南十字が瞬くとき

「…あいつがこの街に来たんは………3年くらい前やったかな。その日は朝から雨が降っとって、そん中を虚ろな目ぇして、傘も差さずに歩いとったんや」

 平次が落ち着いた頃合を見計らって、一久は淡々と話し始めた。気づいた平次は腫れぼったい眼を慌てて腕で拭うと、ゆっくり顔を上げる。一久は過去を思い出すように一度言葉を切って遠い目をした。
「店の経営を、まだ俺の両親がやっとったときやな。ふらふらと、夜のウエスト・アベニューを歩いとった。新参者のガキを、ウエスト・アベニューにおる奴らが放っとくわけないやろ?あっちゅー間に不貞な輩に囲まれてな」
 一久は、平次が息を呑む気配を察して小さく笑うと、椅子に座るように勧めた。指し示された椅子に躊躇いながらも大人しく座る。話を聞く体勢になった平次を前に、一久は天井を仰いだ。
「偶然、その現場に総司と通りかかったんや。どうすんのやろって、ちょぉ遠まきに見とった。俺らと同じくらいの歳やったから、ヤバなったら助けたろ思ててんやんか。したらあいつな、形勢的に圧倒的に不利やったけど、そんでも眉一つ動かさんで無表情でな。それが奴らの気に障ったんやろな。服とか引き千切られて…。けど、そこらで『俺ん店の新入りや〜』言うて割って入ってったから、それ以上はさせへんかったけど……」
「……ほんで?」
 一久は淋しそうに笑った。
「『あないなトコに1人でおったら危ないやろ。ここの連中は何仕出かすかわからへんで』言うたら、あいつ、何て言うたと思う?『俺はもう、人を信じられない。大罪も犯した。もう、どうなっても良いんだ……』って言うたんやで。14のガキが言う言葉やないな……って、流石に思うたわ」
 それは、デス・シティ初日に平次が聞いた新一の告白の続き。
 3年前、この街に来た新一は、自分の両親を殺したという叔父に襲われ、真実を知って彼を殺してしまった直後だった。
 計り知れない怒り。それを通り越した絶望。
 新一は昔から正義感が強かったから、どんな事情があったにしろ、人を殺めてしまった自分に対する嫌悪と罪悪感にも苛まれたことだろう。そんな自分が果たして生きていて良いのか。自分の存在理由や価値全てに疑問を抱きながら流れ着いた先は、犯罪者や社会に行き場を失った者達が集う無法地帯だった。
 ここに来たときの新一は何を感じ、何を思ったのだろう…。

『もう、どうなっても良いんだ。本当は、死んだって構わなかった。あまりにも絶望したから。でも……1つだけ心残りがあって…それを確かめられるまでは死ねないと思った。捕まるわけにもいかないから、ここに、来たんだ……』

 突如訪れるデジャヴ。
 14歳の少年が、雨に全身を濡らしながら漏らした科白。少しだけ上げた顔は、雨の雫か涙かわからないもので濡れていて。伏せられた瞳には光は無く。唇は寒さのためか、それとも違うことが原因なのか、小刻みに震えて蒼褪めていた。
「心残り…?」
 平次は一久が呟いた、過去に新一が紡いだ言葉の端を繰り返した。
 3年前にトリップしていたらしい彼は平次の声に現実に引き戻され、暫しぼぉーっと平次の顔を見つめていたが、ややあって徐に小さく頷いた。
「詳しいことはあいつ、言わへんかったから俺らも聞かんかったけどな。何があいつの気掛かりなんかは未だにわからへんけど…それが、自暴自棄になって死ぬことまで考えたあいつを生かしたことには違いないやろうから、生き甲斐言うてもええのかもしれんな」
「あいつの……生き甲斐……」
「せや。ほんで、まだ行くトコ決まっとらんようやったから、俺の両親に話して雇ってもろたんや。工藤は、稼ぎのええ仕事なら何でもええ言うたからな。どないな事情があったかは知らんけど、あいつも色々苦労しとるんや。せやから、あんまり工藤のこと、責めんでやってくれな…」
 困ったように笑う一久に、平次の胸の奥で得体の知れない感情が頭を擡げた。傍らの彼に気づかれないようにそっと息を吐く。自分の感情が醜いもののように思えて、平次は瞳をきつく瞑った。
 平次には、新一の生き甲斐というものが何なのか全くわからなかったが、追い詰められた彼がそれに救われたのなら良かったと思う。新一のしている仕事は一久の話を聞いた今も、彼の中での負のイメージが変わることは無かったけれど、新一がそれで良いと思っているのならば何も言えない。そんな権利は自分には無いのだから…。
 きっと、自分には関係の無いことなのだ。実際、新一は平次が彼に(この街に?)干渉することを嫌っているように思える。
 彼に「仕事をやめろ」と言えるわけがない。さっきも、勝手に取り乱した自分の所為で一久を困らせてしまった。迷惑をかけるくらいなら…とは思うものの、そんな聞き分けの良い頭とは裏腹に、心臓は締め付けられるように痛くて苦しくて。
 平次は胸に手を当ててシャツを握り締めた。胸の奥が、何故かズキリと痛んだ。
 この痛みは知っている。自分の知らない新一を、自分よりも付き合いの浅い快斗が知っていると思ったときに感じた痛みと同じものだ。ここに来てから、ずっとこの痛みに苛まれ続けている。
 どうして、新一のことを想うとこんなにも心が痛むのか。
 何故、ここまで彼に執着するのか。
 わからない。
 わからない。
 わからない……。
 平次が再び下を向いてしまったことに気が付いた一久は、そっと平次の肩を叩いた。小さな子どもを宥めるような優しく声が、頭上から降ってくる。
「そうや。明後日、年に1度の祭りがあんねん。総司もその日は仕事夜からやし…気分転換に行こうや。な?」
 頭をポンポンと軽く叩いて促すと、平次が伏せていた顔を上げる。微かにだが、ようやく笑った平次に、一久もほっとしたように安堵の笑みを浮かべた。
「…あぁ…せやな。気ぃ遣わしてもうてすまん…ありがとぉ……」
 それで気分が晴れるとは思わなかったが、気分転換にはなるだろう。それに、この街に来てまだ日が浅い自分のことを、親身になって心配してくれる一久の心遣いが、平次はただ素直に嬉しかった。


9へ

図書館へ         トップへ


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送