南十字が瞬くとき

* * * * *


 カタカタカタ……
 大きな屋敷の一室からキーボードを叩く音が響く。
 ここは、メイン・ストリートにある一久の家。「仕事」のために書斎に案内された平次は、一久から簡単な仕事内容の説明を聞いた後、早速最初の仕事を仰せつかってパソコンに向かっていた。
 屋敷の大きさに比例して、この書斎は十四畳程もある。そんな一人で使うには広すぎる部屋に入った瞬間、平次は驚くよりも最早呆れていた。
 本棚と机とパソコンが整然と置かれた部屋で、平次は内心落ち着かないながらもモニターを睨む。画面が後方にある大きな窓から入り込む眩しい陽射しで反射するのか、平次は眼を眇めると立ち上がってブラインドを閉めた。
 壁に掛けられた時計に目を移し、小さく息を吐く。
「はぁ…。9時から始めてもう5時間も経っとるっちゅーのに、全然終わらへんなぁ…」
 平次が初めに一久から与えられた仕事とは、一久の経営している店『シーク・D・ポップ』と『ミルティ・エンジェル』2店舗で働いている人間のリストの更新だった。とは言え、2店舗で200人近くいる従業員の名簿を作成するのは容易なことではない。平次は一久の持ってきたディスクと書類の束に、早くもげんなりしていた。途中で昼休みを取ったとは言え、なかなか崩れない書類の山にドッと疲労感に襲われる。
 しかし、ぼやいていても仕方が無い。今は与えられた仕事をこなすしかないのだ。
 平次は一度伸びをして首を回すと、気分を入れ替えて再度パソコンに向き合った。
「余程繁盛しとると見えて、これで日給3万やもんな…どんだけ儲かっとんねん…。まぁ、ぼちぼちいこか…」
 苦笑しながら、机の上に店舗ごとに重ねられている書類を処理した順に整理していく。
 平次は、一久が経営している店がどんな店なのか知らされてはいなかった。ただ、書類に記載されている内容をそのままパソコンに入力してデータを作っていくだけだ。何てことはない、単純な作業。
 平次はただ黙々と、時間が経つのも忘れたかのようにひたすらキーボードを叩いていた。




 傍らの書類の山の一つがもう少しで崩れるという頃、平次はふと目に止った名前に手を止めた。ブラインドを閉めた外は、もうすっかり暗くなっている。
 手に取った書類には、自分がこの街に来て知り合った内の一人の名前があった。
「『カイト』って、工藤と一緒におった快斗やんなぁ?ミルティ・エンジェルで働いとったんや…。ディーラーって…車のディーラーちゃうよな。…ほな、ミルティ・エンジェルってカジノなんか?一久もえらい店持っとるなぁ……一遍、遊びに行ったろかな♪」
 今までカジノ等の類には全く縁が無かったため、ちょっとした好奇心が湧いてくる。自分の知らない世界がそこにあるのかと思うと自然とワクワクしてくるものだ。それに加え、平次は人一倍好奇心が強い。
 平次は少し間、興味深そうに快斗の顔写真を見つめていたが、不意に総司の言葉が頭に蘇った。
 あれは、この街を訪れた初日だっただろうか。捜し求めていた新一にようやく会うことが出来た喜びに浸ったのも束の間、思いもよらなかった冷たい科白を新一に吐かれ、当ても無く街を彷徨っていた自分を見つけた総司と一久。
 確か、そのときだ。

