南十字が瞬くとき

 リビングから玄関に続くガラス戸を開けると、そこには靴を脱ぎ捨てて遠慮無しに上がり込んだ新一の姿があった。
「よ、珍しいじゃん。おまえがここに来るなんてさ。どうしたの」
「…おまえ、今日仕事は?」
 快斗の質問に答えずに、新一は逆に聞き返す。疲れたような彼の表情。着ているシャツは皺くちゃになっていて、恐らく昨日から取り替えていないのだということが窺えた。
「今日は休みだぜ。新一は?何か、やけに疲れてるみたいだけど?」
 ガラス戸の傍にいる快斗の横を通り過ぎ、リビングのソファにどっかりと腰を下ろした新一は、続く動作で横になってしまう。窓から差し込む陽射しが眩しいとでも言うように、片腕を顔の上に翳す。
「全く、堪んねぇよ。昨日は散々だったぜ。さっきまでで1人だぞ。信じられるか?」
 溜め息を吐きながら吐き捨てる新一の傍に寄った快斗は、背後からソファの背に両肘をついて彼の顔を覗き込む。
「さっきまで相手してたのか?すっげぇご執心だな。愛されてんじゃん、おまえ」
「バーロー。こっちはいい迷惑だっての!でも、客だから無碍にできねぇじゃんか…。もう体力持たねぇし、1人の相手だったら延長料金だろ?金額的には変わらないんだけど、同じ奴の相手をずっとしてるのは気分転換も出来ねぇから、複数の客を相手にするより疲れるんだよ、俺は。おかげで身体はいつも以上にボロボロだし………まぁ、その分ウチで一番高い部屋をリザーブして一番高い酒を開けさせたけどな。あ〜、くそ…っ…あいつ、俺の中のブラック・リストに入れてやる……」
 眠いのか、寝返りを打って快斗から顔を隠す。その様子を見ながら、快斗はそっと新一の髪に触れた。
「…昨夜からさっきまで付き合わされてたってことは……もしかして、今回も言われたんだ?」
「ご名答。案の定『付き合ってくれ』って迫られました。丁重にお断りしたけど、ありゃしつこいぜ……何たって、天下の親衛隊員様だしな。全然へばらねぇし…。流石、訓練されてますよ」
 さも面倒くさそうに言い放つ。快斗はリビングの端に置いてある、電源を先程落したばかりのパソコンにさり気なく目線を走らせた。
「大変だな、人気者はさ」
 零すように漏らした快斗の声に、新一が少し顔を動かす。自分と知り合ったばかりの頃は、まだあどけない表情を残していたが、最近はめっきり男らしさに磨きがかかり、疲れた中にも大人の表情をするようになった新一の顔に視線を戻しながら、快斗は静かに口を開いた。
「おまえさ…平次に自分の仕事を知られるのが嫌なんだろ?」
「…………」
 快斗を見つめるだけで何も言わない新一。無言の中に肯定を感じて、快斗は尚も続けた。
「汚れた街と汚れた自分に関わって、平次が傷ついてしまうことを恐れている。そしておまえには、昔を知っている平次に今の自分を見られたくない、というプライドもある」
 新一はずっと黙って聞いていたが、不意に口元に冷笑を受かべると、嘲笑うかのように瞳を細めた。
「だから?何が言いたい?だから、俺はあいつにあんな態度を取ったってか?深く関わらないようにして、あいつをここから追い出して、自分のプライドを守ろうとしているって?」
 新一はソファから身を起すと、ソファの背に肩肘をついて快斗を真っ直ぐに見つめる。互いの息がかかる程の至近距離で、自分と似た顔を見つめ合う。
 暫くの間沈黙だけが部屋に流れていた。それを最初に破ったのは快斗の穏やかな声だった。
「卑屈になるなよ…」
「…………」
「なぁ、新一。平次のことが気になるんだろ?」
「……別に」
 ふいっと視線を逸らす。快斗は構わずに続けた。
「平次の居場所が気にならない?」
「………別に、って言ってるだろ!」
 煩わしそうに新一は鋭い視線を快斗に向けたが、次の彼の台詞に言葉と共に瞳の力も失った。
「平次、一久のところにいるぜ。ちなみに、仕事は俺んトコロとおまえんトコロの事務をやるそうだ」
「…………っ!!」
 瞳を大きく見開く。戸惑うように揺れる瞳が快斗を見る。
「な…んで…っ…何で、おまえがそんなこと知ってるんだよ!?」
 唇を震わせながら食って掛かる新一を、やんわりかわして彼は立ち上がる。追って目線を上げた新一を見下ろす。
「今朝、グレート・コーストに行ってハッキングしてきたんだ」
 言いながらパソコンへ向かい、電源を入れる。新一を手招いて、奪ってきたデータを開いて見せた。
「……これ……確かなのか…………?」
「あぁ。何せ、グレート・コーストのパソコンに直に仕掛けたからな。間違いないぜ」
 愕然として、その場に座り込んでしまった新一の肩を、快斗が優しく抱き締める。俯いた綺麗な項からは汗の匂いがした。
「可哀相な新一。おまえが恐れていたことが現実となってしまうよ。平次も、ココの色に染まってしまったらどうする…?」
 うっとりと囁いた快斗をいきなり突き飛ばした新一は勢い良く立ち上がると、悔し気に快斗を見下ろした。握った拳をわなわなと震わせ、唇を噛み締めて快斗を睨む。
「そんなことは…それだけはさせねぇよ!この俺が、絶対にな!!」
 尻餅をついた快斗をそこに残したまま、新一は走り出すと感情のままに扉を閉めて出て行った。部屋には、乱暴に閉められた扉の余韻だけが残る。そんな中一人部屋に残された快斗は、叩かれた左頬を擦りながら起き上がった。
「いってぇな……。何も、殴らなくたって良いじゃねぇか…」
 ブツブツ言いながらも溜め息が出る。新一が出て行った扉を何と無しに眺める。もう一度彼は溜め息を吐くと、視線をパソコンに戻した。
「確かに、おまえはこの街で影響力を持っているよ。権力も持っている。でも、おまえが本当に欲しいものって……何?」
 マウスを弄りながら誰に言うでも無く呟く。
 平次には、この街の色に染まって欲しくはない。
 それは自分も思っていたこと。
 だけど…。

『そんなことは…それだけはさせねぇよ!この俺が、絶対にな!!』

 あれはまるで、自分の仕事が平次に知られてしまっても、自分が平次にどれだけ嫌われようと彼に幻滅されようと、平次だけは必ず守ってみせる。そう言っているようで。
「新一……そんなに平次が大事なのか?」
 おまえがこの街に堕ちて来た日から3年間、ずっと一緒にいた俺よりも、ずっと昔近所に住んでいた、ここ数年音信不通だった幼馴染みの方が大切だって言うのか?
 それは、自分の知らない者がある日ひょっこり現れて、今まで一緒にいた大切な人を奪われるような…。
 平次に対する快斗の、ちょっとした嫉妬だった。


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