっと我に返り始めたらしく、戸惑った視線を向けてくるハルキに、平次は事態が緊急を要することをどうにか伝えようと喝を入れる。
「何しとんねん!!早よせんと、ホンマに工藤、死んでまうかもしれへんのやで!?もう、誰でもええから、早よう工藤を…っ!!」
「…………」
 それでも動こうとしないハルキや周りの男たちに業を煮やし、最早自分一人でも良いから、何とか新一を病院へ運ぼうと踵を返す。
 そんな平次の耳に、よく見知った声が飛び込んできた。
「お〜い!新一、平次!!無事かぁ!?」
「平次、大丈夫か!?」
 この街で知り合った数少ない友人たちの声。今は救世主のように思える。
 平次は思わず幻聴かと驚いて振り返った。何故、新一にしても彼らにしても、自分の居場所がわかったのだろうか。
「あ、快斗…一久……な、んで!?」
「さっき、哀ちゃんから平次が攫われたってメールもらってさ、一久にも連絡してこの場所を…って、な…っ!?し、新一っ!!どうしたのっ!?」
 平次の後ろに倒れている新一の姿を発見し、駆け寄って来た快斗と一久は、彼が深手を負っていることを知って表情を無くした。
「ど、どないしたんや!?…と、兎に角、今、救急車呼んでくるから、ちょぉ待っとれよ!!」
 あたふたとしながらも冷静な判断をして走り出した一久を、平次は祈るような思いで見送った。隣では、快斗が新一の足元に屈み込み、唇を噛みながら容態をチェックしている。
 ビルの中にいた男たちはその様子に慌てふためき、蜘蛛の子を散らしたようにわらわらと逃げて行った。ただ一人、呆然と立ち尽くしたままのハルキを除いて。
(全く、全然役に立たへんな!自分の行動に責任持てや!!)
「……は、はっと…り……」
 平次がぎりぎりと歯噛みをしながらハルキを見ていると、不意に掠れた吐息のような声が聞こえ、はっと新一に目を戻した。
「! 何や、工藤!?今、一久が救急車呼んで来てくれるよって、もうちょいの辛抱やで!!」
「お…まえ…は、無事……か……?」
 目を眇め、途切れ途切れに苦しげな息の下、言葉を放つ。
 自分の方が危ない状態なのにもかかわらず、平次のことを気にかける新一に、平次は不謹慎だと思いながらも嬉しさを感じずにはいられなかった。
「うん…うん!!俺は全然平気や!!おまえが庇ってくれたから……っ。堪忍…工藤…っ…俺の所為で、こないな目ぇに……っ」
 懸命に言葉を紡ぐ平次の視界が、滲み出してきた涙でぶれる。
 新一は儚い笑みを浮かべると、弱々しい仕草で左手を上げ、柔らかく平次の頬に触れた。愛しむように指先でそっと撫でる。
「…バカ……なに、謝って…んだよ……。元はと…言えば……俺…の所為、なんだから……。ごめん、な……。こ…んな…目に……遭わせ……ちま…って……っ」
 頬に這わされた新一の手を両手で握り締める。
 血に濡れた、冷たい、手。
 生きている者の手とは思えない冷え切った手に、平次は言い知れぬ恐怖を感じた。
「な…に…っ、何言うてるんや!そないなこと…っ!!それより工藤、もう喋んなや!!」
「おれ……死ぬ…のかな……?ここで……」
「アホなことぬかすな!!死んで堪るかい!!大丈夫や!大丈夫やから…っ!!」
 弱気な新一に平次の不安は募ったが、そんな自分と彼を叱咤するように大声を出す。
 死んでほしくない。絶対に死なせはしない。
 平次は、彼の手を握る手に力を込めた。
 一方、新一はそんな平次の胸中を知ってか知らずか静かに瞳を伏せると、だが、どこか満足そうに笑った。
「…でも……お、まえに……抱かれて…死ねる…な…ら……」

―――それも、良いかもな…。

 言って、微かな笑みを浮かべたまま瞳を閉じた新一に、平次は瞳を見開いて唇を戦慄かせた。嫌だ、と言うように首を弱々しく振る。
「工藤……?く、どう…?工藤ぉっっっ!?」
 嫌な…予感がした。
 そして、握っていた手が不意に力を失ったことを知った彼は、狂ったように新一の身体を揺さぶった。掻き抱いて泣き叫んだ。
 平次の悲痛な叫び声だけが、暗く人気の無い廃屋地帯に哀しく響いていた―――。




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