『そうそう。さっきおまえが探してる言うてた工藤も、一久の片方の店で働いてるしな』

 一久が一瞬どこかバツの悪そうな顔をしたのも思い出した。
(片方の店ってどっちやろ…。カジノの方?それとも、もう一個の方の…。そう言えば俺、一久の店の事務や言うても、どないな店なんかとか全然聞いてへんな。わざわざ言わんでも、仕事をしとったらその内わかることやからか?それとも、俺に言われへん何か特別な理由でもあるんやろか……?)
 考え出すとキリが無い。しかし、今し方知った店のことを考えると、何か疚しいことでもあるのではないかと勘繰ってしまう。
 けれど、自分は今、『ミルティ・エンジェル』が日本で未だ禁止されているカジノであったと知っても、好奇心は湧いたが特に何を思うということはないのだ。この街がそういうところだということは今更だし、何を隠すことがあるだろうか。
 きっと、一久が自分の店について何も言わなかったのは、話すのを忘れていたのか、もしくは面倒だったからなのだろう。
 平次は、一瞬でも一久を疑ってしまった自分の思考に苦く笑うと、考えを振り払うように軽く頭を振った。
 それにしても、新一が一久の店で働いているのなら、この中に彼の書類もあるはずである。けれども、今まで見てきた書類には彼の名前は無かったし、ミルティ・エンジェルの従業員の書類もあと僅かだ。
 平次は頬杖をついて残り少なくなった書類をパラパラと捲ってみたが、その中には彼の名前は無さそうだった。
 書類から手を離し、少しだけ考えるように片手を顎に当てる。と、意を決したように、まだ手をつけていないもう一つの書類の山に手を伸ばした。
 平次にその行動を起こさせた切っ掛けは、確かに好奇心もあったのかもしれない。けれども、彼はずっとずっと、新一のことを気にかけてきた。そして、捜し人をようやく見つけたのだ。知らない内に彼に嫌われていたのだとしても、自分の彼を思う気持ちに変わりは無いし、こんな街ででもちゃんと人間らしく生きているのなら、例え彼が自分と火星に行くのを心から拒み、このまま別れることになってしまったとしても、何も知らないよりは少しだけ安心できるから。それが、独り善がりな自己満足だということはわかっているけれど。
 平次はただ夢中で、膨大な書類の中から彼の名前を探した。
 そして…。
 探っていた書類も半ばに差し掛かった頃、平次は弾かれたように一枚の書類を引っ張り出していた。真ん中辺りから無理矢理引っ張ったため、上に重なっていた書類がバサバサと音を立てながら机から雪崩れ落ちる。しかし、当の本人はそんなことには構うことなく、ただその一枚の書類を食い入るように見つめていた。
 否、目が離せなかったと言うべきか。
 書類を握る平次の両手は微かに震え、目はどこか必死な様子で紙面を辿っていた。
 丁度そのとき、ドアがノックされる音が部屋に響いた。ビクリと震えた平次は、硬直したようにその場から動くことが出来ず、ぎこちなく目線だけを扉に彷徨わせた。返事も返せない彼に、扉は少し躊躇いがちに開かれ、隙間から一久が顔を覗かせた。
「お疲れさん。もう5時過ぎたよって、今日はそろそろええで。……?平次?どないした?」
 就業時間終了の知らせに来たらしい彼は、呆然と立ち尽くしている平次の只ならぬ様子に眉を顰める。しかし、その手に一枚の紙が握られているのを目に止めると、何か思い当たったのか顔を曇らせて平次の元へ駆け寄った。
「か…一久……これ……工藤、やんな……?」
 顔色を無くした平次が、一久と視線を合わせないままおずおずと書類を差し出す。震える手。伏せられた瞳と戦慄く唇。
 一久は苦しそうにその顔を見つめ、差し出された書類に目を落とした。
「…やっぱり…ショックか。…まぁ、俺の店の事務をやらすことになったら、知ってまうのも時間の問題やったもんな…」
「……ほんなら、やっぱりコレ…………工藤に間違いあらへんのやな…?」
 平次の瞳は最早涙で滲み出している。一久は小さく頷いて書類を静かに机に置くと、ポケットに手を入れてそこに凭れ掛かった。
「ホンマはな、俺、おまえに俺の店の事務をやらす気なんか無かったんや。工藤を探しとるって聞いたし、少なからずショックを受けるかもしれへんとも思うたし……けど、今この街で働く言うたら、工藤と同じような働き口しかあらへんのや。そんなんは、グレート・コーストに求職相談するまでもなく、3ヶ月に1回のトップ・マネージメント会議に出とったら、現状は火を見るより明らかや。…おまえはこの街に堕ちて来たわけやない。これからも、火星で真っ当な人生を送る奴や。この街に染まったらあかん。…せやけど、少しの間でもここにおる間は働かんと、欲しい情報も何も得られへんシステムやから…俺はおまえを雇うことにしたんや。これは俺の独断やったから、どっちがおまえにとって良かったんかはわからへんけどな…」
 一久も完全にデス・シティに染まっているわけではなかった。自分の持っている店が、一般シティの人間から見ればどういった類のものなのかも理解していた。だからこそ、事務として雇うことでそういった世界に免疫の無い平次が直接関与しないように…と、遠ざけたのだ。
「く…ど……っ、何で…何でや…っ!!他に違う仕事は無かったんか…!?」
 平次は癇癪を起したように、両腕を振り回して机の上の書類を乱暴に引っ掻き回しては足元に落としていく。その様子を一久は痛そうに見守るしかなかった。
 新一の書類以外全部落とした後、平次は固く拳を握り締めるとダンッと両手を机に強く打ち付けた。これが現実でなければ良いのにと、夢であればどんなに良いかと何度も目を瞑るが、開けたときには変わらず彼の書類が目に飛び込んで来た。
 一久の手前、偏見とも言えるべきことを言うのはどうか…とも思ったが、一度堰を切った思いはもう止められはしなかった。
 感情をコントロール出来ずに暴走する。激しい虚無感。
「何で……なん、で……こない自分を売るようなこと………ッ!!俺、そないなおまえの姿、見てられへんよ……!!」
 平次はフローリングに舞い散った書類を追うように俯き、小さく呻くと力無くその場に蹲った。

 写真の彼は、静かな…でも、どこか満たされない哀し気な瞳をしていて。その彼の顔も涙で歪んだ。
 彼の横には登録ネーム『シンイチ』と、職業欄には『ホスト』の文字。そして、備考欄には『デス・シティ内売上NO.1』と記されていた。


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