南十字が瞬くとき

   ピンポーン


 翌日の昼近く。
 稲尾家に小気味の良い高い音が軽く鳴り響いた。今日、総司は早番で、朝早くからグレート・コーストに出向いている。
 書斎で昨日散らかしてしまった書類の整理をしていた平次は、一度顔を上げると小さく首を傾げた。ここに来てから、来客など初めてのことだ。
 一久が出るであろうと思い、目線を手元に戻して休めていた手を動かし始めたとき、再びインターホンが鳴った。

   ピンポーン

「? 何や、一久おらんのかいな。はいはいは〜い!」
 一向にドアが開かれる気配が無いのを察して、平次は立ち上がると足早に玄関へと向かった。厳重に掛けられたロックを解き、ドアを開ける。
 すると。
「あら、こんにちは。あなたが服部平次くん?」
 ふわふわの茶髪の女の子。歳は7,8歳といったところだろうか。赤のハイネックに黒のミニスカート、その上に何故か着ている白衣。手には黒いアタッシュケースを持っている。外見に不似合いな冷静な瞳に圧倒され、平次はドアノブに手を掛けたまま思わず固まってしまった。不思議そうに大きな瞳を瞬く。
「…え?あ……あぁ、そうやけど………譲ちゃん、誰やねん?何で俺のこと知っとんのや?」
「俺が呼んだからや。おまえの健康診断してもらお思うてな」
「!」
 背後から突然声が聞こえてきて、彼女の存在に意識を集中していた平次はびっくりして飛び上がった。振り向くと、平然として数枚のディスクを手にした一久の姿。
「一久!!おったんかい。せやったら早よ出ろや。……けど、俺の健康診断に呼んだって……どういうことや?」
「この街に来た奴は、必ず最初に健康診断せなあかんのや。他所から病原菌とか持ち込まれんのを防ぐのが目的なんやけど、まぁ、決まりやから気分悪ぅせんといてな。せやから……」
「そうやなくて!そんで、何でこの子を呼んだんかっちゅーこっちゃ!」
「私が医者だからよ」
「はぁ?」
 黙って2人のやり取りを見ていた彼女が静かに答える。その言葉に平次は素っ頓狂な声を出し、まじまじと不躾な視線を小さな彼女に送る。怪訝そうなそれにも彼女は気を悪くした様子も無く。
「上がらせてもらうわよ」
と、一言断ってから靴を脱いだ。
「私は、デス・シティ唯一の病院である、エクシー総合病院の医師なのよ」
「えぇ!?あんたみたいな小っこいガキがかッ!?」
 平次は信じられないとでも言いた気に、子どもと一久を交互に見つめる。わけがわからないと雄弁に語る視線を受けて、一久は肩を竦めた。
「彼女、姿は子どもやけど、ホンマは俺らとそう変わらん歳なんや。ほれ、平次も聞いたことあるやろ?頭のごっつぅキレる科学者の失踪事件。あれがこの子や。薬で小さなって、この街に身ぃ潜めとるっちゅーわけや」
「な、何やてぇぇぇッ!?」
 平次はさっき以上に瞳を大きく見開く。驚きを隠せないとでもいった様子だ。
 1人絶叫する平次を尻目に、彼女は小さな手を平次に差し出すと殊更にっこり微笑んだ。
「私の名前は灰原哀。よろしくね」
「あ、あぁ……よろしゅう……」
 少し戸惑いながらもその手を握る。自分の手の半分程の、小さくて柔らかい子どもの手。これが自分と同い年くらいの人間だなんて信じられなかった。しかし、先程初めて哀を見たときに感じた違和感…外見にそぐわない、妙に大人びた表情等の理由は納得出来た。
「それから稲尾くん。この間頼まれた例の物が出来たから、早速持って来たわ」
 平次に握られていた手を自分の元に取り戻すと、哀は持っていたアタッシュケースから何やら取り出して一久に手渡した。小さくて丸いビー玉のようなものと、四角いレーダーのような機械。ナビゲーターのようだ。
「おう、相変わらず仕事早いなぁ。おおきに」
 受け取った一久は感心したように暫くそれらを眺めていたが、やがて2人を残して奥の部屋へと引っ込んでしまった。
 これからどうしたものかと内心オロオロしていた平次だったが、下から手を引かれ、困惑顔のまま彼女に視線を落とした。
「さあ。それじゃあ、あなたの診察を始めましょうか」
 目を細めて笑いかける哀に、平次は戸惑いつつも大人しく頷いた。





「言うとくけど俺、どっこも悪いトコなんかあらへんで?」
 初日に使っていた客間ではなく、新たに自室として与えられた部屋に哀を招き入れた平次は、机に置いたアタッシュケースから色々なものを取り出している彼女をベッドに腰を下ろしながら見た。哀は構わずに自分の作業を続け、自然な動作で注射器を手に取り、こちらも見ずに針の先から中身の液体をちょっと出して見せると、平次はあからさまに身を引いた。椅子に腰掛けた彼女の小さな足が、床に届かずブラリと揺れる。
 平次は口元を引き攣らせ、彼女の次の動作を固唾を呑んで見守った。
「そのようね。まぁ、見ればわかるわ。でも、一応カルテは作っておかなければいけないから暫く辛抱して。……それに、多分、私が呼ばれた理由は他にもあるでしょうからね…」
「え?どういう意味や?」
 哀が注射器をケースの中に仕舞ったのを見てホッと息を吐いた平次が、今度は上半身を乗り出して問い掛ける。そんな彼を横目でちらっと見て、哀はすぐに視線を手元に戻した。
「あなた、工藤くんの古い知り合いだそうね」
「なっ……あんた、工藤を知っとるんかっ!?」
 目の前の少女が呟いた名前に平次が思い切り食い付く。その噛み付きそうな勢いに哀は微かに苦笑いを浮かべた。
「えぇ。彼がこの街に来たときからの付き合いよ」
「そう、か……」
 それでは、この少女もまた、自分の知らない新一を知っている1人なのか…。
 平次は、もう何度目になるかもわからない痛みに耐えるように俯くと、瞳を眇めて唇を噛み締めた。
 哀が小さく息を吐く。
「稲尾くんが……」
 そこで一端言葉を切る。哀は平次が顔を上げるまで、何も言わずに辛抱強く待った。
 なかなか先を続けない哀を不審に思ってか、平次が恐る恐るといった様子でゆっくり顔を上げる。真正面から視線がぶつかる。真剣な哀の瞳の気迫に押され、平次は思わず息を呑んだ。
「あなた、工藤くんの仕事を知って凄いショックを受けたみたいね。稲尾くん、あなたにそんな思いをさせてしまったことに責任を感じたらしくて、今朝連絡して来たのよ」
 言外に、あなたのことを気遣っている人がいるということを覚えておきなさい、と伝える。
 平次が彼女の言わんとしていることを察して目を見張る。哀は小さく頷くと、ケースに備え付けられたパソコンにディスクを挿入し、取り出した聴診器をそれに繋げ始めた。
「そうやったんか…。そんなん、一久の所為とちゃうのにな…」
 そう、一久の所為なんかでは無い。全ては自分の気持ちをコントロール出来ずに暴走させてしまった己の所為。自分の中の価値観でしか物事を量れない、自分の弱さが原因だった。
 平次は膝の上でグッと両手を握り締める。
「工藤が……何をしとっても、俺には………関係あらへんのや。きっと…」
 苦しそうに吐き捨てる。自嘲気味に笑ってみたが、上手く出来たかわからなかった。


